名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~
名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~
米花町で江戸川コナンとして生きる高校生探偵、工藤新一。彼の正体を知る数少ない存在の一人が、元黒ずくめの組織の科学者・灰原哀だ。普段は冷静沈着で頭脳明晰、コナンへの皮肉やからかいの言葉を決して欠かさない、毒舌家の少女。しかし、その氷のような仮面の下には、彼にだけ見せる特別な感情が秘められていた。
ある夜、阿笠博士の家で二人きりになるコナンと灰原。いつものように事件の推理を巡る口論から始まった夜は、灰原がふと、冗談めかしながらも、その瞳は冗談とは思えぬ真剣さで呟いた「愛してる」の一言で一変する。まるで、密かに調合された猛毒の媚薬を盛られたかのように。
コナンは困惑する。心には幼なじみの毛利蘭への想いがある。だが、同じ痛みを抱え生きてきたからこそ理解できる、灰原の深い孤独と激情を、無視することもできない。「その気持ち、無駄にさせねぇよ」――彼は、普段の虚勢ではない、一人の青年としての真剣な声で応えた。
その日から始まる、秘密の時間。放課後の誰もいない理科室の陰で、博士が寝静まった薄暗いリビングで。口づけを交わし、互いの体温を確かめ合う。子
名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~ - 博士の眼と、校門の悪夢——火曜から木曜、全部崩れた
阿笠邸のリビングに、旅行鞄を置くドサリという音が響いた。
「[excited]いやあ、発明学会は毎度刺激的じゃよ。新顔の若手がすごいアイデアを発表しててのう」
博士は赤ら顔でそう言うと、土産だと言って箱入りの饅頭をテーブルに置いた。江戸川コナンはソファに座り、事件メモに目を落としたまま短く返す。
「[serious]そりゃよかったな」
灰原哀はキッチンから顔を出したが、博士と目が合うとすぐに紅茶の準備に戻った。
博士は少し首をかしげる。いつもより二人とも口数が少ない。
「[gentle]どうしたんじゃ、二人とも。留守中に何かあったのかね?」
「[cold]別に。いつも通りよ」
灰原は背を向けたまま答えた。博士はそれ以上は聞かず、自分の部屋へと階段を上がっていった。
階段の軋む音が消えた。
コナンはチラリと灰原を見た。彼女はじっとポットの湯気を見つめている。
「なあ、あのノート——」
言いかけた時、地下へ降りる隠し扉の方から、かすかなギシリという音がした。
二人は同時に息を呑んだ。
——ドアが、開いている。
コナンは立ち上がり、音を立てずに隠し扉へ近づいた。階段の下のラボから、蛍光灯の白い光が漏れている。
そして、聞こえてきたのは——ページをめくる、乾いた音だった。
————
翌日の火曜日、学校が終わると灰原はすぐに阿笠邸へ戻った。
コナンは玄関で靴を脱ぎながら、リビングから聞こえる博士の声に気づく。ひどく落ち着いた、聞いたことのないトーンだ。
「[serious]哀くん。君は最近、夜遅くまでラボにこもっておるじゃろう」
コナンは息を潜めて壁際に立った。
「[cold]研究に手間取っていただけよ。別に、不思議なことじゃないわ」
「[gentle]普段はきっちりしている君の実験台が、あんなに散らかっておるのは初めて見た。それに——」
一拍の沈黙。
「[serious]ノートに書いてあったんじゃ。『残党・動向確認要。湾岸・ヴェルナ』」
コナンの胸が一気に冷たくなる。やっぱり見られた。
「[cold]……盗み見なんて、いい趣味してるわね」
「[serious]見たくて見たわけじゃない。偶然じゃよ。じゃが、あれは冗談で片付けられる内容じゃない。君を追っている連中のことなんじゃな?」
灰原は答えない。
博士は、壊れ物を扱うような優しい声で続けた。
「[gentle]哀くん。君が誰にも頼れないのはわかっておる。じゃが、私は君の味方じゃ。隠さずに話してほしい」
長い沈黙が流れた。
「[cold]大丈夫よ」
灰原の声は平然としていた。
「[cold]ただの古いメモを見て、勝手な想像をしているだけ。博士、疲れてるんじゃない? 旅行の荷解きでもしたらどうかしら」
足音が近づく。コナンは急いで玄関から飛び退いた。
灰原が無表情で廊下を横切り、そのまま自室へ消える。
しばらくして、博士が重い足取りでリビングから出てきた。その手には、何かを包んだティッシュが握られている。
「[serious]……削りかすじゃ」
コナンの呟きに、博士は静かにうなずいた。
「[serious]ラボの床に落ちておった。バイカルの試作品じゃな。こんなにすり減るまで、何度も使おうとしたんじゃろう」
「[serious]……副作用は」
「[serious]心臓発作の危険がある。普通の精神状態じゃ、とても使えん」
二人は黙り込んだ。
「[serious]コナンくん。哀くんは昔から、人に頼るのが下手な子じゃ。じゃが、あの子の一番近くにいるのは、お前さんじゃろう」
