スライムと呪いと恋の修羅場
ある普通の朝、リムル・テンペスト王国は大混乱に陥る。リムルは女の子の体で目覚め、ベニマルは女の子に、シオンは男に、シュナも男に変わってしまう。さらにミリムは「背が縮んだ!」と叫びながら壁をぶち壊していた。王国全体が完全にパニック状態だ。
慌てて調査した結果、原因は「裏返し壺」という古代の魔法の遺物だと判明する。暴走して皆の性別を入れ替えてしまったその壺を元に戻すには、四つのパートからなる対抗呪文を唱えなければならない。しかし、その四つのパートはそれぞれ別の場所に隠されている。そこでリムルたちは荷物をまとめ、旅に出ることに。
だが、性別が入れ替わったことはリムルの問題の中でまだ序の口だった。女のベニマルは恥ずかしそうに「リムル様、可愛すぎて痛い」と囁き続ける。女のシュウジ(ソウエイ)は体がどうであれ変わらぬ忠誠を静かに告白する。ミリムは「離れたら呪いが悪化する」というでたらめな理由でリムルの腕にしがみつく。男になったシュナは遠くから静かに「ちょっと…羨ましいのかも」とつぶやきながら、誰かがリムルに近づくたびに見守っている。
四人のライバルが激しくリムルを追いかける中、リムルの旅はノ
スライムと呪いと恋の修羅場 - どん底の砂丘——大賢者よ、なぜ黙っているんだ!
砂が、風に舞っている。
カグツチ砂丘の岩陰。崩れた塔の残骸が影を作っている。空は白く、日差しだけが容赦なく降り注いでいる。
リムルは膝を抱えて座っていた。
ミリムが、その膝の上で眠っている。魔素を使い果たした小さな体が、かすかに上下している。紫の髪が砂だらけだ。頭の角の一本に、細い傷がある。
壁に寄りかかっているのがソウエイ。目は半開きで、意識が飛び飛びになっているのがわかる。肩の傷から血が染み出して、黒装束に滲んでいる。
ベニマルだけが立っていた。傷だらけの体で、岩陰の端から外を確認している。動くたびに、顔が少し歪む。痛みを、顔で隠しきれていない。
リムルは目を閉じて、大賢者を呼んだ。
——沈黙。
もう一度。
——沈黙。
大賢者!ちゃんと聞こえてる!?
今度は心の中で叫んだ。
かすかに、何かが返ってきた。
《…………現在の危機指数を、計測中……》
「[sarcastic]計測してる場合じゃないでしょ!!」
思わず声に出た。ベニマルが振り返る。
「[serious]大賢者ですか」
「[sad]……返事はあったんですけど、危機指数を計測してるって言ってます」
「……」
「[sad]なんか、壊れた魔道具みたいに断片的な数値だけが流れてくる感じで」
ベニマルが小さく息を吐いた。呆れているのか、心配しているのか、その横顔からは読み取れない。
膝の上のミリムが、むにゃ、と寝言を言った。「……りむ……る……」。
リムルはミリムの頭を、そっと撫でた。起こさないように。
(笑えない)
さっきは脱力した。でも今は笑えない。大賢者が封印されている。つまり、この状況を整理する頭が、半分しか動いていない。
リムルは改めて、状況を数えた。
大賢者封印。ソウエイ重傷。ミリム魔素切れ。第三節の拓本は奪われた。ベニマルは傷だらけで今も動いている。そして——ヴェルデは消えた。
——
封印は完全ではなかった。
それに気づいたのは、砂嵐が収まってしばらくしてからだ。
大賢者のスキルは止まっている。でも、過去に蓄積された解析ログは残っている。閉じた図書館の棚に本が残っているような感覚で、一冊ずつ手探りで引き出せる。
リムルは時間をかけて、ログを拾い始めた。
断片。また断片。パズルのように並べる。繋げる。繋げる。
やがて、一つの像が浮かんだ。
ヴェルデ——古代魔導文明期の魔導師アザリアの、直系の弟子筋。
「[serious]……わかりました」
小さく声に出た。ベニマルが振り返る。ソウエイも、重い瞼をかすかに開ける。
「[serious]ヴェルデの正体が。大賢者の残留データに記録があった」
リムルは短く説明した。アザリアの弟子筋であること。ウラガエシのツボを完全に制御して、世界中の生物の体を書き換えようとしていること。
そして——四節すべてを唱えた場合の、本当の効果を。
「[serious]ツボの前で四節を唱えた場合、解呪になるのは解放を願う者が唱えた場合だけです。支配を願う者が唱えれば——」
「[serious]逆になる」
「[sad]ツボの力が暴走的に増幅されて、半径数百キロに変化の波が広がります」
砂風が吹いた。
「[cold]……想定の、範囲内、です」
かすれた声だった。壁にもたれたまま、目を細くして言う。朦朧とした意識の中で、それだけはっきりと。
リムルは、その声で胸が締まった。
(想定の範囲内、か)
それが逆に、痛い。こんな状態でも、ソウエイは冷静だ。
「[serious]ヴェルデはすでに三節分の情報を持っています」
「[serious]残りは第四節」
「[sad]『最も強き想いの裡』——その意味を先に解明した者が、全部を制する」
そこへ、首都から念話が届いた。
緊急の報告だった。ヴェルデの仲間と思われる者たちが、嵐宮殿の地下遺構に侵入している。ウラガエシのツボに近づいているという。
タイムリミットは、残り三日。
リムルは顔を俯けた。
「[sad]俺のせいだ」
