うちの猫が、イケメンになって帰ってきた件について
中学2年生の田中青衣は、7年間大切に飼ってきた黒猫のクロと一緒に暮らしている。ふわふわでちょっとわがまま、でも彼女にとっては絶対の愛猫だ。
ある朝、青衣が目を覚ますと、クロのベッドに見知らぬイケメンの少年が眠っていた。黒い髪に黄金色の瞳を持つ彼はこう言った。「ついに人間になったよ。ずっと待ってたんだ、青衣。」
クロは今、イケメン男子になっていた。そして過去7年間のすべてを覚えている。
恨みも全部。
「爪を切ったよね。痛かったんだよ」「お風呂に入れられたの、許さない」「わざとブラシを長く使ったでしょ」
そのリストは日付付きで続く。自分を黒崎蓮と名乗るその少年は、“復讐”を開始した――それはまさに猫らしい仕返しだった。お菓子を全部先に食べる。午前3時に起こす。筆箱を机から落とす。青衣はちゃんと怒ることもできない。
でも、あることに気づき始める。蓮は迷惑なイタズラをするのは、いつも青衣のすぐそばにいる時だけ。いつも近くで、いつも見ている。
事態はさらに悪化する。蓮が転校生として学校に現れ、なんと青衣のクラスに入ってきたのだ。クラスの女子はみんな彼に夢中になり、青衣の親友・西村陽
うちの猫が、イケメンになって帰ってきた件について - 君の手を離さない、獣返しの夜に
玄関に出たあおいが最初に見たのは、普段着のままぼんやり突っ立っている蓮だった。
あおいは浴衣の帯をきゅっと締め直してから、目の前の光景を二度見た。
「[surprised]……れん。なんで浴衣着てないの」
「[cold]猫は服とか知らない」
平然と言い切る。
あおいは頭を抱えた。
(そういう問題じゃないでしょ!!)
玄関先でしばらく考えてから、押し入れを引っ張り開けて父の甚平を引っ張り出した。紺色の格子柄。父は自分より少し小柄なので、蓮が着たらどう見ても\u2026\u2026。
「[serious]着て」
「は?」
「[serious]着てって言ったの。早く」
蓮は少し間を置いたあと、渋々甚平を手に取った。
結果は予想通りだった。袖が手首で終わっている。裾も少し短い。蓮の長い足がすらっとはみ出ていて、どこかコサックダンスをする人みたいな見た目になっている。
「[serious]サイズ合ってないだろ、これ」
「[laughing]合ってない! でもないよりマシ!」
蓮はじろっとあおいを見た。でも反論はしなかった。諦めたらしい。
二人で並んで玄関を出ると、夜の空気が少しひんやりしていた。十月の夜は早く冷える。あおいの薄い浴衣の袖から、秋風がすり抜けていく。
カグラ丘に向かって歩いていくと、石段の手前の参道から、もう提灯の明かりと屋台の匂いが漂ってきた。焦がし醤油と油の混ざった匂い。たこ焼き、焼きそば、あとは何だろう。
蓮が鼻をひくひくさせた。
猫みたいに。完全に猫みたいに。
(クロ)
あおいは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。七年間ずっと一緒にいた、あの小さな黒猫。縁側で日向ぼっこしてたクロ。あたしが泣いてると膝の上に乗ってきたクロ。
でも。
次の瞬間、目に入ったものが、その温かさを冷やした。
蓮の右半身が、提灯の橙色の光の中で、ぼんやりと透けていた。夜空が、蓮の肩越しに見えている。服の向こうに、石畳が透けて見えている。
あおいは唇を噛んだ。
「れん」
「なに」
「[whispers]……手、握ってていい?」
一拍の間があった。
「[cold]……好きにしろ」
ぶっきらぼうな返事。あおいは蓮の左手を、ぎゅっと握った。
温かい。消えかけているのに、温かい。
横目でちらっと見ると、蓮の耳が少し赤くなっていた。あおいは気づかないふりをして、前を向いて歩き続けた。
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儀式まで少し時間があったので、二人は屋台の並ぶエリアをひやかして歩いた。
焼きそば、りんご飴、射的、そして——金魚すくい。
蓮が、ぴたっと止まった。
