名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~
名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~
米花町で江戸川コナンとして生きる高校生探偵、工藤新一。彼の正体を知る数少ない存在の一人が、元黒ずくめの組織の科学者・灰原哀だ。普段は冷静沈着で頭脳明晰、コナンへの皮肉やからかいの言葉を決して欠かさない、毒舌家の少女。しかし、その氷のような仮面の下には、彼にだけ見せる特別な感情が秘められていた。
ある夜、阿笠博士の家で二人きりになるコナンと灰原。いつものように事件の推理を巡る口論から始まった夜は、灰原がふと、冗談めかしながらも、その瞳は冗談とは思えぬ真剣さで呟いた「愛してる」の一言で一変する。まるで、密かに調合された猛毒の媚薬を盛られたかのように。
コナンは困惑する。心には幼なじみの毛利蘭への想いがある。だが、同じ痛みを抱え生きてきたからこそ理解できる、灰原の深い孤独と激情を、無視することもできない。「その気持ち、無駄にさせねぇよ」――彼は、普段の虚勢ではない、一人の青年としての真剣な声で応えた。
その日から始まる、秘密の時間。放課後の誰もいない理科室の陰で、博士が寝静まった薄暗いリビングで。口づけを交わし、互いの体温を確かめ合う。子
名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~ - 紅茶と毒——その一言が全部変えた
金曜日の放課後。
チャイムが鳴って、みんなが飛び出すように教室を出ていく。
「[excited]灰原、帰るわよ!早くしないと置いてくからね!」
そう言いながらも、歩美はちゃんと灰原の机の横で待ってる。
灰原は鞄に教科書をしまいながら、ちらっとこっちを見た。
「……あなたたちで先に帰れば?」
「[sad]えー、またぁ?」
俺は窓際の席から立ち上がって、適当に手を振った。
「[serious]いいって。俺と灰原、博士んとこでやることあるから」
嘘だけどな。でも本当のこと言えるわけがない。
結局、少年探偵団の三人は元太がお腹空いたって騒ぎ出して、先に帰っていった。
教室に残ったのは俺と灰原だけ。
窓から西日が差し込んで、机の列がオレンジに染まってる。
誰もいない教室って、ちょっと変な感じだ。
「[cold]行くわよ」
灰原が先に歩き出す。俺も後を追った。
帝丹小学校の校門を出て、米花駅の方へ向かう。
この町は、東京都の西のほうにある米花町ってとこだ。都心から電車で四十分。どこにでもある普通の住宅街で、北には荒神川って川が流れてる。
商店街には古本屋とか模型屋とか色々あって、平日でもそこそこ人がいる。
今は十月の半ばで、空気がひんやりしてきた。
でも、俺の日常は普通じゃない。
隣を歩いてる灰原哀——こいつも同じだ。
俺の本当の名前は工藤新一。高校生探偵としてちょっとは有名だった。解決した事件は四百件以上。警視庁からも非公式に頼られてた。
それが今じゃ、この小さな体だ。
黒ずくめの組織——あいつらに毒薬アポトキシン4869を飲まされたせいで、小学一年生の体に縮んじまった。
証拠を残さず殺すための毒だったのに、ごく稀に体が幼児化する副作用があるらしい。
確率にして一パーセント未満。運が良かったのか悪かったのか。
正体を隠すために江戸川コナンって名前で帝丹小学校に通って、毛利蘭の父親の探偵事務所に居候してる。
蘭——幼馴染で、ずっと好きだった。でも今の俺は小学生の体で、真実を話すわけにはいかない。
話せば、蘭も危険に巻き込むことになる。
隣を歩く灰原哀。こいつも同じ薬で縮んだ。
本名は宮野志保。組織の元科学者で、コードネームはシェリー。アポトキシン4869を開発した張本人だ。
組織を裏切って逃げ出したあと、俺と同じ小学生の体になって、今は阿笠博士の家に住んでる。
二人とも、中身は十七と十八の大人で、体は六歳か七歳。
この世界で本当のことを知ってるのは、俺たちと阿笠博士だけ。
唯一、お互いの正体を隠さずに話せる相手——それが俺たちの関係だった。
と、思ってたんだけどな。
「……ちょっと」
商店街の真ん中あたりで、灰原が突然立ち止まった。
振り返る。でも人波があるだけだ。買い物帰りの主婦、制服の小学生、スーツ姿のサラリーマン。
いつも通りの、何も変哲もない午後五時の商店街。
「[whispers]最近、視線を感じるの」
低い声。いつもの冗談じゃない。
「気のせいだろ」
俺は軽く返したけど、心臓がひとつ跳ねた。
灰原の横顔が、本気だったから。
——組織の残党。まだ動いてるのか。
だとしても、こんな人混みの中で手を出すはずがない。でも、見られてるってだけでも気分のいいもんじゃない。
「……行こう」
灰原が無言でうなずいた。
それから阿笠邸に着くまで、俺たちは一言もしゃべらなかった。
阿笠邸の玄関を開けると、すぐに違和感。
いつもなら「おかえりー」と博士ののんびりした声が聞こえるのに、今日はシンとしてる。
「あれ?」
靴を脱いでリビングに上がると、テーブルの上にメモが一枚。
『発明家仲間と一泊旅行に行ってきます。冷蔵庫にカレーがあるので食べてください。明日の夜には戻ります 阿笠』
読み終わった瞬間、思わず声が出た。
