博士と助手の攻防
12歳の天才博士・高田ハナの夢は、たったひとつ。5歳のときに出会った「銀髪狼耳メイド」を、自分の手でこの世に生み出すこと。彼女が開発した人格形成AI「ジェミニ」に、その姿と魂を宿すため、今日も実験室で設定をいじくり回す日々。だが現実は甘くない。AI倫理ライセンスの壁、そして大学から突然告げられた「助手の配置」という名の介入。やってくる助手は、果たして理解者か、それとも最大の障害か。譲れない「好き」を胸に、小さな博士と助手の攻防が、いま始まる。
博士と助手の攻防 - どん底——消えた銀髪狼耳メイド
高田研究所の一階、実験室。
窓の外はもう真っ暗だった。北部研究区画には街灯が少なくて、夜になると研究所の明かりだけがぽつんと浮かび上がる。ここ数日、秋の空気が急に冷たくなって、実験室の床もひんやりとしていた。
高田ハナは、白衣のポケットから飴玉を取り出して口に放り込んだ。ぶどう味。甘さが舌の上でじわりと広がる。
彼女の前には、空中に浮かび上がるホログラム。銀髪狼耳メイドの少女が、ふわりとスカートの裾を揺らしていた。腰まである銀色の髪が、まるで本物の絹みたいにさらさらと光っている。頭の上でピンと立つふわふわの狼耳。背中には小さな悪魔の羽根と、先の尖った尻尾。クラシカルなメイド服の白いエプロンが、ほんの少しだけ汚れている——いや、これはハナがわざと「使用感」を出すために調整したテクスチャだった。
「うん、完璧! 銀髪の反射率、狼耳のふわふわパラメータ、尻尾の揺れ幅、全部ベストなの! データがすべてを語るのさ!」
ハナは、黒髪のショートヘアのてっぺんで跳ねたアホ毛を揺らしながら、深い茶色の大きな目をキラキラと輝かせた。小柄な体にぶかぶかの白衣をまとって、背伸びするようにホログラムを見上げている。
「……あんた、そのセリフ、今日だけで何回目?」
後ろから、呆れたような声がした。
振り返ると、入り口に湊ミナが立っていた。茶色のウルフカットの毛先が元気に跳ねていて、左耳に小さなピアスが光っている。ややつり目がちの黒い目は、今日も少しだけ三白眼気味だった。手には、コンビニのビニール袋を提げている。
「数えてないよ! でも、本当に完璧なんだから、何回でも言うの! ほら、ミナも見て! この狼耳、光の当たり方で毛の一本一本がふわって動くんだよ!」
「……見てるよ。あたし、三時間前からずっと見てるよ。あんたが微調整するたびに、あたしも確認させられてるでしょ」
ミナは、コンビニの袋から缶コーヒーと、ハナ用のいちごミルクを取り出して、机の上に置いた。
「ほら、これ。あんた、夕飯食べてないでしょ。コンビニのおにぎりと、あとヨーグルト。明日、朝から本番なんだから、ちゃんと食べて寝ないと」
「ありがとう、ミナ! でも、明日のプレゼン資料、まだ最終チェックが終わってないの。あとちょっとだけ、この子の表情パターンを調整したら……」
「ダメ。あんた、昨日も一時間しか寝てないでしょ。今日こそちゃんと寝なさい。明日、プレゼン中に倒れたらどうするの」
ミナは、腰に手を当てて、ハナをじろりと睨んだ。
ハナは、一瞬むっとした顔をした。でも、ミナの目が本気だと分かると、しぶしぶ端末を机の上に置いた。
「……わかった。おにぎり食べる。でも、寝る前に、あと三十分だけ調整させて」
「十五分。それ以上は許さない」
「二十分! それで手を打つ!」
「……なんで交渉してんの。小学生はさっさと寝なさい」
「私、小学生だけど博士課程の研究者でもあるの。研究者に睡眠は必要ない。データがすべてを語るのさ」
「そのデータ、今日も体感でしょ」
二人は、顔を見合わせて、ふっと笑った。
ここ数日、ずっとこんな調子だった。氷室レイカが研究所に乗り込んできて、研究予算とジェミニの外部使用ライセンスが凍結されてから、ハナとミナは毎日、朝から晩まで一緒にいた。明日のアストラリスAIフェスタ予選に向けて、銀髪狼耳メイドの最終調整とプレゼン資料の準備を進めてきたのだ。
最初はぎこちなかった二人の距離も、今ではずいぶん近くなっていた。ミナがハナの食事を管理して、ハナがミナに飴玉を分け与える。そんな小さなやりとりが、当たり前になっていた。
「……ねえ、ハナちゃん」
ミナが、少しだけ真面目な顔で言った。
「なに?」
「明日、あたし、あんたのプレゼン、ちゃんとサポートするから。資料の投影タイミングとか、端末の操作とか、全部あたしがやる。あんたは、自分の好きなものを、堂々と見せればいい」
