薬と恋とポーカーフェイス
現代日本の古志私立学園に転校生・猫猫(マオマオ)がやって来た。黒く短い髪、眠たげな目、薄いそばかす――第一印象はただの「地味」だ。しかし、その平凡な外見の裏には並外れた才能が隠されている。彼女は学校の保健室のベッドの下で自家製の薬草を乾燥させ、ジュースの成分を一瞬で分析し、化学の授業中に先生の間違いを何気なく指摘し、どんな状況でもポーカーフェイスを崩さない。
そんな彼女に最初に気づいたのは、生徒会長の壬氏(ジンシ)。廊下を歩くだけで女子が気絶するほどの超絶イケメンだ。彼が気になるのは、猫猫だけが彼を見ても表情を変えないこと。自己中心的な理由で、彼は彼女の周りをうろつき始める。
これが連鎖反応を引き起こす。副会長の李白(リハク)は「壬氏が興味を持つなら私も興味がある」と決意し、保健室の看護師・羅漢(ラカン)は猫猫の薬学知識に含み笑いを浮かべる。そしてクラスメイトの楼蘭(ロウラン)は密かに戦いを宣言し、誰にも壬氏の注目を奪わせまいと決意する。
猫猫の彼らへの反応はただ一言、「面倒くさい」。
そんな中、文化祭の準備が本格化し、重大な生徒会の書類が紛失するという危機が訪れる。壬氏が犯人
薬と恋とポーカーフェイス - 蛍光と銀杏と、そばにいてくれ
紫外線ライトの青白い光が、宮下の手に残っていた。
あの夜のことを、マオマオは朝になっても正確に覚えていた。光った指の形。袖口の付着パターン。書庫の金具を正面から握った角度。
甲志祭の当日。朝7時半の生徒会室は、いつもより空気が重かった。
壬氏が正面の椅子に座っている。漆黒の長い髪、深紅色の目。制服のボタンは今日こそ全部留まっている。その隣に李白、そして楼蘭。三人ともマオマオの方を見ていた。
マオマオは黒板の前に立った。
「[serious]昨夜、書庫の金具に触れた人物の手が光りました。会計担当の宮下さんです」
沈黙。
ドアが開いて、宮下が入ってきた。顧問の片岡先生が後ろについている。宮下は18歳、去年から生徒会会計を務めている男子生徒で、いつもは地味に書類仕事をこなしている印象しかなかった。
「[scared]あの……蛍光粉末なんて、飛散する可能性もあるんじゃないですか。僕は書庫の近くを通っただけで」
マオマオは黒板に向かった。白チョークで、素早く図を描き始める。
書庫の金具の正面図。指の腹の付着範囲。角度の計算式。
「[serious]この粉末の付着パターンは、金具を正面から握った場合にしか生じません。飛散では、指の腹にだけこの形では残りません」
壬氏が黒板を見て、少し固まった。
「[surprised]……お前、それ今描いたのか」
「[serious]はい」
「図が妙にきれいだ」
楼蘭が小声で言った。
「[whispers]今そこじゃないでしょ」
李白が横で笑いをこらえているのが、マオマオには見えた。
マオマオは構わず続けた。
「[serious]次に、この付着量から接触時間を逆算できます。5秒以上。通り過ぎただけでは生じない時間です」
宮下の顔が変わった。言い訳の言葉が出てこなくなった顔だ。
しばらくして、宮下は椅子に崩れるように座った。
「[crying]……わかりました。僕がやりました」
────
動機を話し始めた宮下の声は、最初は小さかった。
「[sad]壬氏さんがいると、自分の仕事が誰にも見えないんです。どれだけ頑張っても、全部会長の引き立て役で……」
外部の塾講師と組んで業者契約書を横流しし、書類を隠して壬氏を陥れた。匿名投稿もその塾講師が手を貸した。話が進むにつれて、宮下の目から涙が落ちた。
室内が静かになった。
マオマオは無表情のまま言った。
「[serious]気持ちは少しわかります」
全員が、マオマオを見た。
李白が目を細める。楼蘭が手のペンを止める。壬氏の深紅色の目が、じっとマオマオに向く。
マオマオはそれ以上の説明をしなかった。転校してから一人で化学実験室Bにいた時間のことも、メロンパンを一人で食べていた昼休みのことも、言わなかった。ただ、「少しわかる」と思ったから言っただけだった。
壬氏が、静かに立ち上がった。
宮下の前まで歩いて、頭を下げた。
「[serious]すまなかった、宮下」
誰も何も言わなかった。
壬氏が頭を下げる姿を、李白は胸のどこかで受け取った。
(またマオマオに変えてもらってる。あいつは……)
楼蘭は壬氏の横顔を見た。自分では引き出せなかったその表情を、静かに認めながら、ペンを握る指先に力が入った。
────
「[serious]書類は東館の理科準備室の天井裏に隠してあります」
宮下の自白で場所が判明し、壬氏・マオマオ・李白の三人が回収に向かった。
東館3階の理科準備室。棚の上に、小さな天井ハッチがある。
「[serious]背の高い方が効率的です」
マオマオが壬氏を見て言った。壬氏が棚に足をかけ、ハッチに手を伸ばす。
棚が、少し傾いた。
「[scared]わっ」
李白がすかさず下から押さえた。
「[sarcastic]でかいくせに不器用だな」
「[angry]うるさい」
言い返しながら天井裏に身を入れて、しばらくすると声が響いた。
