拾われた刃は、やがて居場所を知る
灰谷累には八歳以前の記憶がない。犯罪組織と繋がりのある孤児院で育った累は、子供たちの中で唯一の能力者だった。彼らを守ることが累の全て――だがある夜、孤児院がシンジケートと衝突する。二人の能力者、冬木蒼と早瀬凪が突入してくる。戦闘の中、孤児院の大人たちは累が自分たちを裏切るかもしれないと判断し、先に累を排除しようとする。
瀕死のところを蒼と凪に拾われた累。生き延び、子供たちを守るため、累は組織に身を落とす。条件は一つ、子供は殺さないこと。組織には能力者が溢れていた。蒼は会うたびに累と大声で言い争う。最初は累を頼りないと見ていた凪も、次第に変わっていく。累はボスの烏山剛に忠誠を誓い、少しずつ居場所を見つけていく。
先輩の神谷厳が累に戦い方を教える。冷徹な戦闘と、不器用な優しさを隠した荒い物腰は、組織内で噂になっていく。累の凪への接し方は、子供じみたものから守るものへと変わっていく。
だが、累の空白の記憶と孤児院の過去が、任務の中で蘇る。累を捨てた者たちとの再会。累は蒼と凪を遠ざけ、近づけまいとする。組織と過去の衝突は激しさを増し、神谷が累を庇って死ぬ。
神谷の死の意味――そして蒼が
拾われた刃は、やがて居場所を知る - 灰刃の街に降る雪——見捨てた側との、再会
海からの風が、倉庫街の鉄骨を震わせる。
ベイ・サイド港湾地区の朝は、今日も早い。ガントリークレーンが軋む音、溶接の火花、大型トラックの排気音。それらが混ざり合って、この街の朝を作っていた。
灰谷累は、ゴーント物流の事務所の裏手にある小さな倉庫で、一人、ナイフを研いでいた。
砥石の上を、刃が滑る。ザッ、ザッ、ザッ。規則正しい音だけが、薄暗い倉庫に響く。
ナイフは、神谷厳から譲り受けた「無銘」。特別な力はない。ただ、累にとっては、この街で初めて手にした「自分の武器」だった。
「……まだ、鈍いな」
累は、刃を光にかざした。灰色の瞳が、冷たく光る。
組織に入って、二週間が過ぎた。
生活のリズムは、少しずつ掴めてきた。朝は訓練場で体を動かし、昼は任務か、蒼との喧嘩。夜は自分の小さなアパートに戻って、一人で眠る。
(悪くない)
(悪くない……はずだ)
累は、ナイフを鞘に収めた。
その時、倉庫の鉄扉がガラリと開いた。
「またここにいたのか」
振り返ると、蒼が立っていた。金に近い茶色の癖毛は、今日も寝癖で跳ねている。琥珀色の瞳は、感情を読ませない冷たい光を宿していた。右手にタブレット端末、左手に紙コップのコーヒー。相変わらず、港湾地区の朝には似つかわしくない姿だ。
「てめえには関係ねえだろ」
「関係ある。お前の朝の行動パターンは、組織の監視対象に入っている」
「は? 監視だと?」
累の声が、低くなる。
「当たり前だ。拾われて二週間のガキを、野放しにする組織があるか」
「ガキはてめえだろ。年下のくせに」
「年齢と組織歴は別だ。お前は、この世界では生まれたての赤ん坊だ」
「ああ、そうかよ。で、その赤ん坊に何の用だ」
蒼は、タブレットを累に向けた。画面には、今日の任務の詳細が表示されている。
「午後から、ベイ・サイド第三倉庫群の巡回だ。ヴェルムント結社の動きが、ここ数日、妙に静かだ。何か仕掛けてくる可能性がある」
「静かなのが、そんなに気になるのか」
「静かなのは、嵐の前触れだ。お前も、もう少し警戒心を持て」
「持ってるよ。てめえが思ってるよりはな」
「そうか。なら、その研いだナイフで、せいぜい生き延びろ」
蒼は、それだけ言うと、背を向けて去っていった。
累は、その背中を見ながら、舌打ちした。
「……相変わらず、感じ悪い野郎だ」
だが、不思議と、心は軽かった。
蒼との喧嘩は、累にとって、唯一気を許せる息抜きの時間だった。
(あいつも、分かっててやってるんだろうな)
累は、倉庫を出た。
朝の光が、目に刺さる。
---
午後の巡回は、何事もなく終わった。
第三倉庫群は、相変わらず静かだった。夜になれば違法取引で賑わう場所も、昼間はただの倉庫街だ。
累は、巡回を終えて、本部に戻る途中だった。
「あ、累」
声がして、振り返る。
早瀬凪が、小走りで近づいてきた。肩までの黒髪が、風になびく。赤いリボンが、揺れる。大きな黒い瞳が、真っ直ぐに累を見ていた。
