甘い嘘と苦い本音
カリスマデザイナー・飴村亂數、24歳。幼い外見と無邪気な笑顔でシブヤの若者たちを魅了する彼には、誰にも言えない秘密があった——中王区の極秘プロジェクトが生み出した、感情を持つクローン人間だということを。命をつなぐ特製飴が尽きたとき、追手の影が忍び寄る。天才医師・神宮寺寂雷だけが知る、彼の本当の姿。甘い笑顔の裏に隠された苦い本音が、静かに胸を締めつける。これは、嘘と本音のあいだで生き続ける一人の男の物語。
甘い嘘と苦い本音 - 街に響く裏切りの音 ~雨に消える仮面~
朝が来る。
シブヤ・ディビジョンの中心街、シブヤ・クロスロード。世界一のスクランブル交差点と呼ばれる場所に、異様な人だかりができていた。
みんな、足を止めている。
通勤の途中らしきスーツの男も、買い物袋を下げた若い女の子も、腕を組んだカメラマンも。誰もが一様に、交差点を囲むビルの壁面に設置された巨大な街頭ビジョンを見上げていた。
ビジョンには、音声波形と、ある男の声が流れていた。
「——The Dirty Dawgを潰せ。これも中王区のためだ」
甘い、高い声。
普段、シブヤの街に響く、あの明るい声。
「対象の弱みは、仲間への情。そこを突け」
淡々と、事務的に、指示を出す声。
それは、飴村亂數の声だった。
「……なんだ、これ」
「あの亂數君が……裏切ってたの?」
「The Dirty Dawgって、あの伝説のチームだろ?それをアイツが……?」
人々のざわめきが、波のように広がっていく。
ビジョンの前では、CANDY★POPの紙袋を持った若い女性が、呆然と立ち尽くしていた。彼女の指が、紙袋の持ち手から、するりと滑り落ちる。中から、ピンク色のリボンが、水たまりの上に、跳ねた。
「あんなに笑顔が素敵な人なのに……信じられない」
「デザイナーとして成功してるのに、なんでそんなことを」
「人の心を弄んで、楽しかったのかよ」
声は、どんどん尖っていく。
さっきまで「かわいい」「天才」と囁かれていた名前が、今は「裏切り者」「最低」と吐き捨てられていた。
その光景を、人ごみの外れで見つめている男がいた。
飴村亂數。
ピンク色のふわふわしたショートヘアは、今朝の雨で湿り、いつもの元気な跳ね方を失っている。大きく丸い琥珀色の瞳は、街頭ビジョンの画面を映したまま、何の感情も浮かべていなかった。
左目の下の泣きぼくろが、青白い肌に、やけに濃く見える。
首元のキャンディのネックレスが、曇天の下で、鈍く光った。
(ああ、流れた)
亂數は、心の中で、そう呟いた。
(終わった)
昨夜、掃除屋が言っていた。明日の朝、公開すると。
本当に、やった。
中王区の粛清局——社会浄化執行部、通称「掃除屋」が。
亂數の過去を、シブヤ中に、ばらまいた。
ポケットの中で、指が、空の飴瓶を握りしめる。
カラカラ。
ガラスの内側で、何も入っていない瓶が、小さく鳴った。
(一粒も、残ってない)
(体が、もう、もたない)
亂數は、靜かに、息を吐いた。
街頭ビジョンの前の人だかりは、まだ、ざわめいている。
「飴村亂數って、どこにいるんだよ」
「出てこいよ、説明しろよ!」
「シブヤの顔が、聞いて呆れるぜ」
亂數は、その声を背中で聞きながら、ゆっくりと、人ごみから離れていった。
「おい、あれ」
人だかりの端で、一人の少年が、ビジョンを指さした。
「なあ、二郎。あの聲、飴村亂數だよな」
「……ああ」
山田三郎。中学3年生、14歳。何でもそつなくこなす天才肌で、ITやコンピューターに強い。山田家の末っ子だ。
その隣に立つ、山田二郎。高校2年生、17歳。行動力があり、兄・一郎を神格化している。
