異世界ビルメイキング - 夢の中の理想郷 -
普通の高校生である日向光一は、現実の無力感に苛まれながらも、ある運命の夜に夢の世界へと迷い込む。そこで彼は「建築マスター」という特別な能力に目覚める──それは、自分の理想を形にし、建物や街を自由に創り出せる力だった。
魔法と武術が交錯するこの世界で、光一は明るく好奇心旺盛な魔法使いセリカ、誠実で思いやり深い武闘家レンと出会う。三人は荒れ果てた荒野を活気あふれる町へと変貌させていく。市場が賑わい、宿泊施設が建ち、教育機関が整い、防衛施設がそびえ立つ。光一の創り出すものは単なる建物ではなく、多くの人々に希望を灯し、笑顔をもたらしていくのだった。
街が発展するにつれ、光一の自信も深まっていく。しかし、その繁栄は望まぬ敵の注目を集める。ライバル勢力が現れ、陰謀が渦巻き、光一の力の限界が露わになる。彼は気づき始める──建築だけではこの地を守りきれないと。本当に大切なのは、人と人との絆なのだと。
物語の最終章で、光一、セリカ、レンは夢を守り、理想の街を完成させるために力を合わせる。光一は自らの能力の限界に挑み、築いてきた絆を信じることを学ぶ。果たして彼は真に完璧な街を築き上げるのか、それとも
異世界ビルメイキング - 夢の中の理想郷 - - 絆の塔、礎の夜
天井の染みを、光一はずっと見ていた。
旅鶴の寝床——暁綴に建てた三十室の木造宿舎——の一室だということは、においでわかった。木材の乾いた匂い。外から聞こえる灰原の風。薄い布団の感触。どれも、自分が設計して、建てたものだった。
右手をゆっくり持ち上げて、天井に向けた。
ビルディングマスターが、静かだった。
応じない、というより、まだそこにいない感じがした。川の底に沈んだまま、水面まで浮かんでこない何かのように。怖いとは思わなかった。ただ確認した。今はまだ使えない。それだけ。
(何日、ここにいたんだろう)
記憶の端が、まだ少し霞んでいる。見張り塔の梯子の上でセリカに手を引かれたこと。レンが静かに状況を整理していたこと。住民の目が届かないところまで移動したこと。そのあたりで、記憶が薄くなる。
視線を左に向けると、椅子があった。
セリカが、うつぶせ気味に眠っていた。水色のロングヘアが椅子の背もたれから垂れて、肩のあたりで緩く広がっている。束ねていたはずの髪が半分ほどほどけていて、薄紫の瞳は閉じられていた。口が少し開いている。寝顔は、いつもより三歳くらい幼く見えた。
光一は声をかけなかった。
窓の外から、声が届いた。
「——リーネ河の支流から来た荷ですよ! 今朝入ったばかり!」
行商人の声だ。陽だまりの広場——光一が最初に建てた市場——の方角から。続いて、荷車が石畳を転がる音。子どもが走る足音。遠くで誰かが笑っている。
光一がいない間も、暁綴は動いていた。
(当たり前だ、建てたものは光一がいなくても立ち続ける)
それはわかっていた。頭では。でも実際に横になって天井を見上げながら市場の声を聞くと、安堵と、何か別のものが同時に来た。うまく言葉にならないそれが、胸の中でしばらく動いていた。
壁に視線が止まった。
蔓草の模様だった。上縁に沿って、薄い線で刻まれた細かい葉の形。セリカが綴り火学院の工程のついでに刻んでいたやつだ。「殺風景すぎる」と言って、光一が止める前にやっていた。当時は「設計図にない」と言いかけたのに、セリカが「えっ、嫌?」と聞いてきて——光一は何も言えなかった。
自分だけでは、生まれなかった細部だった。
「——んっ」
椅子の上で、動く気配がした。
セリカが目を開けた。薄紫の瞳が、まだ焦点を結んでいない。半分夢の中にいる顔で、ぼんやりと光一の方を見た。
「あ、起きてる」
のんびりとした一声だった。
深刻な時間が、あっさりと終わった。
「……起きてます」
「よかった」セリカが欠伸をした。両手を上に伸ばして、背骨がぱきっと鳴る音がした。「何日か経ったの? わたしも途中から記憶がない」
「わからないです」
「それはわからないんだ」
セリカが椅子から立ち上がって、窓の方へ歩いた。開けると、朝の空気と一緒に市場の声が大きく入ってくる。風が水色の髪を揺らした。
「市場、動いてるね」
「聞こえました」
「光一が作った市場だから、光一がいなくても動く」
それだけ言って、セリカがこちらを向いた。光一の顔色を確かめるように、少し前に出てくる。距離が縮まる。薄紫の瞳が、光一の顔を近くから見た。
光一は、視線を微妙に逸らした。
(なんで今、それが恥ずかしいんだ)
体調の心配より先に、妙な感じが来た。回復した証拠だとは思う。思うが、それを認めるのも何か違う気がした。
「顔色、まあまあ」
「ありがとうございます」
「起き上がれる?」
「たぶん」
ゆっくりと体を起こした。世界がわずかに揺れた気がしたが、すぐに落ち着く。首が少し固い。それだけだった。
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そこへ、扉が軽く叩かれた。
