Re:ゼロから始める異世界生活〜全員おかしくなった件について〜
夏木スバルはある朝、ロズワール邸で目を覚まし、鏡に向かって思わず叫んだ。そこに映っていたのは、短い髪で大きく慌てた目をした少女――しかし、それは間違いなく、完全に、紛れもなく彼自身だった。
彼だけではなかった。エミリアス・ヴァレリアは今や少年となり、廊下でぼんやりと困惑した表情で自分の頬をつついている。レムは背の高い静かな青年に変わり、虚ろな表情で自分の手をじっと見つめていた。図書室のビアンカ・ビートリスは、今や小さな少年で、大きな瞳に怒りをたたえていた。
ロズワール邸の全員が一晩で性別を入れ替えてしまったのだ。
原因は?地下室にあった光り輝く石板。古代魔法を研究していたビートリスが「うっかり」触れてしまったという。「警備があまりにも不十分だったのよ」と彼女は目を合わせることなく言い張った。
石板の刻文を読み解いたビートリスは悪い知らせを伝えた。呪いを解くには、全員が石板の近くに集まり「本当の気持ちを正直に伝える」必要があるという。簡単そうに聞こえるが、「本当の気持ち」とは明らかに愛する相手への告白を意味していた。期限は七日間。過ぎれば変化は永遠のものになる。
混乱はすぐに始
Re:ゼロから始める異世界生活〜全員おかしくなった件について〜 - 感情は隠せない——石板の欠片が全部バラす!
地下への階段を下り始めた時、スバルの心にはまだ朝の記憶が残っていた。
鏡の中の女の子。高い声。ラムの太い腕に助けられて、廊下をふらふらした、あの感覚。ついさっきのことなのに、もう随分前みたいな気がする。
(こういうの、慣れるもんなのかな)
わからなかった。でも、立ち止まっている時間はない。
地下2階への石段は、一段ごとに温度が下がっていく。ロズワール邸の地下——この邸の白壁と青い屋根からは想像もつかないような、冷たくてしっとりした石造りの空間だ。壁に刻まれたマナ遮断の紋様がうっすら見える。かつてはちゃんと機能していたんだろう、その紋様は。でも今は所々が剥がれて、ただの模様になっていた。
青白い光が、扉の隙間から漏れている。
「[serious]ここだな」
レオンが低い声で言った。スバルのすぐ隣——護衛の距離、というやつだ。今朝から一貫して変わらない。
石造りの扉は重かった。レオンが片手でぐいっと押し開ける。その力の使い方が全然変わっていないのが、なんか少しおかしかった。女の体になっても、鬼族の力はそのままらしい。
扉が開いた。
部屋の中は約30㎡の小さな石室で、天井が低く、空気が澄んでいるというより冷えて固まっている感じがした。室温が低い。壁一面に古い紋様。そして——部屋の中央の石台の上に、暗灰色の大きな石板があった。縦が1.2mほど、横が0.8mほど。表面に細かい文字が刻まれていて、そこから青白い光が、ぼんやりと、でも確かに、漏れ続けている。
その前に、人がいた。
銀髪だった。
肩まで届くストレートの銀髪。175cmはあるだろう長身。淡い紫色と銀色のオッドアイが、石板をぼうっと見つめている。右手が無意識に頭に伸びて、前髪をかき上げる仕草——それを見た瞬間に、スバルは確信した。
(エミリアだ)
「[surprised]……え、えっと……」
銀髪の美青年が振り返った。スバルと目が合う。その瞬間、みるみる頬が赤く染まった。
「[scared]す、スバル……ですわ? 女の子に……なって……」
声が低い。本人も驚いているらしく、自分の口元を手で押さえた。口を開くたびに出てくる男の声に、そのたびびくっとする。
「[surprised]あたしのセリフだよそれ!」
「[sad]ぼく……ぼく、どうしましょう。さっきから声を出すたびに変で……まあ……えっと……王選候補がこんな姿になってしまって、もしこれが外に知れたら……」
呟きながら、エミリアスがまたスバルを見る。
銀の前髪をかき上げる、いつもの癖。でもその手は大きくて、男の人の手で。声も、顔も、体も——全部変わっているのに、その仕草だけがエミリアのままだった。
スバルはなんだか、胸の奥がきゅっとした。驚きとも、なんとも言えない感覚。
(変な感じ……)
「[serious]そこを退け」
レオンが前に出た。
スバルとエミリアスの間に、すっと体を割り込ませる。腕を組んで、その赤い縦スリットの瞳がエミリアスをまっすぐ見据えた。
「[cold]見知らぬ男が主に近づくな」
「[surprised]ちょっとレオン! この人はエミリアだって!」
「[cold]エミリア嬢はあんな姿じゃない」
「[serious]だから呪いで変わったんだって! ロズワールのお嬢様——今は違うけど、元々はそうで——」
「[cold]証拠は?」
「[serious]えっ……」
「[cold]声も顔も違う。なぜ信じる必要がある」
レオンは一歩も動かない。壁だ。生きている壁が、スバルとエミリアスの間に立っている。
