パンドラ学園〜アヴィスは放課後に〜
新学期初日から寝坊して大慌てのオズ=ベザリウス。教室に駆け込んだ彼の机の上にいたのは、名札に「アリス」と書かれた黒うさぎのぬいぐるみだった。クラスメイトの前で冗談めかして持ち上げたその瞬間、ぬいぐるみが口を開く。「おまえ、私の所有物になったから」——。
舞台は、語り部の家系に生まれた少年オズが通うラトウィッジ学園と、その街ルーメンフィールド。強い感情や記憶が物に宿る「残響魔法」が息づく世界で、記憶を失った喋るうさぎ・アリスと、お人好しでお調子者のオズの奇妙な同居生活が始まります。
オズを陰で支える堅物従者ギルバート(通称ワカメ/うさぎ恐怖症)、オカルト大好きな妹エイダ、豪快で肉好きな叔父オスカー。賑やかなベザリウス家の面々に振り回されながら、アリスは「所有物」宣言の理由も、自分の正体もわからないまま、少しずつオズとの距離を縮めていきます。
「おまえの記憶が戻るまで、俺がおまえのことを覚えててやる」——軽々しくそう言ってのけるオズに、アリスが思わず顔を背ける、そんな放課後の物語。笑って、振り回されて、ほんの少し胸が温かくなるラブコメディ、開幕です。
パンドラ学園〜アヴィスは放課後に〜 - 肉まん争奪戦と、笑顔の裏の令嬢
朝だ。
正確には、まだ朝と呼ぶには早すぎる時間だった。
オズ=ベザリウスは、自分の顔面にのしかかる奇妙な重みで目を覚ました。ふわふわとした感触が、鼻と口を塞いでいる。呼吸がしづらい。
「……ん、なんだ、これ」
寝ぼけ眼で手を伸ばす。指先に触れたのは、柔らかな毛並みだった。黒くて、ふわふわで、耳の長い——
「起きろ、所有物。朝だぞ。肉を食わせろ」
アリスが、オズの顔の上に堂々と座っていた。黒うさぎのぬいぐるみのくせに、ずっしりと重い。オズは両手でアリスを抱え上げ、むくりと上半身を起こした。
「おまえ、なんで俺の顔の上に乗ってるんだよ」
「起こすためだ。おまえがいつまでも寝ているからだろ」
「起こし方ってもんがあるだろ。普通、肩を叩くとか、耳元で呼ぶとか」
「呼んだ。何度も呼んだ。それでも起きないから、乗った」
アリスはふんぞり返って、真っ赤なビーズの瞳をきらりと光らせた。オズは深いため息をついて、枕元の時計を確認する。まだ六時半だった。
「……今日は早すぎないか? 学校は九時からだぞ」
「腹が減った。肉を食わせろ。昨日の残りのベーコンがあっただろ」
「あれ、おまえ昨日の夜に全部食っただろ」
「食ってない。隠してあるのを知ってるぞ。冷蔵庫の奥のタッパーだ」
オズは頭をかいた。確かに、昨日の夜、ギルバートが作ってくれたベーコンを少しだけ隠しておいたのだ。アリスに全部食べられないように。
「おまえ、鼻が利くんだな。うさぎのくせに」
「うさぎじゃない! 私はアリスだ!」
アリスはオズの手から飛び降りると、ぴょんぴょんと跳ねながら部屋を出て行った。その小さな後ろ姿は、どう見てもぬいぐるみのうさぎだった。
(三日目、か)
オズは窓の外を見た。ルーメンフィールドの朝は、今日も穏やかだった。学園都市の中心にそびえるラトウィッジ学園の時計塔が、朝日に照らされて白く輝いている。
アリスがベザリウス邸に住み着いてから、三日が経っていた。
ベザリウス家の食堂は、今朝も騒がしかった。
「いただきます!」
アリスはテーブルの上に飛び乗ると、ベーコンの皿に顔を突っ込んだ。正確には、顔というか、ぬいぐるみの口元を皿に押し付けて、もぐもぐと咀嚼するような動きをしている。どういう仕組みかはわからないが、皿の上のベーコンは見る見るうちに消えていく。
「アリスちゃん、本当に肉しか食べないのね」
