スライムと呪いと恋の修羅場
ある普通の朝、リムル・テンペスト王国は大混乱に陥る。リムルは女の子の体で目覚め、ベニマルは女の子に、シオンは男に、シュナも男に変わってしまう。さらにミリムは「背が縮んだ!」と叫びながら壁をぶち壊していた。王国全体が完全にパニック状態だ。
慌てて調査した結果、原因は「裏返し壺」という古代の魔法の遺物だと判明する。暴走して皆の性別を入れ替えてしまったその壺を元に戻すには、四つのパートからなる対抗呪文を唱えなければならない。しかし、その四つのパートはそれぞれ別の場所に隠されている。そこでリムルたちは荷物をまとめ、旅に出ることに。
だが、性別が入れ替わったことはリムルの問題の中でまだ序の口だった。女のベニマルは恥ずかしそうに「リムル様、可愛すぎて痛い」と囁き続ける。女のシュウジ(ソウエイ)は体がどうであれ変わらぬ忠誠を静かに告白する。ミリムは「離れたら呪いが悪化する」というでたらめな理由でリムルの腕にしがみつく。男になったシュナは遠くから静かに「ちょっと…羨ましいのかも」とつぶやきながら、誰かがリムルに近づくたびに見守っている。
四人のライバルが激しくリムルを追いかける中、リムルの旅はノ
スライムと呪いと恋の修羅場 - 赤髪の美女とずぶ濡れの耳
「え゛——」
その言葉しか出なかった。
前話の屋上。夕焼け。振り返った先に立っていた見知らぬ美女——その正体がベニマルだったと分かったのが、ついさっきのことだ。頭では理解した。声も、立ち方も、ベニマルのものだ。
でも目が、追いつかない。
長い赤髪が夕焼けに溶けている。切れ長の目、すっと通った鼻筋、薄い唇。もともと整った顔立ちが、女体化によって完全に別の次元に到達していた。わたしは数秒間、完全に固まっていた。
「……リムル様。そろそろ見るのをやめていただけますか」
「あ、ごめんなさい! いや、でも——ベニマルって、こんな顔してたの?」
「元々の顔の話はしないでください」
ベニマルが顔を背けた。夕日に照らされた横顔の耳が、心なしか赤い。
わたしもわたしで、自分の声が高いのをまた痛感した。お互い、なんとも言えない状況だ。
「……まぁまぁ。気持ちは分かります。でも今は旅の準備をしましょう。ヴェルグ渓谷まで北東45キロ、早く出ないと日が暮れる」
「……はい。おっしゃる通りです」
短い沈黙。
ベニマルが荷物を取り上げた。わたしのぶんも含めて、両手に。
「荷物はわたしが」
「あ、わたしのも持てますよ——」
「護衛ですから」
真顔だった。
反論できなかった。
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大森林ジュラの中を歩く道はまだ整備されていて、首都リムルスの碁盤目状の石畳が切れたあたりから、踏み固められた土の道になった。両側に背の高い木々が続く。朝露が残っていて、空気が湿っている。どこかで鳥が鳴いた。
歩き出して30分。
ベニマルが、わたしの一歩後ろについている。
(……近くない?)