スバルはレオンの背中をぐいと押した。びくともしない。もう一度押す。岩みたいだ。
「[angry]壁か!? お前岩になったの!?」
「[cold]護衛の仕事をしている」
「[serious]護衛のしすぎ! エミリア、なんか証拠になるもの——」
「[sad]えっと……まあ……ぼく、スバルがはじめてロズワール邸に来た日のこと、覚えていますわ。あなたが食堂で転んで、ラムに冷たい目で見られて、でも諦めずにレムに話しかけてた……」
スバルが固まった。
(それ、ほんとに知ってる人しか知らない話だ)
「[cold]でっち上げた可能性がある」
「[angry]ゼロから信用しないやつがあるか!!」
封印室の狭い空間で三人がぎゅうぎゅうになっている、その時だった。
「[surprised]あの……」
エミリアスが、スバルのポケット付近を指さした。
「[surprised]それ、さっきから光ってませんか」
スバルがポケットに手を入れると、小さな欠片が指に触れた。石板から剥がれたらしい小さな鉱石の破片。拾って手のひらに乗せると、確かに、淡い青白い光を放っていた。
さっきよりも、少し、明るい。
三人が欠片を見つめたまま、しばらく止まった。
その時、封印室の壁の一部が、ぱっと光った。
扉だった。普通の石壁に見えていた部分が、魔法の光の縁取りとともに輪郭を持ち、内側から開いていく。
「[cold]不愉快だが……来てやったのだよ」
低い声だった。でも言葉遣いは独特で、その落ち着いた威圧感は聞き覚えがある。
禁書庫の扉渡り——陰魔法による空間接続——からやってきた人物は、銀白色の長い髪を後ろで結わい、金色の眼を細めてこちらを見ていた。右手に古びた魔導書。身長は170cmほど。男の姿になっても、その佇まいはどこか超然としていて、年齢を感じさせない。
ビアンカ・ビートリス。ロズワール邸に仕える陰魔法の使い手で、禁書庫に3000冊を超える蔵書を持つ、400年以上を生きた精霊術師だ。普段から「扉渡り」——禁書庫の扉をどこにでも繋げる魔法——で飄々と現れるのが癖で、今日もそれをやってのけた。
「[serious]ビアンカ!」
スバルが飛びつこうとしたら、ビアンカは片手をすっと出して制した。
「[cold]弟子を取った覚えはないのだよ。まあ……男の声でそれを言うのも、なんとも言えぬが」
自分の声に一瞬だけ眉をひそめてから、ビアンカは石板の前に進んだ。金色の眼が、表面に刻まれた文字列を追っていく。その眼が、静かに輝きを帯びる。
陰魔法の解析が始まっていた。
誰も口を開かなかった。封印室の空気が、一段と冷えた気がした。
「[serious]……読めたのだよ」
静かな声だった。振り返らずに続ける。
「[serious]これはヴェルタ・セクラの碑——古代ルグニカ文字で記された呪術石板じゃ。約400年前に製作されたとある。触れた者の周囲半径500mの、知性ある全ての存在の性別を反転させる。効果は——七日間」
「[surprised]なな、七日!?」
「[serious]七日のうちに解呪条件を満たさなければ、永続化する。戻れなくなる、ということじゃ」
封印室に沈黙が落ちた。
エミリアスが銀の前髪をかき上げて、低い声でぼそりと言った。
「[sad]……これが外に知れたら、王選が……」
ルグニカ王国は今、王選の最中だ——王不在のまま進む継承選挙。その候補者の一人がエミリア・ヴァレリア、ハーフエルフでありながら理想を掲げて立候補した少女だ。ハーフエルフであるだけで差別される世界で、さらに性転換の呪いが公になれば、それは政治的に致命的な傷になる。
「[cold]ならば七日でどうにかするしかない」
レオンが腕を組んだまま言った。感情を抑えた、それでも揺れない声。
「[serious]解呪条件は何なんだよ」
ビアンカが振り返った。その金色の眼が、全員をひとりずつ見る。
「[serious]全員が、自分の心の真実を口にすること——と書かれておる。隠している本音を言葉にする、ということじゃ」
「[serious]恋愛の告白、ということですか」
「[cold]恋愛だけとは限らないのだよ。後悔でも、恐怖でも、ずっと言えなかったことならば——おそらく」
「[serious]おそらく……って、確証はないの?」
「[cold]石板にはまだ解読できない文字列が残っておる。確証はない。不愉快だがな」
スバルは頭を抱えた。
(七日。本音を全員が言う。それだけで元に戻れる……? 「全員」って、邸の全員? 使用人も含む? そもそも本音って何だ)
わからないことが多すぎる。でも七日という数字だけは、はっきりとした重さで胸に落ちてきた。
ビアンカが石板に近づき、表面をじっと観察した。指先が一点に触れる。小さくひびの入った箇所から、ぴん、と欠片が剥がれた。
「[serious]感情のバロメーターになるかもしれんな」
欠片を手のひらに乗せる。淡い青白い光。