オズの妹、エイダ=ベザリウスが目を丸くして言った。彼女はおっとりとした性格の少女で、オカルト好きという少々変わった趣味の持ち主だ。今朝も、食パンにブルーベリージャムを丁寧に塗りながら、アリスの食事風景を興味深そうに眺めている。
「肉は正義だ。肉こそが世界の中心だ」
アリスはソーセージをくわえながら、もごもごと答えた。
「肉こそが世界の中心って、どんな理屈だよ」
「理屈などいらない。うまいものはうまい」
「よし、今日は肉を三倍焼こう!」
オズの叔父、オスカー=ベザリウスが、豪快に笑いながら立ち上がった。ベザリウス家の現当主である彼は、百九十センチを超える長身の持ち主で、陽気で庶民的な性格が特徴だ。女好きでチェスがめっぽう弱いという、ある意味で残念な大人でもある。
「おじ様、三倍はさすがに焼きすぎですわ」
「いいんだいいんだ。アリスちゃんが喜ぶなら、肉の一枚や二枚、三枚や四枚、惜しくない!」
「おまえ、いい奴だな。気に入った」
アリスはオスカーに向かって、肉汁まみれの前足を突き出した。握手のつもりらしい。
「はっはっは、握手か? かわいいなあ」
オスカーはアリスの前足を、大きな手で包み込むように握った。
「おいおい、肉汁でべたべただぞ、おじさん」
「気にするな。洗えば済む」
オズは苦笑いしながら、自分の皿に残っていた卵焼きを口に運んだ。ギルバートが作ってくれた弁当の残りだ。彼は料理が得意で、オズの昼食も毎日作ってくれている。今朝はまだ来ていないが、そろそろ迎えに来る頃だった。
「おい、所有物。その卵も寄越せ」
アリスが、オズの箸先をじっと見つめている。真っ赤な瞳が、獲物を狙う肉食獣のように輝いていた。
「え、卵もかよ。おまえ、本当にうさぎか?」
「うさぎじゃないと言っているだろ。それに、卵は肉の仲間だ」
「いや、卵は肉の仲間じゃないだろ」
「細かいことを言うな。寄越せ」
アリスがぴょんと跳ねて、オズの箸から卵焼きを奪い取った。鮮やかな早業だった。
「あっ、おまえ!」
「うまい。卵もなかなかやるな」
アリスは満足そうに、もぐもぐと卵焼きを咀嚼した。
(こいつ、本当に食いしん坊だな……)
オズは呆れながらも、どこか楽しそうに笑った。
朝食の後、オズが制服に着替えていると、部屋のドアがノックされた。
「オズ、迎えに来たぞ」
聞き慣れた低い声。オズの親友であり、従者でもあるギルバート=ナイトレイだ。
「おう、ギル! おはよう!」
オズはドアを開けた。そこには、黒髪を後ろで軽く束ねた長身の青年が立っていた。金色の瞳が、オズの姿を確認して、ほんの少しだけ安堵の色を浮かべる。
「……今日は寝癖がひどいな。寝坊しなかっただけマシか」
「うるさいな。これでもちゃんと起きたんだぜ」
「私が起こしたからな。感謝しろ」
オズの肩の上から、アリスが顔を出した。
「うわっ、また肩に乗ってるのか」
ギルバートは、わずかに後ずさった。彼は猫が苦手だ。そして、うさぎの形をした生き物も苦手だった。正確には、ふわふわした小動物全般が苦手なのだ。
「ワカメ、何を下がっている。私が怖いのか」
「誰がワカメだ。それに、怖がってない。ただ、少し距離を取っているだけだ」
「ギル、顔がひきつってるぜ」
「ひきつってない」
オズは、ギルバートの反応を見て、楽しそうに笑った。これが彼の日課だ。親友をからかって、その反応を楽しむ。十年以上も続けてきた、変わらない朝の風景だった。
「よし、行こうぜ。学校に遅れる」
オズはカバンを手に取った。
「私も行く。おまえのカバンに入れて行け」
「え、カバンに入るの?」