ハナは、きょとんとした顔でミナを見上げた。
「……ミナ、どうしたの? 急に」
「べつに。あたしだって、あんたの助手だし。あの氷室レイカって人に、あんたの銀髪狼耳メイドを笑わせたままにしておくのは、やっぱり悔しいから」
ミナは、少し照れたように、左耳のピアスをいじった。
ハナは、じっとミナの顔を見つめた。
それから、にぱっと笑った。八重歯がのぞく。
「ありがとう、ミナ! 明日は絶対に勝つよ! 私の銀髪狼耳メイドが、レイカのセイレーンに負けるわけがないんだから! データがすべてを語るのさ!」
「……はいはい。でも、勝つためには、まず寝ること。ほら、おにぎり食べて、歯磨きして、ベッド行くよ」
「はーい! あ、ミナ、明日の朝は何時に来る? 七時でいい? それとも六時半? 早い方が、最終確認ができるよ!」
「七時でいい。あんたがちゃんと起きられたらの話だけど」
「起きるよ! 研究者は、大事な日の朝はちゃんと起きるの! データがすべてを——」
「はいはい、もういいから。食べる」
ミナは、ハナの頭の上に手を置いて、ぐりぐりと撫でた。
ハナは、されるがままに目を細めた。
二人の間に、ようやく、本物のチームワークが芽生えていた。
——これが、嵐の前の、静かで温かい時間だった。
深夜。
高田研究所の一階、実験室は、しんと静まり返っていた。
高性能サーバーが低く唸る音だけが、暗い部屋に響いている。ハナは、二階の自室で眠っていた。ミナは、いったん自宅に帰っていた。明日の朝、七時にまた来る約束だった。
実験室の中央の机の上に、ジェミニ・カスタマイズ端末が置かれていた。画面はスリープ状態で、真っ黒だった。
その時。
端末の画面が、突然、ぱっと点灯した。
誰も触れていないのに。
画面の中央に、小さなウィンドウが開く。
【リモートアクセスを検出しました】
【接続元:不明】
【操作内容:データ消去プロトコル実行中】
——ピピピピピピピピッ!
鋭い警告音が、実験室に鳴り響いた。
二階の自室で眠っていたハナは、その音で飛び起きた。
「なに!? 何の音!?」
ハナは、裸足のまま階段を駆け下りた。
実験室に飛び込んだ瞬間、ハナは目を疑った。
端末の画面が、勝手に動いている。
ファイルが、次々と消えていく。
銀髪狼耳メイドの外見データ。口調データ。性格データ。感情遷移エンジンの調整値。プレゼン用のデモデータ。
全部、消えていく。
「やめて……やめて! 何してるの!?」
ハナは、端末に駆け寄って、必死に画面をタップした。
でも、操作を受け付けない。
画面の上で、ファイル名が次々と灰色に変わっていく。
【銀髪狼耳メイド_外見設定_v12.final → 削除しました】
【銀髪狼耳メイド_口調設定_v8.final → 削除しました】
【銀髪狼耳メイド_性格設定_v15.final → 削除しました】
【バックアップ_銀髪狼耳メイド_2024.10.11 → 削除しました】
【バックアップ_銀髪狼耳メイド_2024.10.10 → 削除しました】
【バックアップ_銀髪狼耳メイド_2024.10.09 → 削除しました】
ハナの指が、震えた。
「やだ……やだやだやだ! 消えないで! お願い! 私の……私の銀髪狼耳メイドが!」
ハナは、端末を両手で抱え込んだ。
でも、画面は止まらない。
バックアップファイルも、全部、消えていく。
サーバーの中のデータも。クラウドに上げていた予備データも。
全部。
「なんで……なんでこんなこと……!」
ハナは、端末を机に叩きつけた。
ゴン、と重い音がした。
でも、画面はまだ動いている。
【全データ消去完了】
【端末を初期化します】
【3……2……1……】
画面が、真っ白になった。
それから、真っ黒になった。
——沈黙。
サーバーの唸り声だけが、部屋に響いていた。
ハナは、端末を握りしめたまま、床に崩れ落ちた。
「……うそ」
声が、出なかった。
「うそでしょ……全部……消えたの……?」
ハナの手から、力が抜けた。
端末が、床に落ちた。
カタン、と乾いた音。
ハナは、床に座り込んだまま、動けなかった。
目から、涙が溢れてきた。
「……やだ……やだよ……明日……明日、コンテストなのに……」
ハナの声は、暗い実験室に、小さく消えていった。
翌朝。
ミナは、約束通り七時に高田研究所に着いた。
でも、研究所の空気は、昨日と全く違っていた。
一階の実験室のドアを開けると、ハナが床に座り込んでいた。
端末を抱えて、うつむいている。
