リムルさんちの大家族日記
テンペストは今日も平和。たぶん。
毎朝、魔王リムルは同じことでため息をつく――それは「朝食会議」。シュナは和食を提案し、ベニマルは味見を始め、ソウエイは一言で片付け、ハクロウは食事の魂について長々と語り、ランガはリムルの足元で尻尾を振る。そしてシオンが黒くて謎めいたものを持って乱入し、それが食べ物だと主張する。テーブルはいつも通りの大混乱。
リムルは毎日心の中で思う。「俺は魔王なんだぞ?」
これはテンペストのごく普通の日々を記録した物語。ゴブタは町で迷子になり、ゴブゾ部隊は迷子の子供と勘違いした優しい人々に助けられる。ミリムが訪れては何かを壊す。ガビルはカッコよく登場しようとするが毎回失敗。クモ子は夜中にこっそりと何かを作り、朝には城の廊下に新たな謎の罠が仕掛けられている。
最大の問題はシオン。リムルを助けたいという気持ちは本物だが、料理はひどく、書類仕事はめちゃくちゃで、力が強すぎてドアを壊しまくる。リムルは毎日「ありがとう、シオン」と言いながら、内心では静かに泣いている。
ある日、リムルはひらめく。「テンペストの観光パンフレットを作ろう!」自分たちの故郷の素晴らしさを他国
リムルさんちの大家族日記 - 頭を下げた魔王と、泥だらけの英雄と、また一つになったチーム
ゴブゾーを探して、木曜日の昼過ぎにリムルはテンペスト中央市場——通称ごった煮広場——に向かった。
ランガは城に置いてきた。一人で行く。そう決めた。
市場はいつも通りにぎやかだった。青果商のゴブエのおばちゃんが「新鮮な大根ですよ!」と威勢よく声を張り上げている。リザードマン族の若い衆が鮮魚の入った桶を担いで通り過ぎる。子どもたちが露店の間を走り回って、誰かが「こら待て!」と叫んでいる。
いつもの昼だ。
(でも、この人たちが怖がってたんだよな)
パンフレットが外の国に届いて、大勢の人間がテンペストに来る。そうなったら、今のこの賑やかさが壊れるかもしれない——そういう怖さがあった。リムルにはその怖さが、昨日のゴブタの言葉を聞くまでわかっていなかった。
広場の端、日陰になった石段のそばに、その老ゴブリンは腕を組んで立っていた。
白くなりかけた角が二本。進化せずにいる古い姿のまま、背筋だけはまっすぐ伸ばして。こちらに気づいてはいるが、表情はひとつも動かない。
ゴブゾーだ。
リムルは近づいた。足を止めて、ゴブゾーの正面に立つ。
そのまま、頭を下げた。
「[serious]住民の皆さんに相談せず、勝手に動いた。それは俺が間違ってた」
沈黙。
ゴブゾーは何も言わなかった。腕を組んだまま、じっとリムルを見ている。
リムルはそのまま頭を下げ続けた。魔王として威厳を見せることも、弁解することも、しない。ただ頭を下げて、黙って待った。
しばらくして、ゴブゾーがふっと息を吐いた。
「……テンペストが大きくなるのは、嬉しいんだ」
低い、渋い声だった。
「建国の頃から一緒にいた連中と、最近は顔を合わせる機会が減った。仕事が増えて、みんなそれぞれ忙しい。それ自体は良いことだと思ってる」
リムルはゆっくりと頭を上げた。話を聞く、という姿勢で。
「ただ……外から人がたくさん来て、街がもっと変わったら。あの頃のことを知らない奴らばかりになったら——俺たちは、どこに行けばいいんだろうと思った」
「[gentle]置いてきぼりになる気がして怖かった、ってことか」
「……そういうことだ」
ゴブゾーが短く認めた。それだけで、随分と長く胸の中に溜めていたものが出てきた気がした。
そのタイミングで、隣の露店からゴブエのおばちゃんが飛んできた。
「リムル様! ゴブゾー爺さん! 仲直りしたんですかい!?」
目を真っ赤にして、大根を両手に一本ずつ持ったまま泣いている。
「[crying]よかった……本当によかった……どうぞ、これ!」
大根を二本、リムルに押しつけてきた。ドンと重い。
リムルは両手に大根を一本ずつ持った状態で、ゴブゾーに向き直った。
「[gentle]長老たちの声も、パンフレットに載せたい。テンペストの歴史を一番知ってるのはあなたたちだから」
ゴブゾーが、わずかに目を丸くした。
「……俺たちの話を?」
「[gentle]建国当初のこと、苦労したこと、今のテンペストを作るために何があったか。それを知らずに外の国の人に紹介しても、意味が薄いだろ」
ゴブゾーはしばらく黙っていた。
組んでいた腕が、ゆっくりとほどけた。
「……シュナの工房を荒らしたのは、俺たちのやり方が間違いだった」
低く、静かに言った。
「[gentle]わかった。追いかけない」
ゴブゾーの口の端が、ほんの少しだけゆるんだ。笑顔と呼ぶには微妙な変化だったが、確かにゆるんだ。
リムルは大根を両手に持ったまま、その顔を見ていた。
(こういうものかもしれない。命令じゃなくて、頭を下げることで動くもの)
——そのときだった。
「[excited]このガビル様を差し置いてパンフレット制作を進めているとは、どういうことかあっ!!」
市場の入り口の方から、よく通る声が響いてきた。
水色の短髪に、オッドアイ——金色と銀色の瞳。左耳に鱗の模様。ミローナ湖のあたりから駆けつけてきたらしいガビルが、胸を張って颯爽と市場に入ってこようとした。
次の瞬間——
ズザァァッ!!
