最弱評価士の無限査定
ユシィは帝国魔法学院の入学試験で、自身の能力「査定」を披露した――対象の強さや価値を数値化するだけの平凡なスキルだ。試験官たちは笑った。「戦闘には役に立たない」と。
七年後、魔法騎士団は彼女の能力を「最弱評価」と評し、辺境の警備隊へと追放する。辺境はモンスターが徘徊し、盗賊団がわずかな集落を脅かす荒れ地だった。
しかしユシィは真実を知る。彼女の能力は「査定」ではなく、「無限分解」だったのだ。すべてが彼女の操作できるパラメーターである。敵の魔力をゼロにし、武器の硬度を百倍にし、モンスターの知能を抑え、森の成長を加速させることもできる。ユシィは笑い始める。そして――彼女の暴走が始まった。
盗賊団は一瞬で崩れ、モンスターの巣は彼女の前に崩壊する。辺境の町は急速に繁栄し、首都からの視察団も注目するようになる。「最弱」の烙印はすでに過去のものとなった。
だが、影から観察者が現れる。隠された組織「数字の堕落者」――彼女と同じ能力を持つ者たちだ。そしてユシィはまだ知らない、この世界全体が誰かの「査定」によって動いているという真実を。
辺境で咲く少女の力は、やがて帝国の礎を揺るがすだろう。
最弱評価士の無限査定 - 笑顔の査定値
グレンツァーの朝は、いつもより静かだった。
木柵に残った爪痕が、昨夜まで確かに戦闘があったことを語っている。詰所の外壁には、乾いた血の染みが二箇所。ユーティエ・シルヴァニス——帝国の辺境警察として、この地に左遷された、E級査定師——は、早朝に廃水車小屋から戻ったばかりだった。
【《査定》——廃水車小屋・木製車輪素材強度スキャン】
【対象:重量値書き換え練習——現在成功率61%、安定化係数:未到達】
手帳に数値を書き留めながら、ユーティエは詰所の縁側に腰を下ろした。早朝の冷気が、まだ指先を冷やしている。《無限分解》——本人がひそかにそう呼ぶ、自分の能力の真の姿——は、確かに成長している。牛車の車輪の重量値を書き換える、木柵の素材強度を均一に保つ、そういった局所的な操作なら、今のユーティエでも安定してできる。
ただし、限界も分かってきた。
数値を「読む」だけでなく「書き換える」というのは、消耗が桁違いに大きい。昨夜のゴランとの戦闘で刀の重量値を段階的に書き換えた時、意識の縁が薄くなる感覚があった。世界全体の数値構造に干渉するとなれば——自分の体がどうなるかは、まだ分からない。
(記録しておく。現在の到達点:局所的な物体の重量・強度値の書き換えは安定。生命値への干渉は不可。対象が大きいほど消耗が増大する。上限不明)
手帳を閉じた時、窓の向こうからダリオ・ヘルベックの声が聞こえた。
「ニーラ、昨夜の負傷者はどうだ」
「全員、今朝までに峠を越えました。包帯の巻き替えだけ午後にもう一度します」
淡い緑の長髪を一本に束ねたニーラ・ヴォルトが、道具袋を抱えて詰所の角を曲がってくる。腕に並ぶやけど痕は、昨夜の処置の跡でさらに一本増えていた。黄金色の瞳がユーティエを見て、少し止まってから、逸れた。
「……おはようございます」
「おはようございます」
それだけだった。二人の間には、まだどこかぎこちない距離がある。Arc1の戦闘を通じて、隣に立つことは覚えた。でも「信頼」と「慣れ」は、まだ別物だ。ユーティエにはそれが分かった——ニーラの視線が、自分の能力の使い方をどこか測っているような角度になることが、たまにある。
ダリオが縁側に出てきた。182cmの体躯に朝の光が落ちる。グレーが混じる黒髪、鋭い青灰色の瞳、左頬の古傷。腕当ての紋章刺繍——かつて灰翼旅団、つまり帝国魔法騎士団第三師団として南部辺境紛争を戦い抜き、戦後の政治的内紛で解体された精鋭部隊——の証が、朝日を受けて静かに光っていた。
「報告書は書いたか」
「昨夜のうちに」
「早い」
「習慣です」
