甘い嘘と苦い本音
カリスマデザイナー・飴村亂數、24歳。幼い外見と無邪気な笑顔でシブヤの若者たちを魅了する彼には、誰にも言えない秘密があった——中王区の極秘プロジェクトが生み出した、感情を持つクローン人間だということを。命をつなぐ特製飴が尽きたとき、追手の影が忍び寄る。天才医師・神宮寺寂雷だけが知る、彼の本当の姿。甘い笑顔の裏に隠された苦い本音が、静かに胸を締めつける。これは、嘘と本音のあいだで生き続ける一人の男の物語。
甘い嘘と苦い本音 - 仮面の下の飴玉 ~シブヤに咲く、俺たちの居場所~
雨は、まだ降っていた。
シブヤ・アンダーグラウンドの空気は、夜明け前の冷たさと、鉄の匂いに満ちていた。古い地下鉄網の名残であるこの地下街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。ネオンサインの光が、水たまりに反射して、紫色に揺れていた。
乱数は、隠れ家の壁に背中を預けて、息を潜めていた。
(来た)
気配で分かった。複数。五人、いや、七人。足音はほとんどない。呼吸の音も、服の擦れる音も、完璧に殺している。それが逆に、彼らの正体を物語っていた。
中王区の粛清局。通称、掃除屋。
社会の「ゴミ」を掃除する者たち。彼らにとって乱数は、感情を持つというだけで処分対象になる、失敗作のクローン人間だ。
(昨日の夜から、ずっと張ってたんだな)
乱数は、ポケットの中の飴瓶を握りしめた。
カラカラ。
空っぽの音がした。
最後の一粒は、昨日の雨の中で、飲み込んでしまった。
特製飴。神宮寺寂雷の研究室でしか作れない、乱数の命綱。月に二十粒しか製造できない、希少な飴。それがなければ、乱数の細胞は崩壊を始める。
指先が、震えていた。
飴切れによる痺れが、手の先から腕へ、腕から肩へと、ゆっくりと広がっていく。心臓が、時々、一拍、跳ねる。そのたびに、胸の奥で、ぐちゃり、と嫌な音がした。
(体が、もたない)
(でも、もう逃げない)
乱数は、ゆっくりと、目を開けた。
大きく丸い琥珀色の瞳。その奥に、決意の光が宿っていた。
隠れ家の奥から、静かな声がした。
「乱数、こっちだ」
夢野幻太郎。黒髪の長めの髪を後ろで軽く結んだ、書生のような風貌の男。知的で落ち着いた濃い紫色の瞳が、暗闇の中で、じっと乱数を見つめていた。
「隠し扉の準備はできてる。いつでも出られるよ」
「おう、俺のサイコロも準備万端だぜ!」
有栖川帝統。茶髪の無造作ヘアに、明るい茶色の瞳。常に携帯しているサイコロを、手のひらで転がしている。その瞳は、いつものようにキラキラと輝いていた。
「……二人とも、ありがとう」
乱数の口から、低い声が漏れた。
地声。
普段、乱数が必死に隠している、男らしい低い声。
「俺は、もう逃げない。ここが、俺の居場所だ」
乱数は、そう言って、ヒプノシスマイクを握りしめた。
キャンディ型の装飾が施された、特注品のマイク。シブヤのデザイナーらしい、可愛らしい見た目。でも、それは、ただの飾りじゃない。
乱数の、武器。
「俺は、ここで戦う」
その時。
ガン、と、隠れ家の外で、重い音がした。
鉄の扉を、何かが叩いた。
「中にいるのは分かっている。飴村乱数、出てこい」
外から、無機質な声が響いた。
感情のない、機械のような声。
「……来たか」
乱数は、静かに、隠し扉の方へ歩き出した。
その時、幻太郎が、乱数の肩に手を置いた。
「君は嘘が下手だね」
幻太郎は、静かに、そう言った。
「今の君は、嘘をついていない。それだけで、十分だよ」
乱数は、幻太郎の顔を見た。
幻太郎の瞳は、いつものように、何を考えているか読めない。でも、その奥に、確かな温かさがあった。
「そうだぜ、乱数!」
帝統が、乱数の頭を、ぐしゃぐしゃと撫でた。
「賭けようぜ。俺たちが勝ったら、お前は俺たちの仲間だ。サイコロが決めた!」
帝統は、サイコロを、高く放り投げた。
カラカラ。
サイコロが、床に落ちて、転がる。
出た目は、6。
「上等だ!運は俺たちにある!」
帝統は、笑った。