二人は、たまたまシブヤに来ていた。
イケブクロ・ディビジョンの萬屋ヤマダ本店から、シブヤ支店への配送を手伝うために。
「兄貴がなんであんな奴と……」
二郎の拳が、ぎり、と握りしめられる。
昨日の夜、兄の一郎が、家を空けていた。
シブヤに行く、と言い残して。
それが、飴村亂數と関係していることは、薄々、気づいていた。
「兄貴は、あの飴村亂數ってやつに、何か引っかかってる」
「データの真偽は不明だけど、兄ちゃんが関わってるなら、見過ごせない」
三郎は、スマートフォンを操作しながら、冷静に言った。
「この音声、加工された可能性もある。でも、聲紋は本物に近い。少なくとも、飴村亂數が何かに関わってるのは間違いない」
「お前、そんなことより、兄貴を探すのが先だろ!」
「だから、探してる。……あ、いた」
三郎が、画面から顔を上げた。
その視線の先。
人ごみをかき分けて、こちらへ走ってくる男がいた。
黒髪の短髪に、赤いメッシュ。強気な赤い瞳。左目の下と唇の左下に、ほくろ。
山田一郎。
「兄貴!」
二郎が、声を張り上げた。
「兄貴、あいつは危険だ!The Dirty Dawgを裏切ったんだぞ!兄貴も、あのチームにいたんだろ!?」
一郎は、足を止めた。
「……ああ、知ってる」
低い声。
「なら、なんであんな奴と!」
「二郎、三郎、今はどけ」
一郎は、短く、そう言った。
「どけって、兄貴!」
「兄ちゃん、どこへ行く気?」
「亂數を、追う」
一郎は、それだけ言うと、再び走り出した。
「待って、兄貴!」
二郎が、追いかけようとする。
「二郎、待て」
三郎が、二郎の腕を掴んだ。
「なんで止めるんだよ!」
「兄ちゃんの目、本気だった。今、止めても無駄だ」
三郎は、一郎の消えた方向を見つめながら、靜かに言った。
「……でも、放ってはおけない。俺たちも、後を追おう」
亂數は、人々の視線から逃れるように、細い路地へと入り込んだ。
シブヤの中心街から、少し外れた場所。
再開発された高層ビル群の隙間に、古い路地が、迷路のように残っている。
雨が、降り始めていた。
細かい、冷たい雨。
亂數は、濡れた壁に、背中を預けた。
ずるずると、体が、滑り落ちる。
尻もちをつくように、地面に座り込んだ。
「……ほら、やっぱり」
高い声。
でも、震えていた。
「僕は、失敗作なんだよ」
自嘲。
(みんな、僕を嫌いになった)
(シブヤの街が、僕を拒絶した)
(これで、もう、居場所はない)
亂數は、空を見上げた。
灰色の空から、雨が、降り注ぐ。
ピンク色の髪が、水を吸って、重く、顔に張り付いた。
「……一郎くんも、聞いたかな」
亂數は、呟いた。
「僕が、The Dirty Dawgを、壊したって」
(一郎は、あのチームのメンバーだった)
(僕は、一郎の大切な場所を、自分の手で、壊した)
(一郎は、きっと、僕を許さない)
亂數は、ポケットから、空の飴瓶を取り出した。
カラカラ。
「……お前も、空っぽだ」
亂數は、瓶を、ぎゅっと握りしめた。
ガラスが、手のひらに食い込む。
痛い。
でも、その痛みが、今は、心地よかった。
(これが、俺の現実だ)
(飴がなきゃ、死ぬ。居場所も、もうない)
(全部、俺が、壊した)
「亂數!」
路地の入り口から、声がした。
一郎だった。
黒髪に赤いメッシュ。雨に濡れて、前髪が、額に張り付いている。
「……なんで、来るんだよ」
亂數は、顔を上げずに、言った。
「お前を、追いかけてきた」
一郎は、亂數の前に立った。
「待てよ。一人で背負うな」
一郎が、亂數の肩を、掴んだ。
その手は、温かかった。
でも、亂數は、その手を、振り払った。
「近づくな!」
