石の世界のもう一人のキミへ
石の眠り三千七百年。科学によって世界はリセットされた。
千空は人類を蘇らせた。しかし、その戦いのどこかで彼は気づいた。ずっと自分のそばにいた、ちゃんと向き合ったことのない誰かがいることに。
彼女の名はヨミ。
文明が崩壊する前、ヨミは千空と同じ研究所で働いていた。彼より少し年上で、彼のノートよりもさらに乱雑な実験ノートを持っていた。二人は何年も並んで研究を続けてきた。しかし千空の頭の中は科学の夢とある少女でいっぱいで、ヨミのことはただの「研究パートナー」としか思っていなかった。
ヨミもまた石化した。しかし彼女が目を覚ましたのは別の時だった。目を開けると、すでに科学王国は動き出し、千空は周囲の人々に崇拝される伝説となっていた。
遠くからその輝きを見つめ、ヨミはつぶやいた。「嫉妬なんてしない。ちっとも。全然。」もちろん、彼女は絶対に嫉妬していた。
しかしヨミには千空にないものがあった。それは病理学の知識だ。彼女は人を見れば体の中の異変を大まかに見抜くことができた。石化病や栄養失調で倒れる人々を見過ごせず、彼女は村から村へと一人で助け歩いていた。
その噂が千空の耳に届くと、彼はす
石の世界のもう一人のキミへ - 3700年分の千空へ——
焚き火が小さく揺れていた。
村はもう眠っている。カゼルも力尽きて横になった。千空とヨミだけが、焚き火の前に残っていた。
深夜の空気は冷たくて、火の匂いがする。川の音が遠く聞こえる。昼間のあの騒ぎが嘘みたいに、静かだった。
ヨミは膝の上にノートを置いていた。片手で表紙を押さえたまま、炎の方を向いている。
千空がふと、そのノートに目を落とした。
——千空へ——
表紙の右下。几帳面な文字で、そう書いてある。
千空の動きが、止まった。
(どこかで見た)
科学王国のラボに置いてきた千空のノートの最後のページ。あそこに書きかけで止まっていた、同じ書き出し。
「[surprised]……そのノート」
声に出ていた。
ヨミが微かに体を固くした。
「[serious]見ていいか」
手を伸ばした。自然に、反射的に。
その瞬間——ヨミが両腕でノートを胸に抱え込んだ。
「[cold]読まないで」
低い声だった。怒りじゃなかった。怖がっている声だった。
千空が手を止めた。
ヨミの横顔を見る。琥珀色の瞳が、炎を見ている。目尻の小さなほくろ。きつく結んだ口元。ノートを抱える両腕が、かすかに震えていた。
「[serious]なんで」
「……読まれたら」
ヨミが小さく息を吸った。
「もう、逃げられなくなるから」
千空には、その言葉の意味がうまく処理できなかった。でも、何かが胸の中で動いた。科学的に説明できない何かが。
長い沈黙があった。
焚き火が爆ぜる。小さな音。
千空が口を開いた。
「[serious]俺……お前のこと、好きなんじゃないかって思ってる」
ヨミが動きを止めた。
「100億パーセント確信は、ないけど」
千空が続けた。至極真剣な顔で。
「[serious]心拍数が変になる。食欲が落ちる。お前の名前を聞くたびに手が止まる。——これを恋愛感情と定義しないと、他に説明がつかないんだ」
ヨミが千空を見た。
笑いたいのか泣きたいのか、よくわからない顔だった。口元がわずかに動く。何か言おうとした——
「[scared]兄貴いいいいいい!! 土嚢崩れたああああ!!」
森の方から、カゼルの絶叫が夜の空気を切り裂いた。
「[scared]水源からまた石化物質が流れ出てるっす!! マジすっか!!」
千空とヨミが、同時に立ち上がった。
言いかけた言葉が、焚き火の煙と一緒に夜に消えた。
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川の上流は散々だった。
カゼルが応急処置で積んでいた土嚢が崩れて、メドゥーサの欠片を囲っていた囲いが半分開いている。石化物質が川に混じり始めていた。暗い中、三人が水の流れる音を聞きながら走る。
「[serious]石と泥を持ってこい。俺が配合してモルタル状にする」
「[serious]カゼル、右手は使わないで。患者の冷却材料もまだ要る。全部左手で」
「わかったっすよ! ……あ、また右手で持ってた」
「[cold]右手」
「わかってるっす!」
カゼルが左手だけで泥と石を抱えて走る。転びそうになりながら。また右手で荷物を持とうとして、ヨミに一言で止められる。それを繰り返す。
千空が泥と砕いた石を素手で混ぜる。水の量を確認しながら比率を調整する。暗闇の中で手だけが動く。
ヨミが川の流れを見ていた。
「[serious]左側から先に。流量からすると右は後でいい」
「[serious]わかった」
余計なことは何も言わなかった。喧嘩もしなかった。ただ同じ方向を向いて、黙って動いた。
モルタルを隙間に詰める。川の色を確認する。左が止まる。右を塞ぐ。カゼルが「左手だけっすよね! わかってるっす! ——あ」と三回目をやらかした時、ヨミが小さく「……ため息をつく気力もないわね」と呟いた。