「[surprised]マジかよ」
「[sarcastic]まあ、いいじゃない。静かで」
灰原はもうキッチンに立って、やかんに火をつけてる。紅茶を淹れるつもりらしい。
博士がいない夜。
灰原と二人きり。
別に、何かあるわけじゃない。今までも博士が買い物に出てる間とか、二人だけになることだってあった。
でも今夜は一晩中だ。
俺はリビングのソファに座って、なんとなく落ち着かない気分でテレビをつけたり消したりした。
ポケットの中でスマホが振動した。
誰だよ、と思いながら画面を見て——動きが止まった。
毛利蘭。
スマホが手の中で震え続ける。
俺は三秒か、四秒か、数えたふりしてただそれを持ってた。
出られない。出るわけにはいかない。
小学生の声で「蘭、俺だ」なんて言えるかよ。
蝶ネクタイ型変声機で工藤新一の声を出せば電話くらいできる。
でも、そうすればもっと嘘を重ねることになる。
今どこにいるのか、どうして帰ってこないのか——訊かれたら全部嘘で塗り固めなきゃいけない。
着信が切れた。
画面が暗くなる。
俺はスマホを伏せてテーブルに置いた。
「[gentle]出なくていいの?」
キッチンから声がした。振り返らないまま、アールグレイの茶葉をポットに入れてる。
多分、俺の顔なんて見てない。それでも全部わかってる。
「[serious]うるさい。お前にゃ関係ない」
「……そう」
それだけ。
でも、その短い返事の裏に、何かを察してる空気がある。
俺たちの間には、説明しなくても通じる沈黙があった。
夕食は博士のカレーを温めて食った。
灰原がいつもみたいに紅茶を入れて、テーブルに二つ並べる。
食器を片付けながら、なんとなく今日の授業の話になって——そこから、この前の事件の話になった。
「[sarcastic]あの密室の推理、証拠の優先順位が間違ってたわよ」
灰原が紅茶を一口含んで、淡々と言う。
「[angry]はあ?お前に現場の何がわかるんだよ」
「[cold]現場に行かなくてもわかるの。あなたが見落とした『動機』の可能性が、データ上で三つはあった」
「[serious]動機だけじゃ証明になんねーんだよ。物的証拠が——」
「[sarcastic]そうやって物的証拠ばかりにこだわって、また犯人の心理を見逃すのね?」
言い合いだ。
でも、これがいつもの俺たちだった。
お互い遠慮なく言葉を投げ合って、時々笑いも混ざって、気づいたら時計の針が十一時を回ってる。
「……もうこんな時間か」
俺が言うと、灰原も壁掛け時計を見上げた。
灰原がソファの端に座り直す。
両手でカップを包むように持って、しばらく湯気を見つめてた。
俺は向かいの一人掛けソファで、なんとなく窓の外を見てた。
カーテンの隙間から、暗い庭が見える。
沈黙が、さっきまでより長く続いた。
「[whispers]ねえ、工藤くん」
灰原の声で、俺は現実に引き戻された。
カップの中を見つめたまま、彼女は小さく——本当に小さく、言った。
「私、あなたのことが好きよ」
頭の中で、一瞬、空白ができた。
……何て言った?
いや、ちゃんと聞こえた。
でも、意味がわからなかった。いや、正確には——意味を受け入れたくなかった。
「[surprised]……は?」
俺は笑おうとした。
冗談だろ、と。お前がそんなこと言うわけないだろ、と。
それから灰原が顔を上げた。
カップから離れた瞳が、俺を真っ直ぐに見る。
冗談の色が、一ミリもなかった。
笑えなかった。
胸の奥で、何かがドンと跳ねた。
同時に、蘭の顔が浮かんだ。
蘭の笑顔。
蘭の声。
全部、今の自分に許されないものばかりだ。
「[scared]……何言ってんだ、お前」
声が震えた。
こんな言葉しか出てこない自分が、情けなかった。
灰原は——すぐに、ふっと微笑んだ。
「[sarcastic]冗談よ」
その笑顔が。
あまりにも作り物で。
だから余計に、胸が痛んだ。
灰原が紅茶を飲もうとカップを持ち上げた。
その手が、ほんの少し震えてる。
俺の口が、勝手に動いてた。
「[serious]お前のその気持ち、無駄にはさせねぇよ」
自分でも驚いた。
こんな言葉が、こんなにすんなり出るなんて。
灰原の手が止まった。
カップが、ことりとテーブルに置かれる。
彼女は俺を見ない。
長い間があって、彼女は静かに息を吐いた。
「……バカじゃないの」
いつもの皮肉とは、全然違うトーンだった。
俺は蘭への罪悪感が、胃の底でじわりと広がるのを感じた。
それでも、言ったことを取り消せなかった。
同じ薬で縮んで、同じ秘密を抱えて、同じ恐怖の中で生きてきた。
灰原だけが、本当の俺を知ってる。
俺の名前も、過去も、戦ってる相手も——全部。
その孤独の重さを、今夜初めて、正面から受け取った。
リビングにはアールグレイの香りと、沈黙だけが残った。
窓の外を見ると、真っ暗な庭に風が吹いて、木の葉が揺れてる。
何も変わらない、静かな夜だ。
でも、俺たちの間で何かが確かに変わった。
取り返せない何かが——静かに、確実に、始まってた。
俺はまだ、その本当の意味に気づいてなかった。
この夜を境に、灰原との関係は同志の一線を超えた。
それが俺たちを、どんな場所に連れて行くのか。
今はただ、紅茶の湯気の向こうで、灰原が黙って窓の外を見てる。
その横顔が、やけに大人びて見えた。