いつもは斜め後ろ2メートルくらいが定位置なのに、今日は明らかに半歩後ろだ。荷物を両手に持っているにもかかわらず、わたしの歩幅に完璧に合わせて動いている。水たまりに近づいたと思ったら、ベニマルの足が先に動いて「リムル様、こちらを」と誘導してくる。枝が低く垂れていれば先に払う。
「ベニマル、いつもよりやけに近くない?」
「護衛ですから当然です」
即答。目を逸らしながら。
わたしは少し首を傾けた。
(……目が逸れてる)
大賢者スキルが起動した——したのだが。
「現在のリムル様の体重は以前比87.3%。歩行時の重心が従来より7.2cm低下しています。これはおそらく——」
「いらない情報を出すんじゃない……」
思わず小声でツッコんだ。
「えっ、何ですか?」
「なんでもありません。独り言です」
女体化してから大賢者の解析がどこかズレてる。戦闘情報より身体情報を先に出してくる。頭の中でため息をついた。
道が細くなった。岩と根っこが混じった、ひとりが通るのでやっとの幅になる。
ベニマルがわたしの前に出て、道を確かめてから戻ってきた。
「リムル様、足元が不安定です。お手をどうぞ」
差し伸べられた手を、わたしは反射的に取っていた。
——二人とも、同時に止まった。
ベニマルの手は大きくて、少し硬い。剣を握り続けてきた手だ。わたしの手はそれより随分小さくなっていて、指の間に収まってしまった。
「……あ」
ベニマルの耳が赤くなった。赤髪の中でも、はっきり分かるくらい。
「……ありがとう、です」
わたしが言うと、ベニマルは何も言わなかった。黙ってわたしの手を引いて、岩場を越えた。岩場を越えた後も、しばらく手が離れなかった。
どちらも気づかないふりをしていた。
わたしは前を向きながら、握られた手の感触を意識しないようにして、うまくいかなかった。
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渓谷が見えてきたのは、出発から3時間後だった。
ヴェルグ渓谷——首都の北東45キロ、大森林ジュラの岩地帯に刻まれた深い裂け目だ。幅50メートルから200メートル、断崖の深さは最大200メートル。底に川の音が聞こえる。風が強い。岩の匂いがする。
「あそこの中腹に祠があります。幅60センチの岩棚を伝って登るか——」
そこで、岩の陰から何かが動いた。
でかい。
体長3メートル。岩と同じ色の鱗。大きな顎。ガルドラ——岩蜥蜴型の魔物だ。首都の資料で読んだことがある、渓谷の縄張りに入った者を噛み砕く強さを持つ、と。それが一体ではなく。
三体、同時に現れた。
「大賢者——解析!」
「ガルドラの弱点は腹部の柔らかい鱗です。ただし現在のリムル様の魔素出力は通常の61.4%。スキルの安定性が低下しており——」
「それを先に言いなさい!!」
ガルドラが突っ込んできた。わたしは魔法を発動しようとした。スキルが動いた——のだが、出力がズレた。狙った方向の2メートル右に炎が出た。もう一回。今度は強すぎて岩棚が崩れた。
「大賢者! ちゃんと動いて!」
「現在のリムル様の体重重心は——」
「いらない!!」
ガルドラが間合いを詰めてくる。かわす。また一体が来る。右を向く。その間に左から来る。わたしは女体化してから重心が変わって、いつもの動きが噛み合わない。足がもつれた。地面に手をついた。まずい——
ドゥン!!
炎が空気を裂いた。
ベニマルが動いていた。
片腕を振り上げ、渦を巻くような炎の柱を三体のガルドラに叩き込んだ。一体が渓谷の外に吹き飛ぶ。もう一体が逃げる。三体目が崖の向こうに落ちていった。炎が消えると、渓谷の入口に静寂が戻った。煙がゆっくり散っていく。
「リムル様、失礼します」
言い終わる前に、わたしはベニマルの背に担ぎ上げられていた。
「えっ、あの——」
「岩壁を登ります。掴まっていてください」
返事をする間もなく、ベニマルは岩壁を登り始めた。一歩一歩が確かで速い。風が強くなる。渓谷の底まで200メートル。見ないようにした。
「……ありがとう。助かった!」
登りながら振り返ってそう言った。ベニマルの顔がすぐそこにある。笑顔を向けると——ベニマルの足が一瞬、止まった。
「どうしたの? 疲れた?」
「……何でもありません。集中してください」
声が少し上ずっていた。耳が赤かった。
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中腹の岩棚に祠があった。
