博士と助手の攻防
12歳の天才博士・高田ハナの夢は、たったひとつ。5歳のときに出会った「銀髪狼耳メイド」を、自分の手でこの世に生み出すこと。彼女が開発した人格形成AI「ジェミニ」に、その姿と魂を宿すため、今日も実験室で設定をいじくり回す日々。だが現実は甘くない。AI倫理ライセンスの壁、そして大学から突然告げられた「助手の配置」という名の介入。やってくる助手は、果たして理解者か、それとも最大の障害か。譲れない「好き」を胸に、小さな博士と助手の攻防が、いま始まる。
博士と助手の攻防 - ミナ、決意の再起動——祖母の日記と好きの力
深夜のアストラリスは、まるで水の底に沈んだみたいに静かだった。
北部研究区画から南へ向かう地下鉄はもう終わっていて、ミナは歩いていた。冷たい夜風が、ウルフカットの毛先を揺らす。左耳のピアスが、街灯の光をときどき弾いた。
(寒い……)
でも、足は止まらなかった。
手の中には、古びた真鍮の鍵。さっきからずっと、ぎゅっと握りしめている。指の形がくっきりと跡になるくらい、強く。
(ハナちゃんのおばあちゃんの家……)
(あそこに行けば、何かが分かる気がする)
(ハナちゃんが、どうしてあんなに銀髪狼耳メイドにこだわるのか)
(あたしが、これからどうすればいいのか)
ミナの頭の中には、さっき見た光景がこびりついて離れなかった。
二階の自室で、膝を抱えて座っていたハナ。腕の中に、古びたフィギュアを抱えていた。銀色の髪の、狼耳の、メイド服の少女のフィギュア。塗装は剥げていて、片方の狼耳は折れて、接着剤でくっつけた跡があった。
それでも、ハナはそのフィギュアを、宝物みたいに、そっと抱えていた。
「……おばあちゃん……私……もう……どうしたらいいか……わかんないよ……」
あの声が、耳の奥で、何度も何度も繰り返される。
(あたし……あのとき、何も言えなかった)
(『ごめん』も『大丈夫』も、全部嘘になる気がした)
(あたしは、ハナちゃんを傷つけた)
(『だから言ったじゃない!』って、あんなこと……)
ミナは唇を噛んだ。
後悔が、胃のあたりを冷たく締めつける。
(あたし、助手なのに)
(あの子の好きなものを、一番近くで否定してた)
(外で使うからって、常識がどうとか、恥ずかしいとか)
(あたしが、あの子の一番の敵だったんじゃないか)
歩きながら、涙がにじんできた。
夜の街は、どこまでも静かで、ミナの足音だけが、こつこつと響いていた。
祖母の家は、アストラリスの南部居住区画の、古い住宅街の中にあった。
周りの家々は、新しい建物に建て替わっているのに、その家だけが、昔のままの姿で残っていた。木造の平屋で、門には蔦が絡まっている。庭には、手入れのされていない木々が、暗い影を落としていた。
(ここ……)
ミナは、門の前で立ち止まった。
ハナから鍵を預かったのは、数日前のことだ。
『ミナ、これ、おばあちゃんの家の鍵! あそこ、今は誰も住んでないんだけど、たまに換気とかしなきゃいけないから、もし時間があったら行ってくれない?』
あのときは、軽い気持ちで受け取った。
まさか、こんな夜中に、一人で来ることになるなんて。
ミナは、深呼吸をした。
冷たい空気が、肺の奥まで入ってくる。
(入ろう)
門を開けて、庭を通る。砂利を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
玄関の前に立つ。
古い木のドア。鍵穴に、真鍮の鍵を差し込んだ。
カチリ。
小さな音がして、鍵が回った。
ドアを開ける。
ギィ……と、蝶番が軋む音。
中は、真っ暗だった。
空気が、ひんやりとしている。長い間、誰も住んでいなかった家の匂い。埃と、古い木と、かすかに、お線香のような匂いが混ざっていた。
ミナは、スマホのライトをつけた。
白い光が、暗い室内を照らし出す。
玄関を上がると、短い廊下があった。突き当たりに居間、右手に台所、左手に寝室らしき部屋。
(お邪魔します……)
心の中で呟いて、ミナは廊下を進んだ。
居間に入る。
畳の部屋に、古い座卓と、茶箪笥。壁には、色あせたカレンダーがかかったままだった。日付は、何年も前のままだ。
(ここが、ハナちゃんのおばあちゃんの……)
ミナは、部屋の中を見回した。
隅の方に、古いタンスがあった。黒っぽい木の、重そうなタンス。引き出しには、真鍮の取っ手がついている。
(これ……)
ミナは、ゆっくりとタンスに近づいた。
一番上の引き出しに手をかける。
引いてみた。
ガタン、と音がして、引き出しが開いた。
中には、古いアルバムや、手紙の束、小さな箱などが、整然と並んでいた。
(……あれ?)
