死神、恋愛は卍解できない
ある朝、黒崎一護はオレンジ高校の2年生として目を覚ます。そこには死神も虚もなく、ただの現代日本があった。隣の席には白髪の転校生、朽木白哉が座っている。廊下では朽木ルキアがスマートフォンを逆さに持ちながら「人間生活を完全にマスターした」と主張している。
一護はこの静かな日常にどこか安心感を覚える。食堂のパンは美味しい。チャイムが鳴る。誰も死なない。悪くない。
だが、その平和はちょうど三日間だけ続いた。
井上織姫が一護にラブレターをそっと渡す。固まったままの一護の隣にルキアが現れ、その紙に何が書いてあるのか問い詰める。石田雨竜は廊下からメガネを押し上げ、意味深に「一護には俺が必要だ」と宣言する。恋の五角関係が動き出したのだ。
その日から混沌が始まる。織姫は一護の机に弁当を置き、ルキアは焦げた黒おにぎりで対抗するが、まずいとは認めようとしない。雨竜は怪しい理由で一護を弓道部に勧誘する。白哉は一護の隣で無言で本を読み続けるが、誰かが近づくたびにページをめくる音が明らかに大きく、攻撃的になる。
敵の動きを読むことはできても、感情を読み取る能力はゼロの一護。それが彼の人生で最も難しい戦い
死神、恋愛は卍解できない - 焦げたおにぎりと、ずるいあいつの秘密
ラブレターのことが、まだ頭の端っこにある。
あの白い紙。七文字。あなたのことが好きです。ポケットに入れたまま、もう数日が経った。差出人は分からない。昨日、ミナヅキ堂の前でルキアが紙切れを見た瞬間の横顔も、まだ引っかかっている。
何かを知っている、あの顔だった。
一護は昇降口で上履きに履き替えながら、そんなことを考えていた。廊下の奥から朝の騒がしさが届いてくる。靴をしまって、カバンを肩に掛けて——。
「[serious]遅い」
2年3組の教室に入った瞬間、声がかかった。
ルキアが一護の机の前に立っていた。手に雑巾を持って。濡れた雑巾を。びっちょびちょの。
「[surprised]……お前、何してんだ」
「[serious]埃を除去している。見て分からないか」
ルキアは当然という顔で一護の机を拭いていた。丁寧に。端から端まで。ぐいぐいと。
教室はまだ半分くらいしか席が埋まっていない。早朝のホームルーム前。窓から朝日が差し込んでいる。その中で、ルキアだけが雑巾を手に仁王立ちしていた。
「[serious]埃は敵だ。排除すべきものだ」
「[surprised]いや、誰も頼んでないんだけど!」
「[serious]感謝しろ」
そう言って、雑巾を一護に差し出した。
一護は受け取った。なんとなく断れなかった。
びしょびしょだった。
「[surprised]ちょっ——なんでこんなに濡れてんだよ!」
制服の袖がいっきにしみた。左腕がまるで雨に打たれたみたいになった。一護は袖をぶんぶん振った。水が飛んだ。隣の席の男子が「うわ」と椅子を引いた。
「[serious]適切な受け取り方だ」
「[angry]どこが!!」
遠巻きに見ていたクラスメイトが、くすくす笑い始めた。ルキアはそれを「何がおかしい」という顔で眺めてから、空になった雑巾をカバンの中に戻した。自分のカバンに。
「[serious]ちなみに昨日も拭いた」
「[surprised]毎日来てんのか、お前!」
「[serious]研究だ」
ルキアは淡々と自分の席に戻った。姿勢よく、制服のブレザーをきっちり着て、教科書を一冊取り出して机に置く。その耳が、ほんの少し赤かった。でも一護の角度からはちょうど見えなかった。
「[cold]まじかよ……」
袖がしみたまま、一護は自分の席に座った。
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昼休みになった。
一護はカバンから弁当——購買で買ったパン——を出しかけたところで、ルキアに肩を叩かれた。
「[serious]屋上に来い」
「[surprised]え、なんで」
「[serious]来い」
命令だった。問答無用の命令だった。