「なんだ」
「なんだ、じゃないでしょ。巡回、どうだった?」
「別に。何もなかった」
「そっか。……あの、今日、この後、時間ある?」
凪の声が、少しだけ小さくなる。
累は、凪の顔を見た。
(こいつ、最近、妙に話しかけてくるな)
「別に、用はないけど」
「じゃあ、ちょっと、付き合ってよ。新しい任務の話があるの」
「任務の話なら、蒼に聞けよ」
「蒼は、すぐ皮肉を混ぜるから、話しにくいのよ」
「俺は皮肉を混ぜないとでも?」
「あんたは、まあ……蒼よりはマシよ」
「それ、褒めてるのか?」
「褒めてるわよ。……それで、付き合ってくれるの? くれないの?」
凪が、上目遣いに累を見る。
累は、ため息をついた。
「……飯くらいなら」
「え?」
「任務の話があるんだろ。飯でも食いながら聞いてやる」
凪の顔が、ぱっと明るくなった。
「ほんと? じゃあ、ベイ・サイド食堂でいい? 海鮮丼、食べたい気分だったの」
「ああ、別にいいぜ」
「やった。じゃあ、行こ!」
凪は、嬉しそうに歩き出した。
累は、その背中を見ながら、小さく息をついた。
(まあ、たまには、こういうのも悪くない)
---
ベイ・サイド食堂は、二十四時間営業の大衆食堂だった。
港湾地区で働く男たちの胃袋を支える店で、海鮮丼が名物。店主の山田は、無口だが腕のいい男だ。
累と凪は、カウンター席に並んで座った。
「海鮮丼、二つ」
「あいよ」
山田が、手際よく調理を始める。
「で、任務の話ってのは?」
累が、水を飲みながら聞いた。
「うん。実はね、来週から、旧市街の巡回任務が増えるらしいの。ヴェルムント結社の動きが、旧市街で活発になってるって」
「旧市街か」
「あんた、旧市街って行ったことある?」
「いや、まだ」
「私も、あんまりないの。でも、ノクターン・カフェって知ってる? 能力者たちの情報交換所なんだけど、そこに、すごく詳しい情報屋がいるらしいの」
「情報屋?」
「黒田さんって言うの。元能力者で、今は中立の立場で、組織間の情報を扱ってるんだって」
累は、心の中で、その名前を繰り返した。
黒田。
(聞いたことがある。蒼が、一度だけ口にした)
「……あんた、顔色、悪いわよ。大丈夫?」
凪が、心配そうに累の顔を覗き込む。
「別に。何でもない」
「そう? ならいいけど」
海鮮丼が、二人の前に置かれた。
新鮮な刺身が、ご飯の上に美しく並んでいる。
「いただきます!」
凪は、嬉しそうに箸を手に取った。
累も、黙って食べ始めた。
「おいしい……やっぱり、ここの海鮮丼は最高ね」
「ああ」
「あんた、もっと感想ないの?」
「うまいだろ」
「……それだけ?」
「それだけで十分だろ」
凪は、少しむくれた。
「もう。あんたって、ほんと、素っ気ないんだから」
「悪かったな」
「……別に、怒ってないわよ」
凪は、そう言って、また海鮮丼を食べ始めた。
累は、ちらりと凪の横顔を見た。
(こいつ、飯食う時は、ほんとに嬉しそうな顔するな)
その時、凪と目が合った。
凪が、慌てて目を逸らす。
頬が、ほんの少し赤い。
累も、目を逸らした。
(なんだ、今の)
二人の間に、妙な沈黙が流れた。
「……あの、累」
「なんだよ」
「あんた、最近、組織に慣れてきた?」
「まあ、それなりに」
「そう。……よかった。あんた、最初は、すごく尖ってたから」
「今も尖ってるだろ」
「ううん。今は、少しだけ、柔らかくなった気がする」
凪が、小さく笑った。
累は、その笑顔を見て、何か言おうとした。
だが、言葉が出てこなかった。
(柔らかくなった、か)
(自分では、分からねえ)
「ごちそうさま」
凪が、箸を置いた。
「……ごちそうさま」
累も、箸を置いた。
「じゃあ、私、本部に戻るわ。任務の詳細、確認しないと」
「ああ」
「……今日は、ありがと。付き合ってくれて」
「別に」
凪は、また笑って、食堂を出ていった。
累は、カウンターに残って、水を飲んだ。
(凪のやつ、最近、やけに話しかけてくるな)
(まあ、悪い気はしないけど)
---
夕暮れが近づいていた。
累は、任務帰りに、旧市街へ足を向けた。
(ノクターン・カフェ、か)
凪が言っていた情報屋。黒田。
累は、自分の過去について、誰かに聞きたいと思っていた。
