ステラ・ペアリング — 宇宙士官学校の凸凹コンビ
2300年代、人類は太陽系全体に広がり、火星や木星近く、土星の衛星にコロニーを築いていた。しかし資源は乏しく、小競り合いは絶えない。最前線で戦う者たちは「ヒューマノイド・スターシップ」――15メートルの巨大メカを、パイロットとオペレーターの二人一組で操縦する。二人の絆が強ければ強いほど、機体も強くなるのだ。
12歳のカイト・アマミは地球連邦中央軍士官学校にパイロット候補として入学する。自信満々で声が大きく、いつも自分が正しいと思っている。初日、廊下でセイラ・ミツルギにぶつかり、彼女の書類をばらまいてしまう。セイラはトップクラスのオペレーター候補で、慎重で真面目、規則を厳守するタイプ。二人の最初の出会いは最悪で、お互いに「この人は最悪だ」と決めつける。
それから二年間、二人は無視し合う。カイトは実戦シミュレーションで圧倒的な強さを見せ、セイラは筆記試験で常に首位を独走する。そして三年目、ペア編成試験で衝撃の発表が――カイトとセイラがパートナーに任命されたのだ。
「ありえない!」「まったく同感!」
二人はインストラクターのユーリ・ブレイクに文句を言うが、彼は譲らない。初めての共同シ
ステラ・ペアリング — 宇宙士官学校の凸凹コンビ - シンクロレート38——心の壁を壊した先に、黒い嵐が来た
停学が明けた朝は、どこか空気が固かった。
カレッジ・リングの採光パネルが、いつもと同じ角度で白い光を廊下に落としている。カイトはその光の中を歩きながら、セイラの背中を三歩後ろから追っていた。
三歩。ちょうど三歩。縮める気にも、広げる気にもなれない距離だった。
停学中、セイラが男子棟の廊下に来た日のことを思い出す。ドア越しに聞こえた「天海さん、私は——」という声。続きが来なかった。足音が遠ざかった。あの夜から、二人の間にある何かがずっとしこりのように残っている。
(何か言えばよかったんだ、あの時)
でも、何を言えばよかったのかが今もわからない。
カーミラ・レッテ大尉がロビーの電子掲示板の前に立っていたのは、そんな気まずい沈黙の中だった。
眠そうな目。コーヒーカップ。いつもの顔。でも今日は、片手に端末を持っている。
「[cold]二人とも」
呼ばれて、並んだ。カイトとセイラが横に並んで、カーミラの正面に立つ。二人は互いに顔を見なかった。どちらも、まっすぐカーミラだけを見た。
カーミラが端末の画面を向けた。
数字が映っていた。
38。
「[cold]シンクロレートが38よ。40を割り込んだわ」
カイトの頭が真っ白になった。
(38……? 強制再編成ラインが40で、それを——)
「[serious]数値の推移は把握していました」
セイラが規則通りの口調で返す。声が、わずかに震えていた。カイトは気づいた。セイラ本人は気づいていないかもしれないが、カイトにはわかった。
カーミラがコーヒーを一口飲んだ。
「[cold]明日の卒業実戦演習でシンクロレートを改善できなければ、ペア解消。天海くんは再編成、剣城さんは白川くんとの新ペア候補になるわ」
——セイラを、リョウに渡す。
その言葉が頭の中で具体的な映像になった瞬間、カイトは口を開いた。何か言わないといけない気がした。でも声が出なかった。肺に入れた空気が、言葉になる前に止まった。
カーミラがカップをロッカーの上に置いた。
「[cold]じゃあ行きなさい」
それだけだった。
廊下に出た。セイラが先に歩き出した。カイトも歩き出した。でも方向が違う。セイラは右の廊下へ、カイトは左の廊下へ。一秒も言葉を交わさないまま、二つの背中が逆方向に離れていく。
去り際に、カイトはちらりと振り返った。
セイラは振り返らなかった。
廊下の角にリョウが立っていた。茶髪のウルフカット、琥珀色のたれ目。二人のやりとりを全部見ていたらしく、顎に手を当てて「なるほどね……」という顔をしていた。
「[sarcastic]……おっす」
カイトは無言で通り過ぎた。
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昼休みのメサ・ホール——全長800席の食堂は、昼時の喧騒で満たされていた。アカデミーカレーの匂いと、宇宙うどんの出汁の匂いが混ざり合う。生徒たちの話し声が天井に反響して、うるさいくらいだった。
その喧騒の中で、セイラは一人だった。