ミナの目が、一冊のノートに留まった。
茶色い革の表紙の、古びたノート。他のものより、少し奥の方に、大事そうにしまってある。
(日記……?)
ミナは、そっとノートを取り出した。
手に持つと、ずっしりと重い。
表紙を開く。
最初のページに、丸っこい文字で、こう書かれていた。
『高田サチの日記』
(高田サチ……ハナちゃんのおばあちゃんの、名前……)
ミナは、ごくりと唾を飲み込んだ。
(読んでも……いいのかな)
(でも……)
(ハナちゃんのことを知るには、これしかない気がする)
ミナは、畳の上に正座して、ノートを開いた。
スマホのライトを、ページに近づける。
日記の最初の方は、若い頃のサチの、のどかな日常が綴られていた。
大学でAIの研究をしていること。実験がうまくいったこと。失敗したこと。友人と食べたお菓子のこと。好きな映画のこと。
文字は丸っこくて、ところどころに小さなイラストが描かれている。
(なんだ、普通の女の子じゃん)
ミナは、少しだけ微笑んだ。
ハナの祖母も、昔は普通の大学生だったのだ。
でも、ページをめくるうちに、日記の内容は、少しずつ変わっていった。
『今日、教授に、私の研究テーマを笑われた。
「人格AIに、そんな奇抜な外見を持たせて何になる」って。
でも、私は、ただ、大好きなものを作りたいだけなのに。』
ミナの手が、止まった。
(奇抜な外見……)
(大好きなもの……)
心臓が、どくんと跳ねる。
さらに、ページをめくる。
『学会で発表した。
私の作ったAI、『銀髪の狼耳メイド』を見せたら、会場がざわついた。
それから、笑い声が起きた。
「趣味で作るなら勝手だが、研究として発表するのは恥ずかしい」
「そんなもの、何の役に立つんだ」
「現実を見ろ」
みんな、私のことを、変わり者だって目で見てた。
でも、私は、この子が好き。
この子の銀色の髪が、狼耳が、メイド服が、大好き。
なんで、好きって言っちゃいけないの?』
ミナは、ノートを握る手に、力を込めた。
(ハナちゃんの、おばあちゃんも……)
(同じことを……)
涙が、ぽたぽたと、ノートの上に落ちた。
急いで、袖で拭う。
でも、涙は止まらなかった。
『今日も、学会で笑われた。
もう、研究をやめようかと思った。
でも、家に帰って、この子のホログラムを起動したら、
「おかえりなさいませ、ご主人様」
って、笑ってくれた。
……ああ、もう。
この子がいるから、私は、まだ頑張れる。』
『私の作ったAIは、結局、世間には認められなかった。
でも、いいの。
私が、この子を好きでいられれば、それで。
いつか、私の孫ができたら、見せてあげたいな。
「おばあちゃんはね、こんなに可愛い子を作ったんだよ」って。
そしたら、一緒に笑ってくれるかな。
それとも、やっぱり、笑われちゃうかな。』
ミナは、声を押し殺して泣いた。
肩が震える。
涙が、止まらなかった。
(ハナちゃんの、おばあちゃんは……)
(ずっと、ずっと、笑われてきたんだ)
(それでも、好きなものを、好きって言い続けたんだ)
(その想いが、ハナちゃんに、受け継がれたんだ)
(なのに、あたしは……)
(ハナちゃんの、その想いを……)
(「外で使うんだから」って……「常識的に考えて」って……)
(あたしが、また、笑ってたんじゃないか)
(あの学会の人たちと、同じことを……)
ミナは、自分の両手を見た。
指先には、実験でついた古い絆創膏。
この手で、ハナの好きなものを、守れると思っていた。
でも、違った。
この手は、ハナの好きなものを、壊そうとしていた。
(あたし……最低だ)
(助手失格だ)
(ハナちゃんに、合わせる顔がない)
ミナは、ノートを胸に抱きしめた。
涙が、畳に染みていく。