高さ2メートルほどの石造りの小さな建物。古代文字が扉に刻まれている。中に入ると石板があった。厚さ10センチ、横30センチほどの石の板。大賢者が自動で解析を始めた。
「読めます。これが——第一節の呪文ですね」
カエシの詞、その一節目。ウラガエシのツボの効果を打ち消すための四節の呪文のうち、最初の断片だ。呪文の内容を頭に刻む。
一つ見つけた。あと三つ。
少しだけ、前に進んだ気がした。
「良かった。ちゃんとありましたね」
「はい。残り三節——」
わたしは石板をひっくり返した。なんとなく、裏も確認しようと思って。
古代文字が、もう一行刻まれていた。
大賢者が解析する。
「……器を求むる者、すでに目覚めたり」
手が止まった。
「……ベニマル、これ見て」
ベニマルが石板を覗き込む。表情が少し硬くなった。
「……何かに、呼ばれている。ということでしょうか」
「分からない。でも、一緒に見つけた呪文の隣にこれが刻まれてるってことは……偶然じゃないと思う」
祠の空気が少し重くなった気がした。
渓谷の風が外で吹いている。
二人でしばらく、その一文を見ていた。
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渓谷を出る前に、ベニマルが立ち止まった。
「リムル様」
岩壁を指していた。出口に近い場所。高さ1メートルほどの岩肌に、何かの跡があった。
近づいて見ると——削られた跡だ。工具を使って、意図的に。削られた箇所の形が、祠の中の古代文字の様式と同じだった。
「……ここ、最近削られてます。数日以内じゃないかと」
「古代文字が刻まれてた場所を、消した?」
「可能性があります」
わたしは削られた跡をもう一度見た。綺麗に消されている。何が書いてあったのかは分からない。でも——誰かが、ここを先に調べて、何かを消した。
「これ、偶然じゃない。誰かが先にここを調べてる」
声が自然と低くなった。
ベニマルが周囲を見渡した。夕方の渓谷に、人の気配はない。でも、さっきまでとは空気が違う気がした。
誰かが、同じものを探している。
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夜営は渓谷を出た森の中に張ったテントの前で、焚き火を囲んだ。
大森林の夜は虫の声に満ちている。木の葉が風に揺れる音。遠くで何かの魔物が鳴いた声。焚き火がパチパチと燃えている。
旅の初日だった。
わたしは毛布を膝にかけて、火を見ていた。今日起きたことを整理しようとして、頭がうまく動かなかった。疲れてるんだと思う。
石板の裏の一文が、頭の中で繰り返し出てくる。
「器を求むる者、すでに目覚めたり」
これが何を意味するのか、まだ分からない。
カエシの詞の残り三節を集めることには変わりない。でも——何かが、動き出してる気がする。
(急がないと)
そう思いながら、目が重くなった。焚き火の暖かさと今日の疲れが重なって、気づいたらうとうとしていた。
——ふと、気配を感じた。
薄目を開けた。
ベニマルが、わたしの隣に座っていた。毛布を手に持っている。かけようとしていたのが、途中で止まっていた。
わたしの顔を、見ていた。
焚き火の光が、ベニマルの横顔を照らしている。赤い長髪が、炎の色に溶けるようにゆれている。表情が——いつもの無表情でも、険しい顔でもなくて、なんというか、柔らかかった。
ベニマルの視線がわたしの顔に向いたまま、止まっている。
「……ベニマル?」
目が合った。
「なっ——な、何でもありません! おやすみなさい!!」
即座に背を向けた。毛布をわたしに押しつけるようにしてから、体ごと向こうを向いて、動かなくなった。耳が真っ赤だった。
「……変なの」
わたしはそう呟いた。毛布を引っ張って、肩までかけた。
なんでか、胸の中がざわついていた。
渓谷の謎、削られた岩壁、石板の一文——考えることはたくさんある。なのに頭は、妙なところに引っかかってる。さっきのベニマルの顔。焚き火の光の中で、わたしを見ていたあの表情。
(なんだったんだろう)
それが何なのか、分からないまま、わたしは目を閉じた。
焚き火が燃え続けている。虫の声。風の音。
大森林の夜は静かだった。Noveliaとは?
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