名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~
名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~
米花町で江戸川コナンとして生きる高校生探偵、工藤新一。彼の正体を知る数少ない存在の一人が、元黒ずくめの組織の科学者・灰原哀だ。普段は冷静沈着で頭脳明晰、コナンへの皮肉やからかいの言葉を決して欠かさない、毒舌家の少女。しかし、その氷のような仮面の下には、彼にだけ見せる特別な感情が秘められていた。
ある夜、阿笠博士の家で二人きりになるコナンと灰原。いつものように事件の推理を巡る口論から始まった夜は、灰原がふと、冗談めかしながらも、その瞳は冗談とは思えぬ真剣さで呟いた「愛してる」の一言で一変する。まるで、密かに調合された猛毒の媚薬を盛られたかのように。
コナンは困惑する。心には幼なじみの毛利蘭への想いがある。だが、同じ痛みを抱え生きてきたからこそ理解できる、灰原の深い孤独と激情を、無視することもできない。「その気持ち、無駄にさせねぇよ」――彼は、普段の虚勢ではない、一人の青年としての真剣な声で応えた。
その日から始まる、秘密の時間。放課後の誰もいない理科室の陰で、博士が寝静まった薄暗いリビングで。口づけを交わし、互いの体温を確かめ合う。子
名探偵コナン ~灰原哀、秘めたる猛毒の蜜夜~ - 麻酔銃と嘘——深夜の阿笠邸、抜けられない毒
阿笠博士が二階に上がってから、もう一時間は経つ。
階段の軋む音もしない。とっくに寝静まったんだろう。
リビングには俺と灰原の二人きりだ。
壁掛け時計の秒針だけがカチカチとやけに大きく聞こえる。深夜の阿笠邸は、しんと冷え切っていた。
俺はソファにだらりと座って、膝の上に広げた事件メモをぼんやり眺めてた。
先週立て続けに起きた二件の密室殺人。どちらも米花区の端っこにある古いマンションで、被害者はどちらも黒ずくめの組織に関係してたんじゃないかって線がある。
……まだ証拠が足りねえ。
頭の中で犯行の手口をなぞりながら、俺は無意識に左腕の腕時計に手を伸ばした——軽く爪でケースを弾く癖がある。
カチッ。
指が空を切った。
「……あれ?」
手首にいつもあるはずの重みがない。
阿笠博士特製、腕時計型麻酔銃。射程約十五メートル、命中すれば三秒で相手を眠らせられる隠し武器。
それが、するりと消えていた。
「[sarcastic]これ、探してる?」
声のした方を見ると、灰原がキッチンの入り口にもたれて立ってた。
いつの間に。
右手で、俺の腕時計をひらひら揺らしてる。
薄暗いリビングの灯りの中で、冷たい金属ケースがきらめいた。
「[serious]おい、いつの間に取った」
「[sarcastic]あなたが事件メモに夢中になってる隙よ。探偵のくせに間抜けね」
灰原は口元を持ち上げた。
笑ってる。でも、目が全然笑ってない。
冷たくて、どこか熱っぽい——そんな目で俺を見てる。
彼女はゆっくりと腕時計を持ち上げて、麻酔針の発射口をこっちに向けた。
指が、トリガーにかかる。
「[whispers]今夜、あなたを眠らせるのは私よ。あなたじゃなくて」
「[angry]冗談じゃねえ、返せ!」
俺はソファから飛び降りた。
でも、灰原のほうが一瞬速い。彼女はリビングのテーブルの反対側に回りこんで、するっと距離を取る。
「[laughing]捕まえられるかしら?小さな探偵さん」
「[angry]お前も同じくらい小せえだろが!」
テーブルを挟んで、しばらくにらみ合いになる。
灰原が右に動けば俺も右に。俺が左に駆ければ灰原も左に。
妙な追いかけっこだ。
しかも灰原は途中から、笑いを噛み殺し始めた。肩が小刻みに震えてる。
「[angry]なに笑ってんだよ」
「[laughing]だって……あなた、必死の顔がおかしくて」
そう言われると、なんだか自分も笑いそうになる。
いや、笑ってる場合じゃねえんだけど!
