死神、恋愛は卍解できない
ある朝、黒崎一護はオレンジ高校の2年生として目を覚ます。そこには死神も虚もなく、ただの現代日本があった。隣の席には白髪の転校生、朽木白哉が座っている。廊下では朽木ルキアがスマートフォンを逆さに持ちながら「人間生活を完全にマスターした」と主張している。
一護はこの静かな日常にどこか安心感を覚える。食堂のパンは美味しい。チャイムが鳴る。誰も死なない。悪くない。
だが、その平和はちょうど三日間だけ続いた。
井上織姫が一護にラブレターをそっと渡す。固まったままの一護の隣にルキアが現れ、その紙に何が書いてあるのか問い詰める。石田雨竜は廊下からメガネを押し上げ、意味深に「一護には俺が必要だ」と宣言する。恋の五角関係が動き出したのだ。
その日から混沌が始まる。織姫は一護の机に弁当を置き、ルキアは焦げた黒おにぎりで対抗するが、まずいとは認めようとしない。雨竜は怪しい理由で一護を弓道部に勧誘する。白哉は一護の隣で無言で本を読み続けるが、誰かが近づくたびにページをめくる音が明らかに大きく、攻撃的になる。
敵の動きを読むことはできても、感情を読み取る能力はゼロの一護。それが彼の人生で最も難しい戦い
死神、恋愛は卍解できない - お弁当戦争と屋上の修羅場——なんでオレが選ぶんだよ!
ラブレターの件は、まだ解決していない。
ルキアが「くだらん」と言って走り去った夜から、何日かが経っていた。朝の教室でも放課後のコンビニでも、ルキアはいつも通りそっけなく、でもなぜか一護の机の周りにいる。あの日の赤い耳のことは、二人とも一切触れなかった。
十月になっていた。
カラクラ市の朝は少しずつ冷えてきた。坂道の木々が色を変え始めている。オレンジ高校の2年3組では、今月末の「丘フェス」——毎年十月第二週末に開かれる文化祭——に向けた準備がそろそろ始まろうとしていた。
その日の朝のホームルーム。浮竹先生が教卓の前に立った。
「[gentle]今日からまたクラスに仲間が増える。みんな、よろしく頼む」
ドアが開いた。
サーモンピンクのロングヘアが、ゆるく巻かれて揺れていた。明るいライトブラウンの瞳がぱあっと教室を見回して、すぐにくしゃっと笑顔になる。162センチくらいの背丈に、紺ブレザーをふんわり着た感じがやけに似合っていた。
「[excited]井上織姫です。隣のクラスから来ました。よろしくお願いします!」
元気な声だった。クラスがほっこりした雰囲気になる。「かわいい」という声が男子から聞こえた。
浮竹先生が手で示した先は——一護の斜め前の空いた席だった。
織姫がそこに向かって歩いてくる。一護の横を通り過ぎる瞬間、ちらりとこちらを見て、またにっこり笑った。一護は思わず「あ、どうも」と会釈した。まじかよ、なんだこの人。
席に着いた織姫は、カバンから何かを取り出した。
カラフルな弁当箱だった。
「[excited]あの、黒崎くん!」
「[surprised]え、俺?」
「[excited]転入してきたばかりで、一緒に食べてくれる人いなくて。お昼、一緒にどうかな? あたし作ったんだけど——」
弁当箱のふたが開いた。タコさんウインナーが四匹。卵焼き。ひじきの煮物。プチトマトが三個。彩りが完璧だった。なんか、光ってた。
「[surprised]えっ、これ……マジかよ、すごい」
一護が弁当箱に手を伸ばしかけた。その瞬間。
ガタッ。
後方の椅子が音を立てた。
「[cold]一護の弁当は、私が作る」
ルキアが立っていた。白銀の髪がさらりと落ちて、紫の瞳がまっすぐ織姫を見ている。手には、ラップに包まれた黒い塊が二個。焦げている。全体的に焦げている。
「[serious]置く」
どん。
ルキアが一護の机に黒いおにぎりを叩きつけた。コロコロと転がって、織姫の弁当箱のすぐ横で止まった。
一護の机の上に、タコさんウインナーの弁当と真炭おにぎりが並んだ。
教室が静まり返った。
「[surprised]あの……これは?」
「[cold]おにぎりだ」
