魔法筆のアトリエ~先生とわたし、秘密の契約~
魔法筆のアトリエ~先生とわたし、秘密の契約~
18歳になったばかりのココは、呪文を描ける「魔法筆」の才能を持つ少女。今は大魔導士のキーフリー先生と二人きりで暮らしている。先生はとても優しくて、いろんなことを教えてくれる。でも、夜になるとその態度は一変する。
「ココ、今夜は特別な授業をしよう」
先生に触れられるたび、身体は信じられないほど熱くなり、頭の中は真っ白に。こんなの恥ずかしすぎるのに、もっと欲しくなってしまう。秘密の淫らな授業を重ねるうちに、ココはどんどん先生に溺れていく。
そんなある日、キーフリー先生の旧友だという二人の女性がアトリエを訪ねてきて、彼女たちはココを快く思っていない様子。キーフリーの本当の目的は何? 先生は私だけのものじゃなかったの? 激しい嫉妬と、交じり合う男女の身体。これは誰にも秘密にしなければならない、大人の恋の物語。
魔法陣に誓った約束は、やがて大きな事件へと繋がっていく。でも、それをココはまだ知る由もなかった――
魔法筆のアトリエ~先生とわたし、秘密の契約~ - 道具と呼ばれた日——嘘つきの先生と冷たい監察官
朝の光が、作業場の窓から細く差し込んでいる。
空気はまだ冷たくて、インクの匂いがいつもより強く鼻についた。ココは一人、作業台に向かっていた。指先に銀星筆の冷たい感触を感じながら、羊皮紙の上に魔法陣を描いている。集中すると舌がちょっと出る。
(昨夜の……あの言葉)
頭の中で、キーフリーの声がぐるぐると回っていた。
——君の特別な力。
愛の言葉にしては、どこか冷たい響きだった。観察するような、値踏みするような。でもココは首を振る。考えすぎだ。先生は私を愛してくれている。
「ええと、ここは円を三重にして……」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、筆を走らせる。
その時だった。
——カツ、カツ。
背後から、わざとらしくゆっくりとした足音が近づいてきた。高級な香水の匂いが、作業場の墨の香りをかき消していく。振り返らなくてもわかる。
「おや、朝からお勉強? 感心なことね」
腰まで届く漆黒の髪が、歩くたびに光を反射する。切れ長のアメジストの瞳が、ココの羊皮紙を見下ろしていた。でも今日は、いつもの嘲笑の色が少し違う。もっと柔らかくて——だからこそ、余計に怖い微笑みだった。
「おはようございます、エリーゼさん……」
「ねえ、お嬢ちゃん。ちょっとお話しない?」
エリーゼはココの隣に立つと、するりと腰をかがめた。黒髪が肩から滑り落ちて、ココの作業台の上に広がる。アメジストの瞳が、間近でココをのぞき込んだ。
「キーフリーのこと、どれくらい知ってる?」
ココの指が、ぴたりと止まった。
「え……?」
「彼の過去。学院時代に何を研究してたか。どうしてこの辺境に飛ばされたか」
エリーゼの声はひどく優しかった。だからこそ、ココの背筋に冷たいものが這う。
「私は……何も。先生は昔のことを話したがらなくて」
「そうでしょうね」
エリーゼは口元をゆがめた。それは笑っているのに、目だけが笑っていない。
「十五年前のことよ。キーフリーは王立魔導学院で、根源干渉術式っていう禁断の筆記魔法を研究してた」
根源干渉術式——聞いたこともない言葉だった。でも「禁断」という響きが、ココの胸をぎゅうっと締めつける。
「魔法の根源そのものに干渉して、術者の魔力伝導率を根本から書き換える術式。もし成功すれば、魔法の常識が全部ひっくり返る——そんな研究よ」
エリーゼの指が、ココの羊皮紙の上をなぞる。
「でもね、それは禁忌だった。ギルドに見つかって、彼の研究室は壊滅。共同研究者は全員、資格を剥奪されて連行された」
ココは言葉を失っていた。
先生が——そんなことを。
「それでね、面白い話があるの」
エリーゼが、ココの耳元に顔を寄せる。吐息がかかるほどの距離で、ささやくように言った。
「その研究をギルドに密告したのは——私」
——ドクン。
心臓が、嫌な音を立てた。
「え……?」
「私はね、キーフリーのことが大好きだった。でも彼は研究に夢中で、私のことなんて見てくれなかった。だから密告したの。そうすれば彼の研究は止まる。そうすれば、彼は私を見てくれるかもしれない——ってね」
エリーゼの声は、まるで昔話をするみたいに穏やかだった。でもそのアメジストの瞳は、冷たく燃えている。
「でも間違ってたわ。彼は追放されて、もっと遠くに行ってしまった。この辺境で、あんたみたいな子供を拾って」
ココの手から、銀星筆がゆっくりと転がり落ちる。
——カラン。
小さな音が、やけに大きく響いた。
「ねえ、お嬢ちゃん」
エリーゼは落ちた筆を拾い上げると、ココの作業台の上にそっと置いた。哀れむような目で、ココを見下ろしている。
「あの夜、先生が言ったんでしょ? 『君には特別な力がある』って」
ココの顔から、血の気が引いた。
(なんで……知ってるの?)