ダリオが短く頷いた。それ以上は言わない。この男との会話は、いつもそうだ。必要なことだけ言って、必要でない分は空気に返す。それがユーティエにとっては、妙に楽だった——感情を測られる必要がない。
グレンツァーの住民たちが、ゆっくりと朝の動きを始めていた。木柵の修繕に出た男が二人、爪痕の深さを確かめながら板材を当てている。煤灯亭——この町唯一の宿場兼酒場で、元帝国軍の炊事兵だったヴェーラ・ムントが切り盛りする場所——から、樹海鹿の燻製を焼く匂いが風に乗ってきた。
束の間の平穏、という言葉がユーティエの頭をよぎった。ゴランは撤退した。赤鉈衆はまだ捕縛されていない。この静けさが、いつまで続くかは分からない。
——そこへ、轍の音が聞こえた。
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正午を少し前に、グレンツァーの入り口から馬車が姿を現した。
一台ではない。二台でもない。三台、整然と並んで、石畳の上を滑るように進んでくる。
【《査定》——来訪馬車群・スキャン開始】
【馬車素材:帝都フェルゲシュタット標準規格の黒塗り外装——辺境規格との差異:顕著】
【乗員数:推定9名——装備有、動き統制済み】
黒塗りの馬車だった。帝都の紋章——双頭の鷲が羽を広げた意匠——が、扉の横に金で彫られている。それだけで、グレンツァーの住民たちがざわつき始めた。帝都の紋章付きの馬車など、この地では年に一度も来ない。
馬車が詰所の前で止まった。
乗降口の扉が、内側から静かに開いた。
最初に降りてきたのは、二十代後半と思われる男だった。
端整な顔立ち。帝都仕立ての灰色の外套が、朝の光の中でも皺一つない。髪は明るい栗色で、きっちりと整えられている。靴が石畳を踏む音が、静かすぎた——重さを感じさせない、訓練された歩き方だ。そして笑顔。笑顔が、まず目に入った。
完璧な笑顔だった。
社交の場で磨かれた、どこまでも礼儀正しい、破綻のない笑顔。
続いて馬車から降りた部下が八名。全員が同じ灰色の外套。動きに一切の無駄がなく、それぞれが荷物の位置を確認しながらも、団長の左右二歩後ろという陣形を崩さない。まるで呼吸まで合わせているような、統制された動きだった。
男がダリオの前に進んだ。
「お初にお目にかかります。カルヴェン・ノルトフと申します。帝国よりの調査団を率いてまいりました」
声が、柔らかかった。威圧しない。圧力をかけない。でも、確実に相手の上に立つ声のトーン。
「辺境での地味なご活躍、拝察いたします」
ダリオは一秒、無言でノルトフを見た。
(……嫌いだ)
根拠を説明しろと言われれば困る。でも、三十年近く戦場を歩いた直感が、今この瞬間に明確に告げている。この男の笑顔には、底がない。笑顔の下に何があるかが——分からない。それが問題だ。底が見えない相手ほど、ダリオは用心する。
「ダリオ・ヘルベック。管区長だ。調査団、ということは——本部からの使者か」
「ご説明は追って。まずは荷物を。詰所をお借りできますか」
ユーティエはこの会話を三歩後ろで聞きながら、《査定》を静かに発動させていた。
【《査定》——カルヴェン・ノルトフ・誠実値スキャン】
【……】
【誠実値:12/100】
(……)
ユーティエは表情を変えなかった。表情を変えない訓練なら、七年かけて積んである。でも、内側では一瞬だけ、思考が止まった。
12。
100点満点で、12。赤鉈衆の構成員の平均より低い数値だ。どこがどう嘘なのかは、《査定》からは読み取れない。誠実値は「嘘か本当か」を判定するのではなく、「全体としてどれだけ正直か」を返す——その12が、何を意味するのかは、まだ分からない。
だが、嘘であることは確実だった。
【《査定》——調査団構成員8名・スキャン】
【誠実値:平均44/100——訓練された者の標準範囲内】