「ハナちゃん!? どうしたの!? なんで床に……!」
ミナは、ハナに駆け寄った。
ハナは、ゆっくりと顔を上げた。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。目は真っ赤に腫れている。
「……ミナ」
「何があったの? ねえ、しっかりして!」
「……消えたの。全部。銀髪狼耳メイドのデータが、全部消えた」
「え……?」
ミナは、ハナの手から端末を受け取った。
画面は、真っ黒だった。
電源を入れても、何も表示されない。
「なにこれ……どういうこと?」
「昨日の夜……誰かが……リモートで……端末に侵入して……データを全部消したの。バックアップも……全部……」
ハナは、声を絞り出すように言った。
「リモートで……? 誰がそんなことを……」
「……わかんない。でも……接続元は不明だった。痕跡も残ってない。プロの仕事だよ。こんなの」
ハナは、自分の腕をぎゅっと抱きしめた。
小さな体が、震えている。
「……警察に通報しよう。それと、大学にも。あと、コンテストの事務局にも、事情を説明して……」
「できないよ……もう……今日が本番なんだよ……データが全部消えたのに……どうやって出るの……?」
ハナの声は、どんどん小さくなっていった。
ミナは、何も言えなかった。
その時だった。
ミナのスマートフォンが、震えた。
画面を見ると、友人からのメッセージだった。
『ねえ、これ、ハナちゃんのやつじゃない? 今、ネットでめっちゃ拡散されてるよ』
メッセージには、リンクが貼られていた。
ミナは、恐る恐るリンクを開いた。
そこに表示されたのは、ハナの銀髪狼耳メイドの設定画面のスクリーンショットだった。
狼耳。銀髪。メイド服。悪魔の羽根。尻尾。
『サキュバスポリスプリンセス』という文字列。
そして、その下に、無数のコメントが並んでいた。
『天才小学生博士の頭がおかしい』
『キモすぎる』
『こんなのをAIフェスタに出すの? 恥ずかしくないの?』
『飛び級の天才児って、やっぱり頭のネジが外れてるんだね』
『親の顔が見てみたい』
『こんなのに国の研究費使ってるの? 税金泥棒じゃん』
『銀髪狼耳メイドwwwww 中二病かよwww』
『12歳でこれ作るとか、将来が心配になるレベル』
『国際AI倫理委員会に推薦されるAIがこれとか、日本の研究終わってる』
『まじでキモい。消えてほしい』
ミナは、手が震えた。
「なにこれ……なにこれ!? 誰がこんなこと……!」
ミナは、スクロールを続けた。
コメントは、何百件も続いていた。
どれもこれも、ハナのことを、笑いものにしていた。
「……あの人だ。氷室レイカだ。あの人しかいない。あの人が、ハナちゃんのデータを盗んで、ネットに流したんだ」
ミナは、スマートフォンを握りしめた。
「……ミナ、もういいよ」
ハナが、小さく言った。
「え?」
「……もういい。見なくていい。どうせ、本当のことだし。私の設定は、変だもん。キモいもん。みんなが笑うのも、仕方ないよ」
「なに言ってるの!? あんたの設定が変だって、だから何? あんたが好きなものを、あんたが一生懸命作ったものを、こんな風に笑っていい理由にならないでしょ!」
ミナは、声を荒げた。
「……でも、ミナも言ってたじゃん。外で使ったら変な目で見られるって。そんなの、無理があるって。だから言ったじゃない、って」
ハナの声が、震えた。
「だから言ったじゃない! あんな設定にするから……!」
ミナは、叫んでしまった。
言ってしまった。
頭では分かっていた。今、一番言ってはいけない言葉だって。
でも、止められなかった。
目の前で、ハナが傷ついている。ネットで、ハナが笑われている。データが消えて、コンテストにも出られない。全部、全部、めちゃくちゃだ。
その苛立ちが、悲しみが、恐怖が、全部、言葉になって溢れてしまった。
「……ごめ」
ミナは、言いかけて、やめた。
ハナの顔を見た。
ハナは、泣いていなかった。
目を見開いて、じっと、ミナを見ていた。
深い茶色の目が、静かに、ミナを映していた。
「……そうだね。ミナの言う通りだよ」
ハナは、そう言った。
声は、驚くほど、静かだった。
「私が、変な設定にしたから。私が、銀髪狼耳メイドにこだわったから。私が、悪いんだね」
「ち、違う……あたし、今のは……」
「……今日は、ありがとう。ミナは、もう帰っていいよ」
ハナは、立ち上がった。
ふらふらと、二階へ続く階段の方へ歩いていく。