「それ、愛の言葉じゃないのよ」
エリーゼの声が、氷のように冷たく耳に突き刺さる。
「彼はね、今も研究を続けてる。あんたはそのための道具。魔力伝導率が異常に高い、使い勝手のいい触媒ってこと」
——道具。
その言葉が、頭の中でこだました。
「彼が六年間お前に教えてきたのは、弟子を育てるためじゃない。自分の研究対象を育てるためよ。あんたの魔力伝導率を、さらに高めるための——調教」
「ちが……う……」
声が震えた。違う、と言いたいのに、言葉が出てこない。
特別な力、最高の弟子、愛している——先生がこれまでかけてくれた言葉が、全部、別の意味に上書きされていく。
(全部……嘘だったの?)
「ふふ。いい顔ね」
エリーゼは満足そうに口元をゆがめると、くるりと背を向けた。漆黒の髪が、朝日の中で艶めく。
「じゃあね、お嬢ちゃん。いい子でお留守番しててね」
足音が遠ざかっていく。
作業場に、ココ一人が残された。
手が、震えている。目の奥がじわりと熱くなって、羊皮紙の上の魔法陣が涙でにじんだ。
「道具……私、道具なの……?」
声にならない声が、喉の奥から漏れた。
——承——
午後になった。
空は厚い雲に覆われて、作業場の中は薄暗い。ココは作業台の前に座ったまま、動けずにいた。エリーゼの言葉が、頭の中で何度も何度も繰り返される。
(道具。触媒。研究対象)
銀星筆を見つめる。
先生がくれた、大切な筆。でもこれも——研究のために用意された道具なのかもしれない。
——カラン、カラン。
玄関の鐘が鳴った。
重く、低い音だった。
ココはびくっとして顔を上げる。キーフリーが書斎から出てきて、玄関へ向かう背中を見つめた。銀色の髪を束ねた後ろ姿が、やけに硬く見える。
扉が開いた。
「定例監査だ。キーフリー」
聞いたことのない声だった。
感情というものが一切感じられない、平坦で機械みたいな声。
キーフリーが一歩下がり、長身の男が玄関から入ってきた。短く刈り込まれたプラチナブロンドの髪。磨き抜かれた鋼のような灰色の瞳。190センチはある体が、薄暗い廊下に影を落とす。
「ギルド監察官、ルーカスだ」
ルーカスと名乗った男は、無表情のままアトリエの中を見渡した。右手は常に、腰のホルスターに入れた特殊な魔導筆の近くにある。
空気が、ピンと張り詰めた。
エリーゼとは全く違う、別のベクトルの圧力。ココは思わず後ずさりする。
「……どうぞ。こちらです」
キーフリーの声は平静だった。でも、指先がわずかに震えているのを、ココは見逃さなかった。
ルーカスは一階の作業場を一通り見渡した。その灰色の瞳が、壁に並んだ魔導筆や、書棚に詰まった魔法書を無機質に走査していく。まるで全てを写真に撮って記録するみたいに。
「地下室の鍵を」
キーフリーは表情を変えずに、腰のキーホルダーから鍵を外した。でも、その指先が鍵を差し出す瞬間、わずかに白くなる。
ルーカスは無言で鍵を受け取ると、地下室への階段を下りていった。
靴音が、遠ざかっていく。
作業場には重い沈黙が落ちた。
部屋の隅のソファでは、エリーゼがワイングラスを傾けながら、満足そうに一部始終を見守っている。彼女の唇の端が、ほんの少しだけ持ち上がっていた。
——どれくらい経っただろう。
地下室からルーカスが戻ってきた。
「封印は解かれていない、な」
キーフリーに向かって、ただ一言。
断定じゃない。確認だった。
でもその言葉の裏に、ココは聞いた。
——まだここまでは見逃してやる。
そんな警告が、冷たい声の奥に滲んでいる。呼吸が詰まりそうな圧力だった。キーフリーは無言でうなずく。その顔からは、やっぱり表情が消えていた。
——転——
その時だった。
ルーカスの灰色の目が、作業台の上で止まった。
ココの銀星筆だ。
「……これは」
ルーカスは無言で筆を手に取った。長い指が、夜空みたいな青の軸をゆっくりと回転させる。
「あ、それは私の——」
抗議しようとした瞬間、キーフリーがわずかに首を振った。やめろ、という合図だ。ココは口をつぐむ。
ルーカスは筆を指先で弄びながら、低く呟いた。
「異常な魔力伝導率だ。この筆自体が改造されている」
——改造。
ココはその言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
でも、先生が自分に贈った筆が普通じゃないという事実の重さだけは、胸にズシリとのしかかる。
(この筆も……やっぱり道具だったの?)
