魔法筆のアトリエ~先生とわたし、秘密の契約~
魔法筆のアトリエ~先生とわたし、秘密の契約~
18歳になったばかりのココは、呪文を描ける「魔法筆」の才能を持つ少女。今は大魔導士のキーフリー先生と二人きりで暮らしている。先生はとても優しくて、いろんなことを教えてくれる。でも、夜になるとその態度は一変する。
「ココ、今夜は特別な授業をしよう」
先生に触れられるたび、身体は信じられないほど熱くなり、頭の中は真っ白に。こんなの恥ずかしすぎるのに、もっと欲しくなってしまう。秘密の淫らな授業を重ねるうちに、ココはどんどん先生に溺れていく。
そんなある日、キーフリー先生の旧友だという二人の女性がアトリエを訪ねてきて、彼女たちはココを快く思っていない様子。キーフリーの本当の目的は何? 先生は私だけのものじゃなかったの? 激しい嫉妬と、交じり合う男女の身体。これは誰にも秘密にしなければならない、大人の恋の物語。
魔法陣に誓った約束は、やがて大きな事件へと繋がっていく。でも、それをココはまだ知る由もなかった――
魔法筆のアトリエ~先生とわたし、秘密の契約~ - 満月の告白——魔方陣の上で誓った約束
三日目。
窓の外は、とっくに夜だった。
ココはベッドの上で膝を抱えていた。枕に顔を埋めると、先生の匂いがほのかに残っている。
(今日で、終わり)
最終夜。満月の光が窓から差し込んで、床に青白い四角を作っている。
この三日間、ココは表向き普段通りに過ごした。朝は魔法陣の練習をして、昼は先生と一緒にご飯を食べて、夕方は片付けをして。でも、心の中はぐちゃぐちゃだった。キーフリーが時々見せる悲しそうな目に、そのたびに胸が痛くて、でも何も言えなくて。
二日前の夜のことだ。
魔法陣の練習をしていたら、魔導筆の穂先をダメにしてしまった。強く握りすぎたせいだ。へにゃりと曲がった穂先を見て、ココは泣きそうになった。
「気にしないでいい」
キーフリーは黙って修繕道具を持ってきて、隣に座った。二人で並んで、小さな机の上で魔導筆を手入れする。キーフリーの長い指が、壊れた穂先を優しく整えていく。ココは何も言えなくて、ただそれを見ていた。
(先生は、いつもそうだ)
言葉じゃなくて、行動で全部を示そうとする。でも、今度はそれじゃダメなのだ。
——全部、話してもらわなきゃ。
ココは静かに決意を固めて、その夜は眠った。
そして、三日目の夜。
地下工房の扉の前には、ルーカスとエリーゼが先に立っていた。プラチナブロンドをキッチリと撫でつけたルーカスは、表情一つ変えずにココを見下ろす。エリーゼは壁にもたれて、紫色の瞳を暗く光らせていた。
「時間だ」
低い声。
ココは頷いて、階段の上の方を見た。
「先生——来てください」
声は震えなかった。
キーフリーがゆっくりと階段を下りてくる。銀色の髪が、壁のランプに揺れて光った。眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、ココを真っ直ぐに見ている。
四人が地下工房に揃った。
天井の小さな明かり取りから、満月の光が細く差し込んでいた。床に描かれた封印の魔方陣が、ぼんやりと青白く浮かび上がっている。前にルーカスが壊した魔法陣だ。今はもう、光も弱々しい。
ココは魔方陣の中央に立った。冷たい石の感触が、素足の裏から伝わる。
「先生」
手をぎゅっと握りしめる。指が白くなった。
「私は全部知りたいです。研究のことも、寿命のことも——先生が、あの夜に泣いた理由も」
キーフリーの肩が、微かに揺れた。
エリーゼが壁から体を離す。コンクリートの壁に爪を立てていた手が、だらりと下がった。ルーカスは作業台の前に立ち、研究記録のファイルを手にしている。
「全部、話してください」
涙が滲んで、キーフリーの顔が歪んで見える。でも、目は逸らさなかった。
——長い沈黙。
キーフリーが、ゆっくりと膝をついた。