乱数は、仲間の顔を、一人ずつ見た。
幻太郎。帝統。
そして、隠し扉の向こうにいる、もう一人の男。
「……行くぞ」
乱数は、隠し扉を開けた。
外は、まだ暗かった。
雨が、容赦なく、乱数の体を打つ。
冷たい。
でも、心は、不思議と熱かった。
「遅かったな、乱数!」
聞き覚えのある声。
黒髪の短髪に、赤いメッシュ。強気な赤い瞳。左目の下と唇の左下に、ほくろ。
山田一郎。イケブクロ・ディビジョン代表。Buster Bros!!!のリーダー。
「お前の居場所は、ここだろ。勝手に消えんな」
一郎は、そう言って、乱数の隣に立った。
その後ろには、二人の弟の姿があった。
山田二郎。高校二年生。行動力があり、兄・一郎を神格化している。
山田三郎。中学三年生。何でもそつなくこなす天才肌で、ITやコンピューターに強い。
「兄貴の言う通りだ。お前は、もう一人じゃない」
「データは揃ってる。掃除屋の違法性を、証明できる」
三郎は、スマートフォンを操作しながら、冷静に言った。
乱数は、一郎たちの顔を見た。
(……みんな、来てくれた)
胸の奥が、じわりと温かくなった。
(俺は、一人じゃない)
乱数は、ヒプノシスマイクを、ぎゅっと握りしめた。
「……ありがとう。でも、これは俺の戦いだ。お前たちを巻き込むわけには……」
「今さら遅いぜ!」
一郎は、笑った。
八重歯が見える、無邪気な笑顔。
「困ってる奴を放っておけないだけだ!」
一郎は、自分のヒプノシスマイクを取り出した。
頑丈な金属製の、萬屋ヤマダのロゴ入りのマイク。
「行くぞ、お前ら!シブヤとイケブクロの、共同戦線だ!」
「応!」
「了解」
「僕たちも、負けていられないね」
「賭けの続きだ!俺たちが勝つ!」
五人は、一斉に、シブヤの中心街へと走り出した。
掃除屋の包囲網を、突破するために。
雨の降るシブヤ中心街。
シブヤ・クロスロード。世界一のスクランブル交差点。
いつもなら、若者で溢れかえっているこの場所も、夜明け前の今は、人通りが少ない。
でも、その分、異様な光景が、はっきりと見えた。
黒ずくめのスーツを着た男たち。
掃除屋。
全部で、二十人以上はいる。
彼らは、乱数たちを取り囲むように、ゆっくりと、包囲網を狭めていた。
「飴村乱数。観念しろ。お前の居場所は、どこにもない」
先頭に立つ、指揮官らしき男が、冷たい声で言った。
「お前は、感情を持つ失敗作。中王区の秩序を乱す、不要な存在だ」
「お前を受け入れる場所は、この世のどこにもない。大人しく、処分されろ」
指揮官の言葉に、乱数の指先が、ぴくり、と震えた。
でも、乱数は、一歩、前に出た。
「……違う」
地声。
低く、力強い声。
「俺の居場所は、ここにある。シブヤに。仲間の隣に」
乱数は、ヒプノシスマイクを、口元に構えた。
「お前らに、俺の居場所を奪う権利はない」
乱数は、マイクを通して、リリックを紡ぎ始めた。
感情を込めて。
自分の、存在証明を。
『失敗作と、呼ばれてきた。感情を持つ、出来損ないと。』
『でも、この感情が、俺を生かしてきた。仲間と出会わせてくれた。』
『ここが、俺の居場所だ。ここで、俺は生きる。』
リリックが、音波となって、掃除屋たちの精神に、直接、響いていく。
ヒプノシスマイク。使用者の精神状態や感情を音波に変換して、相手の精神に干渉する技術。
乱数のリリックは、彼の感情そのものだった。
悲しみ。怒り。そして、希望。
「お前の居場所はここだろ!」
一郎も、マイクを構えて、リリックを重ねた。
『一人で抱え込むな。お前の隣には、俺たちがいる。』
『イケブクロの男が、仲間を見捨てるわけねえだろ!』
一郎のリリックは、真っ直ぐで、力強かった。
「兄貴の覚悟に、応えるだけだ!」
『俺たちは、兄貴の背中を見て育った。困ってる奴を、放っておけねえってな!』
「データは完璧だ。あなたたちの違法性は、証明済みです」
『違法な飴の成分分析。被験者への同意なき人体実験。中王区の規則にも、抵触する行為だ。』
三郎のリリックは、冷静で、論理的だった。
「君の嘘は、もう、通用しないよ」
