俺ガイル、やり直し。〜八幡、なぜか学園の王子様になる〜
ある朝、目覚めると比企谷八幡は学園一の人気者になっていた。皆が彼を「ヒキタニ」と呼び、女子たちはべったりと離れない。隣の席の雪ノ下雪乃は涼しい顔で「お昼、一緒にどう?」と誘い、由比ヶ浜結衣は毎朝トーストをくわえて登校してくる。一色いろはは小悪魔的な笑みで「先輩、一緒に生徒会やりましょうよ」とささやく。
ひとりになりたいだけの八幡は、必死に逃げ回る。だが逃げれば逃げるほどモテるという、拒否が好感度を上げてしまう謎のシステム。文化祭では女装コンテストで優勝し、体育祭ではなぜかクラスの女子全員と二人三脚をする羽目に。唯一、平塚先生だけは「ぼっちは甘えだ!青春しろ!」と普通に接してくるが、それすらもどこかズレていて、八幡だけが気づいている。
最大の危機は「バレンタイン・デスマッチ」。雪ノ下と由比ヶ浜が互いに手作りチョコを賭けたお菓子対決を挑み、八幡はどちらかのチョコを選ばなければならない。一方を選べば、もう一方とは永遠に決別。選べない八幡は第三の道「友チョコ」という伝説の選択肢を編み出すが、それがさらなる誤解を生み、文化祭のステージで公開告白イベントが発生。全校生徒の前で、二人の少女から「
俺ガイル、やり直し。〜八幡、なぜか学園の王子様になる〜 - 光の中で、俺はまだ一個だけ言い足りない
体育館を、白い光が包み込んでいた。
壁の隙間から。天井の鉄骨の影から。六百人の観客の足元から。
すべての場所から、柔らかな光が溢れ出している。
観客席のざわめきが、少しずつ遠ざかっていく。
「なに、これ……!」
「消えていく……みんな、溶けてる……!」
悲鳴も、驚きも、すべてが水の中の音みたいにくぐもって聞こえた。
比企谷八幡は、ステージの中央に立っていた。
手には、ずっしりと重いマイク。
目の前には、三人の少女。
雪ノ下雪乃。
腰まで届く黒髪が、光に溶け始めている。
その輪郭が、ふわりと滲んだ。
由比ヶ浜結衣。
栗色のふわふわショートボブが、光の粒子になって、ぽろぽろと零れている。
一色いろは。
亜麻色のセミロングを揺らして、光の中で、泣きながら笑っていた。
(ああ、そうか)
八幡は思った。
これは、終わりだ。
この世界が、完全にリセットされる。
逆モテ・システムの停止条件——俺が本音を伝えたことで、世界はもう、消える。
(でも、まだだ)
まだ、一個だけ、言い足りない。
「最後に——一個だけ、聞いてくれ」
声が、マイクを通して、光に溶けていく体育館に響いた。
三人の輪郭が、さらに滲む。
光が、強くなっていく。
残り時間は、ほとんどない。
その時だった。
コツ、コツ。
靴音が、静かに響いた。
壇上の端から、平塚静が歩いてくる。
白衣のようなスーツ姿。髪は背中で揺れ、切れ長の瞳がまっすぐに八幡を見ていた。
彼女だけは、光に飲まれていなかった。
「比企谷」
静かな声だった。
鉄拳制裁も、青春しろの説教もない。
ただ、一人の大人が、一人の生徒を見ている。
「最後の言葉か。なら、言え」
八幡は、平塚先生を見た。
「……先生は、知ってたのか。俺が、本当は比企谷八幡だって」
平塚先生は、少しだけ、寂しそうに笑った。
「ずっとな。小町ちゃんからの手紙でな」
小町。
妹の名前が出て、八幡の胸の奥が小さく軋んだ。
「最初から、全部、知ってて……」
「ああ。だからボッチ禁止令を作った。お前が逃げ続けるからだ」
毒舌なのに、どこか優しい声だった。
「お前が自分で選んだ言葉なら、向こうにも届く。私はそれを、ずっと待ってた」
平塚先生は、右手を軽く挙げた。
「行け。そして、またな」
彼女の体が、光に包まれる。
最後の最後まで、拳も、説教もなく、ただ穏やかな目をして。
白い光が、平塚静を飲み込んだ。
壇の端に、彼女の姿はもうない。
(……くそ)
八幡は、マイクを握りしめた。
指が震える。
怖い。
本っ当に、怖い。
でも——ここで逃げたら、一生、自分を許せない。
八幡は、顔を上げた。
死んだ魚のような目が、三人の少女を順番に見た。
雪乃。
結衣。
いろは。
「俺が、ヒキタニ君じゃなくて、比企谷八幡だったとき——」
声が、光の中で震える。
「お前たちは、俺のことを、好きだったか」
それは、逃げるための質問じゃなかった。
元の世界で、ぼっちだった自分を。
比企谷八幡という、ひねくれ者で、友達もいなくて、教室の隅で本を読んでただけの、そんな自分を——
(初めて、認めてほしいと思った)
体育館が、静まり返る。
光だけが、じりじりと強くなっていく。
雪乃が、一歩前に出た。
震える唇を、きゅっと結んで。
それから——
「……当たり前でしょ」
毒舌だった。
いつもの、クールで、誰も寄せ付けない声。
なのに。
「馬鹿じゃないの。そんなの、ずっと前から、決まってたのよ」
瑠璃色の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