「[laughing]成長が見えたと思えばいいだろ」
「[sarcastic]どこが」
カゼルが「えっ、褒め合ってるっすか!?」と言いながら石を運んだ。
夜明け前。川の色が、透明に戻り始めた。
「[excited]やったあああああ!!!」
カゼルが雄叫びを上げた。声が森に響いた。
千空とヨミは無言で、並んで川面を見ていた。
透明な水が、音を立てて流れていく。
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明け方になった。
空が白み始めた頃、村の方から声が聞こえ始めた。子供の声だ。
高熱病で倒れていた村人たちが、次々と目を覚ましていた。熱が下がった。痙攣が止まった。水を飲める。水分が体に入る。
千空とヨミが村の外れの丘に上がった時、イシヤミで泣いていた小さな男の子が、村の中を全力で走り回っていた。元気な足音。笑い声。母親が追いかけている。昨日まであんなに熱を出していたのに。
二人でその光景を、並んで眺めた。
しばらく、誰も喋らなかった。
子供の笑い声が、朝の空気の中に溶けていく。
ヨミが、ゆっくりと膝の上のノートを取り出した。
千空の方へ、そっと差し出した。
「[whispers]読んでいいよ」
声が小さかった。
千空がノートを受け取った。重さがある。ページが増えていた。ヨミが旅の間中、ずっと書いていたんだとわかった。
ゆっくり、ページをめくる。
患者の記録。薬草のメモ。石化後遺症「イシヤミ」の症例と考察。几帳面な文字が並んでいる。千空が思っていたより、ずっと緻密な観察が書かれていた。
そして最後のページ。
そこだけ、少し文字の間隔が違った。
——石になる前に、言いたかった。
あなたの隣で、ずっと並んで研究したかった。
千空がノートを閉じた。
「[serious]俺もだ」
それだけ言った。
ヨミが、千空の方を向いた。泣き笑いの顔だった。目が赤い。
「[crying]バカ」
「[crying]3700年遅いんですけど」
「[serious]3700年分まとめて取り返す。100億パーセントな」
ヨミが笑いをこらえようとして、こらえられなくて、声を立てて笑った。涙が頬を伝った。
子供たちの声が、朝の光の中で続いている。
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「[excited]兄貴ーー! ヨミさーーん! 村の人たちが朝ごはん用意してくれてるっすよ! 早く来ないと冷めるっすよーー!」
坂の下から、カゼルが駆け上がってきた。白銀の短髪が朝日に光っている。金色の瞳がキラキラしている。空気を全然読んでいない。
千空とヨミが同時に振り返った。
「[gentle]もう少し待って」
カゼルが「えっ」と止まった。
「[surprised]あ……お二人とも何してたんすか?」
「[serious]研究パートナーの方向性確認」
「……それで合ってる部分と合ってない部分があるわね」
苦笑いだった。でも、怒っていなかった。
「[surprised]よくわかんないっす!」
カゼルが坂を下りていく。その背中を、二人で見送る。
怒鳴り合いでも、沈黙でもない空気が、二人の間に初めて流れた。
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村の人たちへの挨拶が終わった。簡単な荷造りを済ませて、千空チームが村の外へ出ようとした時だった。
村の入口に、少女が立っていた。
荷物を背負って、肩で息をしている。紅色のショートボブに黒いグラデーション。左目が青、右目が深緑のオッドアイ。耳に小さな銀のピアスが光っている。
「あの、ビョウリ士のヨミ先生を探してたんですけど」
少女が千空たちを見回して、ヨミに目を止めた。
「あなたですか?」
「[cold]私だけど、何?」
ヨミが眉をひそめた。
少女が荷物を地面に置いて、正面から顔を上げた。
「[excited]弟子にしてください! 薬草なら誰にも負けません! 絶対役に立ちます!」
一気にまくし立てた。
「[serious]薬草の知識とビョウリ士の組み合わせ、悪くない」
即座に言った。
「[cold]あんたが決めることじゃないでしょ」
千空を睨む。
「[excited]先生! 絶対に役に立ってみせます!」
少女——レイナ・アルバラード、十四歳——がヨミに向かってもう一度言った。目が輝いている。全く引かない。
ヨミがため息をついた。
「[cold]……次の村まで、試しに連れて行く。それで判断する」
「[excited]やったあああ!」
「[surprised]でかい声」
カゼルとレイナが顔を見合わせた。気まずそうに互いを観察している。
千空がヨミに小声で言った。
「[serious]増えたな」
「[cold]あなたが評価するから悪いんでしょ」
「[serious]事実だろ。悪くない判断だ」
「……うるさい」
怒っていなかった。
四人が村の外へ歩き出した。朝の光が、草原の先へ続いていた。