瀬田更紗様宛ての招待状
前世の記憶を持つエルフの少女セラフィナは、王都の下町で四人の仲間とひっそりと暮らしていた。転生者が処刑されるこの世界で、前世の名を誰にも明かせぬまま。だがある朝、彼女の枕元に一通の招待状が置かれる。宛名にはこう記されていた――「瀬田更紗様」。この世界の誰も知るはずのない、前世の自分の名前。動揺を隠せぬセラフィナの前で、街では不穏な噂が囁かれ始める。貴族街の密会、転生者狩り、廃教会に現れる謎の影。やがて彼女は、仲間に真実を告げぬまま、一人その招待状の差出人に会いに行くことを決意する。隠し続けた秘密が、静かに綻び始める――。記憶と現在、守るべき仲間と明かせない過去が交錯する、切なくも温かなファンタジー開幕。
瀬田更紗様宛ての招待状 - みっともない夜 ―― 失禁と、ほどけない手
違う、と思った。
眠りは浅く、夢と現の境目が溶けていた。セラフィナは寝台の上で、三晩続けて同じ場所を漂っていた。目を閉じればミナトの顔が浮かぶ。黒い瞳。白いワンピース。左端から順にボタンを留める小さな指。目を開ければ、天井の木目が月明かりに照らされて、ゆっくりと形を変えていく。
(眠らなければ)
そう思うほど、意識は眠りの底へ引きずり込まれそうになる。指先が痺れていた。最近、この痺れはいつもそこにあった。エルフの血を引く長命な体と、四十歳の前世の魂。その歪みが、疲れと心の動揺に引きずられて、少しずつ表面に滲み出してきている。
(大丈夫。まだ、大丈夫)
心の中で、いつもの言葉を繰り返す。口癖のように。おまじないのように。
でも、その夜は違った。
四日目の深夜。下町地区の外れ、酒場「ランプの灯」の二階。木造の建物が夜風に軋む音だけが、静かな部屋に響いていた。セラフィナは毛布を肩まで被り、横向きに丸まっていた。淡い金の長い髪が、枕の上で乱れて広がっている。耳の先がわずかに尖っている。深い緑の瞳は閉じられていた。
眠りは、波のようにやってきた。
意識が遠のく。指先の痺れが、ゆっくりと腕全体に広がっていく。呼吸が深くなる。体の力が抜けていく。
(ああ、やっと眠れる)
そう思った瞬間だった。
体の感覚が、ふっと遠のいた。
まるで、自分と自分の体の間に、薄い膜が一枚挟まったような感覚。指先の痺れが、今度は腰のあたりまで下りてきて、それから——。
下半身の制御が、消えた。
温かいものが、太腿を伝って広がっていく。寝台の布が、じわりと湿っていく。尿の匂いが、鼻をつく。
(え?)
