死神、恋愛は卍解できない
ある朝、黒崎一護はオレンジ高校の2年生として目を覚ます。そこには死神も虚もなく、ただの現代日本があった。隣の席には白髪の転校生、朽木白哉が座っている。廊下では朽木ルキアがスマートフォンを逆さに持ちながら「人間生活を完全にマスターした」と主張している。
一護はこの静かな日常にどこか安心感を覚える。食堂のパンは美味しい。チャイムが鳴る。誰も死なない。悪くない。
だが、その平和はちょうど三日間だけ続いた。
井上織姫が一護にラブレターをそっと渡す。固まったままの一護の隣にルキアが現れ、その紙に何が書いてあるのか問い詰める。石田雨竜は廊下からメガネを押し上げ、意味深に「一護には俺が必要だ」と宣言する。恋の五角関係が動き出したのだ。
その日から混沌が始まる。織姫は一護の机に弁当を置き、ルキアは焦げた黒おにぎりで対抗するが、まずいとは認めようとしない。雨竜は怪しい理由で一護を弓道部に勧誘する。白哉は一護の隣で無言で本を読み続けるが、誰かが近づくたびにページをめくる音が明らかに大きく、攻撃的になる。
敵の動きを読むことはできても、感情を読み取る能力はゼロの一護。それが彼の人生で最も難しい戦い
死神、恋愛は卍解できない - 焦げたクッキーと、初めての笑顔——文化祭、全員集合!
眠れなかった。
昨日の夜から、ずっとそうだった。天井を見ながら、織姫の泣き顔とルキアの背中をぐるぐる思い出して、気づいたら夜明けになっていた。
一護は寝癖のついたオレンジ色の髪をそのままに、制服だけ着て家を出た。
秋の朝は冷たかった。空が薄い白で、まだ日が低い。オレンジ高校に続く坂道を一人で上っていると、校門の手前に見慣れた白髪の後ろ姿があった。
台車だ。段ボール箱を積んだ台車を、じいさんが一人でゆっくり押している。
ミナヅキ堂の皆月源三じいさん——創業八十七年の老舗和菓子屋の主人で、ハルカゼ商店街会長を務める七十一歳だ。文化祭に大福を納品しに来たんだろう。
「[serious]じいさん、早いな」
近づいたら、じいさんが振り向かずに言った。
「[serious]坊主、顔色が悪いぞ」
「[sarcastic]……ちょっと眠れなかっただけです」
「ほれ、食いな」
台車の段ボールをぱかっと開けて、大福を一つ取り出した。ぽん、と一護の手に乗せる。白くて丸い。
「[surprised]タダでいいんですか」
「[serious]祭りの前日くらい、サービスだ。若いもんはガタガタ悩まんと動け」
それだけ言って、台車を押して坂を上っていった。
一護は大福を一口かじった。
やわらかくて、甘くて、餡子の味がした。
この味だ。
ルキアと二人でここに立って食べた、あの日の味。ルキアが大福を三個目に手を伸ばしながら、「……悪くないな」ってぽつりと言ったやつ。あいつ、あのとき笑ってなかったけど、声がなんか柔らかかった。
あいつは、この世界が好きなんだ。
それが分かってる。分かってるのに、オレがバラバラにしたままでいいわけがない。
一護は大福を飲み込んで、深呼吸した。
——行くか。
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文化祭の丘フェス当日、オレンジ高校の2年3組はカフェの準備で朝からバタバタしていた。教室の机を端に寄せて、布をかけてテーブルにする。黒板には手書きのメニューが張り出されている。
でも。
空気が、おかしかった。
ルキアはキッチンコーナー——家庭科準備室から借りてきた電気オーブンの前——で背中を向けたまま黙々と作業していた。白銀の髪がうなじで揺れている。こちらを向かない。
織姫はホールに立って、テーブルクロスを丁寧にかけていた。笑顔だった。でも一護には分かる。あれは「作った笑顔」だ。目が笑っていない。
雨竜は看板を一人でせっせと設営している。黒いストレートの髪が揺れ、眼鏡の奥の淡い青の目が集中して前を向いている。一護が近づいても気づかないふりをしている。
白哉は隅で椅子を黙々と並べていた。いつもの文庫本が手の中にあるが、開いていない。
全員が、一護と目を合わせなかった。
一護は教室の入り口に立って、全員を見渡した。
(めちゃくちゃ気まずい……)