「[excited]あったぞ」
書類の束が降りてきた。マオマオが受け取って、一枚一枚確認する。
「[serious]予算承認書、企画許可証、外部業者との契約書。全部揃っています。日付と印鑑も損傷なし」
壬氏が天井裏から降りてきた。埃だらけだった。制服の肩と膝が白くなっている。
マオマオが口を開く。
「[serious]制服の埃は重曹水で——」
「[sarcastic]猫猫、今言わなくていい」
マオマオが少し黙った。
「……そうですか」
李白が笑った。壬氏も、埃を払いながら苦笑いした。
────
顧問の片岡先生が、書類を確認した後で言った。
「[gentle]甲志祭、予定通り実施します」
生徒会室で、書記二人がガッツポーズをした。
────
昼。中庭ステージが開いた。
コウシ学園の「甲志祭」——今年で42回目。中庭には来場者と生徒が混ざって、屋台の匂いと話し声が混じり合っている。焼きそばの煙が風に流れていく。大銀杏の葉が、黄色く色づいたまま枝にいる。
マオマオは客席の端に座っていた。周りが賑やかなのと対照的に、ひとりで静かにステージを見ていた。
壬氏がマイクを持って立った。
全校生徒がそちらを向く。ざわめきが、少しずつ収まっていく。
「[serious]書類消失の件は、解決しました」
声がよく通った。
「[cold]俺を信じてくれなかった人たちを、責める気はない」
短い沈黙。
「[gentle]でも……どん底の時に、一人だけ、損益計算で信じてくれた人がいた」
壬氏の視線が、客席を動いた。
そして、端に座っているマオマオのところで、止まった。
顔がいいのに評判を落とすメリットがない。自分が保健室で言われた言葉が、壬氏の口から全校生徒の前に出てきた。
マオマオは一瞬、何が起きているかわからなかった。
それから気づいた。全員が自分を見ている。
胸の奥で、何かが急に動いた。体温が顔に集まってくるのがわかった。耳が熱い。頬が熱い。こんな感覚は生まれて一度もなかった。
マオマオは慌てて手を顔の前に持っていこうとしたが、隠しきれなかった。
隣の書記の女子が、そっと言った。
「[whispers]猫猫さん……顔、赤くないですか」
「[serious]……気温の変化で血管が拡張しているだけです」
声が、いつもより少し小さかった。
斜め後ろの席で、李白が静かに拳を握った。視線は前に向けたまま。
楼蘭が、小声で独り言のように言った。
「[cold]あの子、今日初めて人間みたいな顔したわね」
唇を噛みながら。
────
後片付けが始まって、来場者が引いていった。
中庭の空気が、急に静かになった。屋台の煙が薄れて、人の声が遠くなる。大銀杏の黄色い葉が、一枚一枚、石畳に落ちていく。
マオマオが一人で歩いていた。実験室に戻ろうとしていた。落ち葉を踏む音が小さく響く。
後ろから足音が来た。
壬氏だった。
大銀杏の根元で、並んで立ち止まる形になった。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
風が通って、銀杏の葉が数枚、二人の間を落ちていった。
壬氏が、前を向いたまま言った。
「[gentle]お前がいなかったら、俺は本当にダメだったかもしれない」
マオマオは何も言わなかった。
また少し沈黙があった。
「[gentle]……ありがとう。これからも、俺のそばにいてくれ」
小声だった。
マオマオの胸の奥が、またさっきと同じように動いた。今度はさっきより大きく。
「[surprised]……それは、どういう意味ですか」
壬氏が、自分が言った言葉の重さに気づいた顔になった。耳が赤くなった。
「[excited]い、いや! 生徒会の手伝いとしてだ! 書類の整理とか、コーヒーメーカーの水垢とか、そういう意味で!」
早口だった。
マオマオは少し考えた。
「[serious]……コーヒーメーカーの水垢は月に一回で十分です」
「[angry]そこじゃない!」
叫んでから、壬氏は口を閉じた。
マオマオも黙った。
二人とも、耳まで赤いまま、次の言葉が出てこなかった。銀杏の葉が一枚、二人の間にひらりと落ちた。
────
校舎の陰から、李白が見ていた。
楼蘭が隣に来て、静かに言った。
「[cold]あの二人、放っておいたらどうなるかしらね」
李白は少し間を置いた。
「[cold]……さあな」
それだけ答えたが、視線は二人から離れなかった。
────
後片付けが終わり、校舎に夕暮れの光が差し込んでいた。
本館2階の廊下の窓。羅漢先生が一人で、中庭の大銀杏を見下ろしていた。
白衣のポケットから、折り畳んだA4の紙を取り出す。古い論文だった。表紙が少し黄ばんでいる。
表紙に書かれたタイトルの下に、著者の名前がある。
猫猫。
窓から差し込む光の角度で、論文の発表年がちらりと見えた。約20年前。
マオマオの字面と同じ名前が、20年前の論文に載っている。
羅漢は論文を丁寧に折り畳んで、ポケットに戻した。
そして窓から離れながら、小さく呟いた。
「[whispers]さて、そろそろ動き時かな」
廊下の奥へ、静かに消えていった。
中庭では、大銀杏がまだ葉を落とし続けていた。