低い声。
地声。
亂數は、顔を上げた。
琥珀色の瞳が、一郎を、まっすぐに見据える。
「俺は、また操られるかもしれない。お前らを裏切るかもしれないんだぞ!」
聲が、震える。
「掃除屋に家族を人質に取られてる奴らみたいに、俺だっていつまた操られるか分からない。お前らを危険に巻き込むくらいなら、一人で消える方がマシだ」
亂數の言葉は、雨音に混じって、路地に響いた。
「それでも、俺はお前を放っておけない」
一郎は、亂數の目を、まっすぐに見つめ返した。
「お前が何をしたか、俺には分からない。でも、今のお前が、一人で消えようとしてるのは、放っておけない」
一郎の言葉は、真っ直ぐだった。
亂數の胸が、きゅっと、締め付けられる。
(やめてくれ)
(そんな風に、優しくしないでくれ)
(俺は、お前を、裏切ったんだぞ)
亂數は、ポケットから、最後の飴を取り出した。
震える手で、包み紙を、破く。
中から、透明なラムネ色の飴が、現れた。
(最後の一粒)
(これを食べたら、もう、終わり)
亂數は、飴を、口の中に、放り込んだ。
苦い。
ラムネ味の、苦い飴。
「……さよなら」
亂數は、立ち上がった。
そして、雨の中へ、走り出した。
「待て、亂數!」
一郎が、追いかけようとする。
「兄貴!」
「兄ちゃん!」
二郎と三郎が、路地の入り口に、駆けつけた。
「兄貴、一人で行くな!」
二郎が、一郎の腕を、掴んだ。
「兄ちゃん、あいつは、街を裏切ったんだ。それでも、追うのか?」
三郎が、一郎の顔を、見上げた。
一郎は、二人の弟を、見た。
「ああ。あいつは、失敗作なんかじゃない。俺が、証明してやる」
一郎の聲は、力強かった。
「……兄貴、本気なんだな」
二郎は、一郎の腕から、手を離した。
「悪いが、俺はあいつを探す。お前らは先にイケブクロに戻れ」
「兄貴!」
二郎が、食い下がる。
「あいつは、The Dirty Dawgを裏切ったんだぞ!兄貴の仲間を!」
「二郎」
三郎が、二郎を制した。
「兄ちゃんには、考えがあるんだろ?」
三郎は、一郎の目を見た。
「……ああ」
一郎は、頷いた。
「兄ちゃん、何かあったら連絡して」
三郎は、自分のスマートフォンを、一郎に差し出した。
「お前のスマホ、多分、壊れてるだろ。昨日の騒ぎで」
「……助かる」
一郎は、三郎からスマートフォンを受け取った。
「兄貴、気をつけて」
二郎は、不満そうな顔をしながらも、そう言った。
「おう。お前らも、気をつけて帰れ」
一郎は、二人の頭を、軽く、ポン、と叩いた。
そして、雨の中へ、走り去った。
亂數は、シブヤ川沿いの遊歩道を、走っていた。
雨は、さっきよりも、強くなっていた。
大粒の雨が、地面を叩き、川面を、無数の波紋で埋め尽くす。
亂數の服は、もう、ずぶ濡れだった。
ピンク色の髪から、雫が、滴り落ちる。
息が、切れる。
肺が、焼けるように痛い。
(飴が、効いてる)
(でも、もたない)
(体が、崩れていく)
亂數は、遊歩道の真ん中で、足を止めた。
「はあっ……はあっ……」
肩で息をする。
膝に、手をついた。
その時。
ブブッ。
ポケットの中で、スマートフォンが、震えた。
亂數は、震える手で、スマートフォンを取り出した。
画面には、差出人不明のメッセージ。
『明日の朝、第二弾を公開する。お前の本当の正体——クローンであることを、街中に流す』
亂數の指が、止まった。
(……クローン)
(俺の、本当の正体)
(それを、ばらまく)
亂數の視界が、ぐらり、と揺れた。
「……もう、終わりだ」
亂數は、その場に、膝をついた。
地面に、手をつく。
冷たいアスファルトの感触。