【特記:全員の動きに椹牙院の規定動作パターンが見られる——登録データなし、ただし動作の統一性が極めて高い】
「椹牙院」——この名前を、ユーティエは昨夜のゴランの言葉から知っている。帝国の公式台帳には存在しない組織。ゴランは「表の秩序の外で動く情報収集機関」と言った。調査団、という肩書きの下に、何が隠れているのか——《査定》のデータが、その輪郭を示し始めていた。
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調査団が詰所に入り、荷物を広げ始めた頃から、グレンツァーは奇妙な空気に包まれた。
部下たちが機材を運び込む。測定器具らしき金属製の筒。分厚い台帳。筆記具と羊皮紙の束。それぞれが手際よく、でも無言で作業を進める様子は、見ていてどこか不気味だった。
その混乱の中で事件は起きた。
ニーラが診療所から処置を終えて戻ってきたタイミングで、ノルトフが振り返った。
「ヴォルトさんですね。医療担当の方とお聞きしています。ご挨拶を」
手を差し出した。帝都式の挨拶——握手だ。
ニーラは一瞬、固まった。
ちょうどさっきまで、鎮魂草——傷薬の主原料で、一束が銀貨二枚になる薬草——の葉を生薬に加工する作業をしていた。両手が、濃緑の薬草汁でべったりと染まっていた。親指から小指の先まで、隈なく。
断ればよかった。「手が汚れているので」と言えばよかった。
でも、ノルトフが手を差し出すのと、ニーラが反射的に握り返すのが、ほぼ同時だった。
ノルトフの白い手袋に、濃緑の染みが広がった。
二人は、互いに手を見た。
互いに目を逸らした。
三秒間の完全な沈黙が、詰所の入り口に降りた。
ノルトフは笑顔を崩さなかった。
「……いえ、薬草の香りは好きですよ」
ニーラの顔が、じわじわと赤くなった。
「[whispers]……洗えば落ちます、たぶん」
「たぶん」のところが小声だった。ノルトフも何も言わなかった。ダリオは遠くからそれを見て、口の端を一ミリだけ動かした。ユーティエは視線を羊皮紙の束に戻しながら、内心で思った。
(「たぶん」——正直な数値だ)
その後、その話題は二人の間で永遠に封印されることになった。
翌朝になった。
ダリオが、ノルトフに声をかけた。
「辺境では朝の訓練が礼儀でな」
「素晴らしい習慣ですね」
「組手をするか」
ノルトフが笑顔のまま「喜んで」と言った時点で、ユーティエは何が起きるかを正確に予測した。
結果は三十秒で出た。
ダリオが全力でノルトフを地面に叩きつけた。詰所の前の土の上に、帝都仕立ての外套が背中から落ちる音がした。部下たちが「団長!」と走り寄ろうとするのを、ノルトフが手で制した。
ゆっくりと、ノルトフが立ち上がった。
笑顔は崩れていなかった。
「[sarcastic]……辺境の礼儀は、熱烈ですね」
「手が滑った」
一言だった。ダリオは悪びれる様子もなく剣帯を締め直した。ユーティエはこのやりとりを詰所の窓から眺めながら、反射的に《査定》を走らせていた。
【《査定》——カルヴェン・ノルトフ・誠実値再スキャン(叩きつけられた直後)】
【誠実値:11/100】
一下がった。叩きつけられた直後で、一だけ下がった。笑顔は完璧だった。でも数値は、わずかにぶれていた。
ユーティエはその事実を手帳には書かなかった。頭の中にだけ、刻んだ。
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夕刻、混乱が一段落した頃。
詰所の外、木柵の修繕が終わった跡に夕日が当たっている。ユーティエが板材の強度値を確認のため《査定》でスキャンしていると——背後に、足音が来た。
「シルヴァニスさん」
振り返ると、ノルトフが立っていた。部下は連れていない。単独だった。
夕日を横から受けて、端整な顔立ちが陰になっている。笑顔は続いている。でも、この角度から見ると——目が、笑っていないことが分かった。