しばらくして、ミナは、ゆっくりと顔を上げた。
涙でぼやける視界の先に、日記の続きがあった。
まだ、読んでいないページが、少し残っている。
ミナは、震える指で、ページをめくった。
最後のページ。
そこには、他のページより、少し丁寧な文字で、こう書かれていた。
『好きなものを、好きと言える人が、本当の革新を生むのよ。
世の中の人は、すぐに「常識」とか「普通」とか言う。
でも、その「常識」や「普通」は、誰かが勝手に決めたもの。
本当に新しいものは、いつだって、最初は笑われる。
だから、笑われても、笑われても、好きなものを好きと言い続けなさい。
それが、あなたの、世界を変える力になるから。
——私の大好きな、未来の誰かへ』
その言葉を読んだ瞬間、ミナの中で、何かが音を立てて崩れた。
それは、ミナがこれまで信じてきた「正しさ」だった。
「常識」が大事。
「普通」が一番。
「外で使うなら、無難な見た目がいい」
そう信じて、ハナの暴走を止めようとしてきた。
でも、それは、ただの「言い訳」だったんだ。
本当は、自分が、周りの目を気にしていただけ。
自分が、笑われるのが怖かっただけ。
ハナの「好き」を守るためじゃなくて、自分の「恥ずかしい」を守るために、ハナの「好き」を潰そうとしていた。
(違う……違うんだ……)
(あたしは……あたしは……)
ミナは、ノートを床に置いた。
そして、畳の上に、両手をついた。
深く、深く、頭を下げた。
「……ごめん……ごめんね、ハナちゃん……」
声が、震える。
涙が、畳に、ぽたぽたと落ちる。
「あたし……あたし……何も分かってなかった……」
「あんたの好きなものを……あたしが……一番近くで……笑ってた……」
「ごめん……ごめん……」
ミナは、声を上げて泣いた。
夜の静けさの中に、ミナの泣き声だけが、小さく響いていた。
どれくらい、そうしていただろうか。
ミナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
鼻をすすり、袖で顔を拭う。
目は真っ赤に腫れていた。
でも、その瞳には、さっきまでなかった光が宿っていた。
(……決めた)
(あたし、ハナちゃんのところに、戻る)
(そして、謝る)
(「ごめん」って、ちゃんと、伝える)
(それから……)
(あたしが、ハナちゃんの「好き」を守る)
(今度こそ、本当に)
ミナは、日記を、そっと閉じた。
革の表紙を、もう一度、胸に抱きしめる。
(おばあちゃん……あたしに、教えてくれて、ありがとう)
(あたし、ハナちゃんの隣で、ちゃんと戦うから)
ミナは、日記をタンスの引き出しに、元の場所に戻した。
そして、立ち上がった。
足に力が入る。
(行こう)
(ハナちゃんの、ところへ)
ミナは、玄関に向かった。
靴を履き、ドアを開ける。
外は、まだ暗かった。
でも、東の空が、ほんの少しだけ、白み始めていた。
夜明けが、近かった。
ミナは、走り出した。
来た道を、今度は、全速力で。
冷たい風を切って、走る。
息が切れる。
足が痛い。
でも、止まらなかった。
(待ってて、ハナちゃん)
(あたしが、今、行くから)
高田研究所に着いたとき、空は、だいぶ明るくなっていた。
ミナは、乱れた息を整えながら、研究所のドアを開けた。
一階の実験室は、しんと静まり返っていた。
ホログラム投影装置の電源は落ちている。
机の上には、昨日のままの、冷めきった缶コーヒーと、食べかけのおにぎりが残っていた。
(ハナちゃんは……)
ミナは、二階への階段を見上げた。
一歩、一歩、ゆっくりと、階段を上る。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
(なんて言おう)
(「ごめん」?)