セラフィナの意識が、一気に浮上した。
濡れた寝台の冷たさで、完全に目が覚めた。太腿の内側が、生温かい液体で濡れている。寝間着が、体に張り付いている。
(うそ)
心臓が、激しく脈打ち始めた。胸の奥で、何かが砕けるような音がした。
(うそでしょ)
セラフィナは、ゆっくりと身を起こした。毛布をめくる。月明かりの下で、寝台のシーツに広がった染みが、黒く光って見えた。自分の体から出たものが、布に吸い込まれていく。
(私、今、)
呼吸が、浅くなる。喉が、ひゅっと鳴った。
(四十歳の女が、寝小便なんて)
羞恥が、熱い塊になって胸にのぼってくる。顔が、耳の先まで赤くなる。指先が震える。視界が、涙で滲んでいく。
(みっともない)
声にならない言葉が、喉の奥で潰れた。
(みっともない。みっともない。こんなの、みっともなさすぎる)
前世の記憶。瀬田更紗として生きた四十年。地味な経理部の会社員。恋もせず、静かに年を重ねて、交通事故で死んだ。その記憶を持ったまま、この世界に生まれ変わって、エルフの若い体を得て、四人の仲間と暮らしている。
(体は若いのに。魂は四十歳の女なのに)
その歪みが、今、この形で現れた。体の制御を失う。寝台を濡らす。赤ん坊のように。
(ミナトの言う通りだ)
脳裏に、あの少女の声が響く。
『先輩は、ここにいるべきじゃない』
『あの人たちは、先輩を縛っているだけ』
『先輩、四十歳だったんでしょ? だったらこの体は仮のもの』
(そうだ。私は、この体に合わない魂を無理やり入れてる)
涙が、一筋、頬を伝った。
(こんな体で、四人の隣にいていいわけがない)
セラフィナは、自分の口を手で覆った。声を出すまいとした。でも、漏れた。
「……みっともない」
小さな、かすれた声。すすり泣きが、喉の奥から込み上げてくる。肩が震える。涙が、指の隙間からこぼれて、濡れたシーツの上に落ちた。
(誰にも見られたくない)
(でも、どうやって隠せばいいの)
(この匂いも、この染みも、全部)
セラフィナは、毛布をぎゅっと握りしめた。指が、布に食い込む。
その時だった。
階段を上る足音が、聞こえた。
(やめて)
心の中で叫んだ。でも、足音は近づいてくる。
「セラフィナ、起きてる?」
扉の向こうから、マルグリットの柔らかい声がした。黒髪を後ろで束ねた、三十一歳の元没落貴族。酒場の切り盛りと家事を担う、静かな母性の持ち主。彼女は、セラフィナの異変に誰よりも早く気づく人だった。
(来ないで)
セラフィナは、声を出せなかった。
「入るわね」
扉が、ゆっくりと開いた。
月明かりが、部屋の中に差し込む。マルグリットの青い瞳が、薄暗がりの中で、セラフィナの姿を捉えた。
一瞬の沈黙。
マルグリットは、何も言わなかった。ただ、部屋の中の匂いに、静かに気づいた。
(見られた)
セラフィナの全身が、硬直した。
「……来ないで。お願い、来ないで」
声が震えた。涙が止まらない。
でも、マルグリットは来た。
ゆっくりと、音を立てないように、寝台のそばまで歩いてくる。それから、セラフィナの隣に、そっと腰を下ろした。
「大丈夫よ」
その声は、とても静かだった。
「大丈夫じゃない。私、私、こんな……四十歳にもなって、寝小便なんて……」
セラフィナは、自分の口から出た言葉に、はっとした。
(四十歳?)
(今、私、四十歳って言った?)
心臓が、氷のように冷たくなった。
でも、マルグリットは、何も聞かなかった。
「大丈夫よ。誰にでも、あることだから」
マルグリットの手が、セラフィナの震える手を、静かに包み込んだ。長い指。貴族的な、美しい指。その手は、とても温かかった。
「違うの。これは、そういうのとは違うの。私の体が、私の体が、おかしくなってるの……」
「ええ、そうね。最近、眠れてなかったものね。疲れが出たのよ」