宇宙うどんのトレーを前に、箸を止めたまま端末を眺めている。規則の条文を読んでいるのか、シンクロレートのデータを見ているのか、外からはわからない。ただ、いつもの「次の行動を計算している顔」ではなかった。
向かいの椅子が引かれた。
セイラが顔を上げると、リョウが座っていた。いつもの軽い笑顔を、しまっていた。
「[serious]セイラちゃん」
「[serious]……白川くん」
「俺と組もう」
セイラが目を細めた。
「[serious]規則上——」
「[serious]もう規則の話はいいだろ」
リョウが遮った。声は穏やかだが、目が笑っていなかった。
「[serious]俺が聞いてるのはお前自身の気持ちだよ。天海のことが好きなのか。それだけ答えてくれ」
セイラの箸が止まった。
頭の中で何かが動いた。規則の条文が並ぼうとして——でも、その規則を並べようとしている自分が、何かおかしいという感覚が初めてはっきりした。
天海さんの隣にいると、安心できる。
その感覚が何なのか、セイラはずっと言語化できないでいた。データでもないし、規則でもない。分析しようとすると、するりと逃げていく。
リョウがセイラの沈黙を見た。
「[gentle]……やっぱりそういうことか」
立ち上がった。そしてひとこと、静かに言った。
「[serious]お前を泣かせるようなやつに、パートナーの資格はない。でも——お前がそいつを選ぶなら、俺は諦めないけどな」
リョウが振り返ったタイミングで、食堂スタッフが「白川リョウさん、アカデミーカレーのご注文——」と声をかけてきた。リョウがそちらを向いた。
「[surprised]頼んでないっすけど……」
「番号札の15番、お客様ではないですか?」
「15番か……あ、俺12番だった」
ぽかんとした顔でカレーを受け取っていた。
でもセイラは笑えなかった。食堂の喧騒が、遠く聞こえた。自分の感情に初めて問いを立てたまま、答えが出ない。箸が、また止まった。
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卒業実戦演習の前日——正確には、当日の夜明け前だった。
格納庫ブロックは暗かった。採光パネルが作る疑似夜明けの光がうっすらと差し込んでいるだけで、人の気配は一切なかった。
カイトはレグノスMk-IVの前に一人で立っていた。
全長14.8メートルの訓練用HSS——ヒューマノイド・スターシップ——が、薄闇の中にでかい影を作っている。その左脚部の近く、装甲の表面に細い線が走っていた。修復の跡だ。停学の原因になった、あの日。一人でこのHSSを動かそうとして、ぶつけた傷。
カイトはその跡を、まじまじと見た。
(情けない)
言い訳はできなかった。セイラに置いていかれる気がして、焦って、一人で動いた。そして壊した。それだけだ。
(俺、セイラがいないとダメなんだ)
それを認めたのは、今が初めてだった。
「眠れなかったか」
低い声が背後から来た。
振り返ると、ユーリ・ブレイクが格納庫の入り口に立っていた。ヘリオス紛争——火星共和圏と木星圏自治連合が太陽近傍のエネルギー採集権を巡って衝突した5年間の武力紛争——の英雄として知られるこの男は、腕を組んで、薄暗い格納庫をゆっくりと歩いてきた。
「[serious]俺もヘリオス紛争で、パートナーと大喧嘩してシンクロレートが一桁になったことがある」
カイトは黙った。
ユーリがレグノスの隣に並んで、機体を見上げた。
「[serious]あの戦争で死なずに済んだのは一つだけだ。プライドを全部捨てて、本音をぶつけたから」
その言葉が、カイトの胸の何かに刺さった。
記憶がフラッシュバックする。
——家族の前で弱さを見せるたびに、笑われた。お前は一番じゃないと意味がない、と父が言った。努力しているところは見せるな。泣くな。強がれ。ずっとそうやってきた。
——そしてもう一つの記憶。二年前、ペア拒否の連鎖で学園を去った先輩の顔。笑顔だった。でも目が全然笑っていなかった。あの人も、本音を言えなかったんだ。言えないまま、いなくなった。
カイトの拳が、ぎゅっと握られた。
ユーリが視線を向けた。
「[serious]剣城に伝えたいことがあるんじゃないのか」
それだけ言って、ユーリは格納庫を出ていった。足音が遠ざかる。静寂が戻る。
カイトは一人で立ち尽くした。
深呼吸した。
グウ、と胃が鳴った。
「……最悪のタイミングだろ」
自分でひとりツッコんで、少しだけ力が抜けた。そして——拳を、もう一度握り直した。
