未来日記マリッジ・ウォーズ!〜転生したヤンデレ花嫁とモテ期が止まらない僕の学園ラブコメ〜
『未来日記』に振り回される、ちょっと危険なスクールラブコメ!
天野ユキテルはごく普通の高校生。ある朝、目覚めると知らないアドレスから「今日の予言」メールが届いていた。野良猫に会う、購買のパンが売り切れる……そんな些細な予言が的中していく中、昼休みに現れたのは学年一の美少女・我妻ユノ。
「私、あなたの未来の花嫁だから」
彼女が持つ手帳には、未来の出来事がびっしり。しかもその内容は、なぜかユキテルとユノの結婚生活にまつわるものばかり。ユキテルの好きな食べ物も、苦手なものも、生活パターンも全部お見通し。甘くて可愛いのに、どこか底知れないヤンデレ花嫁の登場に、ユキテルの平穏な日常は一変する。
さらに追い打ちをかけるように届いたのは、幼なじみ・日向ミライの危機を告げる予言メール。屋上から転落する——その予言を阻止すべく奔走するユキテルだったが、現場に現れたユノの表情は、昨日までの笑顔とはまるで違っていて……。
未来がわかる手帳と予言メール、二人の少女の間で揺れるユキテル。これはラブコメなのか、それとも——? 予測不能の学園ラブコメ、開幕です!
未来日記マリッジ・ウォーズ!〜転生したヤンデレ花嫁とモテ期が止まらない僕の学園ラブコメ〜 - 普通の友達から始めたい~白紙の日記と、最後の写真~
朝の光が、机の上のスマホを白く照らしていた。
天野ユキテルは布団の中で丸まったまま、枕元の振動に気づかないふりをしていた。
(また、来る)
一週間前から、朝六時きっかりに届く通知。差出人不明の『今日のユノちゃんチェック』。ユノの行動予定と、ユキテルへの干渉指示がびっしり書かれた、あのメール。
(あれから、一週間か)
ユノの家で彼女の本当の気持ちを聞いた夜。『消去対象:天野ユキテル』という赤い文字を見てから、ユキテルは毎晩、まともに眠れていなかった。
でも。
ユノは、変わった。
次の日から、朝の待ち伏せも、手作り弁当の押しつけも、なくなった。
教室で会っても、小さく会釈するだけ。
昼休みに、ユキテルの机に弁当箱が置かれることも、なくなった。
(ほっとするはずなのに)
(なんで、こんなに落ち着かないんだろう)
ユキテルはごろりと寝返りを打った。
その時。
ブブブ。
スマホが枕元で震えた。
(……来た)
ユキテルは目を開けた。
天井を見つめたまま、しばらく動かない。
(今日は、何て書いてあるんだろう)
(ユノは今日、誰を消そうとしてるんだろう)
(……いや、もう、そんなの来ないはずだ)
(ユノは変わったんだから)
ユキテルはゆっくりと体を起こした。
スマホを手に取る。
画面を点ける。
新着メール。
差出人不明。
件名。
——今日のユキテルチェック。
「……え?」
ユキテルはまばたきをした。
もう一度、画面を見る。
『今日のユキテルチェック』
(ユキテル……チェック?)
(ユノちゃんチェックじゃ、ない)
指が震えた。
メールを開く。
画面に文字が並んでいた。
『8:15 鏡橋を渡る』
『12:30 購買でパンを買う』
『16:05 屋上へ向かう』
『17:20 カガミ坂を一人で歩く』
ユキテルは息を止めた。
(これ、全部、僕の予定だ)
(僕の今日の行動予定)
(なんで、僕のことが書いてあるんだ)
(しかも、屋上へ向かうって……)
(僕は今日、屋上に行く予定なんてない)
胸の奥がざわざわした。
(ユノの日記が、僕の行動を記録してる?)
(それとも、誰かが、僕を監視してる?)
