石の世界のもう一人のキミへ
石の眠り三千七百年。科学によって世界はリセットされた。
千空は人類を蘇らせた。しかし、その戦いのどこかで彼は気づいた。ずっと自分のそばにいた、ちゃんと向き合ったことのない誰かがいることに。
彼女の名はヨミ。
文明が崩壊する前、ヨミは千空と同じ研究所で働いていた。彼より少し年上で、彼のノートよりもさらに乱雑な実験ノートを持っていた。二人は何年も並んで研究を続けてきた。しかし千空の頭の中は科学の夢とある少女でいっぱいで、ヨミのことはただの「研究パートナー」としか思っていなかった。
ヨミもまた石化した。しかし彼女が目を覚ましたのは別の時だった。目を開けると、すでに科学王国は動き出し、千空は周囲の人々に崇拝される伝説となっていた。
遠くからその輝きを見つめ、ヨミはつぶやいた。「嫉妬なんてしない。ちっとも。全然。」もちろん、彼女は絶対に嫉妬していた。
しかしヨミには千空にないものがあった。それは病理学の知識だ。彼女は人を見れば体の中の異変を大まかに見抜くことができた。石化病や栄養失調で倒れる人々を見過ごせず、彼女は村から村へと一人で助け歩いていた。
その噂が千空の耳に届くと、彼はす
石の世界のもう一人のキミへ - 兄貴の隣は俺の場所っす——メドゥーサと熱病と涙の夜
ミズホ村の入り口で、千空は村人に軽く手を上げた。
カントウ大森林の奥地に点在する集落のひとつだ。木々の間から差し込む昼の光が、素朴な木造の家々を照らしている。再会から十日。ヨミと二人で村を回るペースも、今ではすっかり体に馴染んでいた。
「お、またビョウリ士の先生が来てくれた」
「[serious]今回は二人だ。俺も一緒に来た」
村人が千空を見て、また千空のそばに立つヨミを見た。ヨミは深い紫のロングヘアをゆるく束ねたまま、無言でペンとノートを確認している。目尻の小さなほくろ、琥珀色の瞳。表情は冷静だが、どこか疲れた色が滲んでいた。
「どこかの科学王国の人ですか?」
「[serious]そうだ」
「いいえ、私は独立した——」
「「両方」」
声が重なって、二人同時に黙った。ヨミが軽く目を逸らす。千空は前髪の赤いメッシュをかき上げて、何事もなかった顔でそのまま村の奥へ歩こうとした。
——その瞬間だった。
「[excited]兄貴いいいいいい!!!!」
村の奥から、雄叫びとともに白銀色の短髪が爆速で飛んできた。顔に小さな火傷跡、金色の瞳がキラキラどころか爆発していた。千空の体に真正面からぶつかってくる。
ドカッ。
千空がよろめいた。ヨミが半歩引く。
「[surprised]お、おい——!?」
「[excited]マジすっか!! 本物の兄貴だ!! 僕、ずっと会いたかったっすよ!!」
少年——カゼル・ヴァルジュ、十七歳——は千空の腕にぶら下がりながら、息継ぎなしでまくし立てた。
「[excited]兄貴の科学動画、村の長老が石板に書き写した記録があって、それ全部読んだっすよ! で、廃材で実験器具を自作して、ナイタール液の希釈も独学でやって、こないだ初めてガラスを作ったっす! めちゃくちゃ不純物まみれだったけど!」
千空の目が、すっと変わった。
エメラルドグリーンの瞳が、じわじわと光を取り戻していく。
「[surprised]……お前、廃材で器具を作って独学でガラスを?」
「[excited]っすよ!! 失敗も百回くらいしたけど!!」
千空の口元が、ほころんだ。
「[laughing]100億パーセント面白い奴だ」
嬉しそうに笑った。本当に、心から嬉しそうに。
ヨミはその笑顔を見た。
一瞬、動きが止まった。千空がコハクの無線に反応したあの朝と同じだった。胸の奥で何かがぎゅっとなって、すぐに目を逸らした。
「[excited]あと、兄貴の隣は僕の場所っすよ!」
カゼルが千空の横にぴたりとくっついた。それからヨミをちらっと見る。
「[surprised]ビョウリ士? よくわかんないっすけど、科学が一番っすよね兄貴! 一緒に実験しましょうよ!」
悪意は欠片もなかった。それが余計に刺さった。
ヨミは怒る気にもなれず、唇を小さく結んで黙った。
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村長の家は村の中心にあった。白髪の老人が、千空たちを中に招き入れながら言った。
「実は……森の奥で、妙なものが見つかったんです」
「[serious]妙なもの?」
「手のひらくらいの大きさで、石みたいに固くて、触ると表面がきらきらして……光るんですよ。あれを見てから、近くにいた猟師の肌が少しひび割れて」
千空の目が燃え上がった。
村長の言葉を最後まで聞く前に、千空の頭の中でパズルのピースが音を立てて並び始めていた。手のひらサイズ。表面が光る。接触後に石化様の症状。
メドゥーサだ。
石化光線——三七〇〇年前に全人類を石にした謎の装置の欠片。それが現物として、この村の近くに存在している。
「[excited]場所はどこだ。今すぐ案内しろ、俺が——」
「[excited]僕、知ってるっすよ!! 案内します兄貴!!」
カゼルが飛び上がった。千空とカゼルが顔を見合わせる。二人でそのまま扉に向かって歩き出した。
千空が扉の前でヨミを振り返った。
「[serious]村の患者、頼んだ」
それだけ言った。信頼の言葉だった——千空にとっては。
ヨミには、お前はここで待ってろ、に聞こえた。
千空とカゼルが並んで歩きながら、もう実験の話を始めていた。カゼルが何か言う。千空が答える。二人の後ろ姿が、森の方へ遠ざかっていく。