「[surprised]おにぎり? 色が……」
「[cold]炭化は風味の一部だ」
一護は両方を見比べた。色とりどりの弁当と、二つの炭。そして、にこにこ顔の織姫と、仁王立ちのルキア。
「[serious]……なんだよこれ」
「どっち食うんだ、一護!」
野次が飛んだ。教室が一気にざわめいた。誰かが「弁当戦争だ」と言った。後ろの席の女子が「え、ルキアちゃんっていつも作ってるの?」とヒソヒソした。
ルキアと織姫が、一護を挟んで互いを見た。
にっこり。
二人とも、笑顔だった。でも目が笑っていなかった。
その話は購買部にまで届いた。購買のサツキさんが「2年3組で弁当戦争!」と昼前にはしゃいでいたらしい。
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放課後になっても、教室の空気はまだ変だった。
ルキアと織姫が「今日はどうだったですか?」「食べたか?」「どちらがよかったか?」と交互に一護に話しかけてきて、一護は「どっちもうまかった」とだけ答えてどうにか切り抜けた。どっちもうまかったは本当だったが、炭おにぎりの外側はさすがに食えなかった。それは黙っておいた。
一護が「そろそろ帰るか」とカバンに手をかけたとき。
教室のドアが開いた。
弓道部の練習着姿の石田雨竜が立っていた。漆黒の髪が前髪で右目に少しかかって、眼鏡の奥の淡い青の瞳がまっすぐ一護を見ている。178センチの体がすっと真っ直ぐ立っている。
「[serious]一護」
「[surprised]うわ、石田。なんだ、練習着で来るのか?」
雨竜は一護の席まで歩いてきて、その肩にそっと手を置いた。
「[serious]弓道部に入らないか」
「[surprised]はあ?」
「[serious]放課後、一緒に帰ろう。話したいことがある」
声が静かなのに、なぜか熱がこもっていた。
ルキアと織姫が同時に「は?」と振り返った。二人の視線が雨竜に集中する。
「[cold]……どういう意味だ」
「[surprised]一護くんと一緒に帰るって——」
「[serious]一護には僕が必要なんです」
三人が石田雨竜を見た。
「[surprised]なんで?」
雨竜が口を開いた。
「[serious]それは……」
止まった。
眼鏡をクイッと上げた。また止まった。
「[serious]……一護に、何かが必要だと思っている。その何かが弓道なのか、あるいは——」
もう一度止まった。今度は長かった。
「[surprised]……お前、なんで止まってんだ」
「[serious]今考えている」
「考えながら言うな!」
その沈黙を、声が切り裂いた。
「どちらでもいい」
隣の席からだった。
白髪の白哉が、一冊の本を読んだままページをめくる手を止めて、顔を上げていた。本から目を上げたのは、一護がこのクラスに来てから初めて見た気がした。
「[cold]ただし——一護が選ぶ」
それだけ言って、また本に目を落とした。ページをめくった。
教室が凍りついた。
ルキア、織姫、雨竜、一護。四人が一斉に白哉を見た。白哉は本を読んでいる。完全に読んでいる。
「[angry]なんでオレが選ぶんだよォ!!」
誰も撤回しなかった。
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翌日の六時間目。
浮竹先生が黒板に「丘フェス 出し物会議」と書いた。
「[gentle]さて、今月の文化祭に向けて、2年3組の出し物を決めよう。何かアイデアがある人は——」
「カフェがいい」「演劇もいい」「カフェ」「カフェ」「え、演劇派いる?」「カフェでしょ普通」
多数決の結果はあっさり出た。カフェに決まった。
「[gentle]じゃあ、役割を決めていこう。ウェイトレス希望の人は——」
バッ。
「[serious]私がやる」
即座だった。
バッ。
「[excited]私もやりたいです!」
一コンマも遅れなかった。
二人が手を上げたまま、お互いを見た。また笑顔。目が笑っていない。
