みこがみさま!
かつて豊穣を司った小さな神、みこがみさま!ほのかは、郊外のショッピングモールの屋上にあるペット霊園の隣の、小さく忘れ去られた神社にひっそりと住んでいる。彼女の唯一の信者は、19歳のコンビニ店員・榊原一真だ。
銀髪で金色の瞳を持つロリ美少女の姿をしたほのかは、信仰心の薄れによって徐々に消えかけている。一真の解決策は?それは、ソーシャルメディアを通じて彼女を復活させることだった。
しかし、彼らの試みは笑いを誘う大失敗の連続。ほのかは写真にうまく収まらず、動画のために小さな“奇跡”を無理に起こしては疲れ果て、コンビニの唐揚げに夢中になってしまう。
だが、その滑稽な日々の中で、ほのかは信仰の本質や現代における自分の存在意義という深い問いに向き合っていく。
彼らの混沌とした奮闘は、予期せぬ他の存在たちの注目を集め、ドタバタコメディと哲学的な深み、そしてほのかな恋の要素が織り交ざった物語の幕開けとなる。
みこがみさま! - バズったのは寝顔——わらわは心霊写真ではない、断じて
昼休みの屋上は、相変わらず室外機がうるさかった。
六基の室外機がゴーゴーと轟音を立てて、秋の乾いた空気を切り裂いている。その隣——朱塗りが剥落してすっかり灰色になった小さな祠の前に、穂乃果は腕組みして仁王立ちしていた。
白銀の長い髪が昼の風にそよいで、金色の瞳がきりりと前を向いている。薄紫の着物風ワンピースの裾が風に揺れ、細い銀の帯がほっそりした腰を締めていた。身長130cmほどの小さな体が半透明なのを除けば、そこにいるのはどこからどう見ても威厳に満ちた——はずの神様だった。
「昨日のお参りのおかげで神気が一単位増えたのじゃ」
穂乃果は昨夜の一真のお参りを思い返した。祠の前で手を合わせた、あの素朴で何の飾り気もない仕草。からあげ棒を片手に、当たり前のように礼を尽くした若者のことを。あれから一夜が明けても、胸の奥底にじわりとした何かが残っていた。うまく言葉にできない、静かな波紋みたいなものが。
「ゆえにじゃ」穂乃果は仁王立ちのまま、やや声を大きくした。「このSNSとやらの計画、本日より本格始動じゃ!!」
デイリーポート御影ヶ丘店——モール一階の東端にあるコンビニの昼休みに合わせて屋上に上がってきた一真が、スマホを手にへらりと笑いながら鉄扉の前に立っていた。ポロシャツのポケットに名札を差したまま、片手にはからあげ棒。本日も変わらぬ標準装備だ。
「やる気満々ですね」
「当然じゃ! わらわは850年の歴史を持つ豊穣神ぞ! SNSの一つや二つ、ちょちょいと攻略してくれようぞ!」
一真は「そうですか」と言いながら、スマホのカメラを起動した。
「まずプロフィール写真からですね。穂乃果さん、そのポーズそのままでいいですよ」
「うむ! 任せよ!」
穂乃果は気合いを入れた。850年前——鎌倉初期の黄金時代、1200人の氏子たちが年に一度の大祭で手を合わせた、あの荘厳な一瞬を思い起こす。両腕をすっと斜め上に向け、金色の瞳を凛と見開き、白衣の袂を昼の風になびかせた。
パシャ。
一真がスマホの画面を穂乃果に向けた。
写っていたのは、祠と室外機と青空と——穂乃果の存在がほぼ何も残っていない、清々しいほど爽快な何もなさだった。祠の前に人影すらない。完璧なすっぽ抜けだった。
「……」
「あー、やっぱり半透明だから映らないみたいで」
「…………わかっておる。もう一枚じゃ」
もう一枚。また一枚。角度を変えて、距離を変えて、一真が屋上のあちこちを移動しながらシャッターを切る。五枚目。八枚目。十三枚目。穂乃果はその間ずっと、850年の威厳を総動員したキメ顔で仁王立ちし続けた。
「あ、これ」
「どうじゃ!!」
一真が画面を差し出した。
白い靄が写っていた。上半身だけが、もわもわとした半透明の靄として記録されていた。夕暮れ時に墓地で見たら確実に数秒フリーズするやつだった。心霊スポット紹介サイトのトップ画像に無断転載されても一切不思議がないレベルだった。
「……これは」
「神々しいっちゃ神々しいですが」
