反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 反骨の呼び名
闘技場の熱気は、まだ砂の上を這い回っていた。
マンティコアの死体が横たわっている。青銅のたてがみは血と砂に固まり、人面は苦痛のまま凍りついていた。サソリの尾はもう、ぴくりともしない。
グレイはその傍らに立っていた。
返り血が灰色のポニーテールを濡らし、額の銅プロテクターを赤黒く染めている。肩と腰の革防具には点々と血が飛び、黒いサラシは汗と血を吸って重い。肩が上下する。長剣を握る手が、微かに震えていた。
(勝った)
その実感は、熱狂の渦の中で、やけに遠くにあった。
「グレイ!グレイ!グレイ!」
一万二千の声が名を呼ぶ。金貨の擦れる音。賭けに勝った者の歓声と、負けた者の罵声が混ざり合って渦を巻いていた。
だが、その声の半分は、まだ彼女を「戦士」として見ていなかった。
「魔族のガキが、よくやったな!」
「まぐれだろ!次は絶対食われる!」
「角を剥いでやれ!土産に欲しいぜ!」
グレイは無表情で聞いていた。
(戦士と見る目と、魔族のガキと見る目)
(どちらも、私のものではない)
長剣を砂に突き立て、観客席を見上げた。
その時だった。
貴賓席から一人の男が立ち上がった。恰幅の良い体。短く整えた黒髪に白髪が混じり、生え際が後退している。利益を測るような冷たい灰緑の瞳。指には宝石の指輪がいくつも光っていた。
興行主、ヴァルド。
彼はゆっくりと拍手をしながら、貴賓席から試合場へ降りてきた。後ろには三人の貴族が続く。銀の刺繍の深紅のマントを羽織り、扇子で口元を隠した痩せた男。金の鎖を何重にも巻いた太った女。若く、目つきのぎらついた男。
三人ともグレイを見ていた。品定めするように。値踏みするように。その視線は角から顔へ、胸へ、腰へ、足先へと、ゆっくり這っていった。
「見たか、皆さん。これが、うちの新しい剣闘士ですよ」
ヴァルドがグレイのすぐ近くまで歩み寄った。
「まだ十三です。魔族のガキですがね。この目を見てください。ほら、燃えてるでしょう。あの目は、手懐けられん」
そう言って笑った。目が、笑っていなかった。
「手懐けられんからこそ、値が上がるのさ」
扇子の男が口元を隠したまま言った。
「角の形も珍しい。牡牛のようだ。魔族にしては、育ちがいい。骨格もしっかりしている。いい剣闘士になるだろう」
金の鎖の女が、グレイの角を舐めるように見た。
「ああ、いいね。あの反抗的な目。観客は、ああいうのを好む。だが、手懐けられん、か。興行主、あんたの手綱さばきで、どこまで持つか見ものだな」
若い男がニヤリと笑った。
グレイはその場に立たされたまま、彼らの言葉を聞いていた。自分が商品として品定めされている。角の形を値踏みされ、骨格を評価され、反抗的な目を「観客が好む」と評される。
(気に入らない)
奥歯が、ぎり、と鳴った。
(気に入らない。気に入らない。気に入らない)
怒りが喉の奥で燃え上がる。だが、グレイは動かなかった。首輪の鎖が、ヴァルドの手の中にある。黒鉄の首輪。鍵付きの輪。外すには奴隷主の許可がいる。
その鎖を、ヴァルドは無造作に手の中で弄んでいた。チャリ、チャリ、と金具の擦れる音が、熱狂の残る闘技場に妙に冷たく響いた。
「さて、グレイ」
ヴァルドが正面に立った。灰緑の瞳が上から下までじっくりと眺める。
「今日は、よくやった。観客も沸いた。賭けも、かなり集まった。上々のデビューだよ」
声は穏やかだった。だがその穏やかさは、刃物のように冷たかった。
「だがね、これは、始まりに過ぎない。お前さんの価値は、これから決まる。もっと勝て。もっと殺せ。もっと観客を沸かせろ。そうすれば、装備も食事も、もっと良いものを与えよう」