マルグリットは、セラフィナの言葉を、深く追及しなかった。ただ、当たり前のことのように、受け止めた。
(この人は、いつもそうだ)
セラフィナは、胸が締め付けられる思いだった。
(私の嘘を、見抜いてるのに。問い詰めない)
(その優しさが、今は、苦しい)
その時、階段を上る足音が、もう一つ聞こえた。
「おーい、何かあったか?」
ラズリの声。青みがかった黒髪を無造作に伸ばした、二十二歳の魔導師。酒場の常連でもある軽薄な情報通で、この家のムードメーカー。彼は、眠そうな声で、ドアの外から声をかけてきた。
「ラズリ、明かりを持ってきてくれる? それから、ギルダとイリスも呼んで」
マルグリットが、静かに指示を出した。
「え? ああ、分かった」
ラズリの足音が、階段を下りていく。
(やめて。みんな呼ばないで)
セラフィナは、心の中で叫んだ。
(こんな姿、見られたくない)
(みっともないところを、これ以上)
でも、体は動かなかった。震えるばかりで、逃げることさえできなかった。
しばらくして、ラズリが戻ってきた。手に、小さなランプを持っている。その明かりが、部屋の中を、ぼんやりと照らし出した。
「……何があった」
ギルダの低い声。短く切った赤褐色の髪、鋭い琥珀の目。口元に古い傷跡がある、無骨で強面の戦士。二十七歳。彼は、セラフィナが最初に拾った仲間で、言葉より行動で示す男だった。
「セラフィナが、少し、体調を崩したの。寝具を替えましょう」
マルグリットが、事実をぼかして伝えた。
ギルダは、一瞬、セラフィナの顔を見た。それから、濡れた寝台に目をやり、すべてを理解したように、静かに頷いた。
「分かった」
ギルダは、無言で寝台に近づくと、手際よく濡れた毛布とシーツを剥がし始めた。その動きに、迷いはなかった。
(やめて。そんなの、私がやるから)
セラフィナは、口を開こうとした。でも、声にならなかった。
「セラフィナ、こっちへいらっしゃい。体を拭きましょう」
マルグリットが、セラフィナの肩を抱いて、寝台から立たせようとした。
「いや。いや、私、自分で……」
「無理しないで。立てる?」
セラフィナは、震える足で、なんとか立ち上がった。寝間着の裾が、濡れて太腿に張り付いている。尿の匂いが、自分の体から立ち上っている。
(消えたい)
心の底から、そう思った。
その時、イリスが部屋に入ってきた。黒に近い藍色の長い髪、切れ長の紫の瞳。左耳に小さな金環の飾り。スラムのまとめ役を務める、二十二歳の女性。無駄口を叩かず、本質だけを見る。彼女は、手に湯の入った桶と、清潔な布を持っていた。
「湯と布だ。使え」
イリスは、それだけ言うと、桶と布を部屋の隅に置いた。それから、扉の前に立った。外から誰かが来ないように、戸口を塞ぐように。
(イリスまで)
セラフィナの胸が、また痛んだ。
「……みんな、見ないで。お願い」
セラフィナは、俯いたまま、小さく言った。
「おっと、俺は見てないぜ。ほら、こっち向いてるだろ?」
ラズリが、わざとらしく壁の方を向いた。
「知らないままでいいこともあるってやつだ。人生、知らなくていいことの方が多いんだぜ」
ラズリの軽口。でも、その声には、いつもの飄々とした調子の中に、ほんの少しだけ、優しさが混ざっていた。
「さあ、こっちに来て。私が手伝うから」
マルグリットが、セラフィナを部屋の隅の椅子に座らせた。それから、湯で濡らした布で、セラフィナの太腿や腰を、優しく拭き始めた。
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
セラフィナは、涙を流しながら、何度も謝った。
「謝らなくていいのよ。誰も、あなたを責めたりしないわ」
マルグリットの声は、とても優しかった。
(優しい。みんな、優しすぎる)
