とんがり帽子のアトリエ ~みんなのやすみじかん~
とんがり帽子のアトリエ ~みんなのやすみじかん~の見習い魔女たちは、ついにめったにない休日を迎えた――そしてコーコは、その日を大切に過ごそうと決意する。
みんなを集めて楽しい計画を立てようとするが、結果はあまり盛り上がらない。アグは寝たいと言い、テテは新しいインクの研究をしたいと言い、リチェはおやつを食べたいと言う。コーコのやる気は少しだけしぼんでしまう。
それでもみんなで街へ出かけることに。最初は順調で、市場を見て回ったり、屋台でおやつを食べたりして楽しむ。しかし、リチェとアグが甘いもの派とハーブ屋派で意見が分かれて別行動に。仲裁しようとしたコーコはためらいすぎて、気づけばひとりぼっちになってしまう。
迷路のような路地をさまよっていると、コーコは迷子の子どもを見つける。助けようとするが、自分も同じくらい迷っていることに気づく。「誰かを助けに来たのに、今は二人とも迷子だ」と思いながら、路地をぐるぐる回る。
そこへオルオが地図を持ってどこからともなく現れ、屋根の上から二人を見つけて、あっという間に問題を解決してしまう。コーコは感謝するが、ほんの少しだけイラッともする。
夕方、ア
とんがり帽子のアトリエ ~みんなのやすみじかん~ - 自由日と、光る魔法印
指先がビリッとした。
その感覚が最初だった。
アトリエの石造りの壁に、見たことのない印がある。淡い青色の光が、夕暮れのオレンジの中でかすかに揺れている。コーコはそれをじっと見つめた。
おかしい。朝は、なかった。
― ― ―
その日の朝、コーコは張り切っていた。
自由日だ。年に四回だけある、師匠キファが「好きにしていい」と言ってくれる一日。アトリエの見習いたちが自分で過ごし方を考える、特別な日。
コーコはベッドから飛び起きて、青いローブをサッと羽織った。白いシャツに黒のスラックス。黒いショートヘアが跳ね気味になっているのを手でなんとか押さえながら、食堂へ駆け下りた。
「みんなでなんかしよ!」
食堂に飛び込んで、ひとりでそう言った。
誰もいなかった。
テーブルの上に、四枚のメモが残されていた。コーコはひとつひとつ拾い上げる。
師匠キファからの走り書き。『調合評議会の用事で朝から外出。夕方には戻る。自由に過ごすこと』。
オルオの几帳面な字。『街の地図を更新しに行く。地図がないと落ち着かない』。
アグのざっくりした字。『薬草屋ラディーチェに行く。在庫補充』。
テテの小さな字がびっしり。『路地裏で新しいインク素材の候補を見つけた。採取に行く。新しい素材の調合比率については昨日の文献に記述があって——』以下ずっと続いているのを、コーコは途中で読むのをやめた。
リチェからのメモは食堂のテーブルの真ん中に置いてあった。絵付きだ。ソルベッタの屋台の絵と、でかい矢印。行先は市場一択らしい。
コーコは四枚のメモをテーブルに並べて、しばらく眺めた。
全員もういない。
食堂はしんとしている。窓の外、丘の街メッザルーナのどこかで鳥が鳴いている。石畳の坂道を馬車が通る音がした。
(……わたし、なにも考えてなかったな)
心の中で認める。やりたいことを紙に書いて集めよう、と張り切っていたのに、自分のやりたいことが何ひとつ決まっていなかった。みんなもどうせ各自動いてるし、と思っていたのも正直なところだ。
でも、実際にアトリエにひとりで残されると、思ったよりさびしい。
コーコは立ち上がった。
「わたしも行こう」
誰もいない食堂にそう言って、玄関へ向かった。
― ― ―
アトリエの前の坂道は急だ。
メッザルーナは三日月型の丘の尾根に沿って作られた街で、どこに行くにも上るか下るかしかない。石畳の道は年季が入っていて、雨の後は特に滑りやすい。
コーコは今日が晴れだということを、三段下りた時点で忘れていた。
「あっ——」
石にひっかかった。右足が宙を蹴る。体が傾く。
「おっとっと!」
どすん、とはいかなかった。誰かの手がコーコの腕をぐっと掴んでいた。
「危ないよ、坊や」
