とんがり帽子のアトリエ ~みんなのやすみじかん~
とんがり帽子のアトリエ ~みんなのやすみじかん~の見習い魔女たちは、ついにめったにない休日を迎えた――そしてコーコは、その日を大切に過ごそうと決意する。
みんなを集めて楽しい計画を立てようとするが、結果はあまり盛り上がらない。アグは寝たいと言い、テテは新しいインクの研究をしたいと言い、リチェはおやつを食べたいと言う。コーコのやる気は少しだけしぼんでしまう。
それでもみんなで街へ出かけることに。最初は順調で、市場を見て回ったり、屋台でおやつを食べたりして楽しむ。しかし、リチェとアグが甘いもの派とハーブ屋派で意見が分かれて別行動に。仲裁しようとしたコーコはためらいすぎて、気づけばひとりぼっちになってしまう。
迷路のような路地をさまよっていると、コーコは迷子の子どもを見つける。助けようとするが、自分も同じくらい迷っていることに気づく。「誰かを助けに来たのに、今は二人とも迷子だ」と思いながら、路地をぐるぐる回る。
そこへオルオが地図を持ってどこからともなく現れ、屋根の上から二人を見つけて、あっという間に問題を解決してしまう。コーコは感謝するが、ほんの少しだけイラッともする。
夕方、ア
とんがり帽子のアトリエ ~みんなのやすみじかん~ - 屋上のオルオと、四つの素材と、なぜか名前を間違えた件
朝の光が書庫の小さな窓から差し込んでいた。
コーコはテーブルに広げた古い文献を、もう一度、最初から読み直した。
『……七日目の月が昇る時、印は発動し、刻まれた場所は消滅する』
読み直しても、同じことが書いてある。
(消滅。アトリエが。消滅)
文字を指でなぞる。「消滅」という漢字がやたら重く見えた。昨夜から何度も読んでいるのに、読むたびにじわりと怖くなる。
昨日の夕方に印が現れた。だとすると、今日で二日目。残りは五日……いや、六日。昨日を一日目と数えるなら六日ある。
(六日で、どうにかしないといけない)
コーコは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「みんなを集めないと!」
誰もいない書庫に向かって、そう叫んだ。とにかく動かなければ。一人では絶対に無理だ。昨日あの印に触れてビリッとした感覚を思い出すと、これが冗談じゃないことだけはわかる。
廊下に飛び出した。
靴を履こうとして、片方が見当たらない。玄関を探すと、靴箱の上に乗っていた。なぜそこにあるのかわからないが、とりあえず履いた。扉を開ける。石畳の坂道が目の前に広がる。
よし、行こう。
三歩下りたところで、抱えているものが重いことに気づいた。見ると、書庫から文献を三冊持ってきていた。両手がふさがっている。
「あっ」
慌てて戻ろうとして、坂道でつるりと足が滑った。文献が空中に飛ぶ。コーコは必死に体勢を立て直し、その場でしゃがんだ。ふわりと本が三冊、石畳に散らばった。
パラパラと古いページがめくれる。朝の風が、乾いたインクの匂いを運んでいった。
コーコは文献を拾い集めながら、ようやく気づいた。
(……あたし、どこに行こうとしてたんだろう)
みんなを集めなきゃ、と思って飛び出した。でも「みんな」が今どこにいるかを、まったく考えていなかった。アグは昨日また市場に行っていたし、テテは路地裏で作業中だった。リチェは……どこだろう。オルオは?
坂の途中で立ち尽くした。
街の音が、遠くから聞こえてくる。ミルト市場の方から商人の声。鳥の鳴き声。メッザルーナの朝は、コーコの焦りをよそにのんびり始まっていた。
(どうしよう!)