(それだけじゃ、足りない)
(あたしの、全部を、伝えなきゃ)
二階に着いた。
ハナの自室のドアの前に立つ。
ドアは、昨夜と同じように、少しだけ開いていた。
ミナは、深呼吸をした。
そして、ドアを、そっと開けた。
部屋の中は、薄暗かった。
カーテンが閉め切られていて、朝の光は、わずかに隙間から漏れるだけ。
ベッドの上に、ハナがいた。
黒髪のショートヘアは、いつもよりボサボサで、アホ毛はしんなりと垂れている。
白衣は着ておらず、部屋着のままだった。
小さな体を丸めて、ベッドの上で、膝を抱えている。
腕の中には、あの古びたフィギュア。
銀色の髪の、狼耳の、メイド服の少女のフィギュアを、ハナは、壊れ物を扱うみたいに、そっと抱えていた。
その横顔は、ミナが今まで見たこともないくらい、悲しそうだった。
深い茶色の大きな目は、涙で腫れていて、生気がなかった。
(ハナちゃん……)
ミナの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(あたしが……あたしが、こんな顔にさせたんだ)
ミナは、音を立てないように、部屋の中に入った。
そして、ベッドのそばに、正座した。
ハナは、ミナに気づいていないのか、それとも、気づいているのに反応する気力もないのか、ぴくりとも動かなかった。
沈黙。
部屋の中に、重苦しい空気が満ちている。
ミナは、ごくりと唾を飲み込んだ。
(言え……あたし……)
(今、言わなきゃ……)
ミナは、両手を、畳の上についた。
深く、深く、頭を下げた。
「……ハナちゃん」
声が、震える。
「ごめん」
ハナの肩が、ぴくりと動いた。
「あたし……あたし、何も分かってなかった」
「あんたが、どうして銀髪狼耳メイドにこだわるのか……どうして、あんなに、あの子のことを、大好きなのか……」
「あたし、分かろうともしなかった」
「『外で使うから』『常識的に考えて』『恥ずかしい』……そんなことばっかり言って……」
「あたし……あんたの一番の敵だった」
「ごめん……ごめんね……!」
ミナは、畳に額をこすりつけた。
涙が、畳の上に、ぽたぽたと落ちる。
「あたし……おばあちゃんの家に、行ったんだ」
ハナの指が、フィギュアを抱く手に、ぎゅっと力がこもった。
「おばあちゃんの、日記を、見つけた」
「おばあちゃんも……若い頃、銀髪の狼耳メイドのAIを作って……学会で、笑われてた」
「それでも……それでも、おばあちゃんは……『この子が好き』って……ずっと、ずっと、言い続けてた」
「『好きなものを、好きと言える人が、本当の革新を生むのよ』って……」
「あたし……その言葉を読んで……やっと、分かった」
「あんたの『好き』は……あんたの、おばあちゃんの……二人の、宝物なんだって」
「あたし……それを……守るどころか……壊そうとしてた……」
「ごめん……本当に、ごめんなさい……!」
ミナは、声を上げて泣いた。
しばらく、部屋の中には、ミナの泣き声だけが響いていた。
どれくらい、そうしていただろうか。
ふと、小さな声が聞こえた。
「……ミナ」
ミナは、顔を上げた。
涙でぼやける視界の先に、ハナがいた。
ハナは、フィギュアを抱えたまま、ミナを見つめていた。
その深い茶色の目から、涙が、一筋、こぼれ落ちた。
「……ミナ……おばあちゃんの家に……行ってくれたの?」
「……うん」
ミナは、涙を拭いながら、頷いた。
「……おばあちゃんの日記……読んでくれたの?」
「……うん。全部、読んだ」
「……そっか」
ハナは、小さく息を吐いた。
それから、ぎゅっと、フィギュアを抱きしめた。
「……おばあちゃん……私……おばあちゃんみたいに……好きなものを……好きって……言いたかっただけなのに……」
ハナの声が、震える。
「……なんで……なんで、みんな……笑うの……?」
