リムルさんちの大家族日記
テンペストは今日も平和。たぶん。
毎朝、魔王リムルは同じことでため息をつく――それは「朝食会議」。シュナは和食を提案し、ベニマルは味見を始め、ソウエイは一言で片付け、ハクロウは食事の魂について長々と語り、ランガはリムルの足元で尻尾を振る。そしてシオンが黒くて謎めいたものを持って乱入し、それが食べ物だと主張する。テーブルはいつも通りの大混乱。
リムルは毎日心の中で思う。「俺は魔王なんだぞ?」
これはテンペストのごく普通の日々を記録した物語。ゴブタは町で迷子になり、ゴブゾ部隊は迷子の子供と勘違いした優しい人々に助けられる。ミリムが訪れては何かを壊す。ガビルはカッコよく登場しようとするが毎回失敗。クモ子は夜中にこっそりと何かを作り、朝には城の廊下に新たな謎の罠が仕掛けられている。
最大の問題はシオン。リムルを助けたいという気持ちは本物だが、料理はひどく、書類仕事はめちゃくちゃで、力が強すぎてドアを壊しまくる。リムルは毎日「ありがとう、シオン」と言いながら、内心では静かに泣いている。
ある日、リムルはひらめく。「テンペストの観光パンフレットを作ろう!」自分たちの故郷の素晴らしさを他国
リムルさんちの大家族日記 - シオン、全力で空回り!ごった煮広場の大撮影作戦
朝ごはん会議の騒ぎが落ち着いたあと、リムルは執務室に一人で戻った。
机の上には書類が山積みになってる。昨日のソウエイの報告書、ブルムンド王国との交易記録、住民からの要望メモ。どれもこれも大事なやつだ。
リムルはため息をついて、椅子にもたれた。
(パンフレット、か……)
朝に宣言したはいいけど、どうやって作ればいいかは全然決まってない。テンペストの良さを伝えたいのはわかってる。でも、何を書いて、誰が書いて、どう見せるかを決めるのはこれからだ。
まあ、しょうがないな。まずは手を動かすしかない。
リムルが書類に手を伸ばしかけた、その瞬間だった。
バーン!!
扉が勢いよく開いた。
勢いが良すぎて、ドアノブがかすかに歪んだ音がした。
入ってきたのは、真紅の長髪を一本結びにした女性だった。背が高くて、頭には小さな鬼角が二本。金色の目がきらきらしてる。テンペストの幹部の中でも特に目立つ存在、シオンだ。
両手に魔導カメラを抱えて、顔は満面の笑みだった。
「[excited]リムル様! 私、パンフレット制作のお手伝いをしますわ!」
カメラを高々と掲げながら宣言する。
リムルは歪んだドアノブをちらりと見た。また修繕係のカザリに頼まないといけないな、と思いながら、穏やかな笑みを返す。
「[gentle]ありがとう、シオン。どんな手伝いをしてくれるんだ?」
「まずはリムル様の最高にかっこいい写真を撮りますわ! テンペストの魔王様のお姿があれば、外の国の人たちも安心するはずです!」
魔導カメラ——魔素の力を使って絵姿を記録する道具で、テンペストの職人が最近開発したもの——をぐっと構えて、ファインダーをのぞき込もうとする。
リムルは椅子に座り直した。
(まあ、写真があればわかりやすいな)
「[sarcastic]どんな顔すればいいかな……」
「自然な笑顔が一番ですわ! リムル様のその穏やかなお顔が、国民みんなに慕われている証拠ですもの!」
シオンはカメラをしっかり両手で掴んで、リムルに向けた。
気合が入ってる。表情も真剣だ。
でも。
じわじわと、カメラを握る手に力が入っていく。リムル様を絶対にかっこよく撮らなければ、という思いが全身に漲って、無意識に指先がぐっと締まって——。
ミシリ。
嫌な音がした。
シオンはファインダーをのぞこうとして、止まった。
レンズに、蜘蛛の巣みたいなヒビが入ってる。そしてカメラ全体がほんの少し、歪んでた。
「……大丈夫です。まだ撮れますわ」
「[surprised]あ、あのさ、シオン——」
「大丈夫ですわ!」
パキン、という音とともに、レンズが完全に割れた。
沈黙。
リムルは壊れたカメラを見た。シオンはまだカメラを構えたままの姿勢で固まってる。
「[laughing]……一台目、消滅」
心の中でそっとメモした。
シオンは耳まで赤くなって、それでも笑顔を崩さなかった。
「す、すぐに予備を持ってきますわ!」
廊下に走り出ていく。三分後に、予備のカメラを両手で慎重に持って戻ってきた。今度は力を入れすぎないように、ふわっと添えるように持ってる。成長してる。
修繕係のカザリがドアノブを直しに来たのは、ちょうどそのタイミングだった。小柄なドワーフ族の女性で、工具箱を抱えながら呆れた顔をしてる。
「[sarcastic]今月四回目ですよ、シオン様」
「[serious]……数えてたんだ」
「当然です。修繕費の記録ですから」
カザリがドアノブを手際よく直す間に、撮影を再開した。リムルが椅子に座って、シオンがカメラを構える。
が、シオンが角度を調整するために少し近づいた瞬間、励ましのつもりでリムルの肩に手を置いた。ドンッ、という勢いで。
椅子ごと、二人で前につんのめった。
ドタン!