一護はパンをカバンに戻して、引っ張られるように屋上に向かった。本館の端の階段を上って、鉄のドアを押す。秋の風が吹き込んだ。空は高くて、薄い雲が流れている。
ルキアが先に出て、柵のそばに腰を下ろした。それから、カバンの中からラップに包まれた塊を二つ取り出した。
「[serious]私が作った。感謝しろ」
差し出されたそれを見て、一護は三秒固まった。
おにぎり——のはずだった。
形はおにぎりだった。三角形、海苔付き。でも色が黒かった。真っ黒だった。海苔の黒じゃない。全体的に黒かった。炭みたいだった。
「[surprised]……炭か?」
「[serious]食料だ」
「食料……」
一護はそれを受け取った。ずっしりしている。持ってみると案外重かった。表面がかさかさしている。
ルキアはもう一方の黒い塊をかじり始めていた。「普通だ」という顔で。
一護は恐る恐る一口かじった。
——外はぼろぼろと崩れるほど焦げている。でも。中は、案外ふつうだった。やわらかくて、塩加減もちゃんとしていて、梅干しが入っていた。
複雑な顔になった。
「[surprised]……まずくないじゃねえか」
「[serious]当然だ」
ルキアは腕を組んで、ちょっとだけ横を向いた。その耳が赤くなっていた。今度はちゃんと見えた。一護はそれに気づいたが、何も言わなかった。
秋の風が吹いた。ルキアの白銀の髪がさらりと揺れた。
しばらく、二人でおにぎりを食べた。下の校庭から声が聞こえてくる。体育の授業だろうか。遠くからJRの音がかすかにした。
一護は焦げたおにぎりの三口目を食べながら、ふと思った。
なんで毎日作ってくるんだろう、こいつ。
「[gentle]ルキアって……毎日おにぎり作ってくるの、大変じゃないか」
思ったことが、そのまま口から出た。
ルキアが、止まった。
おにぎりをかじる動きが止まった。横顔が止まった。一、二、三秒。
「[whispers]……黙れ」
小さい声だった。ぼそっとした声だった。前を向いたまま、一護に顔を向けずに、ただそれだけ言った。
沈黙が来た。
屋上の風が吹く。雲が動く。一護はおにぎりを持ったまま、その言葉の意味を掴もうとした。怒った? 違う気がする。恥ずかしかった? 違うのかな。でも耳が赤い。めちゃくちゃ赤い。
……なんだそれ。
一護は前を向いた。おにぎりの最後の一口を食べた。焦げた部分がぼろぼろ落ちた。でも、うまかった。メロンパンより、なんか、食べ応えがあった。
(こいつといると、退屈しないな)
そんなことを思って——それ以上は考えなかった。
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放課後になった。
最後の授業が終わって、一護はカバンを肩に掛けた。廊下に出ようとすると、廊下側の窓の外にルキアがいた。廊下をすたすた歩いている。一護より先に出ていた。
なんとなく後を追った。
階段を下りて、昇降口で靴に替えて、校門を出た。坂道を下りていくと、ルキアは変わらず一定の速度で前を歩いている。一護が追いつくと、振り向きもせず隣に並んだ。
「[cold]なぜついてくる」
「[sarcastic]お前こそ先に出てたじゃないか」
「[serious]帰り道が同じ方向だ。偶然だ」
絶対偶然じゃない、という確信があったが、一護は言わなかった。
坂を下りきったところで、「ヨリミチ」のオレンジの看板が見えた。ガラス越しに肉まんの湯気。一護の足が自然と向いた。
「肉まん、買う」
「[serious]私も行く。研究だ」
「[sarcastic]コンビニも研究かよ」
「[serious]人間の購買行動は興味深い」
コンビニの中は温かかった。入り口の機械が「いらっしゃいませ」と言った。ルキアが少し立ち止まった。機械を見た。「声だ」という顔をした。
「[serious]この箱が喋った」
「[laughing]センサーだよ! 機械が言ってんだ!」
「[serious]……知っている。確認しただけだ」
知らなかった顔だった。でも一護はそれ以上突っ込まなかった。
肉まんを二つ買った。百三十円ずつ。店の前に出て、並んで食べた。秋の夕方の風が少し冷たかった。