セラフィナは、その優しさが、逆に心をえぐるのを感じていた。
(私は、こんなに優しくされる資格なんてない)
(前世の記憶を隠して、ずっと嘘をついてきたのに)
(ミナトに、前世の亡霊って呼ばれて、否定できなかったのに)
マルグリットの指が、セラフィナの太腿の内側を、丁寧に拭いていく。その感触が、くすぐったくて、恥ずかしくて、でも、温かくて。
「新しい寝間着に替えましょうね。私のを貸すわ」
マルグリットが、自分の部屋から持ってきた清潔な寝間着を、セラフィナに差し出した。
「……ありがとう」
セラフィナは、震える手で、寝間着を受け取った。
その間も、ギルダは黙々と作業を続けていた。濡れたシーツを剥がし、畳んで、部屋の外へ運び出していく。それから、物置から新しいシーツを持ってきて、手際よく寝台に敷き直した。
「新しいシーツ、干してくる」
ギルダが、濡れた寝具を抱えて、部屋を出ていった。
「あいつ、ああ見えてマメだよな。俺なら絶対やらないぜ、シーツ干しなんて」
ラズリが、壁を向いたまま、軽口を叩いた。
「お前も手伝え」
イリスが、短く言った。
「へいへい。何すりゃいいんだ?」
「桶の湯を捨てて、新しいのを汲んでこい」
「了解。あ、でも、俺が外に出たら、誰か来るかもしれないぜ? まあ、大丈夫か。こんな深夜に来るやつなんて、酔っ払いか、よっぽどの物好きだけだろ」
ラズリは、そう言いながら、桶を持って部屋を出ていった。
(みんな、私のために動いてる)
セラフィナは、その事実が、胸に重くのしかかるのを感じた。
(私が、ちゃんと眠れていれば)
(私が、この体をちゃんと制御できていれば)
(こんなこと、起きなかったのに)
マルグリットが、セラフィナの寝間着を替え終えた。
「さあ、寝台に横になりましょう。シーツは新しいものに替えたから」
セラフィナは、マルグリットに支えられながら、新しいシーツの敷かれた寝台に横たわった。
(温かい)
乾いた布の感触。尿の匂いは、もうしない。部屋の空気が、少しずつ澄んでいく。
「私、ここに座ってるから。朝まで、一緒にいるわ」
マルグリットが、寝台の横に椅子を置いて、座った。それから、セラフィナの手を、両手で包み込んだ。
「……マルグリット、手、離して。私、もう大丈夫だから」
セラフィナは、小さく言った。
「いいえ、離さないわ。朝まで、こうしてるの」
マルグリットの声は、静かだった。でも、その言葉には、揺るがない強さがあった。
「……どうして。どうして、そんなに優しくするの。私、何も言ってないのに。何も話してないのに」
セラフィナの目から、また涙がこぼれた。
「話したくなったら、話してくれればいいのよ。でも、今は、話さなくていいの。ただ、こうしていましょう」
マルグリットの指が、セラフィナの手の甲を、ゆっくりと撫でた。
(この人の手は、どうしてこんなに温かいんだろう)
セラフィナは、目を閉じた。
(前世の更紗は、こんな手に触れたことがあっただろうか)
記憶を辿る。でも、更紗の記憶は、もうぼやけていた。会社の机。経理の書類。残業の夜。自販機の灯。ミナトの笑顔。それらは、遠い霧の向こうにある。
(消えていく)
(私の前世が、消えていく)
(でも、今、ここにある温かさは、確かに私のものだ)
セラフィナは、マルグリットの手を、そっと握り返した。
「……ありがとう」
小さな声。
マルグリットは、何も言わずに、ただ微笑んだ。
その微笑みが、月明かりに照らされて、とても美しかった。
(ああ、この人には、いつか本当のことを話さなきゃいけない)
セラフィナは、心の奥で、そう思った。
(四人にだけは。四人にだけは、本当のことを)
でも、その決意は、すぐに恐怖に押し戻された。
(話したら、どうなる?)
(転生者だって知ったら、みんな、私を気味悪がる?)