「……私……おかしいのかな……」
「……私の『好き』は……やっぱり……変なのかな……」
「違う!」
ミナは、大声で叫んだ。
ハナが、びくっと肩を震わせる。
「違うよ、ハナちゃん」
ミナは、真っ直ぐに、ハナの目を見た。
「あんたの『好き』は、変なんかじゃない」
「あんたの『好き』は、あんたの、おばあちゃんから受け継いだ、大切なものなんだよ」
「おばあちゃんは、笑われても、笑われても、好きなものを好きって言い続けた。その想いが、あんたに、ちゃんと届いてる」
「だから、あんたは、あんなに素敵な銀髪狼耳メイドを作れるんだよ」
「あんたの作るあの子は、本当に、本当に、可愛い。あたしが、保証する」
「……あたしが、守る」
ミナは、ハナの小さな手を、両手で包み込んだ。
「あんたの好きなもの、あたしが守る」
「だから、もう、一人で泣かないで」
「あたしが、隣にいる」
ハナは、目を大きく見開いた。
深い茶色の瞳が、揺れる。
「……ミナ……」
「あたし、もう、あんたの『好き』を、笑ったりしない。否定したりしない。絶対に」
「だから、一緒に、もう一度、作ろう?」
「あんたの、銀髪狼耳メイドを」
ハナの瞳から、涙が、あふれ出した。
大粒の涙が、ぽろぽろと、ハナの頬を伝って、落ちていく。
「……ミナ……」
「……ミナ……!」
ハナは、フィギュアを置くと、ミナに、抱きついた。
小さな体が、ミナの胸に、飛び込んでくる。
「……うわああああん……!」
ハナは、子供みたいに、声を上げて泣いた。
ミナは、ハナの背中を、優しく抱きしめた。
「……よしよし」
「……もう、大丈夫だよ」
「……あたしが、ついてるから」
ハナは、ミナの胸に顔をうずめて、泣き続けた。
ミナは、ハナの温もりを感じながら、思った。
(あたし……やっと、助手になれた気がする)
(この子の『好き』を、一緒に守る。それが、あたしの仕事だ)
しばらくして、ハナは、ようやく泣き止んだ。
目を真っ赤に腫らして、鼻をすすっている。
ミナは、ハナの涙を、ティッシュで拭いてやった。
「……ほら、鼻、かみな」
「……うん」
ハナは、素直に鼻をかんだ。
「……ねえ、ミナ」
ハナが、小さな声で言った。
「なに?」
「……本当に、一緒に、作ってくれるの?」
「……銀髪狼耳メイドを、もう一度、ゼロから」
「当たり前でしょ」
ミナは、ハナの頭を、ぽんぽんと軽く叩いた。
「あたしが、守るって言ったんだから。最後まで、付き合うよ」
「……ありがとう」
ハナは、また、涙を浮かべた。
でも、今度の涙は、悲しい涙じゃなかった。
「……よし!」
ハナは、自分の頬を、両手でぱちんと叩いた。
「泣いてる場合じゃないの! 時間がないんだから!」
「行くよ、ミナ! 一階の実験室!」
ハナは、立ち上がると、白衣を掴んで、勢いよく部屋を飛び出していった。
「ちょ、ちょっと、ハナちゃん!? 待ちなさいよ!」
ミナは、慌ててハナの後を追った。
一階の実験室に着くと、ハナは、もう端末の前に座っていた。
「ミナ、早く早く!」
「……あんた、さっきまで泣いてたのに、切り替え早すぎでしょ」
「泣くのは終わったの! 今は、泣いてる時間がもったいない!」
ハナは、端末を起動した。
画面が、青白い光を放つ。
「……データは、全部消えてる。バックアップも、破壊された。本当に、ゼロからの再構築だよ」
「……うん。分かってる」
「でも、大丈夫。私の頭の中には、銀髪狼耳メイドの完璧な設計図が入ってる。データがすべてを語るのさ!」
「……あたしは、何をすればいい?」
ミナは、ハナの隣に座った。
「ミナは、あたしの作った設定を、審査員の目線でチェックしてほしいの!」
「あたしが作ると、どうしても『可愛い』に振り切れちゃうから、ミナの常識で、『ここはやりすぎじゃない?』ってところを、バシバシ指摘してほしい!」