前日の雨でできた大きな水たまりを踏んだ。足が滑った。前のめりに体が傾く。そのまま盛大に、ドタン!!と前のめりに大転倒した。
泥水が周囲に盛大に飛び散る。近くにいた露店のゴブリン族のおじさんが「ひゃっ!」と飛びのき、買い物中のリザードマン族の女の子が「きゃっ!」と悲鳴を上げる。
一拍の沈黙。
それからゴブゾーが、肩を揺らして笑い出した。
リムルも腹を抱えた。
(ゴブゾーがこんなに笑うの、いつぶりだ……!)
ガビルは顔を泥だらけにしたまま、むくりと立ち上がった。泥が額からしたたり落ちる。口の端にも泥がついている。
「[excited]計算通りだ!!」
断言した。
「[excited]張り詰めた空気を一瞬で和ませる——これが俺のスタイルだ!」
リムルは笑いが止まらなくて、大根を持ったまましゃがみ込んだ。
(本当に自分でそう思ってそうなのが……!)
ガビルは泥を手で払いながら、目だけはまっすぐリムルを見た。
「[serious]笑ってる場合じゃないだろ。ミローナ湖の絶景を、パンフレットに絶対に載せてもらう。水の都の代表として、俺が直々に担当する」
顔は泥だらけだが、目は本気だった。
リムルはひとしきり笑ってから、立ち上がった。
「[gentle]わかった。ガビルもチームに入れる。ミローナ湖はお前に任せるよ」
ガビルが泥で汚れた顔のまま、びしっと直立して敬礼した。
「[excited]任せろ!! これが俺のスタイルだ!!」
ゴブゾーがガビルを見て、ぽつりと言った。
「……あの若いリザードマンは、なんだ」
呆れた声だったが、口の端は上がったままだった。
────
市場から城に戻ったリムルは、ソウエイに頼んだ。
「[serious]ベニマルとシオンを食堂に呼んでくれ。時間をずらして、それぞれ別々に」
ソウエイが無言でうなずいて、音もなく消えた。
一階の大食堂。長テーブルが三卓並んだあの場所。今朝、リムルが一人で座っていたところだ。あの静けさを思い出すと、まだ胸がちくりとした。
ベニマルが先に来た。
黒髪に赤いメッシュ。左頬の傷跡。腰の刀。腕を組んで入ってきて、食堂の中を一瞥した。
「[serious]リムル様に呼ばれては来ないわけにはいかないぜ」
それだけ言って、長テーブルの端の方の椅子を引いた。
次に来たのはシオンだった。
真紅の長髪を一本結びにして、金色の瞳をまっすぐにリムルへ向けながら入ってくる。そこでベニマルの姿を見た瞬間——ぴたりと止まった。
ベニマルも同時に視線を上げ、シオンを見た。
二人がそろって、反対方向に顔を向けた。シオンはテーブルの反対側の端の席を引いて、そこに座った。
長テーブルの両端に、二人が別れて座っている。リムルはその真ん中に立った。
「[serious]表紙の話をしたくて呼んだ」
「[cold]……それならシオンに話せばいいだろ。俺は撮影の指揮を担当すると言った」
「[cold]表紙の写真はリムル様のものと決まっています」
二人が同時に口を開きかけた。
リムルが先に言い切った。
「[serious]表紙は、俺一人でも、ベニマルでも、シオンでもない」
二人が黙った。
リムルは続ける。テーブルの上に両手をついて、二人を順番に見た。
「[serious]俺たちがパンフレットで伝えたいのは、テンペストの本当の姿だろ。ならケンカしてバラバラな俺たちを載せても意味がない。一緒に笑ってる写真じゃないと」
沈黙。
「ベニマルの強さも、シオンの一生懸命さも、全部テンペストの宝だ。どっちが上とかじゃなくて——全員で載ろう。もう一回、やり直さないか」
長い沈黙が食堂に広がった。
ベニマルが先に動いた。
ふっ、と短く息を吐いて、視線を横にそらした。腕を組み直す。
「[sarcastic]……リムル様にそこまで言われては、仕方がないぜ」