ユキテルはスマホを握りしめた。
画面の一番下に、小さく、灰色の文字で、こう書かれていた。
『注:この記録は、観測結果です。未来を拘束しません』
「……どういう、こと」
誰も答えなかった。
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。
教室は、いつも通りの朝だった。
黒板の前に数人の男子が集まって、昨日のテレビの話をしている。
窓際では女子たちが、スマホを見せ合って笑っていた。
ユキテルは自分の席に座ると、机に突っ伏した。
(ユキテルチェック……)
(なんで急に)
(ユノの日記は、どうなってるんだ)
「ねえねえ、ユキテル!」
聞き覚えのある元気な声。
顔を上げると、栗色のショートボブを揺らした幼なじみ、日向ミライが立っていた。首から下げたランニングシューズのキーホルダーが、朝の光を反射してきらきら光っている。
「おはよう、ミライ」
「おはよう、じゃないわよ! あんた、また寝不足でしょ。顔、やばいわよ」
ミライは笑いながら、ユキテルの隣の席にどさりと座った。
「べ、別に……」
「あんたが嘘つく時、絶対、目が泳ぐんだから」
ミライはたれ目気味の明るい茶色の瞳を細めて、ユキテルの顔をのぞき込んだ。
「で、何があったの? 我妻さんと、また何か?」
「……ユノは関係ないよ」
「ふーん」
ミライは少しだけ真剣な顔になった。
「ねえ、ユキテル。あたし、最近の我妻さん、ちょっと変だと思うのよね」
「へっ?」
「だって、あの子、一週間前まで、あんたにべったりだったじゃない? 朝も一緒に登校して、お昼も一緒に食べて、放課後もついてきて。それが急にぱったりやめたでしょ。何かあったんでしょ」
ユキテルは言葉に詰まった。
(ミライは鋭い)
(でも、説明できない)
(未来日記のことなんて)
「……まあ、色々あったんだよ」
「色々って、何よ」
「だから、その……」
「あー、もういいわ。あんた、そういうところ、昔からなんだから」
ミライは呆れたようにため息をついた。
「ま、いいわ。あんたが自分から話す気になるまで待っててあげる。あたし、あんたの幼なじみだし、そういうのは慣れてるから」
「……ありがとう」
「うっそ、また素直にお礼言った! 今日、雨降るんじゃない?」
「失礼だな!」
二人で笑った。
その時。
教室の入り口に、ピンク色の髪の少女が立っているのが見えた。
我妻ユノ。
腰まで届く長いストレートの髪。サイドで結んだ小さなリボン。大きなピンク色の瞳。
ユノはこちらを見ていた。
でも、以前のような張りつめた笑顔ではなかった。
ただ静かに、ユキテルを見ていた。
(ユノ)
ユノは小さく会釈をして、自分の席に向かった。
ミライがユキテルの耳元でささやいた。
「……ほら、やっぱり変でしょ。あの子、あんたのこと見てたわよ」
「……うん」
ユキテルはユノの背中を見つめた。
(ユノは本当に変わったんだ)
(あの重たい笑顔が、なくなってる)
(でも、それが逆に、怖い)
(ユノは今、何を考えてるんだろう)
朝のホームルームが始まるチャイムが、教室に響いた。
昼休み。
ユキテルは購買でパンを買うと、教室に戻った。
(ユキテルチェックに書いてあった通りだ)
(12:30 購買でパンを買う)
(……全部、当たってる)
ユキテルは自分の席に座り、パンの袋を開けた。
焼きそばパン。今日はこれしか残っていなかった。
「あら、天野くん。また購買のパンですの?」
聞き覚えのある高飛車な声。
顔を上げると、金髪のお嬢様カールを揺らした野々坂マオが、アイスブルーの瞳でユキテルを見下ろしていた。
「マオさん……」
「そんな添加物の塊みたいなものばかり食べていては、体を壊しますわよ。わたくしのシェフが作ったサンドイッチ、一口差し上げてもよろしくてよ」
マオは高級そうなランチボックスを、胸の前に抱えていた。
「い、いいよ。悪いし」
「まあ、失礼ですわね! わたくしが、ただのパンより美味しいものを差し上げると言っているのですのよ。ありがたく受け取りなさいな」
マオは頬を赤らめて、ランチボックスをユキテルの机に置いた。
「……ありがとう」
ユキテルはランチボックスを開けた。
中には色とりどりのサンドイッチが、きれいに並んでいた。
(すごい。本当に、シェフが作ったみたいだ)
「いただきます」
ユキテルは一口、サンドイッチをかじった。
「……おいしい」
「当然ですわ。わたくしの家のシェフは、元ホテルの料理長ですもの」
マオは胸を張った。
その時。
「あら、マオさん」
柔らかい声。
二人が振り返ると、いつの間にか、ユノが立っていた。
「ユノさん……」
ユノはにこりと笑った。
以前のような、目が笑っていない笑顔ではなかった。
ただ、自然な、やわらかい笑顔だった。
「天野くん、お昼、マオさんと一緒に食べてるの?」
「あ、いや、これは、その……」
「あら、我妻さん。何かご用かしら。天野くんは今、わたくしと昼食を楽しんでいるところですのよ」
マオがユキテルの前に立って、ユノをにらんだ。
「そうなんだ。楽しそうで、いいね」
ユノは微笑んだまま、そう言った。
(え?)