「[scared]ちょ、シオン——!!」
「[crying]リムル様、大丈夫ですかっ!?」
床に散らばった書類。予備カメラは奇跡的に無事だった。
リムルは起き上がって、ぐしゃぐしゃになった書類を集めながら思った。
(……場所を変えよう)
────
テンペスト城から南へ徒歩五分。テンペスト中央市場、通称ごった煮広場に出ると、一気に空気が変わった。
東西二百メートル、南北百五十メートルの広場に、約八十の常設店舗と四十ほどの露店が並んでいる。昼前の時間帯だから、市場は一番にぎやかな時間だ。
ゴブリン族の青果商「ゴブエの八百屋」では、ホブゴブリンのゴブエのおばちゃんが大きな声で大根を売ってる。リザードマン族の店員が鮮魚を並べてる向かいでは、ゴブリン族の子どもたちが試食の串焼きに群がってる。いろんな種族の住民が行き交って、大陸共通語と方言と笑い声が混ざり合ってる。
ここがテンペストだ、とリムルはいつも思う。人間の国からは「魔物の恐ろしい国」と思われてるらしいけど、実際はこんなにふつうで、あたたかい場所なんだ。
「[excited]ここで背景に市場の雰囲気を入れて撮ったら、国の空気が伝わるかもしれないな」
「名案ですわ、リムル様!」
シオンがカメラを構えて、リムルに向ける。今度はちゃんと力を抜いて持ってる。慎重に、慎重に、後退りしながら角度を調整して——。
ゴブエの八百屋の大根を、踏んだ。
グシャッ。
「あっ——」
そのまま大根と一緒に転倒した。シオンの体が山積みの野菜に突っ込んで、大根、にんじん、かぼちゃが広場の石畳にばらまかれた。
野菜が転がる音と、シオンの「すみませんすみません!」という声が重なる。
「[angry]あーもう! 鬼人さん、今月三回目ですよ!」
丸顔のゴブエのおばちゃんが腰に手を当てて叫んだ。ゴブエのおばちゃんは市場の古参で、誰にも遠慮なくモノを言うことで有名だ。
シオンは泥だらけになりながら立ち上がった。転んだのに、カメラだけはしっかり死守してる。
「[crying]申し訳ございません! すぐに弁償を——」
リムルはゴブエのおばちゃんに深々と頭を下げながら、転がった大根を拾い始めた。
「[gentle]ほんとにすみません。代金は後ほどちゃんとお支払いします」
「リムル様まで頭下げないでください! でも……まあ、リムル様が言うなら仕方ないですね」
おばちゃんはぶつぶつ言いながら、野菜を集め始めた。顔は怒ってるけど、手は丁寧に大根を並べ直してる。
シオンが泥で汚れた手のひらをズボンで拭きながら、小走りで近寄ってきた。
「[excited]リムル様! 実は文章も準備してきましたわ!」
泥のついた紙を差し出してくる。
リムルは受け取って、開いた。
……画用紙いっぱいに、墨の字が三つだけ書いてあった。
リムル様は
世界で一番
すごい魔王です。以上。
リムルは三秒、その紙を見た。
(これを何ページに換算するんだろう)
心の中でそっと遠い目になりながら、紙をていねいに折りたたんだ。
「[gentle]……ありがとう、シオン。参考にするよ」
「お役に立てましたかっ!?」
キラキラした金色の目で見てくる。
リムルは笑顔で「うん」と答えた。心の中で何かを諦めながら。
────
気を取り直して、広場の中央で構図を考えていると——。
「リムル様だー!!」
ゴブリン族の子どもたちの声が上がった。
四、五歳くらいの子が三人、六、七歳くらいの子が二人。名付けの儀を受けたゴブリン族の子どもたちで、顔はホブゴブリンに近い人間っぽい見た目だ。市場でかくれんぼでもしてたんだろう、みんな汗だくで目をきらきらさせてる。
子どもたちが一斉に駆け寄ってきた。
リムルのズボンの裾を引っ張る子、背中によじ登ろうとする子、腕に抱きついてぶら下がる子。
「[scared]ちょ、ちょっと待って、今撮影中で……!」
「リムル様、お馬さんして!」
「やだよ! 俺の方が先に来た!」
「抱っこー!」
収拾がつかなくなった。
リムルはもみくちゃにされながら、助けを求めるようにシオンを見た。
シオンはカメラを下げて、子どもたちを見て、リムルを見て、一瞬考えた。
そして、大きな声で言った。
「[excited]みんな! リムル様のために一緒に写ろう!」
子どもたちがぴたりと止まった。
「[surprised]いっしょに!?」
