博士と助手の攻防
12歳の天才博士・高田ハナの夢は、たったひとつ。5歳のときに出会った「銀髪狼耳メイド」を、自分の手でこの世に生み出すこと。彼女が開発した人格形成AI「ジェミニ」に、その姿と魂を宿すため、今日も実験室で設定をいじくり回す日々。だが現実は甘くない。AI倫理ライセンスの壁、そして大学から突然告げられた「助手の配置」という名の介入。やってくる助手は、果たして理解者か、それとも最大の障害か。譲れない「好き」を胸に、小さな博士と助手の攻防が、いま始まる。
博士と助手の攻防 - 銀髪狼耳メイド、爆誕(させたい)
「銀髪よ、銀髪! ここは絶対に譲れないんだからね!」
高田研究所の一階、実験室。白い壁に囲まれた無機質な空間に、少女の声が響き渡った。
高田ハナ、十二歳。黒髪のショートヘアは今日も寝癖でぴょんと跳ねていて、深い茶色の大きな目は、何か企んでいるとき特有のキラキラした光を放っている。小柄で細身の体には、ぶかぶかの白い研究用白衣。袖が余りすぎて、指先がかろうじて見える程度だ。足元はお気に入りのキャラクターもののスニーカー。白衣のポケットには、タブレット端末と飴玉がいつものように入っている。
彼女の視線の先には、空中に浮かび上がるホログラム。ジェミニ・カスタマイズ端末が投影した、一人の少女の姿があった。
腰まである銀色の髪。頭の上でピンと立つ、ふわふわの狼耳。着ているのは、フリルと白いエプロンが特徴的なクラシカルなメイド服。背中には小さな悪魔の羽根と、先の尖った尻尾まで生えている。
「見て見て、この完成度! 銀髪の輝き、狼耳の絶妙な角度、メイド服のフリル感! 私、一晩かけてこの設定を作ったんだから!」
誰もいない実験室。返事をする人はいない。それでもハナは、まるで誰かに見せびらかすように両手を広げて、ホログラムの前をくるくると回った。
「口調はどうしようかな。『ご主人様、お呼びでしょうか?』みたいな敬語系もいいし、『あんた、今日もがんばりなさいよ』みたいなサキュバス系の小悪魔口調も捨てがたいのよね……あ、でも、警察っぽい正義感も入れたいし、王女様の高貴さも欲しい……全部足せる? 足せちゃう? そう、それがジェミニのすごいところ!」
彼女が開発した人格形成AI、正式名称「Generative Emotional Multiform Intelligence Nexus」、通称ジェミニ。ユーザーがAIの外見・口調・性格を自由にカスタマイズできる画期的システムだ。アストラリス工科大学の博士課程に在籍する彼女が、一年前にプロトタイプを完成させた。
実験室の奥の棚には、古びたフィギュアが一体、ほこりをかぶらずに大切に飾られている。銀色の髪に狼の耳、メイド服を着たアニメキャラクターのフィギュアだ。ハナはホログラムを一通り堪能すると、その棚の前に歩いていった。
「……ねえ、おばあちゃん。私、ついにここまで来たよ」
小さな手で、フィギュアのケースをそっと拭く。
ハナが五歳のとき。祖母の家で、古いビデオデッキの前に座っていた。画面の中で、銀色の髪をなびかせた狼耳のメイドが、悪者をばったばったとなぎ倒していく。変身して、魔法を使って、時にはちょっとエッチな技も使って。
五歳のハナは、目が釘付けになった。
『おばあちゃん、このひと、なに?』
『あらあら、ハナはそれが気に入ったの? 銀髪狼耳メイドさんね。かっこいいわねえ』
『かっこいい! かわいい! ハナ、このひとになる!』
『あら、ハナは博士になりたいんじゃなかったの?』
『じゃあ、銀髪狼耳メイドの博士になる!』
祖母は目を細めて、しわだらけの手でハナの頭をなでた。
『ハナの好きは、ハナの宝物よ。誰に何と言われても、大事にしなさい』
その言葉が、ハナのすべての始まりだった。
それから七年。ハナは十歳で博士課程に進んだ。史上最年少記録だ。飛び級制度、正式には「特別才能認定制度」という国の制度で、十八歳未満でも高等教育を受けられる。全国で年間約二十名しか認定されない超レアケースで、ハナはその中でもずば抜けて若かった。
研究のすべては、あの日見た銀髪狼耳メイドを、自分の手で生み出すため。
祖母は三年前に亡くなった。ハナが大学院に入る少し前のことだ。最期の日、病院のベッドで、祖母はハナの手を握って言った。