(静寂の政変。転生者取締法。記憶汚染者。処刑)
(そんなの、怖い)
セラフィナの心は、また、二つに引き裂かれそうになった。
その時、ラズリが戻ってきた。
「よし、新しい湯、汲んできたぜ。って、もう終わったのか?」
ラズリは、桶を持ったまま、部屋の入り口に立っていた。
「終わった。桶は置いておけ」
イリスが、短く言った。
「了解。しかし、夜中の井戸は冷えるな。星がきれいだったぜ。あ、セラフィナ、寝たか?」
ラズリが、小声で聞いた。
「……まだ、起きてる」
セラフィナが、目を閉じたまま答えた。
「そうか。じゃあ、子守唄でも歌ってやろうか? 俺、意外と歌えるんだぜ。ほら、『月の光と麦酒の泡』って歌、知ってるだろ? あれ、俺が歌うと絶品なんだ」
「やめろ。近所迷惑だ」
イリスが、冷たく言い放った。
「ひでえな。せっかくのサービス精神が」
ラズリが、わざとらしく肩をすくめた。
(ラズリの軽口に、少しだけ、心が軽くなる)
セラフィナは、目を閉じたまま、口元がわずかに緩むのを感じた。
(この人たちは、私を笑わない)
(私の失態を、なかったことにはしないけど、責めたりしない)
(ただ、いつも通りに、私のそばにいてくれる)
そのことが、嬉しかった。
そして、同時に、苦しかった。
(私は、この人たちに、何も返せてない)
(隠し事ばかりで、迷惑ばかりかけて)
(それでも、ここにいていいの?)
ミナトの声が、また頭の中で響く。
『先輩は、ここにいるべきじゃない』
『あの人たちは、先輩を縛っているだけ』
(違う。違うの、ミナト)
セラフィナは、心の中で、あの少女に反論した。
(この人たちは、私を縛ってなんかいない)
(私を、自由にしようとしてくれてる)
(でも、私が、自分の過去に縛られてるだけ)
マルグリットの手が、まだ、セラフィナの手を包んでいる。
その温もりが、セラフィナの心の奥底に、そっと染み込んでいく。
「……寝ろ」
イリスが、低く、静かな声で言った。
「ええ、もう大丈夫よ。朝まで、私がここにいるから」
マルグリットが、セラフィナの手を、優しく握り直した。
「……うん」
セラフィナは、小さく頷いた。
(朝まで、この手を離さないでいてくれる)
(それだけで、少しだけ、眠れそうな気がする)
セラフィナは、目を閉じた。
涙の痕が、頬に残っていた。でも、さっきまでの激しい羞恥と恐怖は、少しだけ和らいでいた。
(みっともない夜だった)
(でも、一人じゃなかった)
その事実が、セラフィナの心を、ほんの少しだけ、軽くした。
やがて、夜が明け始めた。
窓の外が、薄い青に変わっていく。鳥の声が、遠くで聞こえた。
セラフィナは、浅い眠りから目を覚ました。
体を起こすと、マルグリットが、まだ隣に座っていた。
「おはよう、セラフィナ。眠れた?」
マルグリットの顔に、疲れが見えた。一晩中、手を握ったまま、起きていたのだ。
「……マルグリット、一晩中起きてたの?」
セラフィナは、声を上げた。
「ええ。でも、大丈夫よ。あなたの寝顔を見てたら、あっという間だったわ」
マルグリットが、柔らかく微笑んだ。
「……ごめんなさい。私のせいで」
「謝らないで。私がしたくてしたことよ」
マルグリットが、セラフィナの手を、そっと離した。
その手の温もりが、名残惜しかった。
(この手を、離したくない)
セラフィナは、自分の中に、そんな感情が生まれていることに気づいた。
(ああ、私は、この人たちに、もっと近づきたいんだ)
(近づきたいのに、過去が邪魔をする)
セラフィナは、ゆっくりと寝台から降りた。
体は、少しだけ、だるかった。でも、昨日のような、制御を失う感覚はなかった。
(大丈夫。今は、大丈夫)
セラフィナは、自分に言い聞かせた。
一階に下りると、食卓の準備ができていた。
ギルダが、無言でパンを切っている。ラズリが、椅子に座って、硬貨を指先で弄びながら、何か考え事をしている。イリスが、窓の外を眺めている。