ルーカスが視線をココに向けた。
灰色の瞳。感情を一切映さない、機械のような目。でも——その奥で、何かが動いた。
「君が彼の弟子か」
「は、はい……」
「……なるほど」
それ以上は何も言わなかった。
でも、その「なるほど」という一言に、値踏みするような、観察するような色が滲んでいた。ココは言葉にできない息苦しさを覚える。まるで体の中を、冷たい指で隅々まで調べられているみたいだ。
ルーカスは筆を作業台に戻すと、次に台の端に積まれた古い資料を手に取った。パラパラとページをめくる。単調な紙の音だけが、静かな作業場に響いた。
——ピタリ。
指が、ある頁で止まった。
一瞬。
本当に一瞬だけだった。
ルーカスの灰色の瞳に、何かが走った。それは感情と呼べるほど大きなものじゃない。完璧に無だった表情に生じた、最初のひび。
「……ヴェクスラーの隠れ里」
その言葉を呟いた瞬間だけ、彼の声から平坦さが消えた。
キーフリーの顔が、サアッと青ざめる。
すぐに視線を逸らしたが、もう遅い。ココには見えていた。先生が、怖がっている。
(ヴェクスラーの隠れ里……? なに、それ)
聞いたこともない場所だった。でも、あのキーフリーが怯えるほどの何かが、そこにはある。
ルーカスは資料を閉じると、何事もなかったかのように作業台に戻した。
そして出口へ向かいながら、ココの前で立ち止まった。
「君が彼の弟子か」
さっきと同じ質問。
「は、はい」
「わかった」
ただそれだけ言って、ルーカスは玄関から出ていった。
扉が閉まる。
——結——
アトリエの中に、重い沈黙が落ちた。
エリーゼはソファに座ったまま、ワインを一口含む。満足げに部屋を見渡すその顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
キーフリーは書斎の窓の外を見たまま、動かない。
ココに一度も、目を向けようとしない。
(先生……)
ココは作業台の前に立ち尽くしていた。
今日一日で、二つの爆弾を受けた。
——あんたは道具よ。
——この筆は改造されている。
どちらも、先生が自分に何かを隠しているという事実を指している。
夕暮れの光が、窓から差し込んでいた。作業台の上の銀星筆が、赤く染まっている。ココはそれを、ただ見つめることしかできない。
手が、伸ばせなかった。
この筆が道具のために作られたものなら、それを嬉しそうに受け取った自分は何だったのか。
六年間。先生と過ごしたこのアトリエが、初めて知らない場所のように見えた。
ココの目から、涙が一粒だけ落ちる。
作業台の上で、銀星筆の横に、小さな染みを作った。
(先生に、聞かなくちゃ)
(真実を)
夜になれば、先生は部屋に来るかもしれない。その時に問いたださなければ——そう頭ではわかっている。
でも、答えを聞くのが怖かった。
先生の口から「お前は道具だ」と言われたら——自分はもう、生きていけないかもしれない。
その恐怖が、ココの胸をぎりぎりと締めつけていた。
窓の外では、辺境の街ハーゼンヴァルが夕闇に沈んでいく。小さな家々の灯りが、一つ、また一つと点り始めた。
でも、ココの心の中は、暗いままだった。Noveliaとは?
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