スライムと呪いと恋の修羅場
ある普通の朝、リムル・テンペスト王国は大混乱に陥る。リムルは女の子の体で目覚め、ベニマルは女の子に、シオンは男に、シュナも男に変わってしまう。さらにミリムは「背が縮んだ!」と叫びながら壁をぶち壊していた。王国全体が完全にパニック状態だ。
慌てて調査した結果、原因は「裏返し壺」という古代の魔法の遺物だと判明する。暴走して皆の性別を入れ替えてしまったその壺を元に戻すには、四つのパートからなる対抗呪文を唱えなければならない。しかし、その四つのパートはそれぞれ別の場所に隠されている。そこでリムルたちは荷物をまとめ、旅に出ることに。
だが、性別が入れ替わったことはリムルの問題の中でまだ序の口だった。女のベニマルは恥ずかしそうに「リムル様、可愛すぎて痛い」と囁き続ける。女のシュウジ(ソウエイ)は体がどうであれ変わらぬ忠誠を静かに告白する。ミリムは「離れたら呪いが悪化する」というでたらめな理由でリムルの腕にしがみつく。男になったシュナは遠くから静かに「ちょっと…羨ましいのかも」とつぶやきながら、誰かがリムルに近づくたびに見守っている。
四人のライバルが激しくリムルを追いかける中、リムルの旅はノ
スライムと呪いと恋の修羅場 - 砂漠の三すくみ——ソウエイは無表情で告白し、ミリムは腕ごと持っていこうとする件
砂丘が近づいてくるにつれ、空気が乾いていった。
大森林ジュラの緑が薄れ、土が白くなり、草が消える。カグツチ砂丘——首都リムルスから南へ約150キロ。ここまで来ると、ジュラの豊かな魔素すら薄く感じられた。
ベニマルが前を歩いている。赤い長髪が砂風に揺れている。
リムルは数歩後ろで、パルモ湖の夜のことを考えていた。ベニマルの声が頭の中で繰り返される。
——俺のこの気持ちは、変わりません。
(どうすれば……)
答えはまだ出ていない。ベニマルの背中を見ながら、リムルは小さく息を吐いた。
そこへ。
前の砂道に、人影が立っていた。
フード付きのローブ。全身を覆っている。背丈はリムルとそう変わらない。立っているだけで、周囲の砂が不自然にしんと静まる。
「[serious]止まれ」
ベニマルが手を上げた。リムルも足を止める。
フードの人物は動かない。
「[serious]誰だ。名を名乗れ」
しばらく、砂風だけが吹いた。
それから——フードが、ゆっくりと外れた。
リムルは固まった。
漆黒の長髪。一房だけ赤いメッシュが入っている。深い紺碧の瞳。口元には薄い、ほとんど笑顔とは言えない微かな表情。
目が、笑っていない。
「[cold]ご無事で何よりです、リムル様」
その声を、リムルは知っていた。パルモ湖の水中で、意識が遠のきかけた時に聞いた声だ。
「[surprised]……ソウエイ?」
「[cold]……そういうことです」
ウラガエシのツボの効果——体の性別が反転する——は、テンペスト王国の全員に及んでいた。ソウエイも例外ではない。今の彼女は168センチの女性の体で、しかしその立ち姿はまるで変わっていない。静かで、冷たく、隙がない。
ベニマルが、目を丸くした。
「[surprised]……パルモ湖の。まさかお前が」
「[cold]パルモ湖を出てから、ずっとリムル様の後をつけていました」
「なんで黙ってたんですか!?」
「[cold]気づかれないよう追跡するのが、諜報統括の基本です」
「それ仕事の話じゃなくてわたしへの報告の話でしょ!」
ソウエイは無表情のまま、一歩前に進んだ。
「[cold]リムル様をお慕いする気持ちは、体が変わっても変わりません。いえ——むしろ、強まりました」
砂風が吹いた。
リムルはうまく言葉が出てこなかった。ソウエイの紺碧の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。感情が、ない。あるいは、感情が多すぎて全部封じ込めているのか。
ベニマルが、横で動いた。
「[angry]待て。俺の方が先にそばにいた。何を勝手に告白してる」
「[cold]あなたが先にいたことと、私の気持ちに、何の関係がありますか」
「全部関係ある!!」
「[cold]……論理的ではありませんね」
「お前が非論理的なんだ!!」
そこへ、砂煙が上がった。
地面を踏む音。小さい。でも全力で走っている。
砂煙の中から、何かが飛び出してきた——明るい紫色の髪。頭に小さな角が二本。輝くオッドアイ、左が赤、右が金。身長は135センチ。ウラガエシのツボの影響で幼女サイズに退行した竜魔人が、全力でリムルめがけて突進してきた。
「リムルーーーー!!!」
ドン!!
