青のフラッグ ~失われた未来を変えるために~
同じ夢を、三度見た。
桃真が振り返って、笑って——光が走る。そこでいつも、目が覚める。
一ノ瀬太一、高校三年生。夏休み最後の朝、彼は自分の心臓の音で飛び起きた。夢の内容ははっきりしている。幼なじみの三田桃真が、光に呑まれる夢。根拠なんて何もない。ただの夢だ。そう思い込もうとするたび、胸の奥がざわつく。
青浜市。海と山に挟まれた、静かになりつつある地方都市。太一はそこで生まれ、桃真とともに育った。小学校の頃はいつも一緒だった。遠見山を探検し、漁港で釣りをした。先頭を歩く桃真を、太一が後ろから追いかける。それが当たり前の光景だった。
けれど中学に入って、ふたりの距離は開いていく。野球部で活躍する桃真。人付き合いが苦手な太一。高校では同じクラスになったのに、桃真の周りにはいつも人がいて、太一はその輪の外側にいた。屈託のない笑顔を向けられるたび、まぶしくて、少し痛かった。
「俺は、桃真にはなれない」
何度も思ったことだ。それでも——「守らないと」。夢を見るたび、理由のわからない衝動が太一を突き動かす。
夏休み最後の登校日。野球部の練習を眺め、帰り道に古い温室の前を通
青のフラッグ ~失われた未来を変えるために~ - 孤立——信じられない夜、地獄坂に涙は凍る
朝の光が、まだ眠っている街を、ゆっくりと照らし始めていた。
青浜市の北側。遠見山の裾野に広がる住宅街。
一ノ瀬太一は、三田桃真の家の前で、壁にもたれて立っていた。
(今日も、桃真を守る)
二学期四日目。
太一は、桃真が家を出る時間を、もう知っていた。
朝練がある日は、七時十分。
ない日は、七時四十分。
今日は、野球部の朝練がある日だ。
太一は、六時五十分から、ここに立っている。
ポケットに手を入れて、スマホを握る。
意味はない。
ただ、時間を確認するためだ。
七時五分。
七時六分。
七時七分。
太一の心臓が、少しずつ、早くなっていく。
(桃真は、まだか)
七時八分。
玄関のドアが、開く音がした。
「……って、太一!? お前、なんでここにいんだよ」
桃真が、驚いた顔で、太一を見た。
野球部のユニフォーム。肩に、スポーツバッグ。
左手首には、いつものリストバンド。
「別に。通りかかっただけだ」
太一は、なるべく自然に、そう言った。
でも、声が、少し小さい。
「通りかかったって、お前の家、あっちだろ」
桃真が、笑いながら、反対方向を指さす。
太一の家は、桃真の家の、二軒隣。
通学路は、同じ方向だ。
でも、太一が立っていたのは、桃真の家の、玄関の、すぐ前。
「……散歩してたんだ」
「朝から散歩? お前、らしくないな」
桃真が、太一の肩を、ぽんと叩いた。
「まあ、いいや。せっかくだし、一緒に行こうぜ」
桃真が、歩き出す。
太一は、桃真の、半歩後ろを、歩いた。
車道側に、太一が立つ。
桃真を、車から、守るように。
(桃真は、事故で死ぬ)
(車に、轢かれる)
太一の頭の中で、昨夜の夢が、蘇る。
激しい光。
桃真の、振り返る顔。
そして、車の、ヘッドライト。
「太一、お前、最近、車道側ばっか歩いてない?」
桃真が、振り返らずに、言った。
「……そうか?」
「そうだよ。前から、気になってたんだよな」
太一は、何も言えなかった。
地獄坂。
青浜高校へ続く、最大勾配十二パーセントの、急な坂道。
朝の光が、アスファルトを、白く照らしている。
二人は、無言で、坂を上った。
「なあ、太一」
桃真が、突然、足を止めた。
「……なんだよ」
「お前、最近、どうしたんだよ。なんか変だぞ」
桃真が、真顔で、太一を見た。
その目は、笑っていなかった。
「別に、変じゃない」
「変だよ。毎日、朝、家の前にいるし。放課後も、校門で待ってるし。昼休みも、教室、覗きに来てるだろ」
太一の心臓が、ドキリと、跳ねた。
(気づかれてた)
「……たまたまだよ」
「たまたま、毎日、俺の教室の前を通るのか?」
桃真の声が、少し、強くなる。
「……別に、深い意味はない」
太一は、目を逸らした。
右手で、首の後ろを触る。
(言えるわけがない)
(お前が、事故で死ぬって)
(そんなこと、信じてもらえるわけがない)
「……そうか。まあ、いいけど」
桃真は、少し、悲しそうな顔をして、また、歩き出した。
太一は、その後ろを、黙って、追った。