そう思いながら、何気なくアトリエの建物を振り返った。
屋上テラスに、人影があった。
三階の屋上。アトリエで一番高い場所。メッザルーナの丘の中腹に建つこの建物の屋上からは、街全体と、東を流れるトラモント川が見渡せる。コーコはそこから見える景色が好きだったけど、朝からわざわざ上る人はあまりいない。
でもその人影は、そこに立って街を見下ろしていた。
銀色の髪が朝の光に当たって、白く光っている。背が高い。手に何かを持っている。地図だ。
オルオだ。
「オルオさん!」
文献を抱えたまま、階段を駆け上がった。一段、二段、三段——三階の屋上への扉を押し開ける。
オルオは振り返らなかった。地図に視線を落としたまま、静かに言った。
「朝から騒がしいな」
銀髪を後ろで一つに束ねた、背の高い青年だった。灰色のオッドアイ——左右で色が違う目——が、地図の上で細く動く。左耳の細い銀のイヤリングが、朝の光を受けて小さく光った。年は二十四。アトリエの見習いの中で一番年上で、いつも誰かの相談に乗っている。
コーコは彼の横に駆け寄って、一息で言った。
「[excited]あの印が七日で消えるっていうか消えるのはアトリエのほうで文献に月のことが書いてあって、でも財布も昨日忘れてて関係ないけど、とにかく七日以内に何かしないとアトリエがなくなるかもしれなくて——!」
オルオがゆっくりと顔を上げた。
「……ちょっと待て」
「待ってる場合じゃなくて——」
「コーコ」
静かな声だった。叱っているわけじゃない。ただ、落ち着いた重さがある。コーコは思わず口を閉じた。
オルオは地図をたたんで、内側のポケットからメモ用紙と鉛筆を取り出した。
「焦るなよ。もう一回、最初から話してくれ。ゆっくりでいい」
コーコは深呼吸した。それから、できるだけ順番通りに話した。昨日の夕方に外壁の印を見つけたこと。触れたらビリッとしたこと。今朝書庫で文献を読んだこと。七日目に印が発動して、刻まれた場所が消滅するという記述があったこと。
オルオはメモを取りながら聞いていた。時々「それはいつの話だ」「文献のタイトルは」と短く確認してくる。コーコが答えるたびに、鉛筆が動く。
「……つまり、外壁の印が六日後に発動する、ということか」
「そう! そういうこと!」
「財布の話は関係ないな」
「全然関係ない、うん、ごめん」
オルオがかすかに口の端を上げた。意地悪な笑い方ではなく、呆れと安堵が半分ずつ混ざったような顔だった。
「まあ、それも仕方ない。行こう」
二人でテラスを下り、アトリエの外壁へ向かった。
印は昨日と同じ場所にあった。玄関の横。淡い青色の模様が、石の表面にまるで最初からそこにあったように刻まれている。朝の光の中で見ると、昨日の夕方より少し鮮明に見えた——いや、光の加減かもしれない。でも、コーコには昨日より少し強く脈打っているように感じられた。
オルオは印の前でしゃがんで、顔を近づけた。触れはしない。ただ、じっと見ている。灰色の目が、文様の一本一本を追っていく。
長い沈黙。
「……これは、普通じゃないな」
「だよね? あたしもそう思った」
「描画魔法の文様は、丸と線の組み合わせで意味を作る。基本の体系は四百年前にファリーナという調合士が確立したもので、今もその体系の中で発展してきた。でもこれは——」
オルオは指で輪郭を空中になぞりながら言った。触れずに、形だけを追う。
「組み方が根本的に違う。教科書に載っていない」
「読める?」
「読めない。体系が違うということは、言語が違うようなものだ。単語は知っていても文法が全然別、という感じかな」
コーコはその言葉をゆっくり飲み込んだ。
描画魔法——専用のインクと調合筆で紙や壁に魔法陣を描くことで効果を発動する、この世界の主流の魔法体系。コーコもアトリエに入門してから毎日練習している。照明の魔法陣、水を浄化する魔法陣、熱を出す魔法陣。インクの質と、描線の正確さと、集中力で結果が変わる。
でもあの印は、その体系とまったく違う。
「書庫に戻ろう」
二人で二階の書庫に移った。コーコが持ってきた文献と、オルオが棚から引っ張り出した十数冊を、テーブルに広げた。窓から朝の光が差し込んで、古いページの黄ばみを照らす。乾いたインクと紙の匂いがした。
オルオは「体系外の印文集成」を最初に開いた。コーコは「メッザルーナ周辺の記録集」をめくりながら、昨日見つけたページを探した。
「あった。ここ」
オルオが移動してきて、コーコの隣でページを見た。二人の頭が並ぶ。銀の髪がコーコの視界の端に入った。
「……七日目の月が昇る時、印は発動し、刻まれた場所は消滅する、か」
「そう。でもその前のページにちょっとだけ続きがあって」
ページをめくる。文字が古くてかすれていて、読めない箇所が多い。でも何行かが読める。
「……上書き。何かで上書きすれば止められる、って書いてある気がする」
「気がする、はまずい。確認しよう」
オルオが他の棚から「印の干渉法概説」という薄い本を持ってきた。それと「調合評議会の公開記録・第十七輯」というぶ厚い冊子。パラパラとめくっていく。
コーコも手分けして別の文献を読み始めた。
読んでは違う、また別の本を取る。窓の外で鳥が鳴いた。市場の方からにぎやかな声が流れてきた。
三十分後。
「あった」
静かな声だった。でも確信がある。コーコは顔を上げた。
オルオが開いた本には、体系外の印についての記述があった。難しい字が多いが、要点を抜き出しながらオルオが説明してくれた。
「体系外の印を止めるには、特殊な素材で作ったインクで上書き魔法陣を描く必要がある。使う素材は四種類」