シオンは唇を噛んでいた。金色の瞳がわずかに潤んでいる。鼻の奥がつんとしているような顔で、それでも泣くまいとこらえている。
しばらくして、シオンはゆっくりとうなずいた。
「[gentle]……リムル様。はい」
声が少し震えていた。
ベニマルとシオンが向き直った。ぎこちなく、ほんの一度だけお互いにうなずき合う。完全な仲直りではないが——チームとして動ける空気が、確かに戻ってきた。
リムルが大きく息を吐いたとき、食堂の扉が開いた。
ランガだった。
漆黒の体毛をふわりとさせながら、しっぽをブンブン振り回して走り込んでくる。まっすぐシオンの方へ向かって、どすん、と頭をシオンの膝に乗せた。
「[surprised]ランガ……重いですわ」
苦笑いしながらも、シオンはランガの頭をそっとなでた。空気が、ほっとゆるんだ。
────
少しして、ガビルも戻ってきた。顔の泥をある程度落として——ある程度だけ落として——食堂に入ってきた。
四人と一匹が食堂のテーブルを囲む。
「[excited]では、撮影の指揮はこのガビル様が——」
「[serious]美的センスの高い俺が引き受けるぜ。撮影の指揮は俺だ」
「[serious]リムル様の撮影は私がやります」
「[excited]ミローナ湖の担当は絶対にこのガビル様だ!」
「そこはまあ……ガビルでいいんじゃないか」
「「「そうだな」」」
三人が同時にうなずいた。
ガビルだけが「え、あっさり?」という顔をしたが、誰も気づかなかった。
明日の最終制作日、回る場所を一つずつ確認する。テンペスト城、ごった煮広場、温泉郷、そしてミローナ湖のガビルの水殿。段取りをひとつ決めるごとに、誰かが横から何かを言う。ベニマルが「温泉郷の写真は全員揃えじゃないと格好がつかないぜ」と言い、シオンが「移動の順番をまとめました」と書いたメモを取り出して、なぜかリムルのコップを倒す。水がこぼれる。「申し訳ありませんリムル様!」と慌てるシオンを「落ち着けよ」とベニマルがため息をつく。
(ああ、これだ)
リムルは思った。今朝のがらんどうの食堂。あの静けさが嘘みたいに、今は声と笑い声と謝罪が混ざり合っている。
朝ごはん会議と、大して変わらないカオスだった。
「[gentle]まあ、しょうがないな。明日は全員で回ろう」
「「「了解」」」
がたんがたんと椅子が引かれて、全員が立ち上がった。
ランガが名残惜しそうにシオンの膝から頭を持ち上げて、リムルの足もとに来て、しっぽを振った。
ベニマルが出口へ歩きながら、横目でリムルを一瞬だけ見た。何も言わず、そのまま出ていく。
ガビルが「明日のミローナ湖はこのガビル様に——」と言い続けながら後に続いた。
シオンだけが、最後に振り返った。
「[whispers]今日のリムル様、かっこよかったですわ」
小声だった。
リムルが「どういう意味か」と聞き返そうとしたとき、シオンが続けた。
「[whispers]頭を下げるのが——かっこよかった、ということです」
照れくさそうに、早足で食堂を出ていく。
扉が閉まった。
リムルは一人、食堂に残された。
(頭を下げるのが、かっこよかった)
その言葉を、もう一度心の中で繰り返した。
変な褒め方だと思った。でも、なぜか——胸の真ん中が、じわりと温かくなった。
足もとでランガがしっぽをゆっくり振っている。
「[gentle]……何笑ってんだよ、ランガ」
ランガは答えない。しっぽを振るだけだ。
リムルは小さく息をついた。
明日の最終制作日まで、もう時間はない。テンペスト城、ごった煮広場、温泉郷、ミローナ湖——全部を一日で回りながら、パンフレットを仕上げる。しかもクモスが「印刷機の改良が完成した」と昨日からうれしそうにしているらしいと、ソウエイから聞いた。
クモスの「改良」が何を指すのか、リムルにはまだわかっていない。