呪いより重い、君への気持ち
東京の春風高校、3年B組は決して普通のクラスではない。
五条サトルは圧倒的なイケメンで学年トップだが、その巨大な自尊心のせいで、女子を泣かせたり怒らせたりすることもしばしば。自分を嫌いな女子など存在しないと本気で信じていて、それがみんなを狂わせている。
虎杖イタドリは学校で誰よりも速く走り、戦い、力も強いが、成績は散々で、どんなトラブルも「なんとかなるさ!」と明るく受け流す。誰も彼に怒り続けられない。それがまた腹立たしい。
そんな中、転校生の釘崎ノブコが初日に教室に入り、五条を真っ直ぐ見つめて言う。「あんた、最低ね。」教室は騒然となり、混乱が始まる。
ノブコは五条を大声で、熱烈に、全力で嫌っている。しかしなぜかいつも五条のすぐ隣にいる。五条は授業中ずっと彼女から目が離せない。そしてイタドリは、彼女を笑顔にしたいのは自分だと徐々に気づく。
数週間、三人は壮絶にぶつかり合う。宿題の手伝いに隠れた嫉妬、間違った相手に告白が届く事件、そしてドッジボール大会がいつの間にか感情の戦場に。
そして文化祭の準備中、五条はついにノブコに「好きだ」と告げるが、いつもの自信満々な口調で「俺に好か
呪いより重い、君への気持ち - ちゃんと言え——飾らない言葉を探した3日間
ノブコの席が、今日も空っぽだった。
椅子が完璧な角度で机の下に収まっている。誰かがそこに座っていた痕跡が、何もない。
五条サトルは自分の窓際の席に座りながら、その空っぽを横目で見た。見るつもりはなかった。でも見ていた。
反省文3日目が明けた朝だった。鬼塚先生の大声も、生活指導室の長いテーブルも、もう終わりだ。でもイタドリとはまだ口をきいていない。ノブコはまだ来ていない。何も解決していないのに、ただ3日間が経っただけだった。
クラスの空気は相変わらずだった。話しかけてくる人間はいない。無視されているわけでもない。ただ——なんとなく、誰も五条の方を向かない。それが正直、怒鳴られるより重かった。
授業が始まった。朝比奈先生の国語。黒板に問題が書かれる。
「では五条くん」
名前を呼ばれた。反射的に立ち上がる。黒板を見る。
……何の問題だったか、全然聞いていなかった。
「[serious]えっと——」
一秒の沈黙。クラスが静まり返る。
「[serious]……語順が、逆、だと思います」
問題は助詞の選択だった。語順は関係ない。
クスッ、と誰かが笑った。一人だけ。でもすぐにまた静かになった。笑い声が続かないことが、かえって気まずかった。
「[gentle]座っていいですよ」
先生の声に、かすかに呆れが混じっていた。五条は座った。
窓の外に目をやる。雲が多い空。ハルカゼ通りの屋根が見える。その先に住宅街が続く。
(ノブコ、今頃どうしてるんだろう)
教室後方から、ページをめくる音がした。伏黒メグミが本を読んでいた。授業中なのに。でも先生は何も言わない。伏黒が授業中に本を読んでいても、なぜか誰も何も言わないのだ——たぶん伏黒の成績が良すぎるせいで、先生も何も言えないのだろう。
五条はロッカーの上のサボテンを一度だけ見た。
青々と、変わらずそこにいた。
---
放課後。
屋上の扉を押し開けると、乾いた秋の空気が顔に当たった。
五条はプラスチックのベンチに座り込んだ。フェンスの向こうに、カスミガオカの街が広がっている。ミナミハルカゼ駅のホームが遠くに見える。今頃あそこから電車に乗って、どこかへ行く人間がいる。自分には関係のない話だ。
チョコクリームのパンを食べる気にもなれなかった。今日は何も買っていない。ただ座っているだけだった。
足音が聞こえた。
扉が開く。
出てきたのは——伏黒メグミだった。
青みがかった黒髪のロングストレートが、秋風に少しだけ揺れる。本を脇に抱えたまま、ゆっくりと歩いてくる。五条のことを見ているのか、見ていないのかよくわからない、落ち着いたグレーの瞳。
五条は少し驚いた。伏黒とほとんど話したことがない。クラスのまとめ役、とは聞いたことがあるが、実際に絡んだ記憶がない。いつも本を読んでいて、ものすごく静かで、でも何かを全部見ているような——そういうやつだという印象しかなかった。