「……でも、銀髪狼耳メイドの部分は、絶対に譲らないよ」
ハナは、真剣な目で、ミナを見た。
「……うん。分かってる」
ミナは、微笑んだ。
「銀髪も、狼耳も、メイド服も、絶対に守る。その上で、あたしが、もっと良くするための、お手伝いをする」
「……ミナ!」
ハナの目が、キラキラと輝いた。
「それだよ! それこそが、私がミナに求めていたものなの! データがすべてを語るのさ!」
「……そのデータ、あんたの感覚でしょ」
「天才の感覚は、データより正確なの!」
二人は、顔を見合わせて、笑った。
それから、二人の再構築作業が始まった。
ハナが、端末に向かって、凄まじいスピードでコードを打ち込んでいく。
小さな指が、キーボードの上を、まるで踊るように動く。
画面には、無数の文字列が、流れるように表示されていく。
「まずは、銀髪の反射率! これが、この子の命だからね! 太陽の下でも、室内でも、完璧に銀色に輝くように調整するの!」
「……ちょっと待って、その反射率、高すぎない? 屋外で使ったら、周りの景色が映り込んで、銀色じゃなくて、鏡みたいにならない?」
「……あ! そうか! ミナ、鋭い! 反射率は高すぎてもダメなんだ! じゃあ、拡散反射を強くして、光を均一に散らすように調整するよ!」
「……なるほど、そういうことか。さすがハナちゃん」
「でしょ! 天才だからね! でも、ミナの指摘がなかったら、鏡みたいな銀髪になってたよ。ありがとう!」
(……あたしの指摘が、役に立ってる)
(あたしの常識が、ハナちゃんの『好き』を、より良くするために、使われてる)
(なんだか……嬉しい)
ミナは、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
「次は、狼耳のふわふわ感! ここは、もう、私のこだわりが炸裂するところだから、ミナ、覚悟して聞いてほしいの!」
「……はいはい、聞きますよ。どうぞ」
「狼耳の毛は、一本一本が、風の向きに合わせて、ふわって動くの! でも、ただ動くだけじゃダメで、触ったときの、あの、もふっとした感触を、見た目で表現しなきゃいけないの! これは、もう、ロマンの塊なんだよ!」
「……ロマンって、何? もふっとした感触を、見た目で表現って、どうやるの?」
「それがね、毛の密度と、カールの曲率と、光の透過率を、絶妙なバランスで調整するの! この三つのパラメータが、奇跡の数値に達したとき、人は、狼耳に、もふっとした感触を、視覚的に感じるのさ!」
「……また、あんたの感覚論か」
「違うよ! これは、れっきとした光学と心理学のデータに基づいた、科学的な調整なの! データがすべてを語るのさ!」
「はいはい、データデータ。で、その奇跡の数値って、具体的には、どれくらいなの?」
「えっとね、毛の密度は、一平方ミリメートルあたり、およそ三百本! カールの曲率は、半径0.3ミリメートル! 光の透過率は、およそ87パーセント! この数値が、完璧なもふっと感を生み出すの!」
「……マジで言ってる?」
「マジだよ! あたし、三年前に、この数値を導き出すために、一ヶ月間、毎日、ぬいぐるみの毛並みを観察し続けたんだから!」
「……あんたの研究熱心さは、ほんと、どこに向かってるのよ」
「ロマンに決まってるでしょ! 銀髪狼耳メイドは、ロマンの結晶なの!」
(……もう、この子は、ほんとに)
(でも、こんなハナちゃんが、あたしは、好きだ)
ミナは、笑いながら、ハナの作業を見守った。
作業は、順調に進んでいった。
ハナが、銀髪、狼耳、尻尾、メイド服、口調、性格、表情パターン、モーション、声質……ありとあらゆる要素を、次々と設定していく。
ミナは、その一つ一つに対して、審査員の目線で、意見を言った。