博士の目が、眼鏡の奥でまっすぐにコナンを射抜く。
「[serious]何があったか、話してくれんか」
コナンは喉が張りつくのを感じた。
——何も話せない。
灰原は蘭のメッセージを消している。二人は関係を持った。どちらも、この優しい老人には絶対に言えない。
「[serious]……大丈夫です。俺が見ときますから」
嘘を重ねる。胃がキリキリと痛んだ。
博士はしばらくコナンを見つめていた。それから、少し寂しそうにうなずいた。
「[gentle]そうか。じゃが、あまり無理はさせるなよ」
博士が二階へ上がった後、コナンはスマホを取り出した。
不在着信、三件。全て毛利蘭。
最後の通知は三時間前だ。『コナンくん、話したいことがあるの。かけ直してくれる?』
親指が、発信ボタンの上で止まる。
(何て言えばいいんだ)
結局、スマホをポケットに突っ込んだ。
————
水曜日の放課後。
掃除当番を終えて教室に戻ると、机の上に小さな折り紙があった。
開く。『いつもの場所』。几帳面な文字。
理科室裏の通路は、今日も薬品のツンとした匂いが充満している。
灰原は壁にもたれて待っていた。
「[gentle]来たわね」
「[serious]博士に話したのか」
コナンの問いに、灰原は首を横に振った。
「[cold]話せるわけないでしょ。私たちのことも、残党のことも」
彼女はゆっくりと歩み寄り、コナンの胸に額を押し当てた。
紅茶と、かすかに消毒液の匂い。
「[whispers]ここが一番安全な気がするの」
その声が、微妙に震えていた。
コナンの胸が締め付けられる。
「[serious]お前、本当は何か感じてるんじゃないのか」
灰原は顔を上げた。
目が合う。
「[gentle]感じてるわ。だから——」
彼女は背伸びをして、コナンの頬に手を添えた。
そして、唇を重ねた。
触れるだけの、小さな口づけ。
「[whispers]今は、これだけでいいの」
離れ際、灰原はいつも通りの皮肉な微笑みを作った。でも、目は笑っていない。
彼女は振り返らずに校舎へ戻っていった。
コナンはその背中を見送った。
——震えてた。
ただ、その事実だけが頭の中で何度も繰り返される。
————
木曜日の放課後。
校門の前で、少年探偵団の元太が手を振っている。
「[excited]じゃあな、コナン!また明日!」
コナンが手を振り返した直後——。
黒いセダンが、静かに路肩へ滑り込んできた。
助手席のドアが開く。
長身の男が降り立ち、迷いのない足取りで灰原に近づいた。
「——っ」
灰原の腕を、男の大きな手が掴む。彼女は声を出さなかった。口が、言葉だけを形作る。
《逃げて》
叫べば、校庭に残っている子供たちが巻き込まれる。それを一瞬で判断したのだと、コナンは悟った。
「シェリーは我々が引き取る」
後部座席から降りた別の男が、低く言い放つ。灰原が後部座席に押し込まれる。
「[cold]お前が追ってくるなら、毛利蘭の名前が出ることになるぞ」
ドアが閉まる。
タイヤがアスファルトを噛む音。
コナンは反射的にターボスケートボードを展開していた。
風を切る。信号が黄色に変わる。アクセルを踏み込む車。子供の足では、交差点を越えられない。
——キキィッ。
スケートボードが急停止した。
コナンは路上に膝をついた。
アスファルトを拳で殴りつける。皮膚が切れて、血が滲む。
「くそっ……くそっ!!」
周囲に人通りはない。ただ、信号の点滅だけが無機質に繰り返される。
————
阿笠邸の玄関が、乱暴に開いた。
「コナンくん!?」
博士が駆け寄る。コナンは壁に拳を叩きつけた。
「[angry]また何も守れなかった!!」
「[scared]何があったんじゃ!? 哀くんは!?」
コナンは博士の手を振り払い、リビングの床に座り込んだ。呼吸が荒い。
「[angry]組織です……残党が、灰原を」
「[scared]そ、それなら警察に——」
「[angry]ダメだ!!」
コナンは叫んだ。
「[angry]組織は警察に手が回ってる。それに、俺の正体がバレたら……蘭も危険なんです」
リーダーの言葉が頭の中で反響する。『毛利蘭の名前が出る』。
二重の罠だった。蘭を守るためには、誰にも頼れない。
博士は言葉を失い、ただコナンの隣にしゃがみ込んだ。
ブブブッ。
スマホが震える。画面に『毛利蘭』の文字。
コナンは画面を見つめる。着信音が部屋に響き続ける。
出られない。
やがて音は止み、画面が暗くなった。
コナンはスマホを伏せて床に置く。博士は何か言いかけて、口を閉じた。
二人の間を、リビングの時計の秒針だけが進んでいく。
深夜。
博士が寝静まった後、コナンは一人で地下ラボへの隠し扉を開いた。
キック力増強シューズを履き、ターボスケートボードを引き出す。
スマホの画面を開き、東京湾岸の地図データを呼び出す。
ヴェルナ。
灰原がノートに走り書きしたその場所が、地図上で赤く点滅しているように見えた。
コナンは地図を握りしめ、暗いラボの中で一人つぶやく。
「[serious]待ってろ、灰原。絶対に、連れ戻す」
彼はラボの明かりを消した。闇の中で、スマホの光だけが意思を持つように輝き続けている。