極星寮・今日も平和(?)です!
日本一の料理学園・遠月茶寮料理学園。その片隅に建つ、築六十八年のおんぼろ寮「極星寮」――通称・変人の巣。
発酵食品を爆発させる先輩、風呂上がりは常にふんどし一丁の一色先輩、そして笑顔の奥に鬼を飼う寮母・文緒さん。そんな個性豊かな住人たちに囲まれて、創真の寮生活は今日も賑やかだ。
ある日突然言い渡された「部屋の掃除チェック」。最低評価には地獄の読書レポート十冊が待っている――はずが、創真の部屋は不用品と謎の食材に埋め尽くされた、もはや災害現場。
「この食材、まだ使えるんじゃね?」
掃除そっちのけで始まる新作料理への挑戦。北欧産の激臭缶詰、刃こぼれ包丁、謎の乾物たち。果たして創真は、一週間でこの惨状を切り抜け、文緒さんの逆鱗から逃げ切れるのか――?
騒がしくて、ちょっと美味しそうな寮生活コメディ、開幕!
極星寮・今日も平和(?)です! - 暴かれる元凶!地獄の底で笑うアリス
封筒が、一色の手の中で静かに震えていた。
十傑評議会のクーデター計画。その極秘資料が、なぜ創真の部屋に。
誰もが押し黙り、部屋の空気は針の先でつつけば割れそうなほど張り詰めている。
――ガラッ!
「実験結果の確認に来ましたー!」
ドアが勢いよく開いた。
腰まであるプラチナブロンドのふわふわした巻き毛を揺らし、青紫色の大きな瞳をキラキラさせて、薙切アリスが飛び込んでくる。手には小型のビデオカメラ。レンズが全員の顔を順番に映し出す。
「アリス……!」
絵里奈の声が震える。
アリスはぴょんぴょん跳ねながら部屋の中央に進み出た。床に落ちてる段ボールや壊れたフライパンをひょいと跨ぐ。汚い部屋なんて全然気にしてない。
「みんなの顔、すっごく面白い! 絵里奈お姉さまなんて、まるで幽霊を見たみたいな顔してるのね!」
「……アリスさん、この資料は君が?」
一色が封筒を掲げる。顔からはいつものふんどし男の笑みが消えている。
アリスは首をかしげた。
「どの資料? ああ、それも私が入れました。一色先輩の未使用ふんどしと一緒に、段ボールの一番底に」
沈黙。
「……ふざけるな」
創真の声は低く、ドスの効いた響きだった。普段の底抜けな明るさは、かけらもない。
「ふざけてません! 全部、ちゃんとした実験です!」
アリスは胸を張る。悪びれた様子はゼロだ。
「実験……ですって?」
絵里奈の紅紫色の瞳が、怒りで細められる。左手の薬指に光る薙切家の指輪が、きつく握りしめられた拳に食い込んでいた。
「説明してもらおうか、アリス。最初から全部だ」
一色が静かに言う。
「えっとね、まず一週間前。絵里奈お姉さまの研究室から、発酵ニシン缶詰をこっそり持ち出したの。で、ここに来て、創真くんの段ボール山の中に隠したのね!」
創真の拳が震える。
「次に、掃除二日目の夜。田所さんがこっそり掃除を手伝いに来て、ピン止めを落としたのを発見! それをわざわざ、翌日見つけやすい場所に移動させておいてあげたの。親切でしょ?」
「……っ」
恵が両手で口を押さえる。黒い瞳から、涙がこぼれ落ちた。
アリスはそんな恵をチラリと見て、それからまた笑った。
「最後に、十傑資料。あれは一週間前にこっそりコピーして、一色先輩のふんどしと一緒に封筒に入れて、この部屋の一番奥の箱の底に仕込んだの。一番最後に出てくるように計算したのね!」
「資料をどこで手に入れた」
「企業秘密です♪」
一色は黙り込んだ。
絵里奈が一歩、前に出る。
「なんのために……なんのためにこんなことをしたの!」
アリスはにっこり笑った。まるで、大好きな人にプレゼントを渡す子供みたいな、無邪気で残酷な笑顔。
「決まってるのね。私、絵里奈お姉さまが大好きだから」
「……え?」
「大好きな絵里奈お姉さまが、本気で怒ってくれるところが見たかったの! 私に注目して、私のことを考えて、私のせいで感情をぐちゃぐちゃにしてくれるところを観察したかったの!」
アリスの声はうっとりとしていた。
「缶詰が開けられて、絵里奈お姉さまが怒鳴り込んでくるのを想像したら、すっごく面白くって!」