俺は真面目に怒ってるはずなのに、口の端が勝手に上がろうとする。
くそ、こいつのペースに巻き込まれてる。
ついに灰原がリビングの隅に追い詰められた。
本棚と壁の狭い隙間だ。もう逃げ場はない。
「[serious]観念しろ、灰原」
俺は一気に距離を詰めた。
右手で灰原の手首をつかむ。細い。力を入れたら折れそうだ。
左手が、麻酔銃を取り返す——。
その瞬間だった。
灰原が一歩、前に出た。
つかんだ手首を引き寄せるようにして、彼女の額が俺の胸に押し当てられる。
体温が、すぐそこにあった。
動けなくなる。
手首を放せない。放したくないのか、放せないのか——自分でもわからない。
この距離。
この体温。
先週の金曜日、同じリビングで『私、あなたのことが好きよ』と言われた夜が、ありありと蘇る。
土曜日の放課後、理科室の裏で初めて唇を重ねた感触が、指先にまで染みついている。
日曜日の朝、灰原が俺のスマホを手に取ったあの一瞬が——。
「……返せって言ってるだろ」
声が、ちょっと掠れた。
灰原は答えない。
ただ、俺の胸に額を押し当てたまま、静かに呼吸してる。
——その時だった。
ブブブッ。
テーブルの上で、俺のスマホが震えた。
画面が一瞬だけ明るくなる。通知のプレビューが、暗い天井に向かって浮かび上がった。
《毛利蘭:コナンくん、今日暇だったら電話していい…》
全文は表示されてない。
でも、名前を見た瞬間、俺の胃がキリリと痛んだ。
「……蘭姉ちゃんからだ」
灰原から手を離して、スマホを取ろうとテーブルに近づく。
その一瞬の隙に。
灰原の手が、するりと伸びた。
俺より先にスマホをつかみ取ると、画面を数回タップする。
「[cold]あら。充電、だいぶ減ってたからアダプタに繋いでおくわ」
そう言ってスマホを差し出した。
画面はすでにロックがかかっている。
俺はスマホを受け取って、メッセージアプリを開いた。
……ない。
蘭からの通知は、一件も残っていない。
「[serious]なあ、今の、蘭姉ちゃんからじゃなかったか?」
「[sarcastic]さあ?博士から変な発明の絵文字だったわよ。アラーム機能がどうとか」
灰原はもうキッチンに立って、やかんを火にかけ始めてる。
背中を向けたまま、涼しい顔で。
俺は数秒、スマホの画面を見つめた。
メッセージ欄には、昨日までの履歴だけが残っている。
最後に蘭とやりとりしたのは——いつだっけ?
(……なんか、最近やけに通知が消えるんだよな)
心の中でつぶやいた。
でも口には出さない。
なぜか、灰原にそれを言うのが怖かった。
灰原が振り返る。
キッチンの薄明かりを背にして、彼女の顔は半分だけ影に沈んでいた。
もう片方の目が、こちらを見ている。
——射るような視線だった。
俺が見ていないと思ってる角度から、静かに、鋭く。
紅茶の香りが、徐々にリビングに広がり始めた。
しばらくして、俺は意を決して口を開いた。
「[serious]なあ、灰原」
「[cold]なに?」
「最近、スマホの通知がよく消えるんだよ。メッセージも、未読のまま消えてることあるし」
俺は灰原の横顔をじっと見ながら言った。
「お前、触ってないよな?」
灰原の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
カップを持ち上げる動作の途中で。
でもすぐに、またいつも通りに動き出す。
「[cold]失礼ね。人のスマホなんか興味ないわ」
「でも、そうは見えなかったぞ」
「[cold]どう見えたのかしら」
「今、お前がスマホを手に取った時に——」
言いかけた瞬間、灰原がターンした。
カップをソーサーに置く。
ことり、と陶器が当たる音が、やけに大きく響いた。
「[cold]じゃあ聞くけど——」
声の温度が、一気に変わった。
「毛利さんから連絡があったとして、あなたは何て返すの?」
「……それは」
言葉に詰まった。
「[cold]正体を隠したまま、嘘ついて、また罪悪感で眠れなくなって——それ、あなたにとって正しいことなの?」
灰原の声は、少しずつ熱を帯びていく。
冷たさの奥に、熱い感情が隠れてるのがわかる。
「[cold]私はね、組織に追われて、この体で生きていることも苦しい。それでも——」
彼女は一度、言葉を切った。
「[whispers]私には、あなたしかいないの」
その声は、さっきまでよりずっと低くて、震えていた。
「[crying]あなたが毛利さんを思い出すたびに、私の居場所がどんどんなくなっていく気がして……それが怖い」
灰原の目に、涙が浮かんでいた。
まぶたの縁で、小さな水滴が揺れている。