(ユノが、怒ってない?)
(以前なら、マオさんの名前を、日記に書き込んでたはずなのに)
ユキテルは戸惑った。
「マオさん、サンドイッチ、美味しそうだね。今度、作り方、教えてほしいな」
「……は?」
マオが面食らった顔で、ユノを見た。
「だって、天野くんが美味しそうに食べてるから。私も作ってみたいなって思って」
ユノはそう言うと、自分の席に戻っていった。
残されたマオは、しばらくぽかんとしていた。
「……な、なんですの、今の。わたくし、作り方なんて知りませんわよ。シェフに聞かないと」
マオは顔を真っ赤にして、ランチボックスを抱え直した。
ユキテルはユノの背中を見つめた。
(ユノ、本当に変わったんだ)
(マオさんに、あんな風に話しかけるなんて)
(前のユノなら、絶対にしなかった)
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
放課後。
チャイムが鳴り、クラスメイトたちがそれぞれの部活や帰宅のために、教室から出ていく。
ユキテルは帰り支度をしながら、スマホを取り出した。
『今日のユキテルチェック』
『16:05 屋上へ向かう』
(屋上……)
(僕は今日、屋上に行く予定なんてない)
(でも、このメールはいつも当たってる)
(なら、この後、僕は屋上に行くことになる?)
ユキテルは首を振った。
(いや、行かなければいいんだ)
(このメールは、未来を拘束しないって書いてあった)
(なら、僕が行かなければ、この予定は外れる)
そう思った時。
「天野くん」
声がした。
振り返ると、ユノが立っていた。
「ユノさん」
「今、時間ある? 少し、話したいことがあるの」
ユノは静かな声で言った。
「……うん、大丈夫だよ」
「ありがとう。じゃあ、屋上に行かない? 誰もいないと思うから」
(屋上)
(ユキテルチェックに書いてあった)
(16:05 屋上へ向かう)
(やっぱり、当たるのか)
ユキテルは小さくうなずいた。
「……うん、いいよ」
屋上への扉を開けると、春の風がふわりと二人を包んだ。
空は少しずつ、夕方の色に染まり始めている。
校庭ではサッカー部の生徒たちが、まだ練習を続けていた。
ユノはフェンスのそばまで歩いていくと、振り返った。
夕日を背にしたユノの、ピンク色の髪が風に揺れていた。
「……天野くん。これ、見てほしいの」
ユノはポケットから、一冊のノートを取り出した。
(あれは)
(ユノの、未来日記)
ユキテルは呼吸が浅くなるのを感じた。
「ユノさん、それ……」
「うん。私の未来日記。天野くん、前に見たことあるよね」
ユノは静かに言った。
(ユノの部屋に忍び込んだこと、知られてたんだ)
(いや、今はそれどころじゃない)
ユノはノートを、ユキテルに差し出した。
「開けてみて」
「……いいの?」
「うん。見てほしいの」
ユキテルは震える手で、ノートを受け取った。
(他人の日記を覗くのはタブーだ)
(でも、ユノが見てほしいって言ってる)
ユキテルはノートを開いた。
そして、息をのんだ。
(……真っ白だ)
ページのどこにも、文字がなかった。
以前、ユキテルが見た時には、びっしりとユキテルへの想いや他の女子の名前や、『消去対象』の文字が書かれていた。
でも、今は。
ただの白い紙だった。
「……これ、どういうこと?」
ユキテルは顔を上げた。
ユノは静かに微笑んでいた。
「……私、もう、ユキテルくんの未来を覗くの、やめたの」
「え?」
「ずっと書かれていたことが急に消えちゃって。最初は怖かった。何も見えなくなって、不安で、どうしようもなかった。でもね、なんだか、すっきりしたの」
ユノの声は穏やかだった。
(すっきり、した)