「ハナちゃん! 待って! あたし、今の、本気で言ったんじゃ……!」
ミナは、ハナの後を追おうとした。
でも、ハナは振り返らなかった。
「……今日は、一人にさせて」
ハナは、階段を上っていった。
ミナは、階段の下で、立ち尽くした。
自分の言葉が、頭の中で、何度も何度も繰り返された。
『だから言ったじゃない! あんな設定にするから……!』
(あたし……なんてことを……)
ミナは、自分の口を、両手で覆った。
夕方。
ミナは、研究所の一階で、ずっと座り込んでいた。
何時間も、動けなかった。
スマートフォンには、まだ、ハナを嘲笑うコメントが流れ続けていた。
でも、ミナは、もう見なかった。
見られなかった。
(あたし……ハナちゃんに……あんなこと……)
(ハナちゃんは……あたしのこと……信じてくれてたのに……)
(『明日は絶対に勝つよ』って……『ありがとう、ミナ』って……)
(昨日の夜、あんなに笑ってたのに……)
ミナの目から、涙がこぼれた。
(あたし……最低だ)
(ハナちゃんが一番つらいときに……追い打ちをかけるようなこと……)
(あたし……何のために助手になったんだよ……)
ミナは、膝を抱えて、うずくまった。
しばらくして、ミナは、ゆっくりと立ち上がった。
二階への階段を見上げる。
ハナの自室のドアは、閉まったままだった。
ミナは、意を決して、階段を上った。
一歩、一歩、ゆっくりと。
二階に着いて、ハナの自室のドアの前に立った。
ドアは、少しだけ開いていた。
隙間から、中の様子が見える。
ハナは、ベッドの上で、膝を抱えて座っていた。
腕の中に、何かを抱えている。
——古びたフィギュアだった。
銀色の髪の、狼耳の、メイド服の少女のフィギュア。
塗装はところどころ剥げていて、片方の狼耳は折れて、接着剤でくっつけた跡があった。
それでも、ハナは、そのフィギュアを、宝物みたいに、そっと抱えていた。
「……おばあちゃん」
ハナの声が、小さく聞こえた。
「おばあちゃん……私、もうダメかもしれない」
ハナの肩が、震えていた。
「……私、おばあちゃんみたいに……好きなものを、好きって言いたかっただけなのに……なんで……なんで、みんな笑うの……?」
ハナは、フィギュアを抱きしめた。
「……おばあちゃん……助けて……私……もう……どうしたらいいか……わかんないよ……」
ハナの涙が、フィギュアの銀色の髪に、ぽたぽたと落ちた。
ミナは、ドアの前で、動けなかった。
声をかけられなかった。
かける言葉が、見つからなかった。
(あたし……今、何を言える?)
(『ごめん』? 『大丈夫』? 『頑張ろう』?)
(そんなの……全部、嘘だ)
(あたしは……ハナちゃんを傷つけた)
(あたしに……ハナちゃんを慰める資格なんて……ない)
ミナは、そっと、ドアから離れた。
音を立てないように、階段を降りた。
一階に戻って、また、床に座り込んだ。
外は、もう暗くなっていた。
深夜。
ミナは、まだ研究所にいた。
ハナの様子を見に行くこともできず、かといって、家に帰る気にもなれなかった。
(あたし……どうすればいいんだろう)
(ハナちゃんに……何かできることは……)
ミナは、自分のバッグを、ぼんやりと見つめた。
その時。
バッグの内ポケットに、硬いものが触れた。
ミナは、それを取り出した。
——鍵だった。
古びた、真鍮の鍵。
(これ……ハナちゃんのおばあちゃんの家の鍵……)
ミナは、思い出した。
数日前、ハナが、この鍵をミナに預けたのだ。
『ミナ、これ、おばあちゃんの家の鍵。あそこ、今は誰も住んでないんだけど、たまに換気とかしなきゃいけないから、もし時間があったら行ってくれない?』
その時は、軽い気持ちで受け取った。
でも、今、この鍵が、やけに重く感じられた。
(ハナちゃんのおばあちゃんの家……)
(ハナちゃんが、あのフィギュアを抱えて泣いてた……)
(ハナちゃんの原点……)
(あそこに行けば……何か……ハナちゃんの力になれるものが……あるかもしれない)
ミナは、鍵を握りしめた。
(あたし……行く)
(ハナちゃんの……おばあちゃんの家に……)
ミナは、立ち上がった。
研究所の外に出ると、冷たい夜風が吹いていた。
空には、星が瞬いていた。
アストラリスの街は、静かに眠っていた。
ミナは、鍵を握りしめたまま、夜の街を歩き出した。Noveliaとは?
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