「田所さんの秘密がバレて、慌てる姿も計算通り! 十傑資料を見つけて、全員が凍りつく瞬間も最高のデータだったのね!」
「全部、私の実験です! 絵里奈お姉さまの反応を見るための、最高に面白い実験でした!」
――ブチッ。
絵里奈の中で、何かが切れた。
「ふざけるなああああああああ!!」
絵里奈がアリスに掴みかかる。金髪が乱れ、いつもの気品は吹き飛んでいた。
「私の研究が! 恵の感情が! 十傑の秘密が! 全部あなたの、あなたの遊びのためだったっていうの!?」
「はい」
アリスは平然と答えた。つかまれた肩も気にしない。
「でもね、絵里奈お姉さま。結果的には、面白いことになったでしょ?」
「なにが……!」
「だって、創真くんの掃除を手伝ううちに、結構楽しくなってたじゃない? 私の実験のおかげで、新しい友達もできたし。神の舌の研究対象として、悪臭のデータも取れたのね」
絵里奈の手から、力が抜けた。
図星。
カメラのレンズが、絵里奈の青ざめた顔をとらえる。
「……恵のピン止めは? あれも、私が見つけやすいようにって……」
恵が涙声で尋ねた。
「もちろん、わざとです。あのまま床に落ちてたら、誰にも気づかれずに掃除機で吸い込まれてたかもしれない。それを、創真くんと恵さんの関係がバレるように、絶妙なタイミングで発見されるように配置したの」
「結果、一色先輩と絵里奈お姉さまがちょうど来て、見事に全員にバレた! データ的には九十五点! 百点じゃないのは、恵さんが泣き出しちゃったから」
「データって……私の気持ちは、実験材料だったの……?」
恵の声は、かすれて消えそうだった。
「はい。創真くんも、恵さんも、みんな私の実験に必要なサンプルでした」
アリスは悪びれずに言い放つ。
恵は、声も出せずにその場にへたり込んだ。
絵里奈は唇を噛みしめ、一色は無言。
――ドサリ。
頭を抱えて、幸平創真が床に座り込んだ。
「……俺はよ」
全員の視線が創真に集まる。
「部屋を汚してただけなんだ。掃除チェックに引っかからないように、片付けようとしてただけなんだ。なのに、なんでこんな……なんで俺の部屋が、戦場みたいになってんだよ」
いつもの、面白くなってきた、なんて言葉は出てこない。
「缶詰が爆発して、絵里奈に怒鳴られて、恵の秘密がバレて、十傑のクーデター計画まで飛び出して……全部、ぜんぶ、俺の部屋で起きてるんだぞ」
創真は顔を上げた。
琥珀色の瞳が、初めて見せる困惑と疲れに濁っている。
「俺はただ、掃除がしたかっただけだ。なのに、なんで俺が一番迷惑してるんだ。理不尽だろ……こんなの」
「もうダメかもしれねえ。掃除どころじゃねえよ、こんなの」
創真の言葉が、静かな部屋に落ちた。
誰も何も言えない。
――カチリ。
アリスのビデオカメラが、創真の絶望した顔を録画し続けている。
「いい表情のデータが取れました」
誰かが怒鳴るより先に、一色が動いた。
「掃除しなきゃね、創真くん」
一色は封筒をふんどしの腰ひもに挟むと、黙って壊れたフライパンを拾い上げた。
「……一色先輩」
「委員会の資料は預かる。でも、それよりも先に、この部屋を片付けないと。文緒さんがチェックに来るのは、明日の朝だよ」
一色の声には、いつものふざけた調子はなかった。ただ、事実を淡々と述べている。
「それとも、諦めるのかい?」
創真は顔を上げた。
……諦める。
その言葉を聞いた瞬間、腹の底から何かがこみ上げてきた。
「……諦めるわけねえだろ」
創真は立ち上がった。足が震えている。それでも、立ち上がった。
「俺の部屋だ。俺が片付ける。誰が何を仕掛けようが、関係ねえ」
「あ、それなら私が手伝ってあげようか?」
アリスが楽しそうに手を挙げた。
「お前だけは絶対に許さない!」
絵里奈が叫ぶ。
「だってこの騒動、全部私の実験結果なんだから、最後まで責任持って観察しないと。それに、分子ガストロノミストの本領を見せてあげるのね!」
「……アリス。お前のその科学者的思考とやらで、壊れた調理器具を直せるってのかよ」
創真が睨みつける。