(ユノが、そんな風に言うなんて)
ユキテルはノートを見つめた。
「……じゃあ、今朝のメールは?」
「メール?」
「『今日のユキテルチェック』っていう、僕の行動予定が書かれたメールが朝届いたんだ。今までは『今日のユノちゃんチェック』だったのに、急に僕のことが書かれるようになって」
ユノは首をかしげた。
「……私、そんなメール、送ってないよ」
「え? でも、今までのは、ユノさんの日記から自動で送られてきてたんじゃ……」
「ううん。私、天野くんにメールを送ったことなんて、一度もないの。私の日記は、いつもこのノートにだけ、文字が浮かんでたから」
ユキテルは混乱した。
(じゃあ、あのメールは誰が送ってるんだ)
(差出人不明の『今日のユノちゃんチェック』)
(そして今日の、『今日のユキテルチェック』)
「……天野くん、もしかして、私の日記の内容が、メールで届いてたの?」
ユノが心配そうに、ユキテルの顔をのぞき込んだ。
「……うん。毎朝六時に。ユノさんのその日の行動予定とか、僕への接触計画とか、他の女子への警戒情報とかが書かれたメールが」
ユノはしばらく、考え込んでいた。
「……私、そんなこと知らなかった。ごめんね、天野くん。怖かったよね」
ユノは申し訳なさそうに、うつむいた。
「い、いや、ユノさんが謝ることじゃないよ。ユノさんが送ってたわけじゃないんだから」
「でも、私の日記のせいで、天野くんが怖い思いをしてたんでしょ? ……私、天野くんにひどいこと、たくさんした。日記に天野くんのことをいっぱい書いて。他の子の名前も書いて。天野くんを、私だけのものにしようとして」
ユノの声が、少し震えた。
「……私、愛されたくて必死だったの。小さい頃から、お父さんもお母さんもほとんど家にいなくて。いい子にしてれば、いつかちゃんと見てもらえるって、そう思ってた。でも、誰も、私のことを見てくれなかった」
ユノは夕日を見つめながら、静かに話し続けた。
「天野くんと出会って、初めて、私を見てくれる人ができた。嬉しくて、嬉しくて、絶対に離したくないって思った。だから日記に、天野くんのことをいっぱい書いた。天野くんの周りの子のことも、全部書いた。……でも、それじゃダメだって、わかったの」
ユノはユキテルに向き直った。
夕日が、ユノのピンク色の瞳をきらきらと照らしていた。
「天野くん、今まで、ごめんなさい。私、愛されたくて必死で……でも、それじゃダメだってわかったの。これからは、普通の友達から、始めたい」
ユノは深く、頭を下げた。
風が吹いた。
屋上の空気が、夕日の色に染まっていく。
ユキテルはユノの頭を見つめていた。
(普通の友達から)
(ユノが、自分からそう言った)
(あの重たい愛が、なくなった)
(……いや、なくなったんじゃない)
(ユノが自分で、手放そうとしてるんだ)
ユキテルの胸の奥が、じわりと温かくなった。
「……うん」
ユキテルはうなずいた。
「そうだね。普通の友達から、始めよう」
ユキテルは笑った。
心から、自然に、笑えた。
ユノが顔を上げた。
その顔は、今まで見たどの表情よりも柔らかくて、優しかった。
「……ありがとう、天野くん」
ユノの目に、涙が浮かんでいた。
でも、その涙は、悲しみの涙ではなかった。
夕日が、二人の影を屋上の床に長く伸ばしていた。
翌日の教室。
ユキテルが教室に入ると、ユノが自分の席で教科書を開いていた。
ユキテルに気づくと、ユノは顔を上げて、にこりと笑った。
「おはよう、天野くん」
「おはよう、ユノさん」
ユキテルも笑って、挨拶を返した。
(自然に、挨拶できた)
(前みたいに、朝から待ち伏せされたり、弁当を押しつけられたりしない)
(これが、普通の友達ってやつなのかな)