「当たり前だ。私はおまえの所有物だ。おまえは私の所有物だ。つまり、一緒にいるのが当然だろ」
「その理屈、よくわかんねえけど、まあいいや。ほら、入れてやるから大人しくしてろよ」
オズはカバンのファスナーを開けた。アリスはぴょんと跳び込むと、カバンの中で器用に体を丸めた。
「絶対に、勝手にファスナーを閉めるなよ。息ができない」
「ぬいぐるみに息ってあるのかよ」
「ある。私にはある」
オズは笑いながら、カバンの口を半分だけ閉めた。
「……本当に連れて行くのか」
ギルバートが、微妙な表情で言った。
「だって、置いてったら家で何をしでかすかわかんないだろ。この前も、冷蔵庫を開けっ放しにして、アイスを全部溶かしたし」
「あれは、おまえが隠すからだ。アイスは見つけた者が食べるのが掟だ」
「どんな掟だよ」
「……はあ。わかった。何かあっても知らないからな」
ギルバートは、深いため息をついた。
ラトウィッジ学園は、今日も変わらず美しかった。
赤レンガ造りの校舎が、朝の光を浴びて、深い色合いに輝いている。正門をくぐると、色とりどりの花が植えられた花壇があり、その向こうに、時計塔のある本館が見えた。
「おはよう、オズ!」
「おはよう、オズ君!」
すれ違う女子生徒たちが、オズに声をかけてくる。オズは、その一人ひとりに笑顔で手を振り返した。
「おはよう、お嬢さん方! 今日も一段と美しいね!」
「もう、オズ君ったら」
「相変わらず口が上手いんだから」
女子生徒たちが、きゃっきゃと笑いながら去っていく。
「おい、所有物。おまえ、今、あの女どもに何を言った」
カバンの中から、くぐもった声が聞こえた。
「別に、挨拶しただけだぜ」
「嘘をつくな。私は聞いていたぞ。『美しい』と言っただろ。あの女どものどこが美しいんだ。目が節穴か」
「おまえ、カバンの中から見えてるのか?」
「見える。音も聞こえる。匂いもわかる。だから、私の目の前で、他の女に声をかけるな」
「おまえ、もしかして嫉妬してるのか?」
「違う! 所有物が、所有者の許可なく、勝手に他の女と話すのが許せないだけだ!」
アリスの声が、カバンの中で跳ねた。
「はいはい、わかりましたよ」
オズは笑いながら、廊下を歩いていく。
その時だった。
「きゃあああ!?」
すれ違った女子生徒が、突然、悲鳴を上げた。
「な、なに!?」
オズが振り返る。女子生徒が、オズのカバンを指さして、口をパクパクさせている。
「か、カバンが……カバンから、うさぎが……」
「え?」
オズがカバンを見ると、ファスナーの隙間から、アリスの黒い耳が、ぴょこんと飛び出していた。
「おい、アリス。耳が出てるぞ」
「うるさい。狭いんだ。少しは外の空気を吸わせろ」
アリスが、もぞもぞと動いて、今度は顔を出した。真っ赤な瞳が、廊下を行き交う生徒たちを見回す。
「うわっ、何あれ!」
「ぬいぐるみが動いてる!」
「呪いの人形じゃない!?」
生徒たちが、ざわざわと騒ぎ始めた。
「あー、これは、その、なんだ。俺のペットみたいなもんだ」
オズは、笑いながら誤魔化した。
「ペットではない。私はおまえの所有者だ」
「おい、今は黙ってろ」
「黙らない。事実を言ったまでだ」
「オズ、そのうさぎを何とかしろ!」
後ろから、ギルバートが慌てた声を上げた。彼は、猫と同様に、ふわふわした小動物が苦手なのだ。アリスがカバンから顔を出すたびに、彼の表情がこわばる。
「ワカメは黙ってろ。おまえには関係ない」
「誰がワカメだ! それに、大いに関係ある。お前が騒ぎを起こすと、俺が後始末をさせられるんだ」
「ギル、落ち着けって。ほら、アリスも、あんまり顔を出すなよ。他の生徒がびっくりするだろ」