「神々しいと言いたいのか心霊写真と言いたいのか、どっちじゃ!!」
「正直に言うと後者です」
「断固として否定する!! わらわは豊穣神じゃ! 五穀豊穣を司る由緒正しい神格じゃぞ!! 心霊写真とはなんじゃ心霊写真とは!!」
「でも心霊写真に見えます」
「どこを縦読みすれば豊穣神が心霊写真になるのじゃ!!」
一真が「すみません」と謝りながらも、口元がかすかに引き攣っているのを穂乃果は見逃さなかった。
「笑っておるじゃろ!! 笑っておるじゃろう一真!!!」
「笑ってません笑ってません」
「肩が震えておるわ!!!」
「これは……室外機の振動が」
「嘘をつくなーーー!!!」
一真がこらえきれずに吹き出した。祠の前の石段にしゃがみ込んで、声を抑えようとしながらも肩をゆすって笑った。室外機の轟音にかき消されながらも確かに笑い声が漏れ、穂乃果は腰に手を当てて怒りと哀愁が入り混じった顔で仁王立ちした。
「笑うな!! 神を前に笑うな!! これは厳かな神域ぞ!! 室外機六基が轟音で稼働しておるが神域ぞ!!」
しばらくして一真が腹の底から笑いきって、ようやく立ち上がった。目尻を指で拭いながら、「じゃあフラッシュ焚いてみます」とスマホを構え直した。
「フラッシュじゃと?」
パシャ。
白い光が屋上を一瞬で照らした。画面を見た一真の動きが止まった。
穂乃果が「どうじゃ!」と覗き込んで——固まった。
写真には、穂乃果の体を完全に透かして、背後の室外機がくっきりと映り込んでいた。穂乃果の輪郭だけが白く光っていて、そのど真ん中に室外機の排気口がどしんと鎮座していた。まるで室外機と一体化したかのような、前代未聞の神格の記録だった。
「……わ、わらわが室外機と……」
「一体化してますね」
「一体化しておるーーー!!!」
穂乃果は白目になった。850年の歴史で、室外機と一体化した豊穣神など前例がない。間違いなく前例がない。鎌倉初期の氏子たちに見せたら全員卒倒するであろう、謎の記録が爆誕していた。
一真はまたしても肩を震わせていた。今度は隠す気もなく笑っていた。
「あーもう! 笑うな!! 笑うなーーー!!!」
室外機の轟音と一真の笑い声と穂乃果の叫びが混ざり合って、昼休みの屋上に盛大に響いた。
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気を取り直して五分後。穂乃果は「よい。ならば動画じゃ」と宣言した。
「動画?」
「写真より動画のほうが認知されやすいと、そなたが昨日言っておったじゃろ。奇跡を見せれば信じてもらえる。タンポポに神気を集中させて輝かせれば、これが本物の神の力じゃと証明できるはずじゃ」
一真がスマホの録画を開始した。「どうぞ」と合図する。
穂乃果は深呼吸した。神気を祠の前のタンポポ——あの律儀な一本に向けて、慎重に、慎重に集中させる。80単位の神気の中から、丁寧に糸を引き出すように。御影枝脈から流れてくる微量な力を借りながら。
「……顕れよ、豊穣の光!」
タンポポが、ぱあっと輝いた。
花びらの一枚一枚が金色に染まって、昼の白い光の中でもはっきりわかる暖かな輝きを放った。
「おお!!」
本当に輝いた。確かに輝いた。0.8秒ほどの、短い奇跡だったが——一真が感動に振り返った瞬間にはもうタンポポは元通りで、風に揺れているだけだった。
「すごか……あれ」
同時に、穂乃果の体がゆっくりと前に傾いた。
神気を急消耗した反動が、一気に来た。ふらふらっと足元がおぼつかなくなって、穂乃果の小さな体が前のめりに——一真の前腕に、ことり、とぶつかった。
一真が咄嗟に腕を差し出していた。穂乃果の体重を受け止めた瞬間、腕にかかる重みの軽さに驚いた。人間の子供のそれより、ずっと軽い。けれど確かに、体温の気配があった。人間より低い温度だが、それでも確実に、生きているものの温もりが一真の前腕に伝わってきた。
穂乃果がそのままずるずると崩れていく。引き留める間もなく、石段に腰を下ろした一真の膝の上に、白銀の頭がことりと乗った。
「……え? あの、穂乃果さん?」