床に片膝を着いて、ココと目の高さを合わせる。アイスブルーの瞳が、間近で揺れていた。
「……わかった」
声はかすれていた。
キーフリーは語り始める。
「私が研究していたのは——癒やしの根源術式だ。85年前の魔導筆士戦争で、ギルドが封印した術式の再現」
ルーカスの手元で、ファイルのページがめくられる音がした。
「大規模な治癒魔法だ。戦場で死にゆく兵士たちを、一度に救えるほどの力がある。しかし軍事転用の危険を理由に、ギルドは術式を封印した」
キーフリーの声が、地下工房に静かに響く。
「私は——それでも研究を続けた。筆記魔法の本来の使い道は、人を傷つけることじゃない。救うことだと信じていたから」
ココの胸が、ぎゅうっと痛む。
「研究のために仲間を失った。エリーゼに密告され、ギルドに追われ、辺境のこの地に逃げてきても——やめられなかった。やめるわけにはいかなかった」
壁際で、エリーゼが唇を噛んだ。紫色の瞳が見開かれている。
「だが——研究が完成に近づいた時、わかったんだ。この術式の起動には、術者の魔力回路に直接干渉する必要がある。その副作用として——術者の寿命が削られる」
キーフリーの声が震えた。
「そして、その起動鍵となる魔力伝導特性を持つ者は——私が知る限り、世界中でココ君だけだった」
目の奥が、じわりと熱くなる。
(やっぱり——そうだったんだ)
キーフリーの目に、涙が光っていた。あの夜、地下室で見たのと同じ涙だ。絶頂の瞬間にこぼれ落ちた——あの一滴。
「私は——君を道具にできなかった。君の寿命を削ってまで、研究を完成させることはできなかった。愛しているから——愛しているからこそ、諦めた」
涙が、キーフリーの頬を伝った。
「だが、諦めきれなかった。研究も、君も——どちらも諦められず、私はずっと引き裂かれていた。君に隠し事をして、それでも側に置いて——最低の人間だ」
声が、震えて、泣き声に近づいていく。
「あの夜、泣いたのは——ココ君を抱きながら、自分がどれほど汚いかを思い知ったからだ。君の純粋さが、眩しくて、痛かった」
キーフリーは深く頭を下げた。銀色の髪が、床の魔方陣の上に広がる。
「すまない……本当にすまない」
——シン、と静まり返る地下工房。
ルーカスが、黙って記録を確認している。ページをめくる音だけが聞こえた。エリーゼは壁に手をついて、俯いていた。
ココは、涙が止まらなかった。
でも——悲しみだけじゃない。
(先生は、嘘をついてなかった)
(私を守るために、全部を背負って——)
ココは手の甲で涙をぐいと拭いた。それから、一歩前に出る。
キーフリーの胸に、抱きついた。
「道具でもいいです」
くぐもった声が、キーフリーの胸に響く。
「本当は、できれば道具じゃない方が嬉しいけど——でも、道具でもいい。先生の隣にいられるなら、それでいいです」
キーフリーの体が、固まった。
「寿命が削れるなら——二人で半分こにすればいいでしょ?」
顔を上げて、泣き笑いの顔で言った。
キーフリーのアイスブルーの瞳が、見開かれる。
それから——ぎゅう、と。ココの体を強く抱きしめ返した。
「ココ君……」
キーフリーの腕が、震えている。ココの背中に回された手が、あまりにも強くて、ちょっと痛かった。でも——嬉しかった。
壁際で、エリーゼがよろめいた。
(こんなふうに——相手を丸ごと受け入れるなんて)
自分の胸に手を当てる。十五年間、キーフリーに向けてきた感情。それは、愛じゃなかった。
(私のは——執着だったのね)
引き寄せて、自分のものにしようとするだけ。相手の想いや、苦しみや、願いを——全然考えてなかった。
ココのように、無防備に、真っ直ぐに——全部をあげる覚悟なんて、したことがなかった。
「……わかった。私の負け」
小さく呟いて、壁から離れた。いつもの挑発的な笑みは消えて、ただ疲れた顔をしている。
ルーカスが、ファイルを閉じる音がした。
