乗り換え:乗るべきか、降りるべきか。答えは、誰も教えてくれない。 - ホームの猫:祖母の葬儀に向かう途中、見知らぬ駅で目が覚めた。
気づくと、塩見誠はベンチに座っていた。
背もたれの木は塗装が剥げかけ、尻の下でわずかに軋んだ。手のひらに残る温度が、ついさっきまで何かを握っていたことを教えてくれる。何を握っていたのかは、もう思い出せなかった。
上着のポケットで、何かが震えた気がした。取り出すと、画面の割れたスマートフォンだった。電波は圏外。それでも時刻だけは表示されていて、午後四時十七分と出ている。ロック画面には、庭先で笑う祖母の写真。今日、その祖母の葬儀に向かっている途中だったことを、誠はそこでようやく思い出した。
母からの未読メッセージが一件。「斎場、十四時に変更になりました」。もう三時間以上前に届いた文面だった。
メッセージアプリの下書きフォルダには、宛先を祖母にしたまま、二年前から送られていない一文が残っていた。
「今度こそ、ちゃんと顔を見せに行くから」
送信ボタンを押した記憶はない。押さなかった記憶だけが、はっきりとあった。
駅は無人だった。木造の屋根は片方が緩やかに反り、軒先から下がる裸電球が、風もないのにわずかに揺れている。ホームの端に立つ古い時計は、針が止まったままだった。
線路の向こうには、見たことのない稜線が続いていた。木の電柱が等間隔に並び、電線の碍子ひとつひとつに夕陽が反射している。
看板には「上辻」と漢字で書かれていた。誠は乗り換えのために調べた駅名の一覧を思い出そうとしたが、こんな名前はどこにもなかったはずだ。辻、という字だけが、妙に目に残った。
閉じられた切符売り場の窓に、古びた運賃表が貼られたままになっていた。並んでいるのは駅名ではなく、「十年前、夏」「まだ間に合った頃」というような文字列だった。誠はそれを二度見て、そのまま視線を逸らした。
ホームの端、待合室の戸口に、一匹の猫がうずくまっていた。焦げ茶と白の斑で、片耳の先が少し欠けている。誠が視線を向けると、猫は億劫そうに片目だけを開けた。
「お前、ここの子か?」
答えるはずもないのに、誠は問いかけていた。猫は答える代わりに、伸びをして誠の隣に飛び乗った。首輪に、木札がひとつ下がっている。木札には「ハル」と彫られていた。
その崩れた「ハ」の字の癖に、誠は見覚えがあった。祖母が年賀状の宛名によく書いていた、あの右肩上がりの癖字と同じだった。
遠くで、踏切の音が鳴った。カン、カン、という古い音色の後、光の帯がひとつ、山の陰から伸びてきた。誠の知っている電車よりも、車体の丸みが古い。
行き先を示す幕が、ゆっくりと巻き上がっていく。誠は目を凝らした。
そこに書かれていた三文字は、祖母の暮らしていた町の名前と、同じだった。
電車がホームに滑り込んでくる。扉が開いても、誰も降りてこなかった。
ハルが誠の膝の上で丸くなったまま、動かない。まるで、降りるつもりも、誠を降ろすつもりもない、とでも言うように。
誠はスマートフォンをポケットに戻した。下書きの一文は、まだ送られていない。
夕陽が線路の向こうに沈みきる前に、誠は立ち上がった。Noveliaとは?
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