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演習開始は夜明けと同時だった。
カイトとセイラが、無言でレグノスMk-IVのコックピットに乗り込む。パイロット用の前席と、オペレーター用の後席。狭い二座のコックピットに、二人の息遣いだけが静かに響いた。
あの日——初めてこのコックピットに乗った時と、同じ距離に並んでいる。
違うのは、どちらも黙っていることだけだった。
計器が起動する。シンクロレートモニターが数字を映し出す。38。
ニューラルリンク接続開始のカウントダウンが始まった。首筋のデバイスが、わずかに温かくなる感覚。
カイトは目を閉じた。
(やるぞ)
そして——心の中の全部の壁を、取り払った。
意図して。意識して。一枚ずつ、全部。
ニューラルリンクが接続された瞬間、セイラが後席で小さく声を上げた。
「……っ」
流れ込んできたからだ。カイトの感情が、濁流みたいに。
家族への複雑な想い。弱さを隠してきた2年分の孤独。ペア拒否で去った先輩への罪悪感。リョウに嫉妬して暴走した惨めさ。停学中に一人で泣いた夜。そして——セイラに嫌われることへの恐怖と、セイラの隣にいたいという感情が、言葉になる前の形のまま、そのまま全部。
セイラの瞳に涙が滲んだ。
この人が、こんなに……。
カイトが声を震わせた。
「[sad]お前がリョウと組むって聞いて、死ぬほど怖かった。俺のパートナーは、お前じゃなきゃダメなんだ」
それが恋愛の告白なのか、パートナーとしての宣言なのか、カイト自身にもわからなかった。ただ、本音だった。プライドを全部捨てた、初めての本音だった。
セイラの手が、膝の上でかすかに動いた。
そして——セイラも、壁を下ろした。
カイトのニューラルリンクに流れ込んでくる。完璧でなければ見捨てられるという恐怖。軍人の家庭で育って、感情を見せるたびに叱責された記憶。規則で全部を解決しようとしていた理由。そして——天海さんの隣にいると、安心できる。自分でも気づいていなかったその感情が、言葉を持たないまま溢れ出してきた。
シンクロレートモニターが動いた。
38——45——52——60——68。
数字が跳ね上がっていく。カーミラの通信ウィンドウに数値が映し出された。カーミラが珍しく目を丸くして、コーヒーカップを傾けかけて止めた。中身がこぼれそうになっているのに、数値から目が離せない様子だった。
コックピットの中で、二人は何も言わなかった。
言葉はいらなかった。全部、もう届いていた。
そのとき——
訓練区域フィールド・ゼータの、全センサーブイのランプが一斉に消えた。
真っ暗になった。
「[cold]——これは演習ではない。全機即時帰還せよ、繰り返す——」
カーミラの緊急通信が入った瞬間、通信妨害が走った。半数の訓練機の受信が遮断される。カイトの機体のモニターに、赤いアラートが次々と灯っていく。
宇宙空間に、影が現れた。
一機。二機。三機——いや、もっといる。
黒色装甲だった。連邦規格の訓練機とは全く違う。型番が読めない。武装が光っている。訓練用の低出力ビームじゃない。実戦兵装だ。
連邦情報局がヴォイドクロウと呼ぶ勢力——正体不明の武装勢力が使う黒色装甲のHSS——が、フィールド・ゼータにゆっくりと展開していた。
「[scared]カイト——あれは」
返事ができなかった。
目の前で、同期候補生の訓練機に光線が直撃した。コックピットから脱出ポッドが飛び出す。でも間に合わないペアの機体が——光の中に、消えた。
「[scared]…………」
セイラが悲鳴を上げた。声にならない悲鳴だった。
カイトの手が、操縦桿の上で震えた。
シミュレーターで何百回も見た光景だった。でも今は違う。あれは本物の機体だ。本物のペアだ。本物の——死だ。
「[scared]セイラ」
名前を呼んだ。
ニューラルリンクの向こうから、震える声が返ってきた。
「[scared]……ここにいます」
2年前の最悪の第一印象から始まって、言い争いを重ねて、サマーキャンプで呼吸を合わせて、月明かりの下で手が触れて、停学でぐちゃぐちゃになって——そうして積み上げてきた全部が、今この瞬間に意味を持った。
訓練機しか持たない二人が、本物の戦場に放り出されていた。
カイトは操縦桿を握り直した。震えている。震えたまま、握った。
シンクロレートモニターが、68を示したままだった。