オルオはメモ用紙に書き始めた。
「一つ目、ヴェルデの森の光苔——メッザルーナから北西十二キロにある森の、湿った岩場に生える苔だ。光を蓄える性質を持つ。二つ目、トラモント川の川底の青石——川の東岸、水深のある場所に沈んでいる。三つ目、ミルト市場の古代鉱石粉——昨日コーコが市場で見たやつと同じ系統だな。相当古い地層から採れる特別な粉だ。四つ目、屋上で満月の夜に採れる夜露水——これは文字通り、アトリエの屋上に器を置いて満月の夜露を集める」
コーコはメモを覗き込んだ。
「夜露水……満月の夜って、いつ?」
「五日後だ。だから七日以内という条件にぎりぎり収まる」
「ぎりぎりじゃん……」
オルオは内ポケットから地図を取り出した。アトリエの書庫のテーブルに広げる。メッザルーナの丘陵と、北西のヴェルデの森、東のトラモント川、麓のミルト市場。オルオはそれぞれの場所に鉛筆で印をつけながら、素材の採取場所を書き込んでいった。
(こういうとき、地図があると全然違うな)
コーコはそれを眺めながら思った。オルオは地図を常に持ち歩いている。最初はなんで毎日地図? と思っていたけど、こういう時に「ここがどこか」がすぐわかるのは強い。
「森と川は遠い。一日では往復できない。人数を分けて動かないと間に合わない」
「じゃあ——」
「仲間を集めて、役割を分けよう。コーコ一人では——」
「あたしが全部やる!」
オルオが鉛筆を止めた。
「……何?」
「[serious]あたしが見つけた問題だから。あたしが全部やる。みんなには迷惑かけたくない」
沈黙。
オルオは地図から目を上げて、コーコをまっすぐ見た。灰色のオッドアイが、静かにコーコを見ている。怒ってはいない。でも、何かを測っているような目だった。
「コーコ」
「なに」
「六日で、四か所の採取と、上書き魔法陣の設計と、四種類のインクの調合を、一人でできるか?」
「……できる、かもしれない」
「できない」
一言だった。
コーコは反論しようとした。口を開いた。でも言葉が出てこなかった。
森と川は遠い。素材の採取には時間がかかる。インクの調合は作ったことがない。魔法陣の設計は、体系外の印に対して上書きするものだから、相当複雑なはずだ。テテなら詳しいかもしれない。でもテテに頼むことになる。それは一人じゃない。
オルオが続けた。
「まあ、それも仕方ない話だ。一人でやりたい気持ちはわかる。でも六日は短い。確実に失敗する」
「……悔しい」
「正直でいい」
「でも本当に迷惑で——」
「お前の居場所でもあるんだろう、このアトリエが」
コーコは黙った。
居場所。そうだ。このアトリエに来てから、ここが好きになった。書庫の匂いも、工房の油とインクの匂いも、朝の食堂もぜんぶ。みんながいるから好きなのかもしれないけど、この建物そのものも好きだ。
「……じゃあ、一緒に考えてくれる?」
小さな声になった。
オルオが短く頷いた。
「それが正しい判断だ」
地図の上に、もう一度鉛筆が動き始めた。誰がどこに行くか。何日目に何をするか。コーコはオルオの隣に座り直して、メモを取り始めた。
計画が少しずつ形になっていく。四か所の素材、六日間、何人かの仲間。アグは体力がある。テテはインクに詳しい。リチェは市場の顔なじみが多い。コーコはまとめ役というよりは……まあ、動き回る担当かな。
「まず誰に声をかけるかな。一番動きやすいのは——」
オルオが地図から顔を上げて言った。
「ひとまずは、ココ、アグに声をかけるか?」
コーコは顔を上げた。
「……あたし、コーコです」
オルオが少し間を置いた。
「……そうか。コーコか」
「ずっとあたしのことココって思ってたんですか」
「……そういえば、そうかもしれない。すまない」
微妙な沈黙。オルオが少し咳払いをした。
「お前こそ、さっきから僕のことを何と呼んでいた?」
「え? オルオさんですけど」
コーコはメモを見た。
そこには確かに、「オルロさんへ(お願いリスト)」と書いてあった。
二人同時に黙った。
テーブルの上の地図が、朝の光に照らされている。トラモント川の細い線。ヴェルデの森の緑の点線。ミルト市場の小さな四角。
コーコがふっと笑い出した。
オルオも、静かに笑った。くすくすという小さな声が、書庫に広がった。笑い合うというより、お互いの間抜けさに同時に気づいて、一緒に呆れている感じ。
「改めて」
コーコは背筋を伸ばした。
「よろしくお願いします、オルオさん」
「同じくだ、コーコ」
短い返事。でも、ちゃんと名前を呼んでいた。
地図の上の鉛筆が、また動き始めた。
「明日から動けば間に合う。ただ一つ気になることがある」
「なに?」
「古代鉱石粉だ。ミルト市場でも扱っているのはごく一部の商人だけで、常に在庫があるわけじゃない。早めに動かないと、売り切れる可能性がある」
「そんなに珍しいの?」
「珍しい。それに……調合評議会に関わる上の人間が、研究用に買い占めるという話を聞いたことがある。誰かが言っていたのか、文献で読んだのかは覚えていないが」
コーコはその言葉を、静かに心の中に収めた。
調合評議会——メッザルーナの四つのアトリエの工房主たちが集まる組織。街の魔法関連の政策を決める場所。コーコにはまだ縁遠い話だけど、素材に関わってくるなら、他人事じゃない。
「早めに動こう」
「ああ」
書庫の窓の外、アトリエの外壁に目をやった。石の表面に刻まれた印は、今この瞬間も、ゆっくりと脈打っているはずだ。昨日より少しだけ強く。
コーコは拳を握った。
残り六日。今日から動く。