反属性おじさんのドタバタ支援日誌
38歳のベテラン冒険者、ガレン・ストレイヴァーは、腰と膝の痛みに耐えながら、ついに引退を決意した。体力の限界を感じ、若い頃の無理が祟り、もはや前線で戦うことはできない。最後の依頼をこなして引退金を稼ごうと、辺境の街錆びた歯車亭に足を運んだその時、異変が起きた。
依頼板の前で、聖属性の魔力をふりまく駆け出し聖女が、巨大な闇属性のスライムに追い詰められていた。ガレンは反射的に駆け出そうとするが、腰がギクッと悲鳴を上げる。その瞬間、彼の手から、なぜか小さな闇の刃が飛び出し、スライムをかすめた。周囲に聖属性の者がいると、反対の闇属性の力が現れる。これが、ガレンに突然芽生えた反属性適応という、聞いたこともない能力だった。
この街には、なぜか属性の天才たちが集まっていた。聖女のリリア(18歳)は純粋すぎて敵の罠にすぐハマる。炎の小騎士フィオナ(19歳)は熱血すぎて周囲を巻き込んで燃やす。氷の魔術師セレス(20歳)はクールを装いつつ、実は人見知りで詠唱を噛む。彼女たちはそれぞれ、自分と同じ属性の上位魔物や強敵に、華麗に、そして滑稽に苦戦していた。ガレンの新能力は、隣にいる者の属性に反応し、対とな
反属性おじさんのドタバタ支援日誌 - 腰痛おじさん、謎の能力に目覚める(そして路上に大の字)
トルニカへの道は長かった。馬車の中で、ガレン・ストレイヴァーは思わず居眠りをしていた。顔を左手に預け、口を少し開けて。20年のキャリアを持つA級冒険者の、無防備な姿だった。
突然、馬車が大きく揺れた。
「わっ!」
ガレンは反射的に目を開き、頭を上げようとした。だが腰が——ギクッ。
「うぎゃあっ!」
まったく品のない声を上げながら、彼は背中を抱え込んだ。馬車の中で身をよじる中年男性。絵になるとは言えない。隣に乗っていた若い冒険者が、呆れたような顔で彼を見た。
「おいおい、爺さん大丈夫か?」
「俺は……38だ……」
ガレンは痛みで声が震えている。若い冒険者はさらに呆れた。
「マジで? A級?」
もう説得するだけの体力がなかった。ガレンはただ、腰をさすりながら、トルニカの街が見えるのを待った。
空が次第に夕焼け色に染まっていく。辺境の街は、期待していたよりも小さく、質素だった。鋸嶺山脈の南東にある盆地に位置するトルニカ。かつては鉱山町として栄えたこともあるのだろう。しかし今は、周囲を灰枝の森と荒野に囲まれた、冒険者たちの依頼受付所くらいが唯一の活気だった。
「ここだ」
馬車が停まった。ガレンは気合を入れて立ち上がろうとした。
ギクッ。
膝も反応した。
「……両方か」
何度か深呼吸して、覚悟を決める。腰に両手を当てながら、ゆっくりと身を起こした。每動きに痛みが走る。20年の冒険者人生の付ツケは、確実に体に刻まれていた。
馬車から降りるのに、予想以上に時間がかかった。若い冒険者たちはもう先に歩いていっている。ガレンは独りで、ゆっくりと錆びた歯車亭への階段を登った。
木製の扉が迎えてくれた。看板は確かに「遍歴業組合 トルニカ支部」と書かれている。その横に「錆びた歯車亭」とも。
深呼吸をして、ガレンは扉を押し開いた。
カランカラン。
古い鈴の音が響く。一瞬、店内の雑音が静まった。何人かの冒険者が、新入りを見ていた。だが、その視線は次第に別のものへ向かった。20年も昔のことを知っている者が、ここにいるはずがない。
「よぅ、ガレン。久しぶりじゃねぇか」
カウンター越しに、一人の女性が手を振った。
ハイドラ・モース。トルニカ支部の長。45歳。黒髪をショートで切りそろえ、その顔には細かな傷跡が何本もある。元B級冒険者の豪快な女だ。彼女の肌は浅黒く、目は鋭く、口調は男っぽい。身体つきも、むしろ筋肉質だった。ガレンが最後に会ったのは、どのくらい前だろう。三年前?五年前?