「[gentle]二人ともウェイトレス希望か。じゃあ厨房係は——」
「[serious]厨房は一護と二人でペアを組む予定です」
「[cold]……一護の隣は私の席だ」
本を閉じた。白哉が本を閉じた。
「[surprised]ちょっ——待って待って、誰も俺に聞いてない!?」
「[serious]聞いた」
「[surprised]いつ!?」
「[cold]今聞く気がした」
「なんだよそれ!!」
「[gentle]み、みんな落ち着いて——仲良く——」
先生が手を上げた。咳払いをした。
ゴホッ。ゴホゴホッ。
「[gentle]……ちょっと失礼……」
浮竹先生が教室を出た。咳が続いている。廊下の向こうに消えた。
残された教室で、四方向からの主張が一護の席を中心に炸裂した。ルキアと織姫がウェイトレスの件で互いに「一歩も引かない笑顔」をぶつけ合い、雨竜と白哉が厨房の権利を静かに主張し続け、クラスメイトたちが全員少しずつ席を離れていった。
一護の机の周りだけが嵐だった。
「[angry]もう勝手にしろ!!」
立ち上がった。カバンを掴んだ。教室を飛び出した。
廊下を走った。階段を駆け上った。
本館の端の非常口。鉄のドアを押した。
秋風が吹き込んだ。
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屋上だった。
一護は荒い息のまま、ドアから一歩出た。空が広かった。秋の薄い青。校庭が遠くに見える。風が冷たかった。
そして。
ルキアがいた。
柵のそばに立って、こちらを見ていた。白銀の髪が風に揺れている。制服のブレザーをきっちり着て、腕を軽く組んで。待っていた、という顔だった。
「[surprised]なんでお前が先にいるんだよ!」
「[cold]逃げるな、一護」
「逃げてない。頭冷やしに来ただけだ!」
「[cold]同じことだ」
正面を向いたまま言う。一護の方を見ていない。カラクラ市の景色を見ている。駅前の建物、ハルカゼ商店街のアーケードの屋根、遠くの空座川。
一護は肩で息をしながら、柵に近づいた。ルキアから二メートルくらい離れたところで止まった。
「[serious]……お前って、何考えてんのか全然わかんないんだよ」
ルキアが少し動いた。
「[serious]私だって……」
声が、違った。
「[whispers]……分からないんだ。この気持ちが」
震えていた。
ほんの少し。でも確かに。三話分、ずっとクールだったあの声が、かすかに揺れていた。
一護は返す言葉を失った。
頭の中で何かを探した。何か言おうとした。でも言葉が見つからなかった。ルキアは正面を向いたまま、目線を遠くにやったまま、もう何も言わなかった。
風だけが吹いていた。秋の、冷たい風。
(こいつ、こんな顔するんだ)
一護は黙って、ルキアの横顔を見ていた。
口を開こうとした。
その瞬間。
ドアが音を立てて開いた。
「[scared]……黒崎くん」
織姫だった。
サーモンピンクの髪が秋風に揺れた。ルキアと一護が二人きりで並んで立っているのを見て、その顔色が変わった。明るいライトブラウンの瞳が、少し潤んだように見えた。
「[sad]……黒崎くん、あたしのこと……迷惑だった?」
声が小さかった。
その声を聞いたように、廊下で待機していた気配が二つ、屋上に入ってきた。
雨竜が来た。眼鏡の奥の青い瞳で、感情を押さえ込んでいる。
白哉が来た。本を持ったまま。無表情のまま。ただ一護だけを見ていた。
五人が、秋空の下に並んだ。
四つの視線が、一護に集まった。
誰も喋らなかった。
風が吹いた。ルキアの白銀の髪が揺れた。織姫の目が潤んでいる。雨竜が眼鏡をクイッと上げた。白哉はページも開かず、ただ立っている。
一護は何も言えなかった。
好きって、なんだ。誰が好きか。どうすればいい。一つも分からなかった。分からないまま、四方向から来る感情の重さに、ただ立ち尽くした。
秋の空が、広かった。
一護の口は、結局、開かなかった。