(桃真の目に、疑念の色が、濃くなっている)
太一は、感じていた。
自分が、桃真から、遠ざかっていくのを。
守ろうとすればするほど、桃真との距離が、開いていく。
(でも、それでいい)
(桃真が、生きていてくれれば)
太一は、ぎゅっと、拳を握った。
教室に入る。
太一は、自分の席に座った。
周りの視線が、痛い。
「……見て。一ノ瀬だ」
「また、三田の教室、覗いてたらしいよ」
「マジで? きも」
聞こえよがしの、囁き声。
太一は、教科書を開いて、顔を隠した。
(噂になってる)
(一ノ瀬が、トーマに、執着してる)
(ストーカーみたいだって)
太一は、昨日、自分のスマホで、その噂を見た。
SNSの、グループライン。
桃真の教室の前で、立ち尽くす太一の写真。
面白半分に、拡散されていた。
「あいつ、前から、トーマと仲良かったよな」
「幼馴染らしいよ。でも、最近、やばいって」
「トーマ、迷惑してるんじゃね?」
太一は、耳を塞ぎたくなった。
でも、塞げない。
声は、太一の耳に、容赦なく、入ってくる。
昼休み。
太一は、一人で、弁当を食べた。
教室の、自分の席で。
周りは、楽しそうに、グループで、昼食を食べている。
太一だけが、一人。
(昔は、桃真と、よく、一緒に食べてた)
(屋上で)
(今は、もう、できない)
太一は、箸を、置いた。
食欲が、ない。
弁当箱を、閉じて、鞄にしまう。
窓の外を見る。
グラウンドで、野球部が、昼休みの、自主練をしている。
桃真の姿が見える。
キャプテンとして、部員たちに、指示を出している。
その姿は、眩しかった。
(桃真は、やっぱり、すごい)
(俺とは、違う)
太一は、机に、突っ伏した。
放課後。
太一は、校門の前に、立っていた。
野球部の練習が、終わるのを、待つためだ。
(桃真を、一人で、帰らせない)
(車の、危険から、守る)
太一は、スマホを見る。
二葉から、メッセージが届いていた。
『今日、放課後、温室に来てもらえませんか? 話したいことがあります』
太一は、そのメッセージを、じっと見つめた。
(二葉が、俺に、何の用だ)
(桃真のことか)
(それとも、別のことか)
太一は、返信を打った。
『わかった。でも、先に、桃真を、送ってから行く』
送信。
太一は、校門の、柱にもたれて、待った。
三十分後。
野球部の、練習が、終わった。
部員たちが、グラウンドから、出てくる。
桃真も、その中にいた。
「太一、また、待ってたのか?」
桃真が、呆れたように、太一を見た。
「……別に。通りかかっただけだ」
「また、通りかかった、か。お前、毎日、通りかかってんな」
桃真の声に、少し、棘があった。
「……帰ろう」
太一は、歩き出した。
桃真は、ため息をついて、後を追った。
二人は、無言で、地獄坂を、下りた。
車道側は、太一。
歩道側は、桃真。
「なあ、太一」
桃真が、口を開いた。
「……なんだよ」
「お前、俺に、隠してること、あるだろ」
太一の足が、止まった。
「……別に、ないよ」
「嘘つけ。お前、嘘つくとき、いつも、首の後ろ、触るだろ」
太一は、自分の右手が、首の後ろにあることに、気づいた。
(やばい)
「……触ってない」
太一は、右手を、下ろした。
「……なあ、太一。俺、お前の、何か、悪いことしたか?」
桃真の声が、震えていた。
「……してないよ。桃真は、何も、悪くない」
「じゃあ、なんで、そんなに、俺を、避けるんだよ。いや、避けるっていうか、逆か。付きまとうっていうか。お前、最近、おかしいよ」
桃真が、太一の、両肩を、掴んだ。
「俺、お前のこと、親友だと思ってる。だから、言ってくれよ。何があったんだよ」
太一は、桃真の顔を、見られなかった。
(言いたい)
(言えたら、どんなに楽か)
(でも、言ったら、どうなる)
(お前が、事故で死ぬって)
(そんな、夢の話)
(誰が、信じる)
(桃真は、笑うだろうか)
(それとも、心配するだろうか)
(どっちにしても、俺は、おかしな奴だと思われる)
「……何も、ないよ。本当に」
太一は、桃真の手を、そっと、外した。
「……そうか」
桃真は、力なく、笑った。
「じゃあ、俺、先に、帰るわ」
太一は、桃真に、背を向けた。
「太一」
桃真の声が、背中に、刺さる。
「俺、お前のこと、信じてるからな」
太一は、振り返らなかった。
