リムルさんちの大家族日記
テンペストは今日も平和。たぶん。
毎朝、魔王リムルは同じことでため息をつく――それは「朝食会議」。シュナは和食を提案し、ベニマルは味見を始め、ソウエイは一言で片付け、ハクロウは食事の魂について長々と語り、ランガはリムルの足元で尻尾を振る。そしてシオンが黒くて謎めいたものを持って乱入し、それが食べ物だと主張する。テーブルはいつも通りの大混乱。
リムルは毎日心の中で思う。「俺は魔王なんだぞ?」
これはテンペストのごく普通の日々を記録した物語。ゴブタは町で迷子になり、ゴブゾ部隊は迷子の子供と勘違いした優しい人々に助けられる。ミリムが訪れては何かを壊す。ガビルはカッコよく登場しようとするが毎回失敗。クモ子は夜中にこっそりと何かを作り、朝には城の廊下に新たな謎の罠が仕掛けられている。
最大の問題はシオン。リムルを助けたいという気持ちは本物だが、料理はひどく、書類仕事はめちゃくちゃで、力が強すぎてドアを壊しまくる。リムルは毎日「ありがとう、シオン」と言いながら、内心では静かに泣いている。
ある日、リムルはひらめく。「テンペストの観光パンフレットを作ろう!」自分たちの故郷の素晴らしさを他国
リムルさんちの大家族日記 - インクまみれで行こう!テンペストへようこそ大作戦
昨日の夜、シオンが「明日は全力でリムル様をお守りしますわ」と宣言したまま食堂を出ていった。
あの言葉が頭の端にひっかかりながら、リムルは金曜日の朝を迎えた。
大食堂に入ったとき、テーブルを囲む顔の多さに少し驚いた。
シオン、ベニマル、ガビル、シュナ、ゴブゾーとその仲間の古参長老たち。それにゴブエのおばちゃんまで、なぜか城の食堂に来ている。ランガは足もとでしっぽを振っていた。
水曜日の朝、一人でここに座っていたときのことを思い出した。
あの静けさが嘘みたいだ。
「[excited]よし。今日は俺が撮影指揮を担当するぜ」
椅子に座るなり、ベニマルが腕を組んで言い切った。黒髪に赤いメッシュ、左頬の傷跡。自信家の顔がいつも通り堂々としている。
「[serious]リムル様の撮影は私がやりますわ」
真紅の長髪を揺らしながら、シオンがほぼ同時に手を挙げた。
二人の視線がかち合う。
一瞬だけ、昨日までの空気が戻りそうになった。
でも今日は違った。
「[serious]……構図の判断は俺に任せろ。シャッターはシオン、それでいいだろ」
ベニマルが先にそう言った。短く、でも確かに。
「[gentle]了解ですわ」
シオンがうなずく。
リムルはそれを見ていた。昨日、食堂でぎこちなくうなずき合った二人が、今朝は自然に同じ方向を向いている。
(よかった)
素直にそう思った。
そこへガビルが身を乗り出した。
「[excited]俺も撮影指揮に——」
全員が同時にガビルを見た。
無言で。
ガビルが引いた。
「[sarcastic]……ミローナ湖の担当、全力でやりますんで」
「[gentle]そうしてくれ」
────
最初の撮影地はごった煮広場——テンペスト城から南へ徒歩五分の中央市場だ。
朝の市場はもうにぎやかだった。ゴブエのおばちゃんが「いらっしゃい新鮮な大根ですよ!」と声を張り上げ、リザードマン族の若い衆が魚の桶を担いで通り過ぎる。
ベニマルが真剣な顔で太陽の角度を確認し始めた。
「[serious]光の向きが……少し右に。リムル様、そこから三歩横に動いてもらえるか」
「[gentle]こっち?」
「[serious]もう半歩。背景の商品棚がちょうど入る」
リムルが言われた通りに動く。
シオンがカメラを構えた。
「[excited]リムル様——いきますわ!」
パキッ。
音がした。
シオンがカメラを見た。レンズにヒビが入っていた。
「[surprised]……あら」
「[sarcastic]あらじゃないですよシオンさん」
シュナがため息をついて、予備のカメラを取り出した。シュナは落ち着いた様子で、薄紅色の着物の袖をさっとさばく。この工房でずっとデザインを担当してきた内政の要だ。今日はパンフレットの素材確認役として同行している。
シオンが二台目を受け取った。
「[serious]今度こそリムル様に集中しますわ」
力んだ。
パキッ。
今度は握った瞬間にヒビが入った。
「[sarcastic]……シオン、力を抜け」
「[serious]力を抜いたらリムル様の魅力が半減しますわ」
「[sarcastic]そういう問題じゃないだろ」
ため息が重なった。
三台目。シオンがゆっくりと、息を吐きながら、指先だけでそっとカメラを持った。
カシャッ。
撮れた。
そこへごった煮広場の常連客——ゴブエのおばちゃんが大根を抱えてフレームに飛び込んできた。
「[excited]あたしも入れてくださいよリムル様!」
リムルとゴブエが並んで笑った写真が撮れた。
後でシュナが確認すると、それが朝イチで一番いい一枚だった。
────
ガビルはその頃、一人でミローナ湖へ向かっていた。
テンペスト城から南へ約四十五キロ。リザードマン族の集落が点在する大湖の湖畔に、ガビルの水殿——ガビルが自称する「水の都の拠点」がある。
桟橋の端に立つ。
背後に広がるミローナ湖の水面と、その上に広がる青空。
「[excited]これが俺のスタイルだ……」
カメラを自分の方に向けて、前傾みになった。
その瞬間、桟橋の板が濡れていた。
足が滑った。
ガビルが前のめりに倒れた——ドバァン!!