でも、逃げない。昨日の夜に決めた。
まず、白哉のところに行った。
白哉は椅子を一脚ずつ、間隔を測るように並べていた。一護が近づくと、指先が少し止まる。気づいてる。でも顔を上げない。
「[serious]白哉」
「……」
「[serious]お前、ページめくる音、うるさいんだよな、いつも」
沈黙。
「[serious]でも……隣にいてくれて、助かった。ありがとな」
白哉の手が、止まった。一瞬だけ、目を見開く。
「[cold]……そうか」
それだけだった。また椅子を持ち上げて、並べ始める。
でも一護は気づいた。白哉が椅子を一脚、余分に並べていた。一護の分だ。誰に頼まれたわけでもなく、ただ黙って、一護が座る椅子を用意している。
それが白哉の返事だった。
次に雨竜のところへ向かった。
雨竜は看板の端に釘を打ち込もうとしていた。金槌を持ったまま、一護が来るのを視界の端で捉えて、わずかに眼鏡の位置を直す。
「[serious]石田」
「[cold]……なんですか」
「[serious]弓道部の誘い、まだ有効か」
雨竜の金槌が止まった。
眼鏡の奥の青い目が、一瞬だけ揺れた。ぐっと何かを堪えるように唇をきつく結ぶ。
「[serious]……当然です」
声がかすかに震えていた。本人は絶対に気づいていないふりをしている。でも震えていた。眼鏡をもう一度クイッと上げて、再び釘を打ち始める。
そのまま何も言わない雨竜の耳が、少しだけ赤い。
一護は苦笑いした。雨竜らしい。
次、織姫。
織姫はテーブルクロスを直していた。一護が近づいてくるのが見えたはずなのに、クロスの端を真剣に整えながら気づかないふりをしている。
「[gentle]織姫」
「[sad]……あ、黒崎くん」
笑顔を作ろうとして、少しひきつった。
「[serious]お前の弁当、うまかった。また作ってくれよ」
織姫の目が、まん丸になった。
一秒。
それから、鼻がすんっと鳴った。
「[crying]……うん!」
泣き笑いだった。目に光るものを浮かべながら、でも口元は笑っていた。本物の笑顔だった。
一護はほっとして、最後のキッチンに向かった。
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「……これは、意図的な色づけだ」
キッチンコーナーに近づくと、ルキアの声が聞こえた。
オーブンの前に仁王立ちして、焦げたクッキーのトレーを両腕で抱えて、一人で何かを納得しようとしている。クッキーは全面的に茶色を通り越して黒い。煙の香りが微かにする。
「[serious]……ルキア」
ルキアの肩が、小さく固まった。
振り向かない。
一護はルキアの背中に向かって話しかけた。
「[serious]オレは、まだ好きがよく分かんねえ」
静かな声だった。周りのざわめきがあっても、ちゃんと届くくらいの声で。
ルキアの背中が、ほんの少しだけ、緊張した。
「[serious]でも……お前がいないと、調子が狂う。それだけは分かった」
沈黙。
五秒。十秒。
ルキアは振り向かなかった。でも、見えた。ルキアの耳が、見る間に赤くなっていく。白銀の髪の下から、真っ赤な耳がのぞいている。
しばらくして、ルキアが口を開いた。
「[cold]……ふん。当然だ。私がいなければあんたは何もできん」
振り向かないまま、焦げたクッキーを一枚取り上げた。それを無言で一護の手に押しつける。
一護は受け取った。黒い。かなり黒い。
恐る恐る一口かじった。
「[sad]……にが」
顔が盛大に歪んだ。
その瞬間。
ルキアが笑った。
声に出して、笑った。
「っ……ふ、ふふっ」
くっと口を押さえようとしたが、間に合わなかった。肩が震えて、小さな笑い声が漏れた。一護がここに来てから今日まで、一度も出なかった、声に出した笑いだった。
一護は顔を歪めたまま、固まった。
ルキアがすぐに口を両手で押さえて、こっちを向かないようにした。耳は相変わらず真っ赤だ。
一護の胸の中で、何かが、じわっと温かくなった。苦くて、でも全然嫌じゃない。なんだこれ。
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午前十時。2年3組のカフェがオープンした。