「——入ります」
レンが入ってきた。短く刈り込まれた黒髪に赤いメッシュ、金色の瞳が光一を一瞥して、すぐに状態を確認するように細くなった。手には折りたたんだ布と、小さな木の板が一枚。
「意識は戻っていますか」
「はい」
「魔素回路の感覚は」
「まだ、静かです。使えるかどうかは、まだわからない」
レンがうなずいた。感情的な起伏はなかったが、それが「想定内だ」という意味だというのはわかった。部屋の中に入って、持っていた木の板を床に置いた。灰原の砂の上に走る線が、いくつか引いてある。略図だ。
「報告があります。昨夜、南の巡回中に鋼牙衆——南方の鉱山地帯を支配する武装集団で、約千二百名の戦闘員を持つ軍閥——の斥候一名を確保しました」
セリカが「捕まえたの?」と声を上げた。
「はい。単独行動でしたので」
「一人で?」
「相手も一人でしたので」
セリカが何か言いかけて、やめた。
「斥候の話では」レンが略図を指さした。「本隊が三日後に暁綴へ向かう予定とのことです。進軍ルートはここ——南西の裂け谷沿いから迂回して、灰壁砦の東側防壁に向かう形です。人数は最低でも三百」
「三百」
その数字が、部屋の中に落ちた。セリカが指で床の略図を追いながら、唇を少し引き結んだ。「思ってたより早い、というか、思ってたより多い」と小さく言った。
「はい。当初の想定より規模が大きい。——もう一つあります」
レンの声のトーンが、わずかに変わった。光一はそれを感じ取った。
「帳幕院——表向きは交易仲介業を営む組織ですが、実態は各地に工作員を潜伏させて情報を売買し、特定の勢力が台頭することを妨害する諜報組織——の工作員が、暁綴に潜入していたことを確認しました」
「……あの商人だ」セリカが低い声で言った。
「はい。第三夜から滞在していた商人風の男です。焚き火の輪の外で柱の本数を数えていた」
セリカの表情が変わった。唇を噛んで、視線が床の略図の上で止まる。あのとき「商売の参考にしているのかも」と言ったのはセリカだった。光一は「そうかもしれません」と答えて手帳の計算に戻った。どちらも止めなかった。
「昨夜、姿を消しています。荷物は置いたまま。中を確認したところ——」
レンが木の板の裏を返した。品目が書いてある。
「観察記録の布きれ。暁綴の施設の数、人口の推移、ビルディングマスターの使用頻度の記録。それから——」
レンが、一拍だけ間を置いた。
「魔素炉心石が一個」
「魔素炉心石……?」セリカが目を丸くした。「なんで工作員がそんなものを荷物に入れてるの? それ、宝石より高いやつでしょ」
「宝石ではありません」
「価値は宝石でしょ」
「……魔素を高濃度で封じた希少鉱石です。性質は違います」
「でも高いのは同じでしょ」
「同じです」
三秒だけ、深刻な報告の流れが完全に止まった。
レンが軽く咳払いして、話を戻した。光一はその一瞬を、床の略図を見つめながら聞いていた。目は地図ではなく、自分の手のひらに向いていた。
右の掌を、もう一度見る。何も起きない。静かなまま。
(三日、か)
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レンが退室した後、部屋には光一とセリカだけが残った。
セリカは窓の近くに立って、外を見ていた。市場の声はまだ続いている。
「光一の建てた建物、今日も動いてる」
さっきも言っていたことを、もう一度言った。今度はもう少し、静かな声で。
「建物は光一がいなくても立ち続ける。でも」
セリカが、口を閉じた。一拍あった。言い方を選んでいる、という間だった。
「でも光一がいなければ、新しいものは生まれない」
光一は返事をしなかった。
窓の外に視線を向けると、灰壁砦の防壁の向こうで、未完成の見張り塔の骨格が空に立っていた。昨日の朝からそのままの、灰色の空に突き刺さった木の柱。一基だけ完成して、一基は途中で止まっている。
(三日では——)
「防壁の残り工程を、今から計算し直したい」
セリカが振り返った。一瞬、呆れたような顔になりかけた。でも止まった。
表情が、静かに変わる。
笑えないとわかっていた。笑いかけて、止まった。それが今のセリカにできることだった。光一がこうして頭を動かし続けることが、今の光一にとって感情を処理する唯一の方法だということを——セリカはわかっていた。だから遮らなかった。ただ、光一の顔を見続けた。
部屋の中に、しばらくの静けさが落ちた。
光一は手帳を取り出した。完了できなかった工程表が広がっている。線で消されないままの項目たち。鉛筆を持って、でも動かさないまま、略図の余白を見ていた。
「三日では、一人では足りない」
声は小さかった。事実を確認するのに近い声だった。感情的な説明は一切なかった。でもその言葉の密度を、セリカは正確に受け取った。
「わかった」
それだけだった。
どちらも何も加えなかった。加えなくても伝わったから、加えなかった。
光一は立ち上がって、扉を開けた。