いや、聞かなければならない、と思っていた。
(俺の、八歳以前の記憶)
(陽だまりの家で、何があったのか)
(榊原道造は、なぜ俺を切り捨てたのか)
旧市街の狭い路地を、累は歩いた。
江戸時代からの商家が並ぶ、迷路のような街並み。観光客の姿も、ちらほら見える。
ノクターン・カフェは、路地の奥にひっそりとあった。
古い木造の建物。看板には、月のマーク。
累は、扉を開けた。
カランカラン、と鈴の音。
店内は、薄暗く、静かだった。
カウンターの奥に、一人の男が立っていた。
黒田。
年齢は四十代後半だろうか。痩せていて、髪には白いものが混じっている。目は細く、何を考えているのか分からない。元能力者。今は中立の立場で、組織間の情報を扱う情報屋。
「いらっしゃい」
黒田が、静かに言った。
「……コーヒー、一つ」
「かしこまりました」
黒田は、手際よくコーヒーを淹れ始めた。
累は、カウンター席に座った。
店内には、他に客はいない。
「……ゴーント・ネストの、灰谷累さんですね」
黒田が、背を向けたまま言った。
「知ってるのか」
「情報屋ですから。あなたのことは、少し前から知っています。残響の能力者。陽だまりの家の生き残り」
累の体が、わずかに強張った。
「……どこまで知ってる」
「どこまで、と言われても、私が知っているのは、噂と断片だけです。あなたの過去については、あなた自身よりも、知らないことの方が多い」
黒田が、コーヒーを差し出した。
湯気が、ゆらゆらと立ち上る。
「……あんたに、聞きたいことがある」
「どうぞ。ただし、情報には、相応の対価が必要です」
「金なら、ある程度は」
「お金は、結構です。あなたの情報には、私も興味がありますから。……聞きたいことは、陽だまりの家についてですか?」
「……ああ」
累は、コーヒーを一口飲んだ。
苦い。
「陽だまりの家は、今も、運営されています」
「……何だと?」
累の声が、低くなる。
「あなたが切り捨てられた後も、榊原道造は、孤児院を続けています。表向きは慈善施設。ですが、裏では、今も子供たちを犯罪組織に斡旋しています」
「……あの男、まだ、そんなことを」
累の拳が、ぎりりと音を立てた。
「ええ。そして、さらに悪いことに、最近、斡旋される子供たちの数が、増えている」
「なぜ」
「ヴェルムント結社の動きと関係している可能性があります。結社は、能力者の隔離政策を掲げています。孤児院の子供たちの中に、能力者がいないか、定期的に調査しているようです」
「……あの野郎、子供たちを、結社に売ってるのか」
「可能性は高い。そして、もう一つ」
黒田が、累の目を真っ直ぐに見た。
「斡旋された子供たちの中に、あなたの記憶の鍵があるかもしれません」
「……俺の、記憶の鍵?」
「あなたは、八歳以前の記憶を失っています。それは、あなたの能力、残響が関係している。残響は、触れたものの記憶を読み取る力。あなたは、自分の過去に触れた時、その記憶を読み取った。だが、その記憶が、あなたにとって、あまりにも辛いものだったため、あなたの精神が、それを封じた」
「……封じた?」
「ええ。あなたの記憶の空白は、あなた自身の能力が作り出したものだ。そして、その記憶を解く鍵は、あなたが触れた『何か』にある。おそらく、陽だまりの家にいた、別の子供たち。彼らが、あなたの過去を知っている」
その瞬間、だった。
——ズキン。
頭の奥に、鋭い痛みが走った。
「……っ!」
残響が、暴走する。
視界が、歪む。
陽だまりの家の廃墟。
木造二階建ての、崩れかけた建物。
榊原道造の顔。
白髪交じりの、痩せた男。
表向きは慈善家。裏では、子供を犯罪組織に斡旋する、仲介人。
そして、八歳以前の記憶の空白。
真っ白な、何もない空間。
「……くそっ」
累は、テーブルに手をついた。
ガシャン。
コーヒーカップが、倒れた。
黒い液体が、カウンターに広がる。
「……無理に思い出そうとするな」
黒田が、静かに言った。
「記憶は、蓋をする方が守れることもある。あなたの過去は、まだ、あなたを傷つける。今は、思い出さない方がいい」
「……あんたに、何が分かる」
累は、荒い呼吸のまま、黒田を睨んだ。