伏黒はベンチの近くまで来て、五条の隣には座らなかった。給水タンクの脇に立ったまま、フェンスの向こうを見た。
沈黙。
「[cold]……おまえら二人とも、バカか」
開口一番にそれだった。
五条は顔を上げた。
伏黒は景色を見たまま、本を抱えている。こちらを向いていない。でも声はちゃんと五条に届いていた。
「[serious]どういう意味だ」
「[serious]ノブコさんは、嫌いな相手には何も言わない」
淡々としていた。事実を読み上げるみたいに。
「最初から最悪って言ってたけど」
「[serious]そう。だから——嫌いじゃないんですよ、君のこと」
五条は黙った。
「[serious]どうでもいい人には、何も言わない。関わらない。それがノブコさんのやり方です。前の学校でもそうだったんじゃないですか」
(……前の学校。孤立していた、と誰かが言っていた)
伏黒が続ける。
「[serious]君は頭がいい。でも一番大事なところだけ、バカです」
「[sarcastic]そりゃどうも」
「[serious]ちゃんと言ってください。飾らないで。格好つけないで」
それだけ言って、伏黒は踵を返した。
扉に手をかける。
一瞬だけ振り返った。
「[cold]あと、サボテンに水やっておきました」
扉が閉まった。
五条は一人になった。
サボテン?
ぽかんとしていたら、秋風が吹き抜けた。
じわじわと、胸の中に何かが広がってきた。
ノブコが転校してきた日から、ずっとそこにいたあのサボテン。誰も水をやらなかったあのサボテン。ノブコが「水をやらないと枯れるわよ」と言っていたあのサボテン。
——伏黒が、水をやった。
頼まれてもいないのに。誰かに言われたわけでもなく。ただ、そこにあったから。
(飾らないで。格好つけないで)
伏黒の声が、頭の中でもう一度流れた。
五条はしばらく空を見ていた。
---
その夜。
五条家のマンション、11階のリビング。父親は今日も不在だった。テーブルの上に、ルーズリーフが広げてある。
ペンを走らせる。
「釘崎、お前に謝りたい——」
止まる。消す。
格好つけてる。「謝りたい」って、俺が主語すぎる。
もう一枚。
「お前のことが、本当に好きで——」
止まる。消す。
これも違う。「本当に」ってなんだ。「本当に」をつけなきゃいけない時点で、嘘みたいだ。
また一枚。
「俺は最低だった——」
消す。
自己嫌悪を書いてどうする。ノブコに読ませてどうなる。
ルーズリーフが三枚、ゴミ箱に落ちた。ポフッ、ポフッ、ポフッ、と情けない音を立てて。
五条はペンを置いた。天井を見上げる。
どの言葉も、どこかで格好をつけていた。「謝りたい俺」を見せようとしている。「本気な俺」を伝えようとしている。ノブコのことを書いているのに、書いているのは全部「俺」だった。
飾らないで。
じゃあ、飾らない言葉って何だ。
ペンを持ち直して、また書こうとして——止まった。
答えは、まだなかった。
---
翌朝。
昇降口で、下駄箱に向かっているイタドリの背中が見えた。金色のふわふわした頭。大きな体。相変わらず肩幅がある。
五条は後ろから呼んだ。
「[serious]虎杖」
イタドリが振り返った。一瞬、目が合う。それからそっぽを向いた。
靴を履き替え続けている。
五条は近づいた。イタドリの隣に立って、自分のロッカーを開ける。ちゃんと見えるところに立つ。
それから、黙って頭を下げた。
「[serious]お前の言う通りだった。俺は、ノブコの気持ちを全然考えてなかった。ごめん」
昇降口がにわかに静かになった気がした。朝の話し声が遠くなる。
イタドリが黙っている。
二秒。三秒。四秒。
「[laughing]——まあ、なんとかなるっしょ!」
顔を上げると、イタドリが八重歯を見せて笑っていた。あの笑顔だ。いつもの。
「[serious]でも文化祭、あと3日でやばいからな。手伝えよ、絶対」
「[serious]……わかった」
イタドリが五条の背中をバシッと叩いた。
「[laughing]よし!」
「[sarcastic]痛い。加減しろ」
「[laughing]えー、これくらい余裕っしょ!」