見上げると、大きな買い物かごを抱えた中年の女性がいた。豆腐みたいな白い布巾を頭に巻いている。屋台の人っぽい。
「[gentle]ゆっくり下りないと」
「あ、ありがとうございます……!」
顔が熱くなった。ちょっと恥ずかしい。コーコは礼を言いながら、ついでに聞いてみた。
「あの、青いローブの子と、眼鏡の子と、赤い髪の子……見ませんでしたか」
おばさんはしばらく考えて、首を横に振った。
「そんな子たち、見てないねえ」
そうか。コーコはため息をついて、また坂を下り始めた。今度は足元をよく見ながら。
― ― ―
ミルト市場は丘の麓にある。
朝から百を超える露店がならんで、食べ物のにおいと、薬草のにおいと、人のざわめきが全部混ざった、にぎやかな場所だ。コーコはここに来るといつも、少し気持ちが上がる。
川魚の串焼きを焼くカルダのおじさんが、遠くから「嬢ちゃん!」と手を振ってくれた。コーコも振り返した。香草のいいにおいがここまで流れてくる。
露店をぶらぶら歩いていると、見慣れない色の粉を並べた小さな店が目に入った。
(あれ、なんだろ)
近づいてみる。ガラス瓶が並んでいて、中身は青白かったり、くすんだ緑だったり、黒みがかったオレンジだったり。粉の質がどれも細かくて、きれいだ。
「珍しいでしょ」
店主の初老の男性が声をかけてきた。
「[excited]これ、カンパーナの鉱石粉ですか? 色が全然違う」
「そうそう。今回は特別な層から採れたやつでね。この青白いのは、インクに混ぜると持続時間が通常の倍になるんだよ」
「え、倍!?」
思わず前のめりになった。
描画魔法に使うインクの質は、混ぜる鉱石粉の種類で大きく変わる。それはアトリエに来て一番最初に習うことだ。良質な鉱石粉が手に入れば、同じ魔法陣を描いても、効果が長持ちしたり強くなったりする。テテが素材に目をキラキラさせるのもわかる。コーコだって、こういうのには弱い。
「どれくらいの量から買えますか」
「小瓶一本で銀貨三ルーチェ。まとめ買いなら少し安くするけど」
「じゃあ一本——」
腰の巾着を探った。
手に触れるものがない。
コーコは固まった。もう一度探った。やっぱりない。
(……アトリエに置いてきた)
目を閉じた。三秒ほど現実を受け入れる時間が必要だった。
「す、すみません……財布を忘れてきまして……」
「ん? あら、そう」
「[sad]本当に申し訳ないです、さっきまでめっちゃ盛り上がってたのに……」
「また来なよ。商品はここにあるから」
店主は笑ってくれた。優しい人だった。コーコはぺこぺこ頭を下げながら、その場を離れた。
自分のおっちょこちょいぶりに、笑うしかない。
― ― ―
市場の端をうろついていると、泣き声が聞こえた。
小さな声だ。でも、確かにある。
コーコはパッソ通りの入口のほうを向いた。石畳の路地が細く続いている。古い石造りの家が密集していて、少し入ると方向がわからなくなる区画だ。
入口のところに、小さな女の子がしゃがんでいた。三歳か四歳くらい。茶色い髪をふたつに結んで、ワンピースを着ている。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、道行く人たちを見ている。でも誰も立ち止まらない。
「[gentle]ねえ、どうしたの?」
コーコはしゃがんで、女の子と目線を合わせた。女の子はびっくりした顔をした。
「……おかあさん、いなくなった」
「はぐれちゃったの? お家どこ?」
「わかんない」
コーコは立ち上がって、女の子の手を握った。
「じゃあ一緒に探そう。お家の近くに何があるか覚えてる?」
「……お花の鉢が、いっぱいあった」
「よし、行こ」
パッソ通りに入った。
最初の角を左に曲がった。次の角を右に曲がった。行き止まりになった。戻って、別の道を試した。また行き止まりだった。
コーコは立ち止まって、周りを見回した。
どの道も同じに見える。古い石の壁に、風化した模様の跡。魔法陣の名残りらしいが、何年前のものかわからない。メッザルーナの古い区画にはこういう跡がよく残っていると、テテが教えてくれたことがある。
(……わたし、どこにいる?)