「私の顔を見て、びっくりする方がおかしい。私はこんなにかわいいのに」
「自分で言うか、それは」
「事実だ」
オズは、笑いながら、アリスの頭をカバンの中に押し込んだ。
「押すな! 乱暴に扱うな!」
「授業が終わるまで、大人しくしてろよ。いいな?」
「わかった。ただし、昼には肉を食わせろ」
「はいはい、約束するよ」
オズは、カバンのファスナーを、少しだけ開けたままにした。
教室に着くと、オズは自分の席にカバンを置いた。
「おはよう、オズ!」
「おはよう、オズ君!」
クラスメイトたちが、次々と挨拶をしてくる。オズは、そのすべてに笑顔で応えた。
「おはよう、みんな! 今日もいい天気だな!」
「おい、所有物。私を出せ。息ができない」
カバンの中から、くぐもった声が聞こえた。
「もうちょっと我慢しろ。ホームルームが終わったら出してやるから」
「今すぐ出せ。さもないと、カバンを内側から食い破る」
「おまえ、それできるのか?」
「やればできる。やってほしいか」
「わかった、わかった。今出すから、ちょっと待て」
オズは、仕方なくカバンのファスナーを開けた。アリスは、ぴょんと机の上に飛び出すと、堂々と真ん中に座った。
「ふう、やっと外の空気が吸えた。狭くて暗くて、最悪だった」
「悪かったな、狭くて」
「オズ、そのうさぎを机の上に出すな。目立つだろ」
ギルバートが、隣の席から小声で言った。
「ワカメはうるさい。私はここが気に入った。この机は、今日から私の定位置だ」
「お前の定位置は、オズの家の庭の物置だろ」
「あそこも好きだが、ここも気に入った。文句があるか」
「大いにある」
「二人とも、朝から元気だなあ」
オズは、机の上に置かれたアリスと、隣の席のギルバートを、交互に見比べながら笑った。
その時、教室の扉が開いて、担任の教師が入ってきた。
「おはよう。ホームルームを始めるぞ」
「おい、アリス。先生が来たから、とりあえず机の下に隠れろ」
「隠れない。私は堂々としている」
「頼むから隠れてくれ。おまえが先生に見つかったら、面倒なことになるんだ」
「面倒なこととは何だ」
「没収されるとか、親が呼び出されるとか、そういうのだよ」
「没収……おまえが、私から離されるのか?」
アリスの真っ赤な瞳が、わずかに揺れた。
「まあ、そうなる可能性もある」
アリスは、一瞬だけ黙り込んだ。それから、不機嫌そうに、机の下にぴょんと降りた。
「わかった。今日だけだ。今日だけ、隠れてやる」
「助かるよ」
オズは、机の下に消えたアリスを見送って、小さく笑った。
一時間目の授業は、現代文だった。
教師が、教科書を読み上げる声が、教室に静かに響いている。オズは、教科書のページをめくりながら、時々、机の下のアリスをちらりと見た。
アリスは、机の下で、器用にオズの足に寄りかかって、じっとしていた。時々、もぞもぞと動いて、オズの靴を前足でつつく。
(退屈してるんだろうな)
オズは、心の中で苦笑いした。
その時だった。
「退屈だ。肉をくれ」
突然、机の下から、はっきりとした声が響いた。
教室が、一瞬で静まり返った。
「……今の、誰だ?」
教師が、眉をひそめて、教室を見回した。
「アリス、声がでかい!」
オズは、慌てて机の下に顔を突っ込んだ。
「退屈なんだ。肉をくれ。約束しただろ」
「約束は昼だ。まだ一時間目だぞ」
「待てない。今すぐ食いたい」
「我慢しろ。ほら、飴でも舐めてろ」
オズは、ポケットから飴を取り出して、アリスに渡した。
「飴などいらない。肉が食べたい」
「わがまま言うな。ほら、これ、うまいぞ。ブドウ味だ」