走り出した。
(信じてる)
(桃真は、俺を、信じてる)
(なのに、俺は、桃真を、信じられない)
(予知夢のことを、話せない)
太一の目から、涙が、溢れた。
でも、走る。
風で、涙が、飛んでいく。
校舎裏の温室。
夕方の光が、ガラスを、オレンジ色に、染めていた。
太一は、息を整えてから、扉を開けた。
むっとする、土と、草の匂い。
温室の中には、二葉と、真澄がいた。
「あ……太一くん」
二葉が、振り返った。
栗色の、ゆるい三つ編み。
大きな、薄茶色の瞳。
手のひらには、小さな、絆創膏。
「来てくれて、ありがとう」
二葉は、微笑んだ。
でも、その笑顔は、どこか、寂しげだった。
真澄は、壁にもたれて、腕を組んで、立っていた。
切れ長の、黒い瞳が、太一を、じっと、見つめている。
「……話って、なんだよ」
太一は、なるべく、平静を装って、言った。
「あの……桃真くんと、最近、うまくいってるみたいで、嬉しいんです」
二葉が、指を、組みながら、言った。
「……そうか。良かったな」
太一は、心にもないことを、言った。
(二葉と桃真が、うまくいってる)
(それは、俺の目的に、合ってる)
(でも、素直に、喜べない)
「でも……私、太一くんに、利用されてるだけなのかなって」
二葉が、俯いて、言った。
声が、震えていた。
太一の心臓が、跳ねた。
「……は?」
「だって……太一くん、桃真くんのことばかり、見てるし。私のこと、どうでもいいのかなって」
二葉の目に、涙が、浮かんだ。
「ちょっと、待てよ。そんなこと、ない」
太一は、声を、荒げた。
「でも……本当のこと、言ってくれないじゃないですか。太一くん、何か、隠してる。私には、わかるんです」
二葉の涙が、頬を、伝った。
「あんた、二葉に、何てこと、言わせるの」
真澄が、太一を、睨みつけた。
静かな声。
でも、語気が、強い。
「俺は、別に、何も」
「二葉は、あんたの、道具じゃないのよ。利用するだけ利用して、桃真と仲良くなったら、捨てるつもりでしょ」
「違う! そうじゃない!」
太一は、叫んだ。
「じゃあ、なんで、教えてくれないんですか? 太一くんが、何を考えてるのか。私、太一くんのこと、信じたいのに」
二葉が、泣きながら、太一を見た。
(信じたい)
(二葉も、俺を、信じたいと、言ってくれている)
(なのに、俺は、予知夢のことを、話せない)
(話したら、二葉は、どう思う)
(おかしな奴だと、思うだろう)
(それとも、心配してくれるだろうか)
(でも、真澄は)
(真澄は、絶対に、信じない)
「……ごめん。今は、言えない」
太一は、絞り出すように、言った。
「……ごめんなさい。私が、悪いんです。太一くんに、無理に、聞こうとして。ごめんなさい」
二葉は、泣きながら、温室を、飛び出した。
「あんた、最低ね」
真澄が、太一を、一瞥した。
冷たい目。
「二葉が、どれだけ、あんたのこと、気にかけてるか。あんた、何も、わかってない」
真澄は、それだけ言って、二葉の後を、追いかけた。
温室に、太一が、一人、残された。
夕日が、ガラスに、反射して、太一の目を、刺した。
(最低)
(俺は、最低だ)
(二葉を、傷つけた)
(真澄に、嫌われた)
(桃真に、疑われた)
(全部、俺のせいだ)
太一は、その場に、しゃがみ込んだ。
涙が、出そうになった。
でも、出なかった。
(泣く資格なんて、ない)
太一は、立ち上がった。
温室を、出た。
夜。
太一は、自室のベッドに、仰向けに、寝転んでいた。
天井を、見つめる。
スマホが、震えた。
太一は、手を伸ばして、スマホを、取った。
桃真からの、メッセージ。
『今から、地獄坂の下に、来い。話がある』
短い、一文。
太一は、体を、起こした。
(桃真が、呼び出した)
(話がある)
(何の話だ)
(二葉の、ことか)
(それとも、俺の、行動のことか)
太一の胸に、嫌な予感が、広がった。
でも、行かなければ。
太一は、上着を、羽織って、家を、出た。
地獄坂。
夜の坂道は、街灯が、等間隔に、並んでいる。
その光が、アスファルトを、ぼんやりと、照らしていた。
太一は、坂を、下りた。
心臓が、うるさい。
(桃真は、何を、言うんだ)
(俺に、隠してること、あるだろ、って)
(また、言われるのか)
坂の下。
街灯の下に、桃真が、立っていた。