「[sarcastic]余裕じゃない。普通に痛い」
「[laughing]お前さ、謝るより怒るほうが早いよな」
五条は何も言わなかった。
それは、正しかった。
---
昼休み。
3年A組の教室がざわついた。
発端は、伏黒の席だった。
クラスメートの一人が、伏黒の机の端に置いてあった大きな紙を見つけた。広げると——A3サイズのお化け屋敷の設計図だった。
通路の幅。お化け役の配置。暗転のタイミング。効果音の指示。受付からスタートまでの動線。誘導の仕方。全部、細かい文字でびっしりと書き込んである。
そして、図面の隅っこに——小さな四角い部屋のマークと、その横に小さく「犬ぬいぐるみ設置場所(隅)」と書いてあった。
「[surprised]……これ、伏黒が作ったの?」
伏黒は本から目を上げなかった。
「[cold]そうですけど」
「[surprised]誰にも頼まれてないよね?」
「[cold]……別に」
教室がどっと沸いた。
「すご! めちゃくちゃちゃんとしてる!」「これ全部計算してる?」「動線完璧じゃん!」
声が重なる。お化け屋敷の準備がほぼ止まっていた3日間の穴を、伏黒が一人で全部設計していた——その事実が、クラス全体を一気に動かした。
「[surprised]待って待って、犬のぬいぐるみって何!?」
「[cold]違います」
「[laughing]いや、絶対犬が理由でしょ!」
「[cold]違います」
誰も信じなかった。教室に笑い声が満ちた。本当に久しぶりの笑い声だった。
五条とイタドリが和解して二人で動き始めたことで、クラスの空気が少しずつ動いていた。それに伏黒の設計図が重なって——放課後の準備は、久しぶりに全員で動く形になった。段ボールを運ぶ。暗幕を張る。指示を出す。イタドリが重い荷物を軽々と運んで、また頭を何かにぶつけて笑いを取った。
五条は黒板の横に設計図を貼り付けながら、一度だけノブコの席に目をやった。
空っぽのまま。
隣でイタドリが段ボールを積み上げながら、何も言わなかった。気づいているはずなのに、何も言わずに次の箱を運んだ。
——言葉にならない了解が、二人の間にあった。
---
夜。
五条は釘崎家の前に立っていた。
ミナミハルカゼ駅から徒歩12分の住宅街。木造2階建ての家。表札に「釘崎」と書いてある。二階の窓に明かりがついている。薄いカーテン越しに、電気の光が漏れている。
深呼吸した。
インターホンを押した。
しばらく待つと、受話器越しに声がした。
「[gentle]……はい」
落ち着いた声だった。年配の女性の声。ノブコの祖母だろう。
「[serious]あの、3年A組の五条と申します。ノブコさんに——」
「[gentle]ノブコは、会いたくないそうですよ」
丁寧だった。静かだった。でも答えははっきりしていた。
五条は玄関先に立ったまま、一度目を閉じた。
飾らないで。
格好つけないで。
伏黒の声が、また頭の中で流れた。
五条は大きく息を吸って——叫んだ。
「[excited]明日、文化祭に来てくれ!」
夜の住宅街に、声が響いた。
「[excited]俺、ちゃんと言うから! 今度こそちゃんと言うから!」
近所の犬が吠えた。どこかの窓の電気がついた。
返事はなかった。
インターホンの向こうが静かになっている。祖母が受話器を置いたのかもしれない。
五条は二階の窓を見上げた。
明かりはついている。薄いカーテン。その向こうに人影があるかどうか、暗くてわからない。
カーテンが——一度だけ、揺れた。
風かもしれない。ノブコが動いたのかもしれない。どっちかわからない。
返事は来なかった。
五条はしばらく玄関先に立っていた。
それから、歩き出した。
来た道を戻る。住宅街の街灯が、ぽつぽつと足元を照らしている。格好悪かった。叫んで、犬に吠えられて、カーテンが揺れたかどうかもわからないまま帰る。全然格好良くない。
でも——格好をつけなかった。
それだけは、本当だった。
明日、ノブコが来なかったら——という不安が、胸の奥にある。初めてちゃんと直視した。怖い。来なかったらどうする。どうすればいい。答えはない。
でも五条は歩き続けた。
明日の朝を、待つしかなかった。