「分かりませんよ。私は、あなたの過去を知りません。ただ、情報屋として、一つだけ言えます。あなたの過去は、あなたが思っている以上に、危険なものだ。追いかければ、あなたの周りの人間も、巻き込まれる」
「……巻き込まれる?」
「ええ。だから、今は、距離を置くことです。あなたの過去からも、あなたの周りの人間からも」
累は、黙った。
頭痛が、少しずつ引いていく。
「……コーヒー、代わりを淹れようか?」
「いや、いい。……いくらだ」
「結構です。今日の情報は、私からのサービスです」
「……借りができたな」
「いつか、返してもらいますよ。あなたの残響で、私が知りたいものを見せてもらう、という形で」
累は、何も言わず、カフェを出た。
---
外は、もう暗くなっていた。
旧市街の路地は、昼間よりも、ずっと狭く感じる。
累は、ふらふらと歩いていた。
(俺の記憶は、俺自身の能力が、封じた)
(陽だまりの家の、別の子供たちが、鍵)
(榊原は、まだ、子供たちを売っている)
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
その時、だった。
「おや?」
声がした。
累は、足を止めた。
路地の向こうから、一人の男が歩いてきた。
スーツ姿。白髪交じりの、痩せた男。柔和な笑みを浮かべている。
榊原道造。
陽だまりの家の、元管理者。
累を、切り捨てた男。
「……てめえ」
累の拳が、震える。
怒りが、全身を駆け巡る。
榊原は、累の顔を見た。
だが、その目には、何の感情も浮かんでいなかった。
「あんた、誰だ?」
「……何だと?」
「昔の知り合いかい? 年寄りは顔を忘れやすくてね」
榊原が、にこやかに笑った。
その笑みが、累の怒りを、さらに燃え上がらせる。
「てめえ……俺を、忘れたのか。陽だまりの家の、灰谷累だ」
「灰谷……累?」
榊原は、首を傾げた。
「ああ、あの、残響の能力者の子か。いたな、そういえば。……で、今は、どこにいるんだい? あの子は、もう、いないと思っていたが」
「……てめえの目の前にいるだろ」
累の声が、低く、唸るように響く。
榊原は、累の顔を、じろじろと見た。
「……本当に、あの子か。大きくなったな。見違えたよ」
「ふざけるな。てめえは、俺を、切り捨てた。裏切るかもしれないと、先に排除しようとした」
「さあ、何のことやら。年寄りは、記憶が曖昧でね。それに、私は、あの子たちを、守っていたんだ。犯罪組織から、社会から。孤児院は、あの子たちの、最後の砦だった」
「守っていた、だと? てめえは、子供たちを、犯罪組織に斡旋してたんだろ!」
累の怒号が、路地に響く。
榊原は、笑みを崩さなかった。
「おや、誰から聞いたんだい? まあ、いい。事実は、どうあれ、君には関係ないことだ。君は、もう、陽だまりの家の子供ではない。私の庇護下にない。なら、私が何をしようと、君の知ったことではないだろう?」
「……てめえ」
累は、一歩踏み出した。
だが、体が、動かない。
(なぜだ)
(なぜ、俺は、こいつを、殴れない)
八歳の時の記憶が、完全に蘇らない。
切り捨てられた事実は、覚えている。
だが、その理由や詳細を、思い出せない。
榊原の言葉に、反論できない。
「……悔しいか?」
榊原が、累の耳元で、囁いた。
「君は、何も知らない。何も分かっていない。君の記憶は、穴だらけだ。君は、自分のことすら、知らないんだ。……かわいそうに」
「……黙れ」
「君を切り捨てたのは、正しかった。君は、危険だ。君の能力は、周りを不幸にする。君がいたから、あの夜、孤児院は、襲撃された。君が、すべての原因だ」
「……黙れ!」
累は、拳を振り上げた。
だが、榊原は、ひらりと身をかわした。
「では、失礼するよ。また会おう、灰谷累。……いや、もう会うことはないか」
榊原は、背を向けて、路地の奥へ消えていった。
累は、その場に立ち尽くした。
拳が、震える。
歯が、ギリギリと鳴る。
(俺は、何も、知らない)
(俺の記憶は、穴だらけだ)
(俺は、自分のことすら、知らない)
初めて、恐怖した。
自分の記憶の空白が、これほどまでに、恐ろしいものだとは、知らなかった。
---
累は、本部に戻った。
廊下を歩いていると、凪がいた。
