反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 師事の宣言
訓練場の土は、汗と血の匂いを吸い込んで、重く湿っていた。
壁に並ぶ燭台の炎が、風もないのに揺れている。誰かの呼吸が、やけに大きく聞こえた。
グレイは床を蹴っていた。
左足で土を強く踏みしめ、体を前へ。長剣を水平に構え、狙うはただ一点、セラフィナの喉元。
(速く。重く。止まるな)
心の中で、短く呟く。
セラフィナは、まだ笑っていた。借り物の長剣をだらりと下げたまま、金色の瞳を細めて、突っ込んでくるグレイを見ている。
(その笑み、斬り裂く)
グレイの剣先が、セラフィナの顔の横をかすめた。
——ガキン。
金属が金属を弾く、鋭い音。
セラフィナが、いつの間にか振り上げていた長剣で、グレイの一撃を軽く受け流していた。手首の動きだけで、まるで蠅でも追い払うように。
「おっと、危ない。いきなり本気だねぇ」
その声は、笑いを含んでいた。だが、グレイの目には、セラフィナの体の軸が一ミリもぶれていないことが焼き付いていた。
(この女、私の初撃を、完全に見切っている)
グレイは歯を食いしばり、二の太刀を振り抜いた。横薙ぎ。胴を狙う。
セラフィナは、ひらり、と身をかわした。長い黒髪が、燭台の光を反射して、暗い訓練場に一瞬、金の糸を散らす。
「いいね、殺気が真っ直ぐだ。あたし、そういうの、好きだよ」
「……黙れ」
グレイは、踏み込んだ。
三撃目。四撃目。五撃目。
長剣を、休むことなく振り続ける。腕が悲鳴を上げる。肺が焼ける。だが、止まれば殺られる。いや、殺られる以前に、この女の前で立ち止まること自体が、屈辱だった。
セラフィナは、その全てを、紙一重で避け、剣で弾き、時には体を反らして受け流した。
(速い。だけど、それだけじゃない)
グレイは、セラフィナの足運びを、目で追いながら考えた。
(この女は、私が動く前に、私の重心を見ている。肩の入り方で、次の一撃の方向を読んでいる)
(そして、私の剣が届く、その寸前で、最小の動きで外している)
(無駄がない。一ミリの無駄もない)
その動きは、グレイが今まで戦ってきたどの相手よりも、洗練されていた。猛獣の暴力とも、犯罪奴隷の蛮勇とも、教官の老練な技術とも、根本的に違う。
(これが、闘技場最強の剣闘士)
(凶刃の女王)
グレイの胸の奥で、熱いものが、じわりと広がった。
(……殺し甲斐がある)
六撃目を、力の限り振り下ろした。
セラフィナが、初めて、その笑みを消した。
「——ああ、いいね」
その呟きと同時に、セラフィナの体が、ふわりと沈んだ。
グレイの剣が、空を切る。
(下だ!)
直感した瞬間、グレイの視界からセラフィナの姿が消えていた。
——ドン。
膝の裏に、鋭い衝撃。
足が、地面から離れる。
(膝を、払われた——)
グレイの体が、土の上に崩れ落ちた。受け身も取れない。背中から、地面に叩きつけられる。
「がっ……!」
肺の中の空気が、強制的に押し出される。
その直後、脇腹に、重い一撃が突き刺さった。
「——うぐっ……!?」
セラフィナの膝だ。倒れたグレイの脇腹に、容赦なく叩き込まれた。
痛みで、視界が白く明滅する。
そして、手に握っていた長剣が、弾き飛ばされていた。
カラン、カラン。
鉄の塊が、土の上を転がる、間の抜けた音。
訓練場に、沈黙が落ちた。
「……これで、一本取ったね」
セラフィナが、倒れたグレイを見下ろして、静かに言った。
その声は、先ほどまでの明るい笑い声とは、まるで違っていた。温度がない。感情がない。ただ、事実を確認するだけの、冷たい声。
グレイは、土の上に倒れたまま、肩で息をしていた。
(負けた?)