迷った。完全に迷った。
迷子を助けようとして、自分が迷子になっている。
女の子がコーコの手をぎゅっと握ってくる。
(泣かせたくない。泣かせたら負けだ)
そう思った瞬間、ずっと昔の感覚がよみがえった。
小さい頃、同じような路地で、コーコ自身が迷子になったことがある。どこに行けばいいかわからなくて、ただ泣いていたあの時間。暗くなっていく空が怖かった。知らない大人の声が怖かった。そこに、見知らぬおじさんが声をかけてくれた。「どうした、家はどこだ」って。それだけで、少し息ができるようになった。
コーコは目の端が熱くなるのを感じた。でも今は泣かない。女の子の前では泣けない。
「ちょっと待ってて」
コーコは壁際まで行って、少し大きな道のほうへ向かった。するとにおいがした。香草の、あのにおい。
「カルダさん!」
角を曲がったところに、串焼きの屋台があった。カルダのおじさんが振り返る。
「嬢ちゃん、どうした? こんな路地で」
「[scared]迷子の子がいて、でもわたしも迷子になって……お花の鉢がたくさんある家、知りませんか」
「ああ、マリナさんのとこかな。ちょっと待ってろ」
カルダのおじさんはすぐに串をひとつ裏返して、「こっちだよ」と路地に入っていった。慣れた足取りで、迷う様子がまったくない。コーコは女の子の手を引いて、ついていった。
三回角を曲がると、窓台に赤い花の鉢がずらりと並んだ家が見えた。
扉が開いて、若いお母さんが飛び出してきた。
「[crying]マルタ! どこ行ってたの!」
女の子がお母さんに抱きつく。
「おねえちゃんが、一緒にいてくれた」
お母さんはコーコを見て、深く頭を下げた。コーコは少しだけ、胸がじんわりした。
来てよかった、と思う。
そしてもうひとつ、何か確かめられた気がした。困っている人をそのまま通り過ぎることが、自分にはできない。それはたぶん、昔だれかに助けてもらったからだ。その記憶が、今日もコーコを動かした。
― ― ―
アトリエに戻ったのは、夕方だった。
坂道を上っていたら、ふと足が止まった。
壁に、何かある。
アトリエの外壁、玄関の横あたり。今朝出かける時にはなかった。コーコはゆっくり近づいた。
淡い青色の模様だ。丸を基本にしたような形だが、普通の描画魔法の魔法陣とは全然違う。インクで描いたものとも違う。石の表面に、まるで最初からそこにあったみたいに刻まれている。
コーコは指を伸ばして、そっと触れた。
ビリッ。
「わっ」
指先を引っ込めた。しびれている。静電気みたいな感覚だったけど、もっと深いところまで来た感じがした。もう一度、印を見る。
脈打っていた。
ゆっくり、規則正しく。心臓の音みたいに。
(これ……普通の描画魔法じゃない)
直感でわかった。描画魔法の魔法陣はコーコも毎日見ている。書庫の棚、アトリエの工房の壁、練習用の紙。あれとはぜんぜん違う。文様の組み方も、線の雰囲気も、何もかも見たことがない。
胸がざわつく。
誰が描いたんだろう。なんのために。
コーコはその夜、なかなか眠れなかった。
― ― ―
夜が明けた。
コーコは布団の中で天井を見ていた。起き上がって窓を開けると、朝の空気がひんやりと入ってくる。トラモント川の方角が、薄い霧でぼんやりしている。
書庫に行こう、と思った。
二階の書庫はアトリエで一番古い匂いがする場所だ。棚に並ぶ本の大半は手書きの写し書きで、ところどころ文字がかすれている。テテがいつも長居している場所でもある。コーコはふだんここをあまり使わないが、今日は違う。
印の形が頭から離れない。
古い文献の棚から、「メッザルーナ近郊の魔法記録集」と表紙に書かれた本を引っ張り出した。次に「描画体系外の印文集成」という薄い本。あとは適当に、古そうなものを何冊か。
テーブルに積んで、ひとつひとつ開いていく。
最初の一冊は関係なかった。次の一冊も違う。三冊目は途中まで読んで眠くなってきた。
四冊目。
コーコの手が止まった。
古びたページの中に、あの印の形があった。完全に同じではないけど、明らかに同じ系統の文様だ。丸を基本にした、独特の組み方。
震える指で、その文章を辿る。文字が古くてところどころ読めない。でも読める部分だけを拾っていくと——
『……七日目の月が昇る時、印は発動し……刻まれた場所は……消滅する』
コーコはしばらく、そこから動けなかった。
顔から血の気が引いていくのがわかった。
消滅。
刻まれた場所が。
(アトリエが……消える?)
ページを指でなぞる。七日。あの印は昨日の夕方に現れた。だとすると、もう一日経っている。残りは六日。
窓の外から、朝の鳥の声が聞こえてくる。
コーコは本をテーブルに置いて、椅子の背もたれに深くもたれた。
ひとりじゃ、どうにもならない。
自分の知識では全然足りない。昨日の文献を全部読んでも、あの印の正体すらわからなかった。何が必要なのか、どうすれば止められるのか、何もわからない。
(みんなを、集めないと)
昨日はバラバラだった。アグも、テテも、リチェも、オルオも、みんな自分の好きな方向に動いていた。それはそれでよかったけど、今日は違う。
コーコは椅子から立ち上がった。
窓の外の空が明るくなっていく。トラモント川の霧が少しずつ晴れて、街が起き出す音がし始めている。石畳を蹴る馬のひづめ。市場の方から商人の声。メッザルーナの朝だ。
怖い。正直、すごく怖い。
でも。
コーコは深く息を吸った。
みんなに話す。それだけが、今できることだ。