『嘘で塗り固めた正義は、いつか必ず、崩れ去る。』
「賭けは、俺たちの勝ちだ!」
『サイコロの目は、6。運命は、俺たちの味方だぜ!』
五人のリリックが、重なり合い、増幅していく。
音の波が、掃除屋の包囲網を、内側から、突き崩していく。
「ぐっ……!なんだ、この音は……!」
「頭が……割れる……!」
掃除屋たちが、苦しみ始めた。
特殊な音響兵器で、対象の精神を無力化するはずの彼らが、逆に、精神を揺さぶられていた。
「……これ以上は、無駄だ。撤退する」
指揮官が、撤退を命令しようとした、その瞬間。
「待った!」
一郎が、大声で、叫んだ。
「中王区の上層部と、話をさせろ!」
一郎は、指揮官の前に、立ちはだかった。
「お前らが、乱数の飴の成分を、無断で分析していたこと、知ってるぜ」
指揮官の顔色が、変わった。
「それは、中王区の規則でも、禁止されている行為だ。違法な人体実験。その証拠も、こっちにはある」
一郎は、三郎から受け取った、スマートフォンを、指揮官に見せた。
「こっちにも、言い分があるんだよ。お前らが、勝手に、人を処分していい理由にはならねえ」
一郎の言葉に、指揮官は、押し黙った。
「交渉だ。テーブルに着け」
一郎は、真っ直ぐに、指揮官を見据えた。
「お前らが、大人しく引き下がるなら、このデータは、中王区の上層部には、渡さない」
「でも、もし、まだ乱数を追うって言うなら、このデータを、全部、公表する」
一郎の言葉は、脅しではなかった。
本気だった。
「……どうする?」
沈黙。
雨の音だけが、静かに、響いていた。
やがて、指揮官が、口を開いた。
「……上層部に、判断を仰ぐ」
指揮官は、通信機を取り出して、何かを話し始めた。
しばらくして、通信が終わった。
「……撤退する」
指揮官は、そう言って、掃除屋たちに、撤退を命じた。
「だが、これは、一時的な措置だ。覚えておけ」
指揮官は、乱数を、じっと、睨みつけた。
「お前は、中王区に、目をつけられている。その事実は、変わらない」
そう言って、掃除屋たちは、闇の中へと、消えていった。
静寂が、戻ってきた。
雨の音だけが、響いていた。
乱数は、その場に、膝をついた。
体の痺れが、限界に達していた。
「……はは」
乱数は、小さく、笑った。
「……勝っちゃった」
「おう、勝ったな!」
一郎が、乱数の隣に、しゃがみ込んだ。
「よくやったな、乱数!」
一郎は、乱数の頭を、ぐしゃぐしゃと撫でた。
「ちょっと、髪が乱れるだろ!」
乱数は、高い声で、抗議した。
でも、その声は、震えていた。
嬉しくて。
ありがたくて。
涙が出そうで。
乱数は、必死に、それを隠した。
「……ありがとう」
乱数は、低い声で、そう言った。
「ほんと、あんたには敵わないな」
乱数は、ポケットから、キャンディを取り出した。
最後の一つだけ、残っていたキャンディ。
「……あげるよ。特別にね」
乱数は、高い声で、そう言って、一郎にキャンディを差し出した。
「お、いいのか?また飴もらえるか?」
一郎は、笑って、キャンディを受け取った。
「さんきゅ。大事に食うわ」
一郎は、キャンディの包み紙を、丁寧に剥がして、口に入れた。
「……甘い」
一郎は、少し驚いた顔をした。
「当たり前でしょ!キャンディだよ!」
乱数は、笑った。
心からの、笑顔だった。
「やれやれ、嘘つきが一人減ったね」
幻太郎は、微笑みながら、そう言った。
「おい、俺の賭けは勝ちだぜ!報酬は、高くつくぞ!」
帝統は、嬉しそうに、そう言った。
「お前ら、本当に、ありがとう」
乱数は、もう一度、地声で、そう言った。
「俺の居場所は、ここにある。そう、確信できた」
乱数は、シブヤの街を見渡した。
雨に濡れた、ネオンの光。
いつもの、見慣れた景色。
でも、今は、違って見えた。
(ここが、俺の居場所だ)
乱数は、心の中で、そう呟いた。
その夜。
Fling Posseの隠れ家。
四人は、打ち上げをしていた。
テーブルの上には、帝統がどこからか調達してきた、お菓子やジュースが並んでいる。
「かんぱーい!」