(私が、一撃も当てられずに?)
痛みと、屈辱と、そして、自分でも驚くほどの怒りが、胸の中で渦を巻いた。
(気に入らない)
(気に入らない。気に入らない。気に入らない)
グレイは、歯を食いしばった。
奥歯が、ギリ、と鳴る。
泥と汗にまみれた手を、地面に突いた。
腕に、力が入らない。
脇腹が、焼けるように痛い。
だが、グレイは、立ち上がった。
膝が、笑っている。
視界が、揺れている。
それでも、グレイは、セラフィナを、真っ直ぐに睨み返した。
暗い紫の瞳に、ハイライトはない。
ただ、燃えるような怒りと、折れない闘志だけが、そこにあった。
「……まだ、だ」
声は、掠れていた。
「まだ、終わってない」
セラフィナの金色の瞳が、グレイを、じっと見つめた。
そして、その唇が、ゆっくりと、弧を描いた。
「……へえ」
その笑みは、先ほどまでの人懐っこい笑みでも、冷たい無表情でもなかった。
心の底から、愉悦を味わうような、甘く、危険な笑みだった。
「あんた、面白いね。本当に、面白い」
セラフィナは、ゆっくりと、グレイに近づいた。
一歩。
また、一歩。
グレイは、逃げなかった。
逃げられるわけがない。
それに、逃げるつもりもなかった。
「普通の新人なら、ここで心が折れる。あたしの一撃を受けて、剣を弾かれて、膝をつく。それが普通だ。それが、賢い選択だ」
セラフィナは、グレイのすぐ目の前で立ち止まった。
「でも、あんたは、立ち上がった。それも、あたしを睨み返すような目をして。……あんた、怖くないの? あたしが、怖くないの?」
「……怖くない」
グレイは、歯を食いしばったまま、言った。
「お前が、強いのは、分かった。でも、怖くはない。私は、強い奴に、負けるのが、一番、気に入らない」
セラフィナの目が、細くなった。
「……気に入らない、か」
セラフィナは、小さく呟くと、長剣を、自分の足元に、そっと置いた。
「いいね。その目。その言葉。……あたし、あんたのこと、もっと知りたくなったよ」
そう言うと、セラフィナは、すっと手を伸ばした。
グレイの、顎を、掴んだ。
「……っ!」
汗と泥にまみれた、グレイの顔が、強制的に上を向かされる。
セラフィナの指は、細く、長く、そして、鉄のように強かった。
グレイは、その手を振り払おうとした。
だが、びくともしない。
先ほど、腕を掴まれた時と同じだ。この女の力は、外見からは想像もできないほど、強い。
「ここまで踏ん張る新人は、久しぶりだよ」
セラフィナは、グレイの顔を、まっすぐに見つめながら、言った。
「あたしの一撃を受けて、立ち上がるだけでも、たいしたもんだ。それを、あたしを睨み返す。……あんたの、その目の奥には、何があるんだい?」
セラフィナの金色の瞳が、グレイの暗い紫の瞳を、覗き込んだ。
その瞬間、セラフィナの背筋に、ぞくり、と何かが走った。
(——ああ、これは)
セラフィナは、自分の背中に走った、その冷たい感覚を、確かに感じた。
(これは、あたしが、ずっと探してたものだ)
グレイの瞳の奥に、セラフィナは、確かに見た。
狂気。
そして、好奇心。
自分と同じ、何かを壊したいという、破壊衝動。
そして、それ以上に、もっと強くなりたいという、飢餓にも似た渇望。
「……ああ、そうか。あんた、そういう子なんだね」
セラフィナは、満足そうに、微笑んだ。
「放せ」
グレイは、低い声で、もう一度言った。
「放せ。気持ち悪い」
「やだよ。もう少し、あんたの顔を見せて」
セラフィナは、グレイの顎を掴んだまま、顔を近づけた。
「あんた、名前は?」
「……お前には、関係ない」
「あるよ。これから、あんたの師匠になるんだから」
グレイの動きが、止まった。
「……なに?」
「師匠。あんたに、剣を教える。生き残る術を教える。強くなる方法を、全部、教えてやる」
セラフィナは、歌うように、言った。
「あたしが、あんたに、師事してやる」
その言葉が、地下の訓練場に、ゆっくりと、染み渡っていった。
一瞬の、静寂。
そして、次の瞬間、訓練場が、ざわめきに包まれた。
「セラフィナ様が、師事……?」
「あの、凶刃の女王が……?」
「あの、魔族のガキに……?」
「正気か……?」
周囲の剣闘士たち、牢番、憲兵たちが、信じられないものを見るような目で、二人を見ていた。
グレイは、その言葉の意味を、測りかねていた。
(師事?)