「少しよろしいですか。世間話程度ですが」
ユーティエは頷いた。数値を確認する余裕はあった。
【《査定》——カルヴェン・ノルトフ・誠実値——リアルタイム監視中】
【現在値:12/100——変動なし】
「E級の査定師が、ここまでの功績を上げるとは」
声は穏やかだった。責めているわけでも、褒めているわけでもない。ただ事実を確認している、という口調だった。
その時、ノルトフの視線がほんの一瞬だけ、修繕された木柵に向いた。
ユーティエは、それを見逃さなかった。
木柵の素材強度値を、《無限分解》で均一に整えた跡——本来、木材の強度は場所によって微妙に異なる。でもユーティエが一度走らせた後の木柵は、全ての板が同じ強度値を示している。自然には起こり得ない均一性だ。
ノルトフの視線が、その不自然な均一性を一瞬で捕捉した。
(……見た)
ユーティエの中で、警戒レベルが静かに引き上げられた。表情には出さない。出さない訓練は、七年積んできた。
「明日、改めてお話があります」
それだけ言って、ノルトフは詰所へ戻っていった。足音が、相変わらず静かだった。
ユーティエは木柵の前で、夕日が樹海の向こうに沈むのをしばらく見ていた。
E級の査定師がここまでの功績を——その言葉の内側に、何かある。「E級」という評価に言及したこと自体が、意図的だ。帝国魔法学園の入学式で「査定・E級」の登録証を晒した時、周囲が笑った。能力登録令——国民は七歳時に能力を帝国に届け出る義務があり、虚偽申告は懲役五年——によって記録されたE級という評価は、ユーティエの生涯を決定づけた。辺境警察への左遷、月給金貨六枚、最低限の装備。全部、その評価が起点になっている。
ノルトフはその「E級」をあえて口にした。情報として持っているのは当然だ。でも——わざわざ言ったことの意味が、引っかかった。
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夜。全員が寝静まった後。
ユーティエは詰所の窓際で手帳を開いた。ランプの光が、手書きの文字を照らす。シュヴァルツ樹海から流れ込む霧が、木柵の向こうで白く揺れている。
ここ数話で手帳に書いてきた記録を、改めて確認した。
牙顎獣の筋力値を書き換えた時の消耗量。霧纏蟲三百体を処理した時の意識の薄れ方。ゴランの刀の重量値を段階的に引き上げた時の分割処理の効率。命の数値には介入できなかった、という一行。
《無限分解》は、確かに「書き換え」ができる。
でも、書き換える前の数値は——誰が設定したのか。
牛車の車輪の重量は、素材と形状から計算できる。牙顎獣の筋力値は、体重と筋肉量の構造から導き出せる。でも、ユーティエが《査定》で見る数値は、そういった物理的な計算の結果ではない。そこにある、最初からそこにある数値として——見えている。
その数値を最初に「書いた」のは誰なのか。
椹牙院——帝国の公式台帳には載らない組織——が、世界の数値構造に何らかの形で関与しているとしたら。百八十年前に設立され、世界の数値を管理・操作してきたとしたら。
ノルトフが木柵の均一性を一瞬で見抜いた、あの視線の鋭さ。
誠実値12という、底知れない数値。
「明日、改めてお話があります」——その言葉の向こうに、何があるのか。
ユーティエは手帳の新しいページを開いた。
ペンを持って、一行だけ書いた。
「この世界の数値は、誰が最初に書いたのか」
書き終えて、ランプの光に透かした。問いだけがある。答えはない。今のユーティエに分かっていることは——ノルトフの誠実値が12だということだけだ。どこがどう嘘なのかが分からないまま、明日の朝が来る。
動けない。
嘘の正体を掴むまで——動けない。
手帳を閉じて、窓の外を見た。霧が、木柵を静かに飲み込んでいく。ランプの火が、わずかに揺れた。