「……ブドウ味なら、まあ、許す」
アリスは、渋々といった様子で、飴をくわえた。
「……オズ。お前の机の下に、何かいるのか?」
教師が、じっとオズを見ている。
「え? あー、いや、何もいませんよ。ただの腹話術です。ははは」
「腹話術? お前、そんな特技があったのか」
「最近、覚えたんですよ。暇つぶしに」
オズは、笑顔で誤魔化した。
「……そうか。まあ、授業中はやめろ」
教師は、半信半疑の表情で、授業を再開した。
オズは、机の下で、こっそりと安堵の息をついた。
(あー、心臓に悪い……)
その時、隣の席から、ギルバートの冷たい視線が飛んできた。
「オズ、あとで覚えておけよ」
「ごめんって、ギル。今度、何か奢るから」
「奢るで済む問題か、これは」
「じゃあ、二回奢る」
「……三回だ」
「交渉成立」
オズは、ギルバートに向かって、いたずらっぽく笑った。
昼休み。
オズとギルバートとアリスは、学園の購買「ミルクホール」に来ていた。
ミルクホールは、学園内にある小さな売店で、名物の肉まんは、生徒たちに絶大な人気を誇っている。昼休みになると、長い行列ができることでも有名だ。
「肉まんの匂いがする! あれだ! あの白いふわふわしたやつだ!」
アリスは、オズの肩の上で、興奮したように跳ねた。
「はいはい、わかってるから、おとなしくしてろよ」
オズは、行列に並びながら、アリスをなだめた。
「早くしろ。私は今、肉まんのことしか考えられない」
「おまえ、朝にあれだけ食ったのに、もう腹減ってるのかよ」
「あれは朝食だ。これは昼食だ。別腹だ」
「うさぎに別腹ってあるのかよ」
「うさぎじゃないと言っているだろ!」
「はいはい、うさぎじゃないうさぎじゃない」
「今、二回言ったな。わざとだな」
「さあ、どうかな」
オズとアリスのやり取りを、ギルバートが呆れた顔で見ている。
「……お前ら、本当に仲良くなったな。たった三日で」
「そうか? 別に普通だろ」
「普通ではない。私はおまえの所有者で、おまえは私の所有物だ。仲良しなどではない」
「はいはい、そうだな」
「その笑い方が気に入らない」
「ごめんごめん」
ようやく、オズたちの番が回ってきた。
「すみません、肉まんください!」
「肉まんを全部寄越せ!」
オズの肩から、アリスが身を乗り出して、店主に叫んだ。
「……え?」
店主が、きょとんとした顔で、アリスを見た。
「聞こえなかったか? 肉まんを全部寄越せと言ったんだ。蒸し器の中の、白いふわふわしたやつを、全部だ」
「おい、アリス! 全部はダメだろ! 他の生徒の分がなくなる!」
オズは、慌ててアリスを肩から引きはがした。
「なぜダメなんだ。私は今、成長期なんだ。たくさん食べないと、大きくなれない」
「うさぎの成長期って何だよ……いや、そもそもおまえ、ぬいぐるみだろ。成長しないだろ」
「成長する。心は成長する。だから、肉まんが必要なんだ」
「理屈がめちゃくちゃだな」
オズは笑いながら、店主に向き直った。
「すみません、肉まんを……えっと、三個ください」
「三個では足りない! 全部だと言っているだろ!」
「お前、一個で十分だろ。朝にあれだけ食ったんだから」
「足りない! 私の食欲を甘く見るな!」
「じゃあ、二個な。三個は俺とギルの分」
「三個寄越せ。おまえとワカメは、パンでも食っていろ」
「誰がワカメだ。それに、俺は肉まんを楽しみにしていたんだ」
「ワカメは海藻でも食っていろ。おまえにはワカメが似合う」
「俺はワカメじゃない。ギルバートだ。いい加減、名前で呼べ」
「ワカメはワカメだ。見た目がワカメだ」
「どこがワカメなんだ。黒髪だからか? それなら、お前も黒いだろ」