リムルの左腕に、しがみついた。
「[excited]見つけた!オレのリムルだぜ!!」
「[surprised]ミリム、なんでここに!?」
「[excited]追いかけてたんじゃん!!オレのリムルがどこか行ったから!!」
「……オレのリムル、ってのは」
「[excited]リムルはミリムのものなの!竜魔人の力で守る!絶対だぜ!!」
腕に巻き付く力が、思いのほか強い。
ベニマルとソウエイが、同時にミリムを見た。
「[angry]……おい、お前は後から来たくせに」
「[cold]同意見です」
「後から来たとか関係ないじゃん!!オレとリムルは特別なの!!」
三方向から言い争いが爆発した。
ベニマルがミリムを睨む。ミリムがベニマルに向かって何か叫ぶ。ソウエイが無表情のまま二人を見ている。
リムルの頭の中で、大賢者が割り込んできた。
《現在、戦闘よりも危険な口論エネルギーが発生しています》
(……余計な解析をありがとう)
「[serious]落ち着いて!三人とも!呪文集めが先でしょ!!」
誰も聞いていなかった。
リムルは頭を抱えた。
---
四人で砂丘を歩いた。
ミリムがリムルの左腕を占領している。ベニマルがリムルの右側を一歩も譲らず歩いている。ソウエイがリムルの真後ろを無音でついてくる。
砂が熱い。太陽が高い。カグツチ砂丘特有の砂嵐が、遠くでうっすら砂を巻き上げている。
「[angry]ミリム、左右交代しろ」
「[sarcastic]やだ」
腕にさらに力が込められた。リムルがよろけた。
「わわっ」
「[cold]リムル様、そのまま倒れそうになったら後ろから支えます」
「それは俺がやる」
「[cold]私がやります」
「俺だ!!」
リムルは三人の真ん中で、一人だけじわじわと体力を消耗していた。
(……これは体が疲れる種類の旅だ)
でも——ふと気づく。三人とも、全員、リムルを気にかけている。方向性はバラバラだが、向いている先はひとつだ。
それが、なんか、少し、照れくさかった。
砂丘の風が顔に当たる。リムルは前を向いた。ベニマルの横顔が視界の端に入る。
昨夜の湖畔での声が、また頭の中で響く。
——俺のこの気持ちは、変わりません。
(……どうすればいいんだ本当に)
慌てて砂丘の方向を見た。
---
ヒノメの塔は、砂丘の中心に立っていた。
高さ30メートルの遺跡塔。砂嵐に半分埋もれながら、それでも1000年以上そこに立ち続けている。外壁には古代文字が刻まれており、内部の螺旋階段を上ると第三節の壁画がある部屋に辿り着く——はずだ。
塔の入り口を抜けて、壁画の部屋に入ると。
先客がいた。
穏やかな笑顔の、中年の魔導師。ローブは落ち着いた緑色で、髪は白に近い灰色。目が細く、優しそうに見える。壁画の前に立って、古代文字を書き写していた。
「ああ、来ましたか」
振り返った顔に、敵意はない。
「[cold]……誰だ、お前は」
「ヴェルデと申します。古代魔道具の研究者です。ウラガエシのツボ——あの壺の調査でここへ」
リムルの大賢者スキルが、微かな何かを感知した。
《この人物に関して、異常と断定するには情報が不足しています》
根拠が出ない。でも、何かある気がした。
ソウエイが、目を細めてヴェルデを見ている。無言のまま、観察している。ベニマルがリムルの半歩前に出て、牽制の姿勢を取った。
ミリムだけが気にせず壁画に近づいた。
「[curious]えーこれどういう意味ー?」
「古代文字ですね。読めますか?」
「読めないじゃん」
「では一緒に」
ヴェルデが壁画の前に並んで、古代文字の解読を始めた。リムルも加わる。ソウエイとベニマルは後ろで警戒を続けながら、それでも少しずつ近づいてくる。
四人と一人で、第三節の呪文を壁画から読み取っていった。
解読の途中で、ヴェルデがリムルの横に来た。声を、小さく落とした。
「[whispers]ひとつ、お伝えしてもよいですか。あの壺は——元に戻す力だけでなく、使い手の望む姿に体を作り変える力も持つんですよ。今の姿のまま生きるという選択肢も、あります」
リムルが、黙り込んだ。
今の姿のまま。女性の体のまま。
それが選択肢として存在する、ということを——考えたことが、なかった。
ベニマルが、ヴェルデを見ながら口を開いた。
「[serious]……関係ない」
リムルがベニマルを見た。
「[serious]リムル様がリムル様であることは変わらない。どんな体でも」
力強い、静かな声だった。
リムルの胸の真ん中が、また跳ねた。
(この人は本当に——)
「全員、確認できましたか」
「はい。第三節、全部読めました」
「では——」
ヴェルデの笑顔が、消えた。
指を鳴らした。
パチン。
床が、光った。
塔の石畳に刻まれていた魔法陣——魔素吸収陣——が一斉に起動した。
リムルの頭の中で、大賢者が悲鳴を上げるより速く、並列思考が止まった。
(——なんで)
判断力が落ちる。解析ができない。大賢者スキルが封じられていく感覚は、脳の一部がじわじわと凍りつくような感じだった。
「[cold]面白い罠ですね。いつ仕込みましたか」
「塔に入った時から、あなた方が踏んでいましたよ」
ドン!!