ヴァルドの太い指が、黒鉄の輪に触れる。
「次の興行で、また稼がせてもらうぞ。自由が欲しいなら、もっと勝つことだ」
耳元に落ちてきた声。自由、という言葉。それが、首を締め付ける鎖にしか聞こえなかった。
(自由が欲しいなら、もっと勝て)
(勝てば、自由をやる)
(気まぐれに与え、気まぐれに奪う)
グレイはヴァルドの顔を見上げた。暗い紫の瞳が、灰緑の瞳を真っ直ぐに睨みつける。ヴァルドはその視線を愉快そうに受け止めた。
「いい目だ。本当に、手懐けられん。だが、それでいい。金になるなら、それでな」
首輪から手を離すと、鎖を傍らの牢番に放った。
「後は頼む。次の試合まで、せいぜい大人しくさせておけ」
「へい」
牢番が鎖を受け取った。ヴァルドは貴族たちを連れて試合場を去っていく。深紅のマントが、金の鎖が、ぎらつく視線が、遠ざかっていく。
グレイはその背中を、血まみれの顔で見つめていた。
(気に入らない)
(あの男の顔も、声も、指輪も、笑い方も)
(全部、気に入らない)
長剣を握る手を、ぎゅっと強く握りしめた。右手。カインを刺した手。あの少年の血の感触が、まだ指の隙間に残っている。乾いた血が、指の関節を固めている。
(カイン)
(お前は、私に、自由になれと言った)
(私に、生きろと言った)
拳をさらに強く握りしめた。爪が掌に食い込む。血が滲む。
(お前の夢、私が、叶える)
(お前の分まで、生きて、自由になって、全てを奪う)
胸の烙印が、服の下で焼けつくように熱く感じられた。焼き鏝で押された、奴隷の印。
(この烙印も、この首輪も、いつか必ず)
拳を自分の胸に押し当てた。烙印の上に、拳を重ねる。熱い。痛い。だが、その痛みが、彼女を生かしていた。
「……戻れ」
鎖が引かれる。首輪が喉に食い込む。グレイは無言で牢番に従い、地下通路へと歩き出す。
観客席の熱狂が、まだ背中を追いかけてくる。
「グレイ!グレイ!グレイ!」
賞賛の声。だが、その声はもう彼女の耳には届いていなかった。心の中は、別の音で満ちていた。カインの血の感触。ヴァルドの冷たい声。貴族たちの値踏みの視線。自由という言葉が、鎖にすり替わる音。
(私は、何も手に入れていない)
拳の中の感触を、握り潰すように力を込めた。
(何もかも、奪ってやる)
(この闘技場も、あの興行主も、あの貴族どもも)
(全部、奪って、踏み潰して、自由になる)
地下通路の闇の中へ、消えていった。冷たい空気が血に濡れた体を包む。石壁から落ちる水滴の音が静かに響いていた。足音だけが、暗い通路に、こつ、こつ、と響いていく。
数日後。
闘技場は、今日も満員だった。
グレイは地下通路の扉の前に立っていた。手には長剣と木の盾。二戦目。相手は人間の犯罪奴隷だった。殺人と略奪を繰り返し、捕らえられた男。名は知らない。知る必要もなかった。
「行くぞ」
鉄格子の扉が、ぎい、と音を立てて開いた。まばゆい光が雪崩れ込んでくる。グレイは光の中へ一歩踏み出した。
砂の上に、相手が立っていた。大柄な男。幅広の剣。筋肉質の体に古い傷が無数に刻まれている。男はグレイを見て、嗤った。
「魔族のガキが、剣闘士だ?笑わせるな。俺が、お前を、八つ裂きにしてやる」
声が闘技場に響き渡った。観客席が沸いた。
「やれ!やれ!やれ!」
「殺せ!あの魔族のガキを、ぶっ殺せ!」
「マンティコアに勝ったのは、まぐれだ!今度こそ死ね!」
グレイは何も答えなかった。長剣を構え、木の盾を前に出した。
(殺す)
心は冷たく澄んでいた。
男が幅広の剣を振り上げ、突っ込んでくる。
「うおおおおお!」
大振り。グレイはそれを木の盾で受け流した。
ガキン!