「[serious]一護。お前はこの世界が好きか」
突然だった。
一護は肉まんをかじる手を止めた。
「[surprised]は? 急に何だよ」
「[serious]答えろ」
ルキアは前を向いたまま、視線をカラクラ駅の方角に向けていた。夕方の空が橙から紫に変わっていく。ハルカゼ商店街のアーケードに明かりが灯り始めていた。
「[gentle]普通だろ、ここは。飯はうまいし、平和だし……」
「[whispers]……そうか。普通か」
小さくつぶやいた。肉まんを持ったまま、前を向いたまま。その横顔に、何かが滲んでいた。寂しいというか、遠くを見ているというか。
(何か……あるのか)
一護は口を開こうとした。でも言葉がうまく出てこなかった。なんて聞けばいいのか分からなかった。
ルキアは肉まんを二口で食べた。素早かった。
「[serious]行く」
歩き出した。
一護は「ちょっと待て」と言えなかった。
——でも。
一護は肉まんの最後の一口を食べてから、意を決した。ポケットに手を入れた。白い紙が指に触れた。もう何日も持ち歩いている、折りたたまれたあの紙。
「[serious]ルキア」
呼んだ。ルキアが一歩で止まった。振り向かない。でも止まった。
「[serious]実はこれ……ずっと差出人が分からなくて。お前、何か心当たりないか」
紙を差し出した。ルキアが振り向いた。視線が紙切れに落ちた。
一瞬。
表情が固まった。
次の瞬間——
「[angry]く、くだらん!!」
爆発した。
「[angry]そんなものは捨てろ! ゴミだ! 即刻処分しろ!!」
顔が耳まで真っ赤だった。さっきの横顔の静けさはどこへやら、目を逸らしながら一護に向かって畳み掛けている。
「[surprised]なんでお前が怒るんだよ!!」
「[angry]怒っていない! 断じて怒っていない! これは……適切な情報処理の指示だ!!」
「情報処理って何が!!」
「[angry]黙れ!!」
そのまま走り去った。白銀の髪が夕方の商店街の人混みに消えていった。
一護は手の中のラブレターと、ルキアが消えた方向を交互に見た。
「[cold]……なんだよ、あいつ」
コンビニの前に、一護一人が残された。
肉まんの袋だけが、手の中にあった。
差出人の謎は全く解けていない。むしろルキア自身が、もっとでかい謎になって目の前に浮かんでいた。
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その夜のことは、一護には知る由もなかった。
ハルカゼ商店街の一角。古書店ブックマイン——迷路みたいに本棚が入り組んだ、白哉が週に三回通う店——の奥の隠れ席に、白い髪の人影があった。
白哉が、一冊の本を静かに閉じた。
店内には誰もいない。夜の商店街の遠い雑音だけが、棚と棚の隙間に滲み込んでいる。
白哉は窓の外を見た。カラクラの夜景が広がっている。駅前の明かり、商店街のアーケード、住宅街の灯り。
「[cold]……騒がしくなる」
ただ、それだけ呟いた。
その視線の先——カフェ・コモレビの窓明かりの中に、テーブルで何かをじっと見つめている人影が映っていた。手に何かを持っている。小さな紙のようなものを。
何を見ているかまでは、夜の距離では判然としない。その輪郭が誰のものか、白哉は確認しなかった。ただ本を棚に戻して、静かに立ち上がった。
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翌朝、一護が教室に入ると——いつも先に来て机を拭いているはずのルキアがいなかった。
一護は少し止まった。
ルキアが遅れて入ってきたのは、ホームルームの三分前だった。制服のブレザーをきっちり着て、真っ直ぐ歩いてきて——一護と目が合った瞬間、さっと視線をそらした。そのまま反対側の通路を通って、自分の席に座った。
一護は自分の机を見た。今日は雑巾で拭かれていなかった。
昨日のことで怒ってるのか。それとも、別の何かなのか。
判断できなかった。
ポケットの中のラブレターが、じっとそこにある。差出人の名前は、今日も分からない。