声が出た。止めるつもりだったのに。
「[sad]大賢者があれば、最初からヴェルデを見抜けたはずなのに。ソウエイにこんな怪我をさせて、ミリムの力まで暴走させて……わたしが、もっと警戒していれば」
「[serious]違います」
即座だった。
「[serious]あなたがいなければ三節分の呪文はなかった。ソウエイも俺もミリムも、自分で選んで動いている」
「[sad]……でも——」
リムルは顔を上げられなかった。砂の上を見ている。砂粒が、風に少しずつ動いている。
ベニマルが動いた。
傷だらけの手で、砂の上に膝をついた。リムルと同じ目線になる。正面から。
「[gentle]顔を、上げてください」
動けなかった。
ベニマルの手が、リムルの顎にそっと触れた。優しく、上を向かせる。
二人の目が、合った。
ベニマルが止まった。
リムルの目に、薄く、涙が滲んでいた。
砂風だけが、吹いていた。数秒間、二人とも何も言わなかった。ベニマルは手を引かなかった。リムルも目を逸らさなかった。
ベニマルが、声を低くした。
「[gentle]自分を責めていい場面は、今じゃない。次に動くために、今考えてください」
リムルが返事をしようとした、その瞬間。
「[whispers]リムル様……今のは……羨ましい、です」
壁際から、かすかな声が聞こえた。
朦朧とした意識のまま、ソウエイがそれだけ言って、また目を閉じた。
ベニマルが、ゆっくりと振り返った。ソウエイを見る。ソウエイはもう動かない。もう寝ている。
ベニマルの眉間に、青筋が見えた気がした。
リムルはベニマルの顔を見て、それからソウエイの方を見て、また戻った。
泣きそうなのに、喉の奥で何かがふっと緩んだ。
「[laughing]……ソウエイ」
笑えた。泣きそうなのに、少し笑えた。
ベニマルが前を向き直した。呆れたような、怒っているような顔で、何も言わなかった。
——
砂丘の空は、高い。
雲一つない白い空を見上げながら、リムルは第四節のことを考えた。
「[serious]……他の三節は全部、物理的な場所に記録されていたんですよね。石板、巻物、壁画」
「[serious]ああ」
「[serious]でも第四節だけ、心象として保管されているって残留データに書いてあった」
「[serious]……誰かの、心の中に」
「[serious]そういうことになります」
ベニマルが少し考えてから、静かに言った。
「[gentle]最も感情が強い者……それは、リムル様なのではないですか」
リムルは、止まった。
その言葉が、胸の奥まで入ってきた。
自分の内側に意識を向けてみる。でも大賢者が封印されているせいで、深く探れない。暗い部屋の中を、明かりなしで歩くような感覚だ。何かがある気はする。でも形が見えない。
「[sad]……今は、深く探れない」
「[serious]ここでは答えは出ない」
「[serious]でも、手がかりが自分の中にある可能性は残った」
そこへ、念話が届いた。
穏やかな声だった。深みのある、落ち着いた声。
「[gentle]リムル様、聞こえますか。シュナです」
シュナだった。嵐宮殿の内政統括——白い髪の、片目を隠した——22歳の彼が、首都から呼びかけてきた。
「[gentle]シュナ、聞こえてます」
「[gentle]地下遺構の侵入者は、今のところ押さえ込めています。増援を送ります。砂丘にも迎えを向かわせますから、今は動かないでください」
「[gentle]ありがとう。助かります」
少し間があった。
「[whispers]……ベニマルは、ちゃんとリムル様のそばにいますか」
リムルはちょっと驚いた。
「[gentle]います。ずっと、そばにいてくれてます」
「[cold]……そうですか」
短かった。それだけ言って、念話が切れた。
リムルはシュナの声のトーンが少し変だったと思った。いつもの柔らかい感じが、最後の一言だけなかった。でも、疲れているせいかもしれない。今はそれを深く考える余裕がない。
ベニマルが言った。
「[serious]誰からでしたか」
「[gentle]シュナです。増援を送ってくれるって」
「[cold]……そうですか」
リムルは、その返事を聞いて、首を傾けた。
(あれ。今の、シュナと同じ言い方だ)
ベニマルはもう話題を変えていた。ソウエイを起こして、移動の準備を始めている。リムルはその背中を見て、首を傾けたまま、結局何も言わなかった。
——
砂丘の日差しが、少し傾いていた。
ミリムが膝の上でむにゃむにゃと動いた。「……りむる……たべる……」。
リムルは小さく吹き出した。それからそっと、ミリムの頭を撫でた。
「[whispers]みんなに迷惑かけてばっかりだな、わたし」
隣に立っていたベニマルが、面倒くさそうに言った。
「[sarcastic]それが嫌なら、早く元に戻ってください」
その横顔が、笑っていた。わずかに、でも確かに。
リムルだけが、それを見ていた。
砂丘の風が吹く。乾いた風。遠くで砂が舞っている。
迎えが来るまで、もう少し。
第四節はまだ、わからない。でも——答えは、自分の中にある気がした。大賢者が戻ったとき、何が見えるか。それだけが、今の一番の問いだった。