水しぶきが上がった。太陽光に輝いて、キラキラと広がった。
カメラだけが桟橋の上に残った。落ちた瞬間、シャッターが切れていた。
────
昼過ぎ、城の大食堂にゴブゾーたち古参長老が集まった。
ゴブゾーは白くなりかけた角を持つ老ゴブリンだ。進化せずにいる古い姿のまま、それでも背筋だけはまっすぐ伸ばして椅子に座っている。
「……テンペストが最初にできたとき、集落は今の城の場所にあった粗末な小屋が十軒ほどだったな」
低くて渋い声が食堂に広がった。
「リムル様が現れて、名前をもらった。あの日のことは——」
ゴブゾーが少し間を置いた。
「覚えてるもんだな。ゴブリンに名前なんてものはなかったから。初めて呼ばれたとき、何かが自分の中に入ってくる感じがした」
リムルは隣に座って聞いていた。
胸の奥がじわりとした。
シュナが手早くメモを取りながら、ゴブゾーの言葉を丁寧に拾っていく。パンフレットの歴史コーナー用の素材だ。
話は続いた。
続いた。
さらに続いた。
ゴブゾーの話は、最初の小屋の話から交易路の話へ、交易路の話から温泉郷ができた経緯の話へ、温泉郷の話からゴブジイの昔のあだ名の話へと流れていった。
(あ、これハクロウ顔負けの展開になってきた……)
リムルはそう思った。
でも今日は止めなかった。
ゴブタが市場で迷子になるたびに「また迷子か」と呆れていたあの頃のこと。ゴブジイの話から逃げ出そうとしていたあの温泉の午後のこと。
今は、ちゃんと聞けている。
「[gentle]……なあ、ゴブゾー」
「なんだ」
「[gentle]その話、全部パンフレットに載せていいか」
ゴブゾーが少し黙った。
「……テンペストの歴史コーナーに?」
「[gentle]ああ。外の国の人に、テンペストがどうできたか知ってほしいから」
ゴブゾーの口の端が、わずかに上がった。
「……好きにしろ」
照れ隠しみたいな一言だった。
────
夕方。シュナが仕上げたデータを手にして、全員が食堂に集まったとき。
「[excited]印刷は私にお任せを! 改良した魔導印刷機を持ってきましたので」
クモスが地下工房から大型の機械を引っ張り出してきた。
白い蜘蛛の糸を纏った小柄な魔物——クモスはいつもにこにこしているが、「改良した」という言葉を聞くたびに城中が身構える習慣がある。
リムルも身構えた。
「[sarcastic]……改良、ってどの部分を?」
「[excited]速さを三倍にしました!」
「[sarcastic]速さを三倍に」
「[excited]はい!」
クモスがスイッチを入れた。
機械がゴゴゴゴと唸り始めた。
ゴゴゴゴ、がGOOOOOOOOに変わった。
次の瞬間、インクタンクの接続口が外れた。
Bシュパァァアアアン!!!