「ハイドラ。相変わらずだな」
「そっちこそ、ボロボロじゃねぇか。歩き方がおかしいぞ」
「腰だ」
「腰?」
ハイドラの顔がニヤリと笑った。それは、ガレンの痛みを喜んでいるわけではなく、何か懐かしい相手をからかう時の笑みだ。
「相変わらず無理してんな。まぁ、座れ」
ガレンはカウンターの隣の椅子に、ゆっくりと腰を下ろした。この時点で既に痛みが走った。椅子に座るという、人生で最も基本的な動作が、今や彼の敵だった。
「今日こそ、本当に引退か?」
ハイドラがビールを注ぎながら聞いた。
「ああ。最後の依頼だ」
「そうか。20年か。よく持ったなぁ」
「平均引退年齢が32歳を、6年も超えてるしな」
ハイドラが呆れたように言った。
「あんた、そろそろ認めたらどうだ?歳をとってることをさ」
「経験はまだ現役だ」
ガレンは強がってみた。だが、その声は腰の痛みで少し上擦っていた。
店内の何人かの若い冒険者が、笑いを抑えている。その視線がガレンに向かった。彼らは、A級冒険者という肩書と、目の前の腰痛おじさんのギャップに、何か面白さを感じているのだろう。
「俺もああなりたくないな」
小声で、同じテーブルの仲間に言った。
ガレンに聞こえた。確実に聞こえた。
ハイドラが「鉄鍋シチューでいいか?」と聞いてきた時、ガレンは素直に「ああ」と答えた。少なくとも、シチューの温かさは傷ついた心を少しだけ癒してくれるだろう。
名物のシチュー。銅貨3枚。ガレンはその値段を見て、インフレを感じた。
ボウルが置かれた。湯気が立っている。ガレンはスプーンを手にした。温かい。まるで、母親に子守唄を歌ってもらっているような、そんな優しい温かさだ。
シチューを一口。何の変哲もない、ありふれた味。しかし、今のガレンには、世界で最も美味しい食べ物だった。
その時だった。
「きゃあああ!」
街の外から、女性の悲鳴が聞こえた。同時に——
ドォン!
地響きのような音。店の窓ガラスが震えた。カウンターの上のコップが、チャリンと音を立てた。ガレンのシチューの表面は、波紋を描いている。
「何だ?」
ガレンは反射的に立ち上がろうとした。
ギクッ。
また腰だ。
若い冒険者たちは窓に近づいていた。
「デケぇ……」
「何だあれ」
ガレンも窓に寄った。体の痛みを気にしながら。
街路に、直径2メートルはあろうかという、黒いスライムが現れていた。ぬめぬめとした巨体が、建物の壁に体当たりをしている。壁の石が、黒い液体で侵食されている。
「上位種か。危険度C、いや……Bくらいか」
20年の経験が、自動的に敵を分析していた。
「あいつ、聖属性の光を嫌うな。逃げ回ってる」
ハイドラが正確に指摘した。闇属性の魔物は、その対となる聖属性を忌避する。通常ならば聖女一人で対処できる難度だ。だが、問題は——
「聖女が来てない」
そうだ。聖属性の使い手がいなければ、このスライムは聖光を恐れることなく、街を破壊し続けるだろう。
ガレンは——決めた。
立ち上がる。腰に気合を入れる。そして、愛剣・鉄牙を抜く。
シュリン。
鞘から出た、古びた鋼鉄の長剣。20年使い込んだこの剣は、刃こぼれが目立つが、その存在感は失われていない。
「爺さん、待てよ!危ねぇぞ!」
「俺たちが行く」
だが、ガレンの目は既に変わっていた。20年間の修羅場を経験した獣の目。その目つきは、誰も拒否できない迫力を持っていた。若い冒険者たちは、実は声をかけるのが精一杯で、本気で彼を止めようとはしていなかった。
「あんた、バカね」
ハイドラがカウンターの奥へ手を伸ばした。依頼板の脇にある、赤いボタン。緊急時の合図だ。
ガレンは扉へ向かった。
ただし——敷居で足が引っかかった。
「うわっ」
そのまま前のめりに転んだ。
「「「……」」」