あおいは一歩歩き過ぎてから、振り返った。
蓮が金魚を目で追っている。水槽の中をゆらゆら泳ぐ金魚を、真剣な顔でじっと追いかけている。体が、じわじわと前傾姿勢になっていく。
(あ、これ本能が出てる)
「[scared]ちょっと待って待って待って!」
あおいは蓮の甚平の袖を両手で引っ張った。
「[cold]見てただけだ」
「[serious]目が本気だった! 狩りの目だった!」
「見てただけだと言っている」
それでも蓮は引きずられながら、金魚から目を離さなかった。名残惜しそうに、首だけ後ろに向けて。
あおいはもうツッコむ気力もなくなって、ただ引っ張り続けた。
でもその次の瞬間、繋いでいた手の力が、急に弱くなった。
蓮が握り返す力が、すっと抜けた。
あおいが蓮の右腕を見ると——肘から先が、ほぼ完全に透明になっていた。服の袖ごと消えかけていて、その向こうに夜空の星が透けて見える。
「[serious]蓮」
「[cold]……気づいてたか。時間のせいだ。どうにもならない」
静かな声だった。諦めに似た、落ち着いた声。
あおいは歩調を速めた。蓮の左手をもっとしっかり握って、御神木の方向に引っ張った。
「[serious]どうにかするから」
「お前が言っても——」
「[serious]どうにかするって言ったの」
キッパリ言った。振り返らずに。
蓮は何も言わなかった。でも抵抗せずについてきた。握られた左手を、確かめるようにそっと握り返しながら。
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儀式の時間になると、参拝者たちが御神木の前に集まってきた。
毎年恒例の「獣返しの祭」——カグラ神社に伝わる秋の祭事で、参拝者は紙で折った動物を川に流す。動物の魂が迷わないように、という名目の行事だ。提灯の光が列をなして、老若男女が手に小さな紙の動物を持って集まってくる。
あおいと蓮は、人混みの端に立った。
月明かりが御神木——樹齢三百五十年の大楠——を白く照らしている。巨大な幹が夜空に向かって伸びていて、その枝が月を半分隠すように広がっている。
蓮の体が、どんどん薄くなっていた。
右半身だけでなく、左肩まで。月明かりの中で、蓮の輪郭がはっきりしなくなっていく。でも金色の瞳だけが、はっきりと月の光を反射していた。
二つの金色が、夜の中で光っている。
蓮が、口を開いた。
「[gentle]もういいよ、あおい」
あおいは顔を上げた。
「[gentle]猫に戻っても……ちゃんとそばにいるから」
微笑んでいた。泣きそうで、でも優しい笑顔だった。七年間ずっとそばにいた、クロの顔と、重なった。
あおいの目から涙が出た。
止められなかった。ぼたぼたと、浴衣の胸元に落ちた。
あおいは蓮に向き直った。正面から。透けかけた体を、両腕でぎゅっと抱きしめた。
「[crying]戻らないで!」
声が震えた。でも続けた。
「[crying]あたしは蓮が好き! 猫のクロも大好きだったけど——人間の蓮が好きなの。ずっと一緒にいたい。それだけ!」
月明かりの下で、あおいの涙が蓮の胸に落ちた。
その瞬間。
蓮の体に、金色の光の線が走った。
透明だった部分が、端から端へと急速に実体に戻っていく。右肩、右腕、右手——輪郭がくっきりして、色が戻って、温度が戻って。まるでろうそくの炎がじわじわと広がるみたいに、蓮の体が元に戻っていった。
御神木の葉が、風もないのにざわざわと揺れた。
周囲の参拝者は不思議に思わなかったようだった。ただ祭の夜の穏やかな光景として、そのまま流れていった。
蓮の腕が、ゆっくりあおいの背中に回った。
「……俺も」
声が低かった。かすかに震えていた。
「[serious]7年間、ずっと……ずっとお前が好きだった」
あおいは抱きしめられたまま、声を出せなかった。泣きながら、うん、と頷いた。
二人は、古文書の言葉をようやく理解した。
《絆を月に誓えば、人の姿は定まる》——それは月に向かって祈ることじゃなかった。月の下で、互いの本音を伝え合うこと。それが、答えだった。