「写真ってやつ?」
「やるー!!」
一気に盛り上がった。子どもたちがリムルの周りにわらわらと集まって、思い思いのポーズをとる。リムルの肩に手を乗せる子、リムルの腕をつかんでニカッと笑う子、照れてもじもじしてる子。
シオンがカメラを構えた。
今度は、静かに、ゆっくりと。
パシャッ。
後でその写真を見たとき、リムルは思わずつぶやいた。
「[surprised]……あ、これいいな」
子どもたちの笑顔。リムルの苦笑い。背景には、色とりどりの露店と、行き交う住民たちの姿。ゴブリン族、リザードマン族、人間の顔も見える。テンペストの日常がそのまま写ってた。
「[excited]リムル様の魅力を伝えるには、リムル様の周りにいる人たちが一番ですわ!」
シオンが胸を張って言った。さっきまで泥だらけだったのに、今は誇らしげな顔をしてる。
リムルはシオンの横顔を、ちらりと見た。
不器用で、力加減を間違えて、野菜を踏んで、原稿は三文字。でも、子どもたちをあの声で呼びかけた一瞬、みんなの笑顔が集まった。
(……すごいな)
それ以上の言葉は出なかった。ただ、そう思った。
────
夕方になって、市場の人通りが少し落ち着いてきた。
リムルはシオンと別れて、テンペスト城の地下へ向かった。
地下への入り口は城の奥まった廊下の突き当たり、目立たない石壁の隙間にある。リムルは慣れた足取りで進んだ。ここへはもう何度も来てる。
ソウエイの情報局——通称「影の間」。テンペストの諜報を一手に担う場所で、場所を知ってるのはリムルとソウエイ直属の影部隊の面々だけだ。
薄暗い。松明もなくて、石壁から微かに漏れる魔素灯の光だけが通路を照らしてる。
リムルが奥に進むと——。
音もなく、ソウエイが現れた。
黒い長髪を後ろで結んで、黒い服。表情はない。どこを見てるのかわからないような目が、まっすぐリムルに向いてる。
「[serious]朝の手紙の件だ。差出人を調べてほしい」
ズボンのポケットから、あの手紙を取り出す。『テンペストの本当の姿を、おまえは知っているのか?』と書かれた、差出人不明の一枚。
ソウエイは手紙を受け取って、一秒だけ目を通した。
「承知した」
それだけだった。
リムルは苦笑いした。
「[sarcastic]……いつもそれだけだな、ソウエイは」
ソウエイはこちらを見てる。表情は変わらない。でも、返事をしない理由もない、という空気がある。
「必要なことは話す。余分は言わない」
「まあ、それがソウエイらしいか」
影の間をあとにして、城の外に出ると、もうすっかり日が傾いてた。
市場の露店は片付け始めてる。魔素灯がぽつぽつと灯り始めて、広場があたたかいオレンジ色に染まってる。
帰り道を歩きながら、リムルは市場の掲示板の前で足を止めた。
そこに一人の老ゴブリンが立ってた。
背が低くて、腰が少し曲がってる。白くなりかけた頭の角が二本、ぽつんと立ってる。年老いたゴブリン族の見た目だ。名付けの儀を受けてないのか、ホブゴブリンに進化してない古い姿のままでいる。
掲示板には、今日リムルが貼り出した告知が張ってあった。テンペストのパンフレット制作を始めること、住民からも話を聞きたいこと、を知らせる内容だ。
老ゴブリンは腕を組んで、険しい顔でそれを読んでいた。
リムルは声をかけようとして、一歩、踏み出した。
その瞬間。老ゴブリンは振り返りもせず、足早に立ち去っていった。
小さな後ろ姿が、市場の雑踏に消えていく。
リムルは立ち止まって、その後ろ姿を見送った。
怒ってたのか。それともただ読んでいただけか。険しい顔の理由が、判断できない。
(……誰だろう)
夕風が広場を吹き抜けた。魔素灯の光が揺れる。
リムルはポケットの中の手紙のことを思い出した。朝の食堂の掲示板に貼ってあった、あの一文のこと。
——テンペストの本当の姿を、おまえは知っているのか?
関係あるかどうかもわからない。でも、引っかかる。
今日撮れた写真の、あの笑顔たちが頭に浮かんだ。子どもたちのにぎやかな顔、ゴブエのおばちゃんの怒った顔、シオンの誇らしげな顔。
これが、テンペストだ。
でも、あの老ゴブリンには、それが違って見えたのかもしれない。
リムルはもう一度、老ゴブリンが消えた方向を見た。
夜が来る。魔素灯が、一つ、また一つと、街を照らし始めていた。