腕を組んで、太一を、待っていた。
「来たか」
桃真の声は、低く、真剣だった。
「……話って、なんだよ」
太一は、桃真の、三メートル手前で、足を止めた。
「お前、なんか、俺に、隠してること、あるだろ」
桃真が、単刀直入に、切り出した。
太一の心臓が、ぎゅっと、締め付けられる。
「……別に、ないよ」
「嘘つくな。毎日、ついてくるし、俺のこと、じろじろ見るし。二葉ちゃんも、お前のこと、泣いてたって、聞いた」
桃真の声が、強くなる。
「……二葉が?」
「真澄から、連絡があった。お前が、二葉を、泣かせたって。何があったんだよ」
桃真が、一歩、太一に、近づいた。
「……何もない。二葉が、勝手に、勘違いしてるだけだ」
「勘違い? 二葉ちゃんが、あんなに、泣くような、勘違いを、するかよ」
桃真の声が、初めて、太一に、怒りを、向けた。
「……俺には、どうすることも、できない」
「どうすることもできないって、なんだよ。お前、二葉ちゃんのこと、利用して、俺に、近づこうとしてたんだろ」
太一の、心臓が、止まりそうになった。
(桃真が、知ってる)
(俺が、二葉を、利用してたことを)
「……違う。それは、違う」
「じゃあ、なんで、二葉ちゃんが、あんなに、泣くんだよ。お前、二葉ちゃんに、何を、したんだよ」
桃真が、太一の、胸ぐらを、掴んだ。
「俺は、お前を、信じてた。なのに、お前は、俺に、何も、言ってくれない。二葉ちゃんを、傷つけて。一体、何が、したいんだよ」
桃真の目に、涙が、浮かんでいた。
(桃真が、泣いてる)
(俺のせいで)
(桃真を、泣かせた)
「……ごめん」
太一は、それしか、言えなかった。
「ごめん、じゃないよ。俺は、お前の、何が、知りたいんだよ。お前が、何に、苦しんでるのか。教えてくれよ。俺じゃ、信じられないのかよ」
桃真の声が、震えていた。
「俺は、お前の、親友だろ。なのに、なんで、何も、言ってくれないんだよ」
太一の喉の奥が、詰まった。
(言いたい)
(今、ここで、全部、言いたい)
(お前が、事故で、死ぬんだ)
(夢で、見たんだ)
(車の、ヘッドライト)
(お前が、振り返って)
(光に、飲まれる)
(だから、俺は、お前を、守りたいんだ)
(お前を、死なせたくないんだ)
でも、言えない。
言ったら、桃真は、どう思う。
(夢の話で、俺を、心配するか)
(それとも、俺を、おかしいと、思うか)
(どっちにしても、俺の、気持ちは、伝わらない)
(予知夢なんて、誰も、信じない)
「……ごめん。今は、言えない」
太一は、桃真の手を、振り払った。
「太一! 待てよ!」
桃真の、呼び声。
太一は、走り出した。
地獄坂を、上る。
全力で。
息が、切れる。
足が、もつれる。
それでも、走る。
桃真から、逃げる。
(ごめん、桃真)
(ごめん、二葉)
(ごめん、真澄)
(俺は、みんなを、傷つけてる)
(なのに、何も、言えない)
(言えないんだ)
坂の途中。
太一の足が、止まった。
街灯の下。
太一は、手すりに、縋りついた。
肩が、震える。
涙が、溢れてくる。
止められない。
「……うっ……ううっ……」
声を、殺して、泣いた。
涙が、頬を、伝って、地面に、落ちる。
夜風が、涙を、冷やしていく。
(誰も、信じてくれない)
(誰にも、話せない)
(桃真の、事故を、止めたいだけなのに)
(その行動が、桃真を、遠ざけて)
(二葉を、傷つけて)
(自分を、孤立させていく)
(もう、一人じゃ、無理だ)
太一は、初めて、そう、認めた。
(俺は、弱い)
(一人では、何も、できない)
(桃真を、守ることも)
(二葉を、守ることも)
(誰も、守れない)
太一は、手すりに、額を、押し付けた。
冷たい、鉄の感触。
涙が、止まらない。
その時だった。
背後から、足音が、近づいてくる。
砂利を、踏む音。
ゆっくりと。
確実に。
太一は、振り返れなかった。
(誰だ)
(桃真か)
(それとも、真澄か)
(それとも、全然、知らない、誰かか)
足音は、太一の、すぐ後ろで、止まった。
太一は、ぎゅっと、目を、閉じた。
涙が、また、溢れた。
夜風が、太一の、髪を、揺らした。
街灯の光が、太一の、震える肩を、照らしていた。Noveliaとは?
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