「累! 遅かったね。どこ行ってたの?」
凪が、駆け寄ってくる。
累は、凪の顔を見た。
(こいつを、巻き込んではいけない)
「……凪」
「なに?」
「もう、俺に関わらないでほしい」
凪の表情が、固まった。
「……え?」
「聞こえなかったか。もう、俺に関わらないでほしい」
累は、冷たく言い放った。
「なんで……なんで、そんなこと言うの?」
凪の声が、震える。
「理由は、言えない。……言いたくない。ただ、お前には、関係ない」
「関係なくない! 私、あんたと、もっと、話したいのに……」
「俺は、お前と話したくない」
累は、凪に背を向けた。
「累! 待って!」
凪が、累の腕を掴もうとした。
累は、その手を振り払った。
「触るな」
凪の手が、空を切る。
「……なんで、そんなひどいこと言うの?」
凪の目に、涙が浮かぶ。
累は、振り返らなかった。
「……俺は、お前に関わると、お前を不幸にする。だから、距離を置く。それだけだ」
「勝手に決めないでよ! 私が、あんたと関わって、不幸になるかどうかは、私が決めることよ!」
凪の叫びが、廊下に響く。
累は、立ち止まった。
だが、振り返らなかった。
「……ごめん」
それだけ言って、累は、歩き出した。
後ろで、凪の泣き声が聞こえた。
胸が、痛い。
(これで、いい)
(これで、いいんだ)
累は、自分に言い聞かせた。
---
その夜、累は、自分のアパートで、一人、窓の外を見ていた。
月が出ている。
海からの風が、カーテンを揺らす。
(凪、泣いてたな)
(蒼は、あの後、何か言ってきたか?)
(いや、蒼は、何も言わなかった。ただ、冷徹に、俺を観察していた)
その時、スマートフォンが震えた。
累は、画面を見た。
暗号通信。
送信者は、黒田。
『ヴェルムント結社が、ノクト・ハウンドに依頼した。対象は、ゴーント・ネスト全体。二週間以内に来る。』
累は、画面を凝視した。
(二週間以内に、来る)
(対象は、ゴーント・ネスト全体)
(蒼に、報告すべきか?)
(いや、俺は、距離を置くと言った。今更、報告できない)
累は、スマートフォンを、床に置いた。
(俺は、どうすればいい)
答えは、出なかった。
---
翌朝。
累は、本部に行った。
廊下で、蒼と凪が、鴉山剛の執務室に入っていくのが見えた。
緊急招集。
(やはり、ヴェルムントの動きか)
累は、招集に呼ばれなかった。
(俺は、もう、組織の中で、信用されていないのか)
(いや、俺が、距離を置いたからだ)
(自業自得だ)
累は、廊下の壁にもたれて、待っていた。
しばらくして、執務室の扉が開いた。
蒼と凪が出てくる。
二人とも、深刻な顔をしていた。
凪が、累に気づいた。
「……累」
凪が、近づいてくる。
「何か知ってるでしょ?」
凪の目が、真っ直ぐに累を見る。
「……知らねえ」
累は、目を逸らした。
「嘘。あんた、昨日、旧市街に行ったんでしょ? 黒田さんに会ったんでしょ? 何か、聞いたんでしょ?」
「……聞いてねえ」
「嘘つき!」
凪の声が、震える。
「あんた、何か知ってるのに、隠してる。なんで? なんで、教えてくれないの? 私たち、仲間でしょ?」
「……仲間、か」
累は、自嘲気味に笑った。
「俺は、お前らの仲間じゃない。俺は、一人だ。……最初から、一人だったんだ」
「違う! あんたは、一人じゃない! 私が、いる! 蒼だって、いる! ボスだって!」
「……もう、いい。ほっといてくれ」
累は、背を向けた。
「累!」
凪が、叫ぶ。
累は、振り返らず、歩き出した。
(俺は、また、誰かを傷つけている)
(分かってる)
(でも、これしか、できない)
(俺の過去は、俺だけのものだ)
(誰も、巻き込まない)
累は、本部を出た。
空は、曇っていた。
雪が、降り始めていた。
トワイライト・エッジに、初雪が降る。
累は、雪の中を、一人で歩いた。
(二週間以内に、ヴェルムントが来る)
(その時、俺は、どうする)
答えは、まだ、出なかった。
雪が、累の髪に、肩に、降り積もっていく。
冷たい。
でも、心の冷たさに比べれば、大したことはなかった。Noveliaとは?
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