衝撃が腕に走る。だが体勢は崩さない。剣が盾に弾かれた瞬間、グレイは踏み込んだ。長剣を男の脇腹に突き入れる。
ズブリ。
「ぐあああああっ!?」
男の体が大きく仰け反った。長剣を引き抜くと、間髪入れずにもう一撃。太腿を斬り裂く。
「がああああっ!!」
男が膝をつく。グレイは男の腕を長剣で叩き斬った。幅広の剣が砂の上に落ちる。
「やめ……やめてくれ……」
命乞いが始まった。観客席がさらに沸騰する。
「殺せ!殺せ!殺せ!」
グレイは男の顔を見下ろした。
(お前は、私に、八つ裂きにしてやると言った)
(お前は、私を、魔族のガキと嗤った)
(お前は、私を、殺そうとした)
長剣を男の首筋に振り下ろした。
ザシュッ。
首が飛んだ。血が噴水のように空に舞う。返り血が顔に、髪に、角に降りかかった。
「うわああああああああ!!」
観客席が揺れた。
「勝者、グレイ!」
グレイは返り血を拭うこともせず、次の相手を待った。
連戦。その日、三人の犯罪奴隷を殺した。一人目は首を斬り飛ばし、二人目は心臓を刺し貫き、三人目は喉を切り裂いた。いずれも大した相手ではなかった。相手の動きを読み、間合いを計り、確実に殺した。泥臭く、しかし確実に。
観客は熱狂した。
「あの魔族のガキ、強いぞ!」
「マンティコアに勝ったのは、まぐれじゃなかったんだ!」
「次の相手は、誰だ!?もっと強い奴を出せ!」
グレイは無表情で聞いていた。
(戦士と見る目と、魔族のガキと見る目)
(まだ、混ざっている)
長剣を握る手に力を込めた。
(まだ、足りない)
(もっと、勝て)
(もっと、殺せ)
(もっと、強くなれ)
四戦目。相手は二本の短剣を操る小柄な男だった。元盗賊。素早い動きで懐に飛び込んでくる。グレイは木の盾でその攻撃を防いだ。
ガン、ガン、ガン!
短剣が盾を叩く。グレイは盾を前に押し出し、男の体勢を崩した。長剣を男の足に振り下ろす。
「があっ!」
男が倒れる。胸を長剣で刺し貫いた。
「……がふっ」
血を吐き、動かなくなった。
「勝者、グレイ!」
観客席が沸いた。
「また勝ったぞ!」
「四連勝だ!あのガキ、化け物だ!」
「賭けは全部あいつに張れ!間違いない!」
長剣を引き抜き、肩で息をした。額に汗が滲む。呼吸が荒い。連戦の疲労が全身に溜まっていた。だが倒れなかった。
(まだ、戦える)
(まだ、殺せる)
次の相手を待った。
その時だった。観客席の後方から、一人の男の声が響いた。
「反骨——反骨だ、あの魔族のガキは!」
その声は、熱狂の渦の中でやけに鋭く、グレイの耳に届いた。反骨。その言葉が胸の奥で小さく反響した。
「反骨だ!あの目を見ろ!上の連中に、絶対に屈しない目だ!あれこそ、反骨だ!」
釣られるように、別の声が上がった。
「反骨!反骨のグレイだ!」
「そうだ!反骨のグレイ!あのガキは、反骨だ!」
声が広がっていく。観客席の一角から波のように、その言葉が闘技場全体へ伝染していった。
「反骨!反骨!反骨のグレイ!」
一万二千の声が闘技場を揺らした。
公式には、名も与えられていない。上の者たちは彼女に名前を与えなかった。奴隷に名前など必要ないと。
だが、下の者たちが勝手に呼び始めた。反骨のグレイ。上の者たちが与えない名を、下の者たちが勝手に呼び始めた。その事実が、胸の奥に静かな火を灯した。
(反骨)
(私の、名前だ)
(誰かに与えられた名前じゃない)
(私が勝ち続けて、掴み取った名前だ)
観客席を見上げる。返り血を手の甲で乱暴に拭った。目は暗い紫のまま、ハイライトはない。だがその奥に、確かな熱が宿っていた。
(まだ、首輪は嵌まったままだ)
(自由も、名誉も、約束されていない)
(でも、この名前だけは、私のものだ)
握りしめた拳を、自分の胸に押し当てた。カインの血の感触はもう、なかった。代わりに確かな熱が、拳の中にあった。
(何もかも、奪ってやる)
(力が必要だ)
(もっと、強く、ならなければ)
長剣を握り直し、次の試合場へ歩き出した。
「反骨!反骨!反骨のグレイ!」
観客の声が背中を押す。その声は賞賛だった。だがそれ以上に、彼女の心を燃え上がらせるものだった。
(私は、反骨だ)
(私は、屈しない)
(私は、全てを奪い返す)
地下通路への扉をくぐった。冷たい闇が包む。だが胸の中には、あの声がまだ燃え続けていた。
反骨。
反骨のグレイ。
その名が、心の奥で静かに、しかし確かに灯り続けていた。Noveliaとは?
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