螺旋階段が崩れる音が響いた。塔の内部が揺れる。壁にヒビが入り、天井から砂が落ちてくる。塔全体が、内側から壊れていく。
「[angry]リムル!出口!!」
ベニマルがリムルの腕を掴んで引っ張った。走る。ソウエイが後衛に回って、ヴェルデが放つ追撃魔法を全て捌いた。バン、バン、と魔法が壁に当たって火花を散らす。
ミリムがヴェルデに向かって突進した。
「[angry]あんた、なにしてんの!!」
ヴェルデが懐から、小さな魔道具を取り出した。
起動した。
ミリムの体が、一瞬止まった。
竜魔人の魔素制御——ミリムの力の根幹に、その魔道具が干渉した。ミリムが自分の手を見る。
「[scared]……あれ、オレ……」
力が、漏れ出す。制御できない。
ズドオオオオオン!!!
ミリムの力が暴走した。砂丘全体が爆発的な衝撃に見舞われて、塔の外壁が吹き飛んだ。四散した瓦礫が空中に舞い、リムルめがけて降り注いでくる。
「[scared]リムル様!!」
黒い影が、リムルを覆った。
ソウエイが、覆いかぶさっていた。
瓦礫が背中に当たる音が、三回、四回。ソウエイの体がそのたびに沈んでいく。
「[serious]ソウエイ!!」
「[cold]……大丈夫です」
大丈夫じゃない。膝をついている。肩から血が出ている。声が、かすれている。
「[angry]ミリム!!」
ベニマルがミリムに飛びついた。竜魔人の暴走を、両腕で押さえ込もうとする。女体化で本来の半分も力が出ないベニマルが、全身でミリムを抑えた。ベニマル自身の体に亀裂が走るような感覚が、顔に出ている。
砂嵐が視界を塞いだ。
砂嵐の向こうで、ヴェルデが動いていた。壁画の拓本——第三節の呪文を書き写した紙——を懐に収めて、砂丘の奥へ消えていく。足音すら聞こえない。
リムルは立ち尽くした。
大賢者を呼ぼうとした。応答がない。頭が、静かすぎる。ずっと傍にあった並列思考が消えていて、何かひとつ考えると他のことが考えられない感覚がした。
(わたしが……わたしのせいだ)
最初から、大賢者が違和感を出していた。根拠が掴めないと言っていたが、もっと警戒すべきだった。あの笑顔を、信用してしまった。
膝が、落ちそうになった。
---
砂嵐が収まった。
四人は塔の残骸の陰に移動していた。
ソウエイは動けない。壁にもたれて、目を細くしている。意識はある。でも、立ち上がれる状態じゃない。ミリムは魔素を使い果たして、リムルの隣でぐったりともたれかかったまま眠っている。小さな体が、かすかに上下している。
「[gentle]大丈夫ですか」
傷だらけの手が、リムルの肩に触れた。ベニマルだった。顔にもいくつか傷がある。服も砂だらけだ。それでも、まっすぐに立っている。
リムルは大賢者スキルに呼びかけた。
応答がない。
また呼びかけた。
ない。
「[sad]……大賢者が、応答しません」
「……」
「わたしのせいです。大賢者があれば最初からヴェルデを見抜けたかもしれないのに、警戒が足りなかった。ソウエイも、ミリムも——」
「[serious]リムル様のせいじゃない」
即座だった。
ベニマルがリムルの正面に膝をついた。砂の上に、ためらいなく。リムルと同じ目線になって、正面から見る。
「[serious]あなたがいなければ、三節分の呪文はなかった。ソウエイも俺もミリムも、自分で選んで動いている。誰かに強制されたわけじゃない」
リムルはベニマルの目から、視線を逸らせなかった。
泣きたいような、叫びたいような、何かが喉の奥で詰まっている。ベニマルへの返事がまだできていない。でも今この瞬間に、ベニマルがそばにいてくれることの安堵が、どうしても先に来る。
声が、出なかった。
代わりに、小さく頷いた。
ベニマルが、ほんの少し、安心したように息をついた。それから立ち上がろうとして——傷の痛みで、顔が歪んだ。一瞬だけ。すぐに表情を戻したが、リムルはその一瞬を見ていた。
「[serious]……では、次の手を考えましょう」
立ち上がって、砂丘の方向を見る。
リムルは、その背中を見た。
(ベニマル……)
状況を、頭の中で整理する。大賢者封印。ソウエイ重傷。ミリム魔素切れ。第三節の拓本は奪われた。でも、呪文の中身は——壁画の前で読んだ内容が、リムルの記憶に残っている。
タイムリミットまで、残り四日。
そして第四節の場所——「感情が最も強い者の心の中」という言葉の意味が、まだわからない。
砂丘の風が、また吹いた。
リムルは立ち上がって、ベニマルの隣に並んだ。