返事がなかった。穂乃果の金色の瞳が静かに閉じていき、白銀の長い睫毛が降りた。すうっと、安らかな寝息が聞こえてくる。
一真は固まった。
膝の上に、神様が寝ていた。
白銀の髪が一真の膝の上に広がって、昼の光を溶かし込んだように淡く光っている。半透明の肌は月光みたいで、近くで見ると睫毛の一本一本が銀色に細く光っていた。眠っている穂乃果の顔は、怒ってもなく、拗ねてもなく——ただ、穏やかだった。850年生きてきた神様の顔とは思えないほど、無防備で、静かで、どこか幼くて。
一真の首筋が、じわりと熱くなった。
(起こすべきか)
そう思って、手を伸ばしかけて——止まった。
(でも)
その先の言葉が、自分でもうまくまとまらなかった。神気切れなら休ませた方がいい、という合理的な判断が頭の中で組み上がった。そうだ、それだ。それが理由だ。自分が動けないのは、合理的な判断の結果だ。膝の上の温もりを手放したくないとか、そういうことでは断じてない。
録画しっぱなしのスマホが、静かに、その全てを記録し続けていた。
一真は膝の上の穂乃果を見下ろしながら、ぼんやりと御影ヶ丘市の昼の空を見上げた。秋の空は高くて青くて、室外機の轟音だけが相変わらずうるさかった。
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二十分ほどが経って、穂乃果の金色の瞳がゆっくりと開いた。
最初に見えたのは、一真の顔と、秋の空だった。
「……」
状況を理解するのに三秒かかった。
「き、神気を練っておったのじゃ!!」
跳ね起きながら叫んだ。一真の膝から勢いよく離れて、石段に立ち上がって、着物の裾を整えながらすごい剣幕で言い切った。「深い意識の中で神気を練り上げておったのじゃ!! 断じて眠っておったのではない!!」
一真は何も言わず、スマホの画面を穂乃果に差し出した。
画面の中では穂乃果が一真の膝の上で安らかに熟睡していた。すうすうと寝息まで拾えていた。「神気を練っている」要素がゼロの、完璧な膝枕熟睡映像が二十分ぶんがっちり記録されていた。
穂乃果の顔が、耳から赤くなった。耳が赤くなり、頬が赤くなり、額まで赤くなった。段階的に、丁寧に、5ステップで全顔が真っ赤になった。
「け、消せ!! 今すぐ消すのじゃ!!」
「でも……これ投稿したら……」
「投稿するな!!! 絶対するな!!! それは命令じゃ!!!」
一真が画面をちょっとだけスクロールして、穂乃果に向けた。
「試しに上げたんですよ、昼寝の最中に。そしたら」
コメント欄が埋まっていた。
〈このコスプレイヤー誰?〉〈半透明の表現えぐすぎる〉〈寝顔が神すぎる〉〈CGか? めちゃくちゃクオリティ高い〉〈どこのイベントですか〉〈2回見た〉〈3回見た〉〈ループしてる〉
再生数4200。フォロワー300人増。
穂乃果の顔が、今度は別の意味で動いた。真っ赤だった頬に、何かが過ぎった。
「……4200人が……わらわを見た……」
一真が電卓を取り出した。計算して、穂乃果に向ける。
「神気の計算なんですけど。SNSのフォロワーによる認知は、信仰の最も薄い形で……1万人フォロワーでようやく1日1単位なので」
「うむうむ」
「今回300人増で、この動画で認知した人が4200人だとして……単純計算だと」
「どれほど増える!?」
「0.03単位」
「……」
「……0.03で」
「…………少なっ!!!!!!」
穂乃果の叫びが屋上に響いた。室外機の轟音に負けない声量だった。4200人の視聴者、300人のフォロワー増、コメント欄の熱狂——その全てが積み重なって生み出す神気が、0.03単位だった。全盛期の100,000単位から考えたら、ゼロと言ってもいいほどの数字だった。
穂乃果は魂が半分抜けたような顔で石段にへたり込んで、膝を抱えた。
「わらわは……こすぷれいやー……ではない……神じゃ……なのに……0.03……」
一真がコメント欄をもう一度眺めて、首を傾げた。〈月蝕の間ってスピリチュアルサロン知ってます? 似たオーラある気がします〉という書き込みが一件混じっていた。
「月蝕の間……?」