教室の前に行列ができた。
「わあ、ルキアちゃんが制服で給仕してる!」「かわいい!」
白銀のウェイトレス、朽木ルキアが堂々と注文を取りに行く。
「ご注文をどうぞ」
「[excited]ホットコーヒーひとつと、あとスコーン!」
「承った」
ルキアは完璧なメモを取って、キッチンに向かった。
二分後。
ルキアは一番奥のテーブルにアイスコーヒーとケーキを持っていった。
「[surprised]あの、私ホットを頼んだんですが」
「[cold]これがホットだ」
「[surprised]氷が入ってますよ!?」
「[cold]……冷たいホットだ」
そして隣のテーブルにホットコーヒーを届けた。そのテーブルの人はアイスを頼んでいた。
「[surprised]あのっ……!」
「[cold]……アイスだ。熱いが」
「[angry]どっちやねん!!」
織姫が猛ダッシュで飛び込んできた。
「[scared]すみません!! 入れ替えます!!」
颯爽と走って、ホットとアイスを持ち替えた。そのまま次のテーブルに向かった。
ケーキを置く。
「[excited]やった、ありがとう!」
「[excited]どうぞ!」
でも、そのケーキは別のテーブルのやつだった。
「[surprised]あれ、私のケーキ……」
「[sad]あっ!! ごめんなさい!!」
また猛ダッシュで取りに行く。
ホールは混沌だった。
一方、キッチンでは。
石田雨竜が、完璧なオムライスを黙々と作っていた。ケチャップで書く文字がきれいで、スピードが異常に速い。
「[serious]次、スコーン三つ。オムライス二つ」
「う、うん!」
キッチンを見に来た購買部のサツキさんが、小窓から顔を出した。
「[surprised]……ちょっとあなた、素人じゃないでしょ。その手さばき」
「[cold]弓道をやっています」
「[surprised]弓道関係ある!?」
レジに立った白哉は、無表情のまま客を捌いていた。
「いらっしゃいませ」
お釣りを渡す際、相手の目を真正面から見つめる。
「[scared]こわ……」
「[excited]でも超かっこいい!」
「[serious]次の方」
白哉のレジ前だけ、長い行列ができていた。
一護はホールとキッチンの間を走り回りながら、この光景を見ていた。
注文を間違え続けるルキア、フォローしようとして二次災害を起こす織姫、完璧すぎて逆に怖い雨竜、無表情で人気者の白哉。
(こいつら全員、めちゃくちゃだ)
一護は思わず笑った。
でも、今日誰も暗い顔をしていない。それだけは確かだった。
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閉店は午後三時だった。
後片付けが終わって、全員が教室の床にへたり込んだ。
雨竜がペットボトルのお茶を人数分買ってきた。無言で配っている。
「[gentle]……ありがとな」
雨竜は眼鏡を直して、何も言わずに自分の分を飲んだ。耳がちょっと赤い。
白哉は壁にもたれて目を閉じていた。でも一護が隣に腰を下ろしても、ずれなかった。
織姫はルキアの隣に座って、「あの三番テーブルのフォロー、どうだった?」と聞いていた。ルキアが「問題ない運搬だった」と答えると、織姫が「あれはダメだったよ!?」と笑いながら突っ込んだ。
二人の笑い声が教室に響いた。
一護はお茶を一口飲みながら、教室を見渡した。
(……悪くねえ)
心の中でそう思って、それからすぐに気づいた。まだ終わっていない。
夕方には後夜祭のキャンプファイヤーがある。カラクラ市立オレンジ丘高校の校庭に火が焚かれて、全校生徒が集まる夜。
今日一護が伝えた言葉は、ちゃんと届いた。それは分かる。でも。
好きの答えは、まだ誰にも出ていない。
一護は手のひらを見た。さっきルキアに押しつけられた焦げたクッキーの感触が、まだ残っている気がした。
ルキアのあの笑い声が、頭から消えない。
キャンプファイヤーの炎が揺れる夜に、この五人でいたら——何かが変わるような気がした。変わるか、変わらないか、まだ分からないけど。
一護は小さく息をついて、秋の夕暮れに染まり始めた教室の窓を見上げた。