『ハナ、あなたの好きを、誰にも渡しちゃだめよ』
ハナは泣きながらうなずいた。
「おばあちゃん、私ね、もうすぐ完成させるんだ。ジェミニに、銀髪狼耳メイドの姿を入れるの。そしたら、いつでも会えるんだよ。おばあちゃんが教えてくれた、私の宝物と」
フィギュアは、何も答えない。それでもハナには、祖母が笑っているような気がした。
ハナは気持ちを切り替えるように、白衣のポケットから飴玉を取り出して口に放り込んだ。いちご味。甘さが口の中に広がる。
「さてと。現実的な問題を片付けないとね」
彼女はタブレット端末を操作して、アストラリス市のAI倫理ライセンスの規約を表示させた。
「人格形成AIを外部で使用するには、AI倫理ライセンスが必要。外見設定は公共の場での使用が前提。奇抜すぎる設定は、ライセンス審査で問題になる可能性がある。違反した場合、罰金五十万円以下……」
読み上げながら、ハナの眉がどんどん寄っていく。
「ちょっと待ってよ。銀髪狼耳メイドのどこが奇抜なの? 銀髪は髪の色でしょ? 狼耳はかわいいでしょ? メイド服は伝統的な衣装でしょ? 全部、正当な表現の自由の範囲内じゃない!」
誰もいない実験室で、ハナは一人で反論を始めた。
「公共の場で使う前提だから、外見は無難にしろってこと? つまり、茶髪の普通の女の子にしろって? そんなの、ジェミニじゃなくてもいいじゃない。既存のAIで十分でしょ」
彼女はホログラムを操作して、銀髪狼耳メイドの隣に、いかにも「無難」な茶髪の女性の姿を表示させた。
「……つまんない」
ハナはその「無難」なホログラムを、指先でぷちっと消した。
「細かいところは譲れる。口調とか、性格とか、服の色とか。でも、銀髪と狼耳とメイドだけは絶対に譲らない。これは私の研究の原点なんだから」
彼女はぎゅっと手を握りしめた。
「……でも、どうやってライセンス審査を通すか、考えないとね」
天才小学生博士は、現実の壁にぶつかっていた。
ハナは気分転換に、研究所を出て北部研究区画の外れにあるコンビニへ向かった。この地区には研究施設が約三十も集まっているのに、コンビニは一軒しかない。しかも、その一軒がやや遠い。研究者にとっては死活問題だ。
「はあ……。あ、新発売のプリンがある。買おう」
白衣のままコンビニに入ると、店員のおじさんが「博士、こんにちは」と軽く会釈した。ハナは常連だった。
「こんにちは。あと、肉まんとコーヒー牛乳もください」
レジで会計を済ませていると、レジ横に設置されたモニターが突然、派手な映像を流し始めた。
『アストラリスAIフェスタ、今年も開催決定!』
ハナの手が止まった。
『人格形成AIの祭典、アストラリスAIフェスタ! 今年のテーマは「未来を創る、私だけのAI」! 最優秀AIには、国際AI倫理委員会への推薦権が与えられます!』
「国際AI倫理委員会への、推薦権……!」
ハナの深い茶色の目が、キラキラと輝き始めた。
国際AI倫理委員会。人格形成AIの規制を議論する国際組織で、本部はジュネーブ。アジア支部がアストラリス市内にある。そこで認められれば、銀髪狼耳メイドの設定が「奇抜」ではなく「正当な研究」として認められるかもしれない。いや、認めさせてみせる。
「これよ、これ! 私のジェミニが世界に認められるチャンス! 銀髪狼耳メイドの価値を、世界中に証明してやるんだから!」
彼女は肉まんの袋を握りしめたまま、コンビニのレジ前で小さくガッツポーズをした。店員のおじさんが「お会計、千二百円です」と冷静に繰り返した。
研究所に戻る道すがら、ハナは頭の中でAIフェスタの構想を練り始めた。
「まずはジェミニの完成度を上げないと。感情遷移エンジンの精度はまだまだ。もっと自然な感情表現を……。それと、外見のホログラム投影の解像度も上げたいわね。あと、ライセンス審査の対策も必要。公共の場での使用を前提にしつつ、銀髪狼耳メイドの正当性を説明できる資料を……」
そのとき、白衣のポケットで携帯が震えた。
「あれ、大学の事務局から?」
画面を見て、ハナの表情が一瞬で曇った。
「……はい、高田です」
『高田さん、研究継続の件でお話があります。特別才能認定制度の条件として、あなたの研究チームに助手を配置することが義務付けられました』