「キーフリー」
冷たい声が、地下工房に響く。
「癒やしの根源術式の研究は、禁術の範疇に入る。しかし——軍事転用の意図はなく、術者自身が代償を承知で続行を望んでいる。起動鍵となる魔力特性の継承者は、ココ・ハーゼンヴァル一人のみ」
ルーカスは淡々と続ける。
「以上の三点を総合し、ギルド管理下での研究続行を条件付きで許可する」
ココの心臓が、ドクンと跳ねた。
「条件は二つ。ココとキーフリーの両名がギルドの管理登録を受けること。進捗を定期報告すること——以上だ」
キーフリーが、ゆっくりと顔を上げた。
「……許可、だと?」
声が、信じられないという色を帯びている。
ルーカスは答えず、作業台から一枚の古い紙を取り出した。黄ばんで、端が少し焦げている。
「参考になるかもしれない」
ココの手に、その紙を渡す。
広げてみると、古い地図の断片だった。インクで描かれた細い線が、山や川を示している。隅に、古い文字でこう書かれていた。
——ヴェクスラーの隠れ里。
ココは息を呑んだ。エリーゼが以前、口にした言葉だ。あの時は、キーフリーが青ざめて否定した。
「ルーカスさん、これ……」
顔を上げた時には、ルーカスはもう階段の方へ歩き出していた。背中を向けたまま、何も言わない。
(なぜ、ルーカスさんがこれを?)
あの冷たい監査官が、ギルドの規則を曲げてまで、この地図を渡すなんて——その理由は、今夜の地下工房では明かされなかった。
ルーカスは階段を上り切る直前で、少しだけ立ち止まった。
「定期監査の日程は、後日通達する」
それだけ言って、去っていく。
翌朝——。
アトリエの玄関で、エリーゼが荷物を持って立っていた。
漆黒の長髪が朝日を受けて、いつものように艶やかに光っている。でも、紫色の瞳は、これまでにない静かさをたたえていた。
「お邪魔だったみたいね」
いつもの皮肉な口調。だけど、その声には棘がなかった。
ココは玄関に立って、エリーゼを見つめる。
「王都に帰るわ。こんな辺境、もう用はないもの」
エリーゼは少しだけ間を置いてから、ココを見た。
「あなたのその馬鹿正直——嫌いじゃないわ」
ココは驚いて、目をぱちぱちさせた。あのエリーゼが——そんなことを言うなんて。
でも、憎しみはなかった。本当に、哀れみが少し混じった気持ちで、ココは言った。
「お気をつけて」
エリーゼは小さく笑って、背を向けた。荷物を抱えて、ハーゼンヴァルへの道を下っていく。その背中は、いつもよりずっと小さく見えた。
午後、ルーカスもアトリエを去った。
二人きりになったアトリエで、ココとキーフリーは一階の作業台を並んで片付けていた。魔導筆を整理して、インク壺を並べて、散らばった紙を束ねていく。
普段通りの師弟の時間。
でも——違う。
(空気が、変わった)
先生と弟子でも、秘密の恋人でもない。対等なパートナーとして、これから同じ課題に向き合っていく感じ。それが、くすぐったくて、嬉しかった。
ココはルーカスからもらった地図の断片を、魔導筆の横に置いた。
「先生、ヴェクスラーの隠れ里って、どこにあるんですか?」
キーフリーが顔を上げた。眼鏡を指で直しながら、ココの目を真っ直ぐに見る。
その目には——もう迷いがなかった。
「エルデンの森の奥だ。通常の地図には載っていない、隠された谷がある」
ココの胸に、カッと熱いものが走った。
(次の扉が——開いた)
キーフリーの過去と、禁忌の研究と、隠された里。その全てが繋がっている場所へ——先生と一緒に行ける。
窓の外では、ハーゼンヴァルの街が午後の陽射しに包まれていた。アトリエの中には、魔導筆とインクの匂いが満ちている。
ココはキーフリーの隣で、小さく息を吸った。
これから何が待っているのか——まだわからない。でも、一人じゃない。
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