帝統が、ジュースの入ったコップを、高く掲げた。
「かんぱーい!」
一郎も、笑って、コップを掲げた。
「乾杯」
幻太郎は、静かに、コップを掲げた。
「かんぱーい!」
乱数も、高い声で、コップを掲げた。
四人は、コップを、軽く、打ち合わせた。
「いやー、今日は、本当に、最高の賭けだったぜ!」
帝統は、お菓子を、ばくばくと食べながら、言った。
「サイコロの目が、6だったからな。運命は、俺たちの味方だ!」
「君の強運には、いつも助けられるよ」
幻太郎は、微笑みながら、言った。
「でも、今日は、一郎くんの機転が、一番の勝因だったね」
幻太郎は、一郎を見た。
「まあな。あのデータは、三郎が、前から集めてたんだ」
一郎は、照れくさそうに、頭をかいた。
「兄貴のためなら、これくらい、朝飯前だ」
三郎は、スマートフォンを操作しながら、言った。
「でも、本当に、良かった。乱数さんが、無事で」
二郎は、ほっとしたように、言った。
「二郎くんも、三郎くんも、来てくれたんだね。ありがとう」
乱数は、高い声で、お礼を言った。
「当たり前だ。兄貴が、お前のことを、心配してたからな」
二郎は、そう言って、一郎を見た。
「おい、二郎!余計なことを言うな!」
一郎は、慌てて、二郎の口を塞いだ。
「なんだよ、兄貴。照れることないだろ!」
二郎は、笑った。
「うるせえ!お前は、黙ってろ!」
一郎は、顔を赤くして、二郎に言った。
その様子を見て、乱数は、笑った。
心からの、笑顔だった。
(……楽しい)
(こんな風に、みんなで笑い合えるなんて)
(昔は、考えられなかった)
乱数は、一郎の隣に座った。
「……ねえ、一郎くん」
乱数は、高い声で、一郎に話しかけた。
「ん?なんだ?」
一郎は、乱数の方を見た。
「……今日は、本当に、ありがとう。僕、一郎くんがいなかったら、どうなってたか分からない」
乱数は、真剣な表情で、そう言った。
「別に、気にすんな。困ってる奴を、放っておけなかっただけだ」
一郎は、笑って、そう言った。
「……でも、僕、思ったんだ。一郎くんは、本当に、優しいね」
乱数は、一郎の顔を、じっと見つめた。
「僕、一郎くんみたいな人に、初めて会った」
乱数の言葉に、一郎は、少し照れたように、視線を逸らした。
「……そ、そうか?」
一郎は、自分の感情に、不器用な男だった。
(……なんで、こんなに、胸が、ドキドキするんだ?)
一郎は、心の中で、そう思った。
(こいつは、男で、しかも、あんなに可愛い見た目をしてるのに)
(なのに、なんで、こんなに、意識してしまうんだ)
一郎は、自分の気持ちが、よく分からなかった。
ただ、乱数の隣にいると、胸の奥が、温かくなる。
もっと、一緒にいたい。
そう、思ってしまう。
(……これは、一体、なんなんだ?)
一郎は、答えの出ない問いに、心の中で、首を傾げた。
その頃。
中王区。
言の葉党の一室。
薄暗い部屋の中で、一人の女性が、報告書を読んでいた。
勘解由小路無花果。
言の葉党の、実質No.2。全政策を指揮する、中核的存在。
「……ふむ」
無花果は、報告書を読み終えると、静かに、呟いた。
「失敗作が、感情を持つとはな」
無花果の口元が、ゆっくりと、弧を描いた。
「面白い。……次の検体に、使えるかもしれない」
無花果は、立ち上がり、窓の外を見た。
中王区の夜景が、眼下に広がっていた。
「飴村乱数。お前の運命は、まだ、私の手のひらの上だ」
無花果は、静かに、そう言った。
「計画を、進めなさい」
無花果の言葉に、部屋の隅に控えていた影が、深く、頷いた。
シブヤ・アンダーグラウンドの隠れ家。
打ち上げは、まだ、続いていた。
乱数は、一郎の隣で、笑っていた。
仮面を脱いだ、素の自分で。
でも、その平穏な日常は、まだ、完全には守られていなかった。
中王区の影が、再び、乱数に、静かに、迫っていた。
乱数は、まだ、そのことに、気づいていなかった。Noveliaとは?
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