ユキテルは自分の席に座った。
「あら、我妻さん。随分と大人しくなったじゃありませんの」
聞き覚えのある高飛車な声。
マオが、ユノの席の前に立っていた。
「おはよう、マオさん」
ユノは穏やかに笑った。
「あら、ごきげんよう。それで、我妻さん。あなた、天野くんのことを、もう追いかけ回さないのかしら? わたくしとの勝負を、諦めたのかしら?」
マオはアイスブルーの瞳で、ユノをじっと見た。
ユノは少し考えてから、言った。
「マオさん、これからは、ライバルとかじゃなくて、同じクラスの友達でいましょう」
「……は?」
マオがきょとんとした。
「私、マオさんと、もっと仲良くなりたいの。マオさんは天野くんのこと、色々知ってるみたいだし。友達として、色々教えてほしいな」
ユノは微笑んだ。
マオはしばらく、ぽかんとしていた。
「……な、なにを言ってますの。わたくしは、あなたのライバルですのよ。友達なんて、そんな」
マオの顔が、みるみる赤くなっていく。
「……ふん、まあ、よろしくてよ」
マオはプイッと横を向いた。
でも、その口元は少しだけ、ほころんでいた。
(マオさん、嬉しそうだ)
ユキテルは思わず笑ってしまった。
「あんたたち、やっとまともになったわね!」
大きな声。
ミライが笑いながら、三人のところにやってきた。
「あたし、前から思ってたんだけど、我妻さんと野々坂さんって、意外と気が合いそうだなって。ほら、二人とも根は真面目で、負けず嫌いで、面倒見いいところとか、そっくりじゃない?」
「まあ、失礼ですわね! わたくしが、この下品な愛の押し売りと似てるですって?」
「下品な愛の押し売りって……マオさん、ひどいなあ」
ユノは苦笑いした。
「ほら、そういうところ! 二人とも、反応が似てるんだって!」
ミライが大笑いした。
教室に笑い声が広がった。
ユキテルもつられて笑った。
(ああ、これが普通の日常なんだ)
(ユノと、マオさんと、ミライと、みんなで笑い合う)
(こんな日が来るなんて、一週間前は想像もできなかった)
ユキテルは窓の外を見た。
青い空。
白い雲。
穏やかな、春の日。
(このまま、平和な日々が続けばいいのに)
そう思った。
放課後。
ユキテルが下駄箱で靴を履き替えていると、後ろから声がした。
「天野くん」
振り返ると、肩までの黒いストレートの髪を揺らした、鳴海セイラが立っていた。
切れ長の銀灰色の瞳。
感情の読み取れない、静かな表情。
「セイラ先輩……」
「屋上に来て。話があるの」
セイラはそれだけ言うと、くるりと背を向けて階段を上っていった。
(セイラ先輩が、僕を呼び出すなんて)
(何か、あったんだ)
ユキテルは胸がざわつくのを感じながら、セイラの後を追った。
屋上には、セイラがフェンスにもたれて立っていた。
夕日が沈みかけている。
空はオレンジ色と紫色が混ざり合った、不思議な色だった。
「……ユノさんの日記が、白紙になったそうね」
セイラはユキテルを見ずに、夕日を見つめたまま言った。
「はい。昨日、本人から直接見せてもらいました」
「そう。それは、彼女が自分の感情を制御できるようになったからよ。日記持ちの感情が安定すると、日記の内容は静かになる。逆に、感情が歪むと、日記は過剰に反応する」
セイラは淡々とした口調で言った。
「……そうなんですか」
「ええ。だから、ユノさんの日記が白紙になったのは、良い傾向。彼女は、一つの段階を乗り越えたのよ」
セイラはそこで初めて、ユキテルの方を向いた。
「でも、油断しないで」
セイラの銀灰色の瞳が、真っ直ぐにユキテルを見据えた。
「……どういう、ことですか?」
セイラはポケットから、一枚の写真を取り出した。