(この女が、私に、剣を教える?)
(なぜ?)
グレイの頭の中は、混乱していた。
汗が、額から、頬を伝って、土の上に落ちた。
「……なぜ、だ」
グレイは、セラフィナの手を振り払おうとしながら、絞り出すように言った。
「なぜ、お前が、私に、剣を教える」
「あんたが、面白いからだよ」
セラフィナは、あっさりと答えた。
「あたしは、強い奴が好きだ。強くなろうとする奴が、もっと好きだ。あんたは、その両方だ。……それに、あんたを、もっと強くして、あたしと本気で戦ってほしい」
セラフィナの金色の瞳が、妖しく輝いた。
「あんたが、どこまで強くなれるか、あたしが、見届けてやる。……面白そうだろ?」
グレイは、セラフィナの目を見た。
(この女は、本気だ)
(私を、強くして、殺し合いたいと思っている)
(そのためなら、何でもするつもりだ)
グレイの心臓が、ドクン、と鳴った。
(……狂ってる)
(でも、だからこそ)
グレイの唇が、わずかに、歪んだ。
(面白い)
その時だった。
訓練場の入り口から、冷たい視線が、二人に注がれていることに、グレイは気づいた。
視線の主は、興行主、ヴァルドだった。
恰幅の良い体を、闇の中に沈ませ、灰緑の瞳だけが、ぎらぎらと光っている。
その視線は、セラフィナと、グレイを、交互に、じっくりと、値踏みするように見ていた。
(あの男……)
グレイは、ヴァルドの視線を、真っ直ぐに睨み返した。
(どこから、見ていた?)
ヴァルドは、何も言わなかった。
ただ、その口元が、わずかに、笑ったように見えた。
目は、笑っていなかった。
グレイは、セラフィナの手を、自分の顎から、ゆっくりと引き剥がした。
今度は、セラフィナも、逆らわなかった。
「……好きにしろ」
グレイは、セラフィナから視線を外し、地面に転がった自分の長剣を拾い上げた。
「だが、私は、誰にも、師事なんて、されない。私は、一人で、強くなる」
「そう言うと思った」
セラフィナは、笑った。
「でも、あんたは、一人じゃ、強くなれないよ。……いや、強くはなれる。でも、それは、遠回りだ。あんたが、一番、嫌いな、遠回りだ」
セラフィナは、グレイの隣に、並んだ。
「あたしが、最短ルートを、教えてやる。あんたが、誰よりも、強くなれる、道を」
その声は、甘く、危険な、誘惑だった。
グレイは、答えなかった。
ただ、長剣を握り直し、ヴァルドの冷たい視線と、セラフィナの甘い笑みの、どちらもが、自分を縛り付けていることを、感じていた。
(気に入らない)
(どちらも、気に入らない)
(でも、……)
グレイは、セラフィナの横顔を、ちらりと見た。
(この女から、奪えるものは、全部、奪ってやる)
(強さも、技術も、何もかも)
(そして、いつか、必ず、この女を、超える)
グレイの暗い紫の瞳の奥で、静かな炎が、燃え上がっていた。
訓練場の燭台の炎が、また、揺れた。
師弟の始まりを告げる、その場に、ヴァルドの冷たい視線だけが、いつまでも、注がれていた。Noveliaとは?
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