「レンを呼んできます」
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三人で、略図を囲んだ。
「防衛の設計を、頼みます」
光一がレンに言った。感情的な説明は省いた。謝罪もしなかった。ただ、頼んだ。
レンが光一を見た。一瞬だけ。それから略図に向かった。
「わかりました」
金色の瞳が地図の上を動く。指先が線をなぞる。「東側の防壁を優先、見張り塔は材料次第で二基同時に進められる。住民の動線と建材運搬が交錯しないよう、北側の通路を——」
セリカが「魔素探知で埋没材料を掘り起こす、昨日みたいにやる」と口を挟んだ。
「それは助かります。優先度は——」
「東側の深い場所から、密度の高いものを選ぶ。前回もそこが一番よかった」
「三日で防壁の穴を埋めて、見張り塔を二基。住民の避難ルートを確保する。これが最低限です」レンが光一を見た。「ビルディングマスターの回復次第ですが——」
「間に合わせます」
レンがもう一度うなずいた。今度は長く。
そのとき、セリカが略図から顔を上げた。
「ねえ、この真ん中に建てるやつ——絆の塔って名前どう?」
「まだ名前をつける段階じゃないです」
「でも名前があった方が——」
「名前は士気に影響します」
沈黙。
光一が、レンを見た。
ゆっくりと、二度見した。
レンは略図を指でなぞりながら、特に表情を変えずにいた。支持した、という意識があるかどうかも定かでない顔だった。
セリカが「でしょ!?」と前のめりになった。
「……後で決めます」
「えー! 今決めようよ!」
「セリカさん、今は工程の確認を——」
「でもレンも賛成したじゃないですか!」
「士気の話をしただけです」
「同じことでしょ!」
レンがセリカを静かに、でも確実に遮った。「今夜中に東側の材料の在庫を確認する必要があります。その後で、名前の話なら聞きます」と言った。
セリカが「……わかった、でも後でちゃんと聞くからね」と言いながら引いた。
光一は、その一瞬を横目で見ていた。
以前なら、セリカの言葉は二人の間で宙に浮いていた。今は、レンがセリカを遮って、セリカが引いた。言葉の少なさの中で、三人が同じ方向を向いている。そのことに、光一は気づいていた。
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夜になった。
暁綴の中央広場に、三人が立った。
空は雲が多く、星が少なかった。風が灰原の砂を薄く流していく。焚き火の一つが遠くで揺れていて、その灯りが広場の石畳を不均一に照らしていた。
レンが小さな木箱を持ってきた。開けると、内側に布が敷いてあって、その中に石が一個、収まっていた。
光一が手を伸ばして、持ち上げた。
手のひらに乗った。
思ったより重かった。鉱石というより——密度が違う。灰色の岩に見えるが、指でなぞると表面に細かい結晶の感触があって、その結晶の一つ一つが、内側から押し返すような硬さを持っていた。魔素炉心石——高濃度の魔素を封じた希少鉱石、鋼牙衆がほぼ独占的に採掘しているもの——が、工作員の荷物の中に紛れていた理由は、まだわからなかった。
(でも、今夜ここにある)
最初に廃材に手を当てたとき、指先に電流のような感触があった。あの瞬間を思い出した。ビルディングマスターが初めて応じた、あの掌の感覚。あのときの光一は一人だった。設計図も、名前も、仲間もなかった。
今夜の掌には、違うものが乗っていた。
レンが作った略図。セリカが探した材料。三人で決めた工程。そしてこの石。自分では選ばなかった、でも今夜ここにある、重さ。
光一は目を閉じた。
意識を、石の内側に向けた。
長い沈黙があった。
——来た。
それは回復というより、許可を受けた感触だった。スキルが動き出すのではなく、着工を認められる、という感じ。川の底に沈んでいたものが、水面まで上がってくる。ゆっくりと、でも確実に。
手のひらの石が、わずかに温かくなった。
光一はしゃがんで、広場の中央に石を置いた。地面に触れた瞬間、石の周囲の砂が微かに光った。一瞬だけ。それから静かになる。
まだ一段だけだった。基礎の一つ分。それだけが、今夜の暁綴の中央に置かれた。
セリカが光一の隣でしゃがんで、石を見た。「小さい」とだけ言った。声は柔らかかった。
「これからです」
「うん」
レンが二人の後ろで立って、広場を見渡していた。夜の灰原の風が、三人の間を通り過ぎていく。
「やっぱり絆の塔でしょ」
セリカが、また言った。
「名前はまだ——」
「名前が決まると士気が上がります」
光一はレンを見た。セリカを見た。
ため息をついた。
「……塔の名前は、まだ言ってない」
セリカとレンが、黙った。
誰もがもう知っていた。決まっていた。言っていないだけで。
夜の灰原で、一段だけの礎石が、焚き火の光を受けてわずかに温かく見えた。
遠く南の闇の中で、鋼牙衆の本隊が、三日後の進軍に向けて静かに動き始めていることを、三人はまだ知らなかった。