「私は黒うさぎだ。ワカメではない」
「二人とも、肉まんが冷めるから、とりあえず買うぞ」
オズは、笑いながら、店主に肉まんを三個注文した。
「……あの、すみません」
店主が、おずおずと口を開いた。
「はい、なんでしょう?」
「その、肩に乗ってる、うさぎのぬいぐるみ……今、喋りませんでしたか?」
店主の顔は、少し青ざめていた。
「あー、これはですね、最新型の腹話術人形なんですよ。ほら、最近、そういうの流行ってるじゃないですか」
「人形ではない。私はアリスだ」
「おい、黙ってろって」
「黙らない。人形扱いされるのは我慢ならない」
「ははは、高性能でしょ? お客さんを楽しませるために、色々喋るんですよ」
オズは、笑顔で誤魔化した。
「……は、はあ。そうなんですか」
店主は、まだ半信半疑の表情だったが、とりあえず肉まんを包んでくれた。
「ありがとうございます!」
オズは、肉まんを受け取ると、そそくさとその場を離れた。
「おい、所有物。私の肉まんはどれだ」
「ほら、これ。一個な」
オズは、アリスに肉まんを一個渡した。
「二個寄越せと言っただろ」
「一個で十分だ。ほら、うまいぞ。熱いうちに食え」
「……わかった。今日は一個で許してやる。その代わり、明日は三個だ」
「交渉成立」
アリスは、肉まんを前足で抱えると、むしゃむしゃと食べ始めた。
「うまい! この白いふわふわは、なかなかやるな!」
「だろ? ここの肉まんは、学園で一番人気なんだぜ」
「明日は三個だ。いや、五個だ」
「どんどん増えてくな」
「うまいものは、たくさん食べるのが礼儀だ」
「礼儀なのか、それは」
オズは、笑いながら、自分の肉まんをかじった。
その時だった。
「あらあら、まあ。面白そうなことになっているわね」
鈴を転がすような、やわらかな声が聞こえた。
オズが振り返ると、そこには、栗色のゆるふわ巻きロングヘアを風に揺らした少女が立っていた。薄紫の瞳が、三日月型に細められて、オズとアリスを見つめている。
「シャロン!」
オズの声が、思わず弾んだ。
シャロン=レインズワース。オズの幼なじみで、レインズワース家の令嬢だ。三代前からベザリウス家と交流がある、由緒正しい語り部の家系の出身でもある。
「ごきげんよう、オズ様。それから、ギルバート様も」
「……どうも、ごきげんよう」
ギルバートが、わずかに身を固くして、丁寧に挨拶を返した。
「それで、オズ様。その肩に乗っている、かわいいうさぎさんは、どちらの方かしら?」
シャロンが、興味津々といった様子で、アリスを見つめた。
「ああ、こいつはアリス。俺の……まあ、なんだ、同居人みたいなもんだ」
「同居人ではない。私はおまえの所有者だ」
「はいはい、所有者な」
「その笑い方が気に入らないと、さっきも言っただろ」
「ごめんごめん」
「まあ、アリスさんとおっしゃるのね。はじめまして。私はシャロン=レインズワース。オズ様の幼なじみで、ラトウィッジ学園の二年生ですのよ」
シャロンは、にこやかに微笑みながら、アリスに話しかけた。
「……おまえ、何者だ」
アリスの声が、急に低くなった。
「何者と言われましても、ただの令嬢ですわ。レインズワース家の一人娘で、オズ様とは、小さい頃から一緒に遊んでいた仲ですの」
「そうではない。おまえからは、何か、変な気配がする」
アリスは、オズの肩の上で、全身の毛を逆立てた。
「アリス、どうした? シャロンは、俺の友達だぞ」
「知っている。おまえの友達だからと言って、私が気に入るとは限らない」
「おいおい、失礼なやつだなあ」