「は? 助手? いりません。私、一人でできます。今までだって一人でやってきました」
『そうはいきません。未成年の研究者には、安全管理と生活指導の観点から、補助者が必須です。大学としても、あなたの安全を保障する責任があります』
「私、ちゃんと生活してます。ご飯も食べてるし、寝てるし、歯も磨いてます」
『先月、三徹して倒れたと報告を受けていますが』
「……あれは、ちょっと集中しすぎただけで」
『助手の配置は決定事項です。来週から、湊ミナさんという方が着任します。よろしくお願いしますね』
「ちょ、ちょっと待ってください! 私の研究に口出しされるのは困ります! 特に、銀髪狼耳メイドの設定について、変な常識人に止められるなんて絶対に嫌です!」
『では、よろしくお願いします』
ぷつり、と通話が切れた。
「ちょっと! まだ話は終わってないんですけど!」
ハナは携帯を白衣のポケットに乱暴に突っ込んだ。肉まんの袋が揺れる。
「助手なんて、いらないのに……。私の研究を、誰にも邪魔されたくないのに」
彼女はとぼとぼと歩き出した。
北部研究区画の夕暮れは、やけに静かだった。周囲には他の研究所の建物が並んでいるだけで、人影はまばら。遠くで、地下鉄の走る音がかすかに聞こえる。空はオレンジ色に染まり始めていた。
「……湊ミナ、さん。どんな人なんだろ。私のこと、変な目で見るのかな。銀髪狼耳メイドのことを、気持ち悪いって思うのかな」
ハナは立ち止まって、空を見上げた。
「おばあちゃんは、笑ってくれたのに。私の好きを、宝物だって言ってくれたのに」
風が吹いて、ハナの白衣の裾をふわりと揺らした。アホ毛がぴょこぴょこと揺れる。
「……まあ、いいわ。来るなら来なさい。私の研究の邪魔をしたら、容赦しないんだから。銀髪狼耳メイドの素晴らしさを、思い知らせてやる」
彼女は肉まんの袋をぎゅっと握りしめて、再び歩き出した。
研究所に戻ると、ハナは一階の実験室へ直行した。
棚の上のフィギュアが、夕日に照らされて静かに輝いている。銀色の髪、狼の耳、メイド服。何年経っても色あせない、ハナの原点。
「おばあちゃん、見ててね。私、絶対銀髪狼耳メイドで優勝するから。AIフェスタで、世界に認めさせるんだから」
彼女はフィギュアのケースを、そっと指でなぞった。
「……それで、助手って人が来るんだって。正直、嫌。知らない人と一緒にやるなんて、面倒くさい。でも、大学が決めたことだから、追い返すわけにもいかないし」
ハナは白衣のポケットから飴玉を取り出して、口に放り込んだ。今度はレモン味。すっぱい。
「その人が、私の銀髪狼耳メイドを理解してくれるかどうか……。もし『変だからやめなさい』って言われたら、どうしよう。私、うまく説明できるかな。おばあちゃんみたいに、笑ってくれるかな」
不安が、胸の奥で小さく渦を巻く。
でも、それ以上に、ハナの中には強い決意があった。
「私は絶対に負けない。銀髪狼耳メイドを、この手で完成させてみせる。誰に何を言われても、私の好きは、私の宝物なんだから」
彼女はホログラム端末を起動させた。
空中に、銀髪狼耳メイドの少女が再び現れる。ふわふわの狼耳が、ぴくりと動いた。銀色の髪が、風もないのにさらさらと揺れる。
ハナはその姿を見て、自然と笑顔になった。八重歯がのぞく。
「よし、やるわよ。ジェミニ、今日も設定の調整を始めるからね。目指せ、完璧な銀髪狼耳メイドサキュバスポリスプリンセス! ……あれ、サキュバスとポリスとプリンセスって、設定が衝突しない? まあ、そこは私の腕の見せどころってやつよ」
彼女は端末を操作しながら、鼻歌を歌い始めた。
実験室の窓から、アストラリスの夜が静かに訪れようとしていた。北部研究区画の街灯が、一つ、また一つと灯っていく。遠くに、中央学術区画の高層ビル群が見える。その中心にある「知識の樹」のモニュメントが、夕闇の中でうっすらと光っていた。
ハナは知らない。
明日、彼女の前に現れる助手が、銀髪狼耳メイドを全力で止めにくることを。
そして、その出会いが、彼女の研究を、そして人生を、大きく動かしていくことを。
今はまだ、実験室に響く鼻歌だけが、小さな天才の幸せな時間を刻んでいた。Noveliaとは?
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