「もちろん! 液体窒素で金属を瞬間冷凍すれば、歪みが直るかもしれないし、化学反応でサビを落とすことだってできるのね。私を誰だと思ってるの? 薙切アリスだよ?」
「……信用できません」
恵が後ずさる。涙で濡れた黒い瞳が、アリスを拒絶している。
「信用しなくていいのね。ただ、私の力を利用すればいいの。掃除を終わらせるために」
アリスはカメラを一旦下ろし、にっこりと笑った。
「だって今、タイムリミットまで二十四時間もないのね。それで、私という戦力を失ったら、この部屋の掃除は絶対に終わらない。創真くんも、みんなも、そんなことは分かってるんでしょ?」
図星だ。
誰も反論できない。
「……絵里奈」
創真は、震える絵里奈の肩を見た。
「お前は、こいつに何か言いたいことがあるだろ。全部、吐き出せ」
絵里奈は唇を噛みしめ、一歩前に出た。
「……アリス」
「なあに、絵里奈お姉さま」
「私は、あなたのことを、今この瞬間、心の底から軽蔑してますわ!!」
絵里奈の声が部屋に響き渡る。アリスの髪が、その声の圧でわずかに揺れた。
「あなたのその歪んだ愛情も、なんでも実験台にする思考も、人の心を踏みにじる無邪気さも、全部が大嫌いですわ!!」
「うん、知ってる」
「でも! それでも!!」
絵里奈は拳を握りしめた。涙が、その大きな紅紫色の瞳からあふれ出る。
「あなたがいないと、この部屋の掃除は終わらない。だから、私の怒りをエネルギーに変えて、その忌々しい科学の力で、この地獄を片付けなさい!! 今すぐに!!」
沈黙。
それから、アリスは――ぱちぱちと、拍手をした。
「すごい、すごいのね! 絵里奈お姉さま、自分より嫌いな奴を利用するって判断を、ちゃんと自分でできるようになったんだ! それってすごい成長だよ!」
「からかわないで!!」
「からかってないのね。これも、ちゃんとした観察データ」
アリスはカメラをテーブルに置き、袖をまくった。
「それじゃあ、分子ガストロノミストの本領、見せてあげる! 二十四時間で、この部屋を分子レベルで綺麗にしてあげるのね!」
「……お前と戦うのは、食戟だけで十分だと思ってたんだけどな」
創真が呟く。
「食戟? ああ、料理勝負! もちろん、それもいつかやりたいのね! でも今は、この部屋の掃除が先!」
アリスは腰に手を当てて、創真の部屋を見渡した。
床は壊れた調理器具で埋まり、壁には缶詰の汁の跡。窓はまだ全開で、夜風が吹き込んでいる。
時計の針は、もうすぐ深夜零時を指そうとしていた。
「……恵、お前はどうする」
創真が振り返る。
恵はまだ、床に座り込んで震えていた。でも、その黒い瞳は、涙で濡れながらもまっすぐに創真を見つめている。
「……私、アリスさんのことは、まだ、怖いです。許せないです」
「でも、幸平くんが戦うなら……私も、手伝います。掃除、絶対に終わらせましょう」
恵は立ち上がった。その手には、さっきまで握りしめていた花柄のピン止めが光っている。
「……いいね、みんな。これで掃除部隊が揃ったわけだ」
一色がふんどし姿のまま、いつものようにニコリと笑う。
「ただし、忘れないでくれよ。この部屋にはまだ、十傑を揺るがす秘密があるってことを」
見せつけるように腰の封筒を叩く。
全員の顔に、再び緊張が走る。
「掃除が終わったら、その話もちゃんと聞かせてもらいますわよ」
「もちろん」
「あ、その話もデータ取らせてね!」
「お前は少し黙ってなさい!!」
創真のツッコミが炸裂し、全員が思わず吹き出した。
笑い声が、張り詰めていた空気を少しだけ緩める。
だが――掃除は一ミリも終わっていない。
裏切り者は仲間になり、資料の謎は深まり、悪臭の傷跡はまだ床に染みついている。
そして時計の針は、容赦なく時を刻み続けていた。
掃除チェックまで、あと二十四時間。
幸平創真の、人生で最も理不尽で、最もカオスな夜が、今、本物の地獄へと変貌を始めようとしていた。Noveliaとは?
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