「ふふっ、構いませんわ。アリスさんは、とても正直な方ですのね。私は、そういう方、嫌いではありませんわ」
シャロンは、まったく気にした様子もなく、にこにこと笑っている。
「それにしても、本当にかわいいうさぎさんですわね。触ってもよろしくて?」
シャロンが、アリスに手を伸ばした。
「触るな!」
アリスは、オズの肩から飛び降りると、オズの影に隠れた。
「アリス?」
「……あの女、笑顔が怖い」
アリスは、オズの足の後ろから、シャロンをじっと睨みつけた。
「あらあら、怖がられてしまいましたわ。残念ですわね。私は、アリスさんとお友達になりたかったのに」
シャロンは、困ったように微笑んだ。
「ごめんな、シャロン。こいつ、人見知りなんだよ。いや、うさぎ見知りか?」
「人見知りではない。あの女が、何か、変なんだ」
「変って、どこが?」
「わからない。でも、あの笑顔の裏に、何か、別のものが見える」
「別のもの?」
「……とにかく、私はあの女が苦手だ」
アリスは、オズの足にしがみついた。
「はいはい、わかったよ。ほら、そんなに警戒しなくても、シャロンはいいやつだぜ」
オズは、アリスを抱き上げた。
「そう言っていただけると、嬉しいですわ。オズ様」
シャロンは、にこりと微笑んだ。
その時、シャロンの後ろから、ひょっこりと人影が現れた。
「おやおや、これはこれは。面白いお客様ですね」
銀色がかった白髪を後ろで束ねた、長身の男だった。前髪が左目を隠していて、右目は赤紫色。口元には、いつものように、飴がくわえられている。
「ブレイク!」
ブレイク。シャロンの使用人で、代々レインズワース家に仕える家系の出だ。二十四歳。飄々とした掴みどころのない性格で、常に飴を噛んでいる。
「ごきげんよう、坊ちゃん。それから、ナイトレイ君も。今日も坊ちゃんは、面白いものを連れていますな」
ブレイクは、オズの腕の中のアリスを見て、にやりと笑った。
「ピエロ。何を笑っている」
アリスが、ブレイクを睨みつけた。
「ピエロとは、これはまた、手厳しいお言葉。私のような善良な使用人を捕まえて、ピエロ呼ばわりとは、なかなか面白いお客様ですな」
ブレイクは、まったく気にした様子もなく、飴をガリガリと噛み砕いた。
「善良な使用人? 笑わせるな。おまえからは、もっと嫌な気配がする」
「ほう、私から、嫌な気配が? それは心外ですな。私は、お嬢様に仕える、ただの忠実な下僕ですのに」
「その笑い方が、気に入らない」
「笑い方ですか。これは、私の生まれつきの顔ですな。どうか、お許しください」
ブレイクは、わざとらしく肩をすくめた。
「ブレイク、アリスに嫌われてるぞ」
「ええ、どうやら、そのようですな。残念です。私は、かわいいお客様には、好かれたいと思っているのですが」
「かわいいお客様? 私は客ではない。おまえたちの方が、私の所有物の周りをうろつく、不審者だ」
「所有物……ああ、坊ちゃんのことですな。なるほど、坊ちゃんは、このうさぎさんの所有物になったと」
「まあ、そんな感じだな」
「坊ちゃんも、なかなか面白い人生を歩んでいらっしゃる。感心しますな」
「褒められてる気がしないんだけど」
「褒めていますとも。心から。面白いことは、いいことですからな」
ブレイクは、また飴を口に入れた。
「それでは、オズ様。放課後、少しお時間をいただけますかしら?」
シャロンが、オズを見上げて言った。
「放課後? いいけど、何か用事?」
「ええ、少し、お話したいことがありますの。二人きりで」
シャロンの薄紫の瞳が、真っ直ぐにオズを見つめた。
「二人きり!?」
オズの声が、裏返った。