ポロリ。
一粒、また一粒。
「ヒキタニ君でも、比企谷くんでも——あなたはあなたでしょ。どっちでも関係ない。ずっと、好きだった」
雪乃は、泣きながら笑った。
完璧な仮面は、もうどこにもない。
ただの、一人の女の子だった。
「……バカ」
声が、掠れた。
その時——
「ずっと好きだった!!」
結衣が、叫んだ。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、力の限り。
「ヒキタニ君でも、比企谷くんでも、関係ない! あたしは、ずっと前から——っ」
声が、詰まる。
それでも彼女は、泣きながら言葉を押し出した。
「あたし、ずっと、ヒッキーのこと、好きだったんだからね……」
「ヒッキー」という言葉。
元の世界の、彼女の呼び方。
八幡の胸の奥が、じんわりと熱くなった。
そして——
「……あはは」
小さな笑い声。
いろはが、涙で濡れた目を、ぐいっと手の甲で拭った。
「先輩が比企谷くんでも、絶対、週三回、招待状入れてましたよぉ」
泣きながら、小悪魔スマイルを作る。
でも、それはいつもの計算高い笑顔じゃなかった。
初めて、心からの笑顔だった。
「だって、生徒会で一緒にいたかったんですもん。先輩が誰でも——私の先輩は、先輩だけですから」
三人の声が、光の中で混ざり合った。
雪乃が泣いている。
結衣が泣いている。
いろはが、泣きながら笑っている。
(ああ、そうか)
八幡は、マイクを握りしめたまま、天井を見上げた。
逆モテ・システムなんて、最初から、関係なかったんだ。
この世界が偽物でも。
俺がヒキタニ君でも、比企谷八幡でも。
三人の気持ちは、ずっと本物だった。
「……めんどくせえ」
小さく呟いた。
でも、その声は、笑っていた。
その瞬間——
光が、爆発した。
体育館の壁が、天井が、床が、すべてが白く溶けていく。
観客席の六百人が、粒子になって消えていく。
雪乃が、手を伸ばす。
結衣が、泣きながら走り寄ろうとする。
いろはが、最後まで笑顔で、手を振る。
三人の輪郭が、完全に、光に飲み込まれて——
(ありがとう)
八幡は、目を閉じた。
世界が、消えた。
——
耳元で、電子音が鳴っていた。
ピピピ、ピピピ。
聞き慣れた、目覚まし時計の音。
比企谷八幡は、ゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。
六畳の自室。
壁に貼られた、ずっと昔のアニメのポスター。
床に積まれたラノベの山。
窓から、弱々しい冬の日差しが差し込んでいる。
「……夢、だったのか」
腕を上げて、自分の手を見た。
傷も、マイクもない。
いつもの、やさぐれた高校生の手だ。
時計を見る。
二月一日。
朝七時十五分。
全部、覚えている。
体育館の光。
三人の涙。
平塚先生の最後の言葉。
(夢じゃない。絶対に、夢じゃない)
体を起こす。
スプリングの効いたベッドが、ギシリと軋んだ。
「にいちゃん! 朝だよ、起きてる?」
ドアの向こうから、妹の小町の声がする。
いつもの、元の世界の、日常の声。
「……起きてる」
返事をしながら、八幡は机に向かった。
教科書とか、ノートとか、いつも通りの散らかった机。
——その、真ん中に。
一枚の紙が、置いてあった。
手書きのメモだ。
『次は逃げないでね』
それだけが、書かれている。
差出人は、ない。
筆跡は、几帳面なようで、少しだけ丸っこくて、最後の一画だけ癖がある。
雪乃の字にも、結衣の字にも、いろはの字にも——そして、少しだけ、平塚先生の字にも、見えた。
八幡は、メモを手に取った。
三秒だけ、眺めた。
「……気持ち悪い」
呟いて。
でも、そのメモを、ぐしゃぐしゃに丸めることはしなかった。
丁寧に二つ折りにして——ポケットに、押し込んだ。
立ち上がる。
制服を手に取る。
いつもの、総武高校の制服。
窓の外を見た。
冬空が広がっている。
雲一つない、澄み切った青空だ。
(今日も、めんどくせえ日常が始まる)
(多分、いろいろ面倒なことに巻き込まれる)
でも——
(逃げるのは、もう、やめだ)
八幡は、制服のポケットを軽く叩いた。
メモの感触が、かすかに指先に返ってくる。
そして、ドアを開けた。
廊下の向こうで、小町が何か叫んでいる。
テレビから、朝のニュースが流れている。
いつもの日常。
でも、胸の奥に、三人の涙と、笑顔と、温かな光が、まだ確かに残っていた。
(今度は、ちゃんと向き合う)
(逃げないで、自分の言葉で、全部伝える)
八幡は、玄関に向かって、一歩、踏み出した。
靴を履く。
靴紐を、きつく結ぶ。
もう、迷わない。
ガチャリ。
八幡は、扉を開けて、冬の朝日の中に、歩き出した。Noveliaとは?
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