私がいなくても、あの子がいれば。研究パートナーなんて、どうとでも埋まる——
その考えが頭をよぎるのを、ヨミは止められなかった。
「[cold]……行きましょう」
誰に言うでもなく、村長に向かって診察道具を広げた。
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村の患者を回ると、状況はすぐに悪い方向に転んだ。
イシヤミ患者が九名。そこまではまだ想定の範囲だった。問題はその先だ。
高熱で倒れている患者が五名、別にいる。皮膚のひび割れも関節の固まりもない。ただ体が燃えるように熱くて、水を飲んでも吐いてしまう。
イシヤミとは症状が全然違う。
ヨミが知っている病原体のパターンに当てはまらない。石化後の世界で変異した菌か、それとも全く別の何かか、判断がつかないまま、ヨミは隔離・冷却・水分補給という保存的処置を組み立てていった。
「先生、これだけいたら一人じゃ無理じゃないですか……」
「[cold]大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「[cold]大丈夫だと言っています」
夕方になっても、千空とカゼルは帰ってこなかった。
ヨミが薬草を石臼で挽いていると、村の小さな子供が近寄ってきた。
「ビョウリ士のお姉さん……」
「何ですか」
「顔が怖い。なんか怖い」
そのままめそめそ泣き出した。
ヨミはしばらく固まってから、石臼の手を止めて、その子の目線に合わせてしゃがんだ。頬を少しだけ緩めた。
「[gentle]ごめん。怖くないよ」
子供がすんすん鼻を鳴らして、ゆっくり笑った。
ヨミが立ち上がる。顔が、また元に戻った。石臼に向かう手つきに、疲労が滲んでいた。
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夜になった。
千空とカゼルが戻ってきたのは、村に明かりが灯り始めた頃だった。
「[excited]聞けよヨミ! メドゥーサの欠片、表面の結晶構造が石化光線の生成物と一致する可能性がある!! これは分析が必要だ、今すぐ——」
千空がまくし立てながら実験器具を広げようとした。
その時、ヨミがよろめいた。
疲労と空腹で、足元がふらついた。壁に手をついて、ぎりぎり転倒を免れる。
「[serious]おい」
千空が駆け寄って腕を掴もうとした。
「[angry]来ないで」
手を、振り払った。
「あんたはメドゥーサでも石化光線でも好きなもの追いかけてなさい」
声が震えた。怒りじゃなかった。
「私のことなんか……最初から、眼中になかったくせに」
ヨミの目に、涙が滲んだ。
琥珀色の瞳が揺れている。ずっと閉じ込めていたものが、疲労で剥がれた本音として、溢れ出した。三七〇〇年前から隣にいたのに。石化前に伝えようとして伝えられなかった言葉がある。それなのに、ずっと見てもらえなかった悔しさと悲しみが——今、ここで出てきた。
千空が、固まった。
言い返す言葉が出てこない。「科学的根拠だ」とも「データ収集の効率が」とも言えない。ヨミの声が、いつもと全然違う。怒りじゃない。傷ついた声だと、今はっきりわかった。
「ヨミ、俺は——」
その瞬間。
村の奥から、悲鳴が響いた。
高熱病の患者が痙攣を起こして倒れたのだ。家族が叫ぶ声が夜の空気を切り裂く。
ヨミが袖で目を拭った。千空の言葉を聞かないまま、踵を返して走り出した。千空も後を追う。
家の中は修羅場だった。若い男が床でがくがく震えている。熱は四十度を超えている。ヨミが膝をついて観察しながら、処置を組み立てる。千空が荷物から使えるものを出す。二人がかりでもどうしても原因が特定できない。
「なんの菌か……」
「[serious]データが足りない。症例が少なすぎる」
患者をなんとか落ち着かせた頃には、二人ともぐったりしていた。
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そこに、カゼルが戻ってきた。
「[excited]あの、兄貴……メドゥーサの欠片、もうちょっと近くで見てたら光ったんすよ。で、僕の右手が……ちょっとだけ石になっちゃいました。テヘ」
カゼルが右手を差し出した。
指先から第二関節にかけてが、灰色に石化していた。
誰も喋らなかった。
「テヘ」という音だけが、夜の静寂の中に残った。
千空の眉間にシワが刻まれた。ヨミが額に手を当てた。
「[surprised]……テヘって」
「[serious]笑えねえ」
「だって、思ったより小さかったし、マジすっか! ちょっとだけだし——」
千空はもう何も言わず、荷物のナイタール液の残量を確認した。
石化光線と同じ物質に由来するなら、カゼルの指先の石化はこのまま広がる可能性がある。局所投与なら今の量でギリギリ足りる。でも、それは高熱病患者への対処に使おうとしていた分だ。
カゼルの石化を今すぐ治療するか。
村の患者の原因特定に全力を注ぐか。
どちらかを後回しにすれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
千空が顔を上げた。ヨミを見た。
ヨミはもう千空を見ていなかった。診察道具を、静かに荷物に戻し始めていた。どちらにせよ、自分は後回しだ——その答えが目を見れば分かると、荷物を引き寄せていた。
誰も声に出さなかった。
三人が三方向を向いたまま、夜が止まった。