「これを見て」
ユキテルは写真を受け取った。
(これは……)
写真には校舎が写っていた。
放課後の静かな校舎。
窓ガラスが夕日を反射して、オレンジ色に光っている。
でも。
その中の一つの窓から。
黒い染みのようなものが、にじみ出していた。
(向こう側の影)
ユキテルは指先が冷たくなるのを感じた。
「……この影、ユノさんの日記じゃなくて、別の生徒の手帳から出てるんです」
ユキテルは写真を見つめたまま言った。
「そう。よくわかったわね」
セイラは静かにうなずいた。
「この写真は三日前に撮影されたもの。写っている窓は、三階の空き教室。ユノさんの教室は二階の南側だから、場所が違う。つまり、他にも日記持ちがいて、その子の感情が歪み始めている」
セイラの声は冷たかった。
「……次の日記持ちって、誰なんですか?」
「まだ特定できていない。でも、写真に写った影の濃さからして、かなり強い感情を抱えている。放っておくと、ユノさんの時よりも危険かもしれない」
ユキテルは写真を握りしめた。
(また、誰かが苦しんでる)
(日記に振り回されて、感情を歪ませて)
(向こう側に、飲み込まれそうになってる)
「……放っておけないよ。誰かが傷つく前に、何とかしないと」
ユキテルは自分でも驚くほど、はっきりと言った。
(前の僕なら、きっと怖がって逃げてた)
(でも、今は違う)
(ユノと向き合って、色々あって、それでも前に進もうって決めた)
(だから今度は、僕が動く番だ)
セイラはユキテルの顔を、じっと見つめた。
「……そう。なら、明日、生徒会室に来て。詳しい話をしましょう」
セイラは小さくうなずいた。
「わかりました」
「……天野くん」
セイラが去り際に振り返った。
「日記に振り回されないことよ」
それだけ言って、セイラは屋上を去っていった。
ユキテルは一人、屋上に残された。
夕日が沈んでいく。
空がだんだん、暗くなっていく。
ユキテルは写真をもう一度見た。
黒い染み。
三階の空き教室の窓から、にじみ出る影。
(次の日記持ち)
(誰なんだろう)
(でも、今度は僕が助ける)
(ユノにしてあげられなかった分まで)
ユキテルは写真を、ポケットにしまった。
その夜。
ユキテルは自分の部屋で、ベッドに寝転がっていた。
天井を見つめながら、今日一日のことを思い返していた。
(ユノが、白紙の日記を見せてくれた)
(普通の友達から始めようって、言ってくれた)
(教室に、笑い声が戻った)
(でも、セイラ先輩が写真を見せてくれた)
(向こう側は終わってない)
(むしろ、これからが本番だって)
ブブブ。
スマホが机の上で震えた。
ユキテルは体を起こして、スマホを手に取った。
新着メール。
差出人不明。
件名は、空白。
ユキテルはメールを開いた。
画面に文字が浮かび上がった。
『明日、3階の空き教室で、新しい日記が目覚める』
たった、一行。
それだけ。
ユキテルは息を止めた。
(3階の空き教室)
(写真に写ってた、あの場所)
(新しい日記が、目覚める?)
(明日、あの場所で、何かが起きる)
ユキテルはスマホを握りしめた。
(ユノに相談すべきだろうか)
(でも、ユノはやっと、日記から解放されたばかりだ)
(今のユノを、またあの世界に巻き込むわけにはいかない)
ユキテルは窓の外を見た。
夜の闇が静かに、街を包んでいた。
「……僕が、確かめないと」
ユキテルは一人で、そうつぶやいた。
スマホの画面に浮かんだ文字。
『明日、3階の空き教室で、新しい日記が目覚める』
その文字が闇の中で、じわりと光っているように見えた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。