御神木の葉が、もう一度さらさらと揺れた。まるで祝福するみたいに。
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手を繋いだまま、参道を降りた。
提灯の明かりの中を歩きながら、蓮がしばらく黙っていた。あおいも黙っていた。でも静けさは重くなくて、どこかほっとした空気が二人の間に漂っていた。
石段の半分くらい降りたところで、蓮がぽつりと言った。
「[sarcastic]でも復讐リストはまだ残ってるからな」
「え」
「[sarcastic]2020年7月のシャンプー事件。覚えてるよな」
あおいは一瞬固まった。
それから頬を膨らませた。
「[angry]今この状況でそれ言う!?」
「[cold]言う」
「ほんとにもうやだなあ!!」
蓮が口元をかすかに緩めた。笑っている。あおいはムカついたけど、繋いだ手は離さなかった。離す気にもなれなかった。
このまま。このままでいい。告白の後も、変わらずこういうやり取りをする二人のままでいい。それがなんだか、すごく安心した。
ナカミセ通りに差し掛かったところで、シャッターの半分降りたたい焼き屋「カワセ」の前を通った。
店じまいの最中だった。七十二歳の店主、川瀬源一郎が鉄板を片付けながら、ふと顔を上げた。
蓮を見た。
ゆっくりと、目を細めた。
「[gentle]……やっぱりお前さんか」
低くて穏やかな声だった。長い年月を生きてきた人間の声。
「[gentle]よかったなあ」
蓮が驚いて、「知って——」と言いかけた瞬間には、源一郎はもう店の奥に引っ込んでいた。
あおいと蓮は顔を見合わせた。
源一郎はヒトガエリのことを知っていたのか。知っていたなら、いつから。どこまで。——確かめる術は、今夜はもうない。
二人は無言のまま、また歩き始めた。
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翌朝、田中家の縁側。
蓮が甚平のまま——昨夜、返し忘れたらしい——縁側に座って、朝の日差しの中でうとうとしていた。猫みたいに背中を丸めて、目を半開きにして。
猫の習慣は、完全には抜けていない。
あおいが宿題のノートを広げると、蓮が横から覗き込んできた。
「[serious]この問題、答え違う」
あおいはノートから顔を上げた。
「[surprised]え、何でわかるの!?」
「[cold]わかる」
「[surprised]何で猫が数学わかるの!!」
「[cold]失礼な。見ればわかるだろ」
あおいはノートを引っ手繰って確認した。……本当に間違えていた。
「ほんとにもうやだなあ」
そのとき、スマホが鳴った。
ひなたからのLINEだった。
《明日三人で帰ろうね! わたしの分のたい焼きもちゃんと買うこと》
古い写真のスタンプが一緒に届いた。三人で並んで写っている、去年の文化祭のやつ。あおいとひなたと——その頃はまだ、蓮じゃなくてクロが田中家にいた頃の、三人になる前の写真。
あおいは微笑んだ。
ひなたへの後ろめたさと、感謝と、なんか複雑な気持ちがまだ胸の中にあった。うまく言葉にはできない。でも、友情は続いている。形を変えながら、それでも続いている。
蓮がスマホ画面を横から見ていた。
「[cold]ひなたか」
「うん」
蓮は一瞬だけ、何か言いかけた。でも結局、また縁側に向き直って、日差しの中でぼんやりした。
あおいはひなたに返信を打ちながら、縁側で半分眠りかけている蓮の横顔を見た。黒い髪。金色の瞳。長い足が縁側からはみ出ている。
(いる。ちゃんといる)
それだけで、十分だった。
夜になった。
満月が昇った。
縁側で眠りかけていた蓮の金色の瞳が、月明かりに照らされた瞬間——かすかに、ゆらゆらと揺れた。
水面に映った炎みたいに。不安定に。
人間化は定着したはずなのに。昨夜の光が体に走ったのに。それでも満月の夜、蓮の金色の瞳には、何かがまだ残っている。
あおいは気づかないまま部屋に入って、ノートを閉じて、電気を消した。
縁側には月明かりだけが残った。
次の満月の夜に、何が起きるのか——まだ誰も知らない。