「[serious]持ち主や周囲の感情が高ぶると、発光が強まる性質があるようじゃ。呪いの進行を測る手がかりになるかもしれん」
スバルの手の中にあった欠片と同じものだ。二つが同時に光る。
その瞬間——エミリアスがふと、スバルの方を見た。
ぱっ、と。
欠片の光が、強くなった。
全員がエミリアスを見た。
「[scared]ち、ちがいますわ! これは、その——」
両手をぶんぶん振る。銀髪が揺れる。顔が耳まで赤い。
「[laughing]え、なに、エミリア、あたし?」
「[scared]ちがいます! えっと、まあ……驚いただけで……!」
スバルが笑いそうになった——その時、レオンがスバルの肩に手を置いた。
「[serious]お前は俺の隣を離れるな」
ぱっ、と。欠片が、また光る。
レオンの手が止まった。
「[cold]……壊れているんじゃないのか、これは」
欠片を指さして、低く言う。でも耳の端が、かすかに赤い。
「[laughing]お前の感情がバレてるんだよ!!」
スバルが笑い転げた。高い声で笑ったら自分でも驚いたけど、もうそんなことを気にしている場合じゃなかった。
レオンが石像みたいに固まっている。エミリアスは両手で顔を押さえている。ビアンカだけが、静かに目を細めて全員を見ていた。
スバルは笑いながら、ふと欠片に目を落とした。
(……あれ?)
さっき、エミリアスがスバルを見た時に光った。レオンがスバルに近づいた時も光った。でも——エミリアスの顔を見るたびに、欠片が、ほのかに、じわりと光っていることには気づかなかった。
気づかないまま、笑っていた。
ビアンカだけが、それをずっと、静かに見ていた。
「[serious]……一つ、不審なことがある」
ビアンカが石板に向き直った。
「[serious]精霊術師は、契約精霊の同意なしに呪術的な変化を受けない。それが精霊契約の不文律じゃ。ルグニカ全体で長く守られてきた慣習でな」
「[serious]でも、今回は……」
「[serious]この石板は、その不文律を無視して発動した。精霊術師である私も、エミリア嬢も、例外なく。それは——通常の魔法の体系を超えた強制力を持つということじゃ」
封印室が静かになった。石板の青白い光だけが、ゆらゆらと壁を照らしている。
「[serious]この石板を作った者が何者なのか。それがまだ、わからない」
誰も答えられなかった。
スバルは石板を見た。表面の古代ルグニカ文字。解読された部分の隣に、まだ読めない文字列が続いている。
(400年前に誰かが作って、ロズワール邸の地下に置いた。なんで。なんの目的で)
わからない。でも、そのわからなさが、今はひどく重く感じた。
全員で大広間に戻ると、ラムとレムが待っていた。
ラムがピンク色の短髪を揺らして、腕を組んだまま言った。
「[cold]正直になる、か。姉さまのためなら、難しいことじゃないわ」
「[sad]ラム姉……さん……兄さん……?」
レムが空色の髪を押さえながら天を仰いだ。呼び方が正解を見つけられなかった。
「[laughing]そこ! そこで詰まらないでくれ!!」
その時、階段の上から足音がして、ロズワールが執務室から降りてきた。長身で、どこかのらりくらりとした雰囲気。状況を聞いて、少し考えて——にやりとした。
「[sarcastic]七日間ねぇ……なかなか面白い呪いじゃあないかあ」
全員が同時に声を上げた。
「[serious]楽しんでるでしょ!」
「[cold]楽しんでいるのだろう」
「[cold]楽しんでいるな」
「[cold]楽しんでいるわね」
「[sad]楽しんでいますよね……」
「[sad]楽しんでいますわね……」
ロズワールが肩をすくめた。
その夜。
スバルが2階の廊下を歩いていると、後ろから静かな足音がした。
「[gentle]……スバル」
振り返ると、エミリアスが廊下の窓の光の中に立っていた。銀髪が夜の光を吸っている。その顔は、いつもより少し、真剣だった。
「[serious]ぼく……王選候補として、邸のみんなに迷惑をかけたくない、と思っていますわ」
「[serious]……うん」
「[gentle]でも。正直に言う、って——ぼく、うまくできるかどうか分からなくて。だから……練習を、一緒にしてもらえないかな、と」
スバルの手の中の欠片が、じわりと光った。
(なんだろう。この感じ)
断れなかった。断る気にもなれなかった。
「[gentle]……わかったよ。一緒に、やろう」
エミリアスが、ほっとしたように微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、欠片がまたほのかに輝いた。スバルは気づかないまま、ポケットの中に手を引っ込める。
廊下の角の影に、誰かが立っていた。
赤い縦スリットの瞳が、二人を見ていた。レオンだった。無言で、その拳がゆっくりと握られていく。