雨が、容赦なく、亂數の背中を叩く。
(The Dirty Dawgのことも、クローンのことも、全部、街に知られる)
(シブヤに、俺の居場所は、ない)
(どこにも、ない)
亂數は、うつむいた。
雨音が、すべての音を、かき消していく。
その頃、シブヤ・アンダーグラウンド。
中王区の監視が届きにくい、シブヤの地下に広がる地下街。その2層にある、Fling Posseの隠れ家。
元は廃墟だった倉庫を改修した、秘密基地。
夢野幻太郎は、古いソファに座り、スマートフォンの画面を、じっと見つめていた。
黒髪の長めの髪を後ろで軽く結び、書生のような風貌。知的で落ち着いた濃い紫色の瞳が、画面の光を反射している。
「……亂數が、消えた」
幻太郎は、靜かに、そう言った。
「はあ?」
部屋の奥で、有栖川帝統が、顔を上げた。
茶髪の無造作ヘアは、相変わらず寝癖がついたまま。明るい茶色の瞳が、キラキラと、幻太郎を見る。
「亂數が、どこにもいない。街頭ビジョンの件で、何かあったんだろう」
幻太郎は、スマートフォンを、帝統に見せた。
画面には、街頭ビジョンに映った亂數の聲のニュースが、表示されている。
「……あのバカ、また一人で抱え込んでやがるな」
帝統は、ポケットから、サイコロを取り出した。
「賭けだ。俺たちが先に見つける」
帝統は、サイコロを、手のひらで振った。
カラカラ。
サイコロが、テーブルの上に、転がる。
出た目は、6。
「上等だ、動くぜ」
帝統は、笑った。
「君は、相変わらずだね」
幻太郎も、ふっと、笑った。
「でも、その強運、今は頼りにしてるよ」
幻太郎は、立ち上がった。
「俺は、シブヤ川の方面を探す。お前は、アンダーグラウンドの入り口を」
「おう。サイコロが、そう言ってる」
帝統は、サイコロを、ポケットにしまった。
二人は、隠れ家を、飛び出した。
亂數は、まだ、遊歩道に、膝をついていた。
雨は、やむ気配がない。
シブヤ川の水面が、雨に打たれて、音を立てている。
ブブッ。
スマートフォンが、また、震えた。
今度は、メッセージアプリの通知。
『亂數、どこにいる?賭けの途中だぜ』
帝統からだった。
亂數は、スマートフォンの画面を、見つめた。
(帝統)
(幻太郎)
(みんな、探してくれてる)
亂數の指が、画面に、触れた。
返信を、打とうとする。
『ごめん、もう会えない』
一文字、一文字、震える指で、打ち込む。
でも、うまく、打てない。
指が、震えて、キーボードを、押し間違える。
(なんで、こんなに、震えるんだ)
(体が、もう、限界なんだ)
亂數は、何度も、打ち直した。
ようやく、メッセージを、送信した。
『ごめん、もう会えない』
送信完了。
その瞬間。
ブブブブブ。
スマートフォンが、震え続けた。
帝統からの、電話。
畫面に、『有栖川帝統』の文字。
亂數は、スマートフォンを、見つめた。
(出られない)
(出たら、また、迷惑をかける)
(俺は、もう、みんなと、会えない)
亂數は、通話ボタンを、押さなかった。
代わりに、電源ボタンを、長押しした。
画面が、暗くなる。
帝統の名前が、消えた。
「……ごめん」
亂數は、小さく、呟いた。
そして、ゆっくりと、立ち上がった。
雨の中、亂數は、遊歩道から、細い路地へと、歩き出した。
その背中を。
路地の影から。
黒ずくめの男が。
靜かに。
見つめていた。
掃除屋。
中王区の粛清局のエージェント。
男は、亂數の後ろ姿を、じっと、目で追った。
そして、ゆっくりと、歩き出した。
亂數の、後を。
静かに。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。