シーンとした店内。転んだA級冒険者。
ガレンは何事もなかったかのように、地面から立ち上がった。
「段差が……高かった」
淡々と言い放ち、そのまま外へ歩き出した。
外に出ると、すぐに戦闘の音が聞こえた。スライムが建物を壊している。逃げ惑う住民たちの声。子供の泣き声。
ガレンは鉄牙を構えた。
スライムめがけて走る。腰は痛いが、そんなことは後だ。
「やめろ」
ガレンの心の中で、腰が叫んでいる。
「俺も無理だ」
膝も同意している。
「うるさい。行くぞ」
地を蹴った瞬間——
右の手のひらが、じわりと熱を持った。
そして、小さな刃が飛び出した。
暗黒色の、細い刃が。
シュッ。
スライムの表面をかすめた。
スライムが、ビクッと震えた。
ガレンも、ビクッと停止した。
スライムとガレン。顔面距離、約1メートル。
完璧な沈黙。
「えっ」
スライムの顔(ないはずだが)が、驚愕を表現している。
「えっ」
ガレンも、同じ表情だった。
周囲を逃げていた住民たちも、いつの間にか立ち止まってこの奇妙な対峙を眺めている。
スライムが、5秒ほど迷った。
その時、どこか遠くから——淡い光が漏れてきた。聖属性の光。
スライムはそれに引き寄せられるように、ぬるりと方向転換した。そしてそのまま、路地の奥へ消えていった。
ガレンは、その場に膝をついた。
手のひらを見つめた。
もう何も起きない。その手は、ただの、よくある中年男性の手だ。右膝には古い傷跡が走っている。長年の冒険で受けた傷だ。
「……俺、今、魔法、使ったか?」
20年間、一度も属性魔法が使えたことのない男。無属性戦士として生きてきた男。その男が、たった今、闇属性の刃を——
膝をついたまま、腰がついに限界を迎えた。
ガレンは、ゆっくりと路上に倒れた。大の字で。
ただただ、夕暮れの空を見つめた。
「あの……大丈夫ですか?」
住民が恐る恐る声をかけてきた。
「大丈夫だ……ちょっと寝てるだけだ」
大丈夫じゃなかった。
ガレンは、自分の手のひらをもう一度見た。掌を見つめながら、脳内では何かが高速で回転していた。
「20年……一度も魔法が使えなかったのに」
あれはたしかに闇属性の刃だった。スライムの液体を受け流す物理攻撃とは明らかに違う性質の何かだった。
その分析の最中、脳裏に20年分の記憶が高速再生された。
「待て……あの時も、あの時も……」
似たような感覚。20年の間に、何度も感じていた違和感。だが——
腰の痛みが、思考を強制終了させた。
「……とにかく今夜は湿布を貼って寝る。それが38歳の現実だ」
ガレンはゆっくり立ち上がろうとした。
たった30秒かかった。
よたよたと、錆びた歯車亭に戻った。
ハイドラがカウンター越しに、腕を組んで待ち構えていた。
「で?死ぬかと思ったろ?」
「……今夜の宿代、付けにしてくれ」
ハイドラが呆れながらも、部屋の鍵を渡した。
その時——
「ガレン。最近、この街おかしいと思わないか?」
ハイドラの声のトーンが変わった。深刻だった。
「スライムだけじゃない。森の奥でも、変な報告が来てる」
ガレンの目が、一瞬だけ鋭くなった。
20年かけて磨き上げた勘が、静かに、しかし確実に告げていた。
「ここで何かが始まる」
「……引退は、もう少し先か」
ガレンは二階の自室に向かった。
部屋の窓から外を見ると——
まだ完全には暗くなっていない夕焼けの街。その路地の遠くに、聖属性の淡い光がちらりと見えた。
リリアという名前は、まだガレンの脳裏には存在していない。
だが、何かが動き始めている。街の空気が。そして、ガレン自身も。
ガレンが怪訝な顔でそれを見つめているうちに、腰の限界が来た。彼はそのまま、布団に倒れ込んだ。湿布を貼る体力すら残っていなかった。
38歳の夜は、こうして静かに更けていった。