「ふふっ、そんなに驚かなくても。ただのお話ですわ。屋上でお待ちしていますわね」
シャロンは、そう言い残すと、優雅に身を翻して去っていった。
「坊ちゃん、放課後が楽しみですな」
ブレイクが、含み笑いをしながら、オズの肩をぽんと叩いた。
「うるさいな。別に、楽しみとかじゃないし」
「おや、そうですか。顔が赤いですよ」
「赤くない!」
「そうですか。私の見間違いですかな」
ブレイクは、にやにや笑いながら、シャロンの後を追った。
「おい、所有物。あの笑顔の女と、二人きりで何を話すつもりだ」
アリスが、オズの腕の中で、不機嫌そうに言った。
「さあ? 何だろ。昔話とかじゃないか?」
「嘘をつくな。おまえ、今、顔が赤かったぞ」
「赤くない!」
「赤かった。私の目は節穴ではない」
「気のせいだよ。ほら、肉まん、冷めるぞ」
「……誤魔化すな」
アリスは、オズの腕に噛みついた。
「いてっ! 痛いって、おまえ!」
「私の所有物が、他の女と二人きりになるのは、面白くない」
「なんだ、それ。嫉妬か?」
「違う! 所有物の管理は、所有者の責務だ!」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
オズは、笑いながら、アリスの頭を撫でた。
「撫でるな!」
アリスは、顔を背けた。でも、噛みつく力は、少しだけ弱くなっていた。
放課後。
オズは、シャロンに言われた通り、屋上に来ていた。
屋上は、普段は立ち入り禁止だが、シャロンは、レインズワース家の令嬢という立場を使って、特別に鍵を借りたらしい。
「お待ちしていましたわ、オズ様」
シャロンが、屋上のフェンスにもたれかかって、オズを待っていた。夕日に照らされた栗色の髪が、金色に輝いている。
「よう、シャロン。待ったか?」
「いいえ、今来たところですわ」
シャロンは、にこりと微笑んだ。
オズは、シャロンの隣に立って、フェンスに手をかけた。
眼下には、ルーメンフィールドの街並みが広がっている。赤レンガの建物、緑豊かな公園、遠くには、ルーメン川の水面が、夕日を反射して、きらきらと輝いていた。
「いい景色だな。ここ、初めて来たよ」
「そうでしょう。私のお気に入りの場所ですの。たまに、こうして一人で来ては、ぼんやりと景色を眺めているんですのよ」
「へえ、お嬢様も、そういうことするんだな」
「お嬢様だからこそ、ですわ。人目を気にせず、一人になれる場所は、貴重ですもの」
シャロンは、遠くを見つめながら、静かに言った。
オズは、シャロンの横顔を、ちらりと見た。
(こいつ、こういう顔もするんだな)
普段は、おっとりと笑っていることの多いシャロンだが、今は、どこか真剣な表情をしている。
「オズ様。単刀直入に申し上げますわ」
シャロンが、オズに向き直った。
「お、おう。なんだよ、改まって」
「あのうさぎさん、ただのぬいぐるみじゃないわ。物語の残滓——それも、かなり強い想いを宿した存在よ」
シャロンの薄紫の瞳が、真っ直ぐにオズを見つめた。
「……物語の、残滓?」
「ええ。この世界には、強い想いを込めて語られた物語が、実体化することがありますの。そうして生まれた存在を、私達は『物語の残滓』と呼んでいます。あなたの家系であるベザリウス家も、代々、そういった存在と関わってきた語り部の家系ですわ」
シャロンの声は、いつものおっとりとした調子ではなく、真剣そのものだった。
「私は、幼い頃から、残響魔法の素養があって、物語の残滓と対話することができますの。だから、あのうさぎさNoveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。