黒と青のインクが食堂に噴き出した。
天井まで届いた。
「[scared]うわっ!!」
ガビルが避けようとして椅子を倒し、逆に直撃した。顔が真っ青——いや、黒と青のまだらになった。
「[serious]シールド——」
ベニマルが机を蹴って立ち上がろうとして、足をぶつけて動けなくなり、インクの第二波を正面から受けた。
「[serious]リムル様を守りますわ!」
シオンが盾になろうと前に出て、全身でインクを受けた。真紅の長髪が黒くなった。
シュナだけが一歩引いていたが、床を跳ねたインクが着物の裾を直撃した。
「[cold]……クモス」
「[scared]すみませんすみませんすみません!」
ゴブゾーが袖についたインクを確認しながら、ため息をついた。
「……昔からテンペストはこういうところだったな」
食堂が静かになった。
リムルはインクまみれのまま、全員を見渡した。
ベニマル、インクまみれ。シオン、インクまみれ。ガビル、インクまみれ。シュナ、裾だけインクまみれ。ゴブゾー、腕だけインクまみれ。クモス、自分が一番まみれている。
笑いをこらえようとした。
こらえきれなかった。
「[laughing]……もういい。このまま写真を撮ろう」
「え?」
「[laughing]このまま。全員で」
「[sarcastic]……リムル様、正気ですか」
「[laughing]正気だよ。並べ」
全員が長テーブルの前に並んだ。
インクまみれのまま。
ゴブゾーも、クモスも、全員並んだ。ランガが足もとに来てしっぽを振った。ランガも少しインクがついていた。
シュナがカメラを構えた。
「……撮りますよ」
カシャッ。
────
完成したパンフレットを全員が囲んだ。
表紙は、インクまみれの全員集合写真だった。
その下に、大きな文字で。
『テンペストへようこそ! 魔王リムル様のおうちに遊びに来てね!』
リムルが固まった。
「[serious]シオン、このキャッチコピーは」
「[excited]最高の出来ですわ!」
迷いがない。完全に自信満々の顔だった。
「[sarcastic]……悪くない。いや、これはこれで味があるぜ」
ベニマルが腕を組んで渋々認めた。
「[serious]俺の写真のページ、もう少し大きくならなかったのかな」
ガビルがパンフレットをめくって自分のページを探している。ミローナ湖の絶景——水しぶきが太陽光に輝く奇跡の一枚——はちゃんと二ページ目に掲載されていた。ガビルの姿は写っていない。
「[sarcastic]十分大きいだろ」
「[serious]写ってないのが問題なんだが」
ゴブゾーが歴史コーナーのページを目を細めて確認していた。建国当初の話、名付けの話、小さな集落が少しずつ大きくなっていった日々——自分の言葉がちゃんと載っている。
ゴブゾーは何も言わなかった。ただ静かにページを閉じた。
「[cold]レイアウトはもう少し直したかったですが」
シュナが小声でつぶやいた。
ランガがパンフレットの上にどすんと乗った。
「[surprised]ランガ、乗らないで!」
紙がしわになりかけた。
リムルはぐったりしながら——全員を見渡した。
インクまみれで笑っているベニマル。一生懸命謝っているシオン。自分の写真のページを指差して騒いでいるガビル。静かにパンフレットを持ち直しているシュナ。ゴブゾーが呆れた顔でランガを見ている。クモスがまだ謝り続けている。
(この騒がしさが好きだ)
そう思った。
これがテンペストの本当の姿だ、と確信した。
パンフレットは翌週、ブルムンド王国をはじめとする周辺国へ発送することが決まった。
────
全員が食堂を出た後、リムルは一人窓辺に残った。
夕焼けが中央都市の屋根を橙色に染めている。魔素灯がぽつぽつと光り始めていた。
最後に出ようとしていたシオンが、ドア口で振り返った。
「[whispers]今日のパンフレット、リムル様らしくて好きです」
短く言って、早足で出ていった。
リムルはその言葉を、もう一度心の中で繰り返した。
(リムル様らしい、か)
インクまみれの全員集合写真が表紙で、キャッチコピーが「おうちに遊びに来てね」で——それがリムルらしい、とシオンは言った。
変な褒め方だと思った。
でも悪くなかった。
足もとでランガがしっぽをゆっくり振っている。
「[gentle]……次は何が起きるかな、ランガ」
ランガは答えない。しっぽを振るだけだ。
リムルは小さく笑って、夕焼けの空を見上げた。
パンフレットがブルムンド王国に届いたとき、向こうの人たちはどんな顔をするだろう。表紙のインクまみれの写真を見て、笑うか、引くか、それとも——なんか行ってみたいと思うか。
どうなるかは、誰にも分からない。