聞いたことがある名前だった。モールから南東に歩いた商店街——御影銀座通りの路地裏にあるサロンの名前を、どこかで聞いた記憶が一真にはあった。でも今はそれより。
「穂乃果さん」
穂乃果が膝を抱えたまま、拗ねた金色の瞳でちらりと一真を見上げた。睫毛が細くて、頬がまだわずかに赤い。石段に膝を抱えて小さくなった穂乃果は、850年の神格というより、怒られた子供みたいに見えた——いや、もっと何か、一真には言葉にならないものがあった。
さっき膝の上で感じた体温の記憶が、胸の奥でまだ温かかった。人間より低いはずなのに、確かに温もりとして残っているそれが、穂乃果の上目遣いと重なって——一真は視線を逸らせなかった。
「でも4200人が、穂乃果さんのことを見ましたよ」
静かな声だった。
穂乃果が、ぱちりと瞬きした。
「4200人が、穂乃果さんを見て、コメントを書いて、もう一回見て。0.03単位かもしれないけど、今日の昼前まで誰にも見えなかった穂乃果さんのことを、4200人が見た」
穂乃果がしばらく黙っていた。拗ねた顔のまま、金色の瞳で一真を見ていた。その瞳の奥が、ごくわずかに——柔らかくなった気がした。
「……変な人間じゃ」
「神様に言われたくないです」
穂乃果が小さく笑った。
その笑い声の柔らかさが、一真の胸の真ん中で何かを静かに動かした。名前をつけられない、でも確かにそこにある何かが、じわりと温かくなって広がっていくような感覚。一真はそれを持て余しながら、スマホをポケットにしまった。
---
日が落ちた。
モールの閉店時刻が近づき、屋上の使用者はもとよりゼロに近いが、夜になるとさらに静かになった。室外機の音だけが変わらず続いている。
一真と穂乃果は祠前の石段に並んで座っていた。肩が触れるか触れないかの、曖昧な距離で。
御影ヶ丘市の夜景が、フェンスの向こうに広がっていた。住宅地の明かりが点々と灯り、商店街のネオンが橙色に滲んで、遠く御影丘の黒いシルエットが夜空に浮かんでいた。半透明の穂乃果の体に夜のネオンが溶け込んで、銀色の髪が夜風にゆっくりとなびいていた。光を含んだような、透き通った横顔が夜の中に静かにあった。
「かつて、この丘一面が稲穂じゃった」
穂乃果が呟いた。笑いもなく、ツッコミも来ない声で。
「秋になると金色の波が地平まで続いた。風が吹くたびに穂が揺れて、波みたいに、どこまでも。氏子たちが歌うのじゃ——刈り入れの歌を。その声が、わらわの力になっておった」
一真は黙って聞いていた。
「今はもう、田んぼも、歌も、ない。このモールの下に全部、埋まっておる」
850年分の重さを持つ声だった。神気が80単位の、消えかけた小さな神様の声だったが、その軽さの奥に膨大なものが詰まっていた。一真は夜景を見たまま、少し間を置いてから言った。
「でも明日また考えます」
穂乃果が、金色の瞳で一真の顔をまっすぐ見た。数秒、そのまま見ていた。
「……変な人間じゃ」
「さっきも言いましたよ、それ」
「もう一度言うた」
穂乃果が小さく笑った。さっきとはまた少し違う、力が抜けたような笑い方だった。一真の胸の中で、また何かが動いた。それに名前をつけようとして——うまくいかなくて、ただぼんやりと夜景を見た。
帰り支度をしながら、一真がバックヤードの階段を降りかけて、ふと足を止めた。
配架棚の隅に、チラシが一枚挟まっていた。モールの掲示用スペースにいつの間にか置かれていたらしい、薄紫色の紙。
——スピリチュアルサロン「月蝕の間」。タロット占い・パワーストーン・浄化セッション承ります。
一真は動画のコメント欄を思い出した。〈月蝕の間って似たオーラある〉という一件。二つが、重なった。
何かが引っかかった。うまく言葉にならないが、確かに引っかかった。一真はそのチラシをポケットに入れて、屋上への鉄扉を閉めた。
穂乃果は気づいていなかった。
夜の屋上に一人残された穂乃果は、祠の前の石段に腰を下ろして、自分の膝を見下ろしていた。さっきまで一真の体温があった場所を——自分の頭が乗っていた場所を、金色の瞳でしばらく見ていた。
耳の先が、じわりと赤くなった。