俺は何も言えなかった。
怒りも、疑いも、言い返したいことも、全部喉の奥に引っ込んだ。
(こいつは本気で俺に依存してる)
頭のどこかで冷めた声が聞こえる。
(これは、計算かもしれない。俺を縛るための言葉かも)
でも、それ以上に——。
今にも泣き出しそうな彼女の顔を見て、何も言えなくなる俺がいる。
「……わかったよ」
俺はソファにどさりと座り直した。
怒りを飲み込んだ。
何に対しての怒りかも、うまく整理できないまま。
灰原はしばらく俺を見下ろしていたけど、やがて静かに息を吐いた。
「[gentle]……少し、見せたいものがあるの」
そう言って、彼女はリビングの隅にある古い絨毯をめくった。
床板の隙間に指をかけ、隠しスイッチを押す。
ゴゴゴ、と小さな音がして、壁際の本棚が横にスライドした。
その奥に、地下へ続く階段が口を開ける。
阿笠邸の地下ラボ——広さは三十畳ほどで、蛍光灯が白く照らしている。
壁一面に実験器具、遠心分離機、電子顕微鏡。
棚には無数の試薬瓶と、積み重なった実験ノートが並んでいた。
俺たちは階段を降りて、ラボの中へ足を踏み入れた。
ヒンヤリとした空気が、肌にまとわりつく。
灰原は実験台の引き出しを引き、小さなガラス瓶を取り出した。
中には、白い錠剤が数個入っている。
「[cold]バイカルの試作品。前回のより、ちょっとだけ安定したわ」
彼女は瓶を光にかざした。
白い錠剤が、蛍光灯の下で蒼白く透ける。
「[cold]初回は二十四時間、元の体に戻れる。でも、使うたびに効果時間が短くなって、副作用——胸の痛みと高熱がどんどん強くなる」
「[serious]それは、わかってる」
俺は腕を組みながら、瓶を見つめた。
工藤新一の体に戻るための、一時しのぎの解毒剤。
使えば使うほど、体を蝕む毒でもある。
灰原は瓶を手のひらで転がしながら、ぽつりと言った。
「[whispers]これって、私たちの関係みたいよね」
「……どういう意味だ」
「[gentle]使うほど体を蝕む。でも、使わずにいられない——」
彼女はじっと瓶を見つめてから、顔を上げた。
その目はもう、さっきの涙の跡が乾いている。
「[gentle]あなたと一緒にいればいるほど、危険は増えるし、罪悪感も増える。それでも、こうやって一緒にいる。抜けられない毒と同じよ」
俺は何も言えなかった。
(うまいこと言うな)
反論できない。
笑える比喩じゃないってわかってるのに、まったくその通りだと思った。
灰原は瓶を、そっと俺の手のひらに握らせた。
小さな彼女の指が、俺の指にふれる。
「[whispers]持っておいて。あなたが使うと決めたときのために」
「……俺が、か」
「[gentle]ええ。だって、あなたはいつか元に戻りたいんだものね?」
一瓶の白い錠剤。
手のひらの中で、重みがずしりと沈む。
これを飲めば、工藤新一に戻れる。
蘭に会える。
でも——そうしたら、灰原は一人になる。
瓶を受け取った瞬間、俺の中の何かが決まった気がした。
選択肢が、ひとつ消えたような感覚。
灰原は俺の顔をじっと見上げて、ふっと微笑んだ。
「[gentle]大丈夫。あなたが毛利さんのところに戻っても、私はあなたのことを恨まないわ」
そう言う彼女の声は優しかった。
でも、目はまたゆっくりと、射るような光を宿していた。
ラボの蛍光灯が、ジジジと小さく音を立てる。
冷たい白い光の中で、俺たちの影は床に長く伸びていた。
俺は何も言えずに、瓶をポケットに押し込んだ。
ふと、棚の上の方を見る。
乱雑に詰まれた実験ノートの一冊が、開いたまま斜めに突っ込んである。
開かれたページに、走り書きの文字が見えた。
《残党・動向確認要。湾岸・ヴェルナ》
——え?
「[serious]灰原、これ——」
言いかけた時、彼女はもう階段のほうへ歩き出していた。
「[cold]戻りましょう。寒いわ」
振り返らずに、静かに、ピシャリと言う。
俺はノートと彼女の背中を、交互に見比べた。
(こいつ、すでに気づいてるのか——組織の残党のことを)
それで、俺にはまだ話していない。
ポケットの中の瓶が、冷たく足に当たっていた。
俺は何も聞けずに、無言で階段を上がる灰原の後ろ姿を追いかけた。
地下ラボの入り口が、ゆっくりと閉まる。
本棚が元に戻って、何もなかった日常のリビングが顔を出す。
でも、もう何かが確実に違っている。
俺たちの関係は——戻れない深みへ、また一歩沈んだ。
壁掛け時計の針が、深夜二時を指していた。
阿笠博士の寝息は、二階からかすかにも聞こえてこない。
リビングの隅で、灰原は窓の外の暗闇をじっと見つめていた。