「お、セラフィナ、おはよう。今日はいい天気だぜ。洗濯日和だ」
ラズリが、軽い調子で声をかけてきた。
「……おはよう」
セラフィナは、小さく答えた。
(みんな、昨日のことを、なかったことにはしない)
(でも、いつも通りに接してくれる)
それが、ありがたかった。
「食え」
ギルダが、セラフィナの席に、パンを置いた。
「……ありがとう」
セラフィナは、椅子に座った。
食卓には、温かいシチューと、焼きたてのパンが並んでいた。マルグリットが、朝早くから準備してくれたのだ。
(こんなにしてもらって、私は)
セラフィナは、胸が詰まる思いで、パンを手に取った。
「……みっともないところを見せたわ」
セラフィナは、俯いたまま、小さく言った。
「何の話だ? 俺は何も見てないぜ。なあ、ギルダ」
ラズリが、ギルダに話を振った。
「……知らん」
ギルダが、ぶっきらぼうに答えた。
「私も、何も知らない」
イリスが、静かに言った。
「さあ、温かいうちに食べましょう。シチューが冷めてしまうわ」
マルグリットが、セラフィナの背中を、優しく撫でた。
その手が、温かかった。
セラフィナは、涙がこみ上げるのを堪えて、シチューを一口、口に運んだ。
(温かい)
野菜の甘みと、肉の旨みが、体に染み込んでいく。
(この味が、私の居場所の味だ)
セラフィナは、そう思った。
(この人たちと、この食卓で、この味を食べてる)
(それだけで、私は、ここにいていいんだと思える)
でも、その思いは、すぐに、あの少女の言葉に覆い隠されそうになる。
『先輩は、ここにいるべきじゃない』
(ミナト)
セラフィナは、心の中で、その名前を呼んだ。
(私は、あの子に、何も言えなかった)
(あの子の手を、振り払うこともできなかった)
(あの子は、私を想って、死んだのかもしれないのに)
前世の記憶。ミナトは、更紗の後輩だった。更紗は、ミナトの想いに気づきながら、何も応えられなかった。そして、更紗は死んだ。ミナトも、この世界に転生した。
(あの子の執着は、私のせいだ)
(私が、前世で、あの子の気持ちに、ちゃんと向き合わなかったから)
セラフィナは、パンをちぎって、口に運んだ。
(でも、だからといって、あの子の言う通りにはできない)
(私は、ここにいる。この人たちと、ここにいたい)
その思いが、セラフィナの胸の中で、ゆっくりと固まっていく。
(四人にだけは、本当のことを言わなきゃ)
(四十歳の女だったって。前世の名前が、瀬田更紗だって)
(全部、話さなきゃ)
セラフィナは、手のひらを見つめた。
(でも、まだ、怖い)
(話したら、この温かい食卓が、壊れてしまうかもしれない)
(この人たちの顔に、軽蔑の色が浮かぶかもしれない)
(そんなの、耐えられない)
恐怖が、決意を押し戻す。
セラフィナは、手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
(それでも、いつかは)
(いつか、必ず)
朝の光が、窓から差し込んで、食卓を明るく照らしていた。
四人の顔が、その光の中で、柔らかく見えた。
(この人たちの顔を、まっすぐ見て、話せる日が来るだろうか)
セラフィナは、そう思った。
答えは、まだ、出なかった。
でも、手のひらの中に、何かが生まれ始めているのを感じた。
それは、覚悟の輪郭だった。
まだ、ぼんやりとしていて、形にはなっていない。
でも、確かに、そこにあった。
(話す。いつか、必ず)
セラフィナは、心の中で、静かに誓った。
(この人たちにだけは、本当の私を)
朝の光が、セラフィナの淡い金の髪を、きらきらと照らしていた。
その横顔に、昨夜の涙の痕が、かすかに残っていた。
でも、その瞳には、昨日までよりも、ほんの少しだけ、強い光が宿っていた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。