「その尻尾の揺れ幅、ちょっと大きすぎない? 落ち着きがない印象になるかも」
「あ、そうかも! じゃあ、基本の揺れ幅を、もう少し控えめにして、嬉しいときにだけ、大きく振るようにするね!」
「メイド服のスカート、もう少し長くできない? あんたの趣味は分かるけど、公共の場で使うなら、その丈は、ちょっと……」
「えー! この丈が、絶妙に可愛いのに! ……でも、まあ、ミナが言うなら。膝上五センチくらいでどう?」
「……そうね。それくらいが、ちょうどいいと思う」
「よし、じゃあ、その代わりに、エプロンのフリルを、もう一段階増やすね! スカートが長くなった分、こっちで可愛さを補うの!」
「……あんた、ほんと、そういうとこ、天才だよね」
「でしょ! 褒めてもっと伸びるタイプだから、どんどん褒めて!」
「調子に乗るから、やめとく」
「ケチ!」
二人の間で、軽快な会話が飛び交う。
それは、以前のような、ハナの暴走をミナが止めるための会話ではなかった。
ハナの『好き』を、二人で一緒に、より良いものにしていくための、共同作業の会話だった。
しばらくして、ハナの手が、ふと止まった。
「……ねえ、ミナ」
「ん? どうしたの? 手が止まってるよ」
「……あのね」
ハナは、端末から手を離して、ミナの方を向いた。
「……ミナが、いてくれて、よかった」
ミナは、一瞬、自分の耳を疑った。
「……え?」
「……あたし、今まで、一人で、ずっと、作ってきたから」
「……おばあちゃんが、笑われたのを見て、あたしも、きっと笑われるんだろうなって、思ってた」
「……でも、ミナが、隣にいてくれる。あたしの『好き』を、一緒に守ってくれるって、言ってくれた」
「……それが、すごく、嬉しい」
ハナは、少し恥ずかしそうに、微笑んだ。
その笑顔は、ミナが今まで見た中で、一番、柔らかくて、温かかった。
(……やばい)
(なにこれ、心臓が、うるさい)
ミナは、急に、自分の心臓が、ドキドキと速くなっていることに気づいた。
顔が、熱い。
(あたし、今、絶対、顔、赤い)
ミナは、誤魔化すように、ハナから視線を外した。
「……な、なに言ってんのよ、急に。気持ち悪い」
「えー、せっかくの素直な気持ちを、気持ち悪いって言った!? ひどい!」
「だって、あんたが、そんなこと言うなんて、なんか、変なものでも食べたんじゃないかと思って」
「失礼な! あたしは、いつだって素直で、正直な天才少女だよ!」
「その自信、どこから来るのよ……」
「天才だからに決まってるでしょ!」
二人は、また、笑った。
でも、ミナの心臓は、まだ、ドキドキしていた。
(……なんだよ、これ)
(あたし、ハナちゃんの、こんな顔、初めて見た)
(……なんか、ずるい)
ミナは、熱くなった頬を、冷たい手で、そっと押さえた。
作業は、その後も、順調に進んだ。
時計の針は、いつの間にか、午前四時を回っていた。
外は、まだ暗い。
でも、実験室の中は、端末の青白い光と、二人の熱気で、満ちていた。
「……できた」
ハナが、静かに、そう言った。
「……え? もう?」
「……うん。最後のパラメータ、入力完了」
ハナは、深く、息を吐いた。
「……あとは、これを、コンパイルして、ホログラム投影装置に、転送するだけ」
ハナの指が、エンターキーを押した。
画面に、プログレスバーが表示される。
10%……30%……50%……
ミナは、息を呑んで、画面を見守った。
(お願い……)
(どうか、うまくいきますように……)
70%……90%……
そして。
100%。
「転送、完了!」
ハナが、叫んだ。
同時に、部屋の中央に設置されたホログラム投影装置が、低い起動音を立てた。
ブゥン……
装置から、淡い光が放たれる。
光は、空気中に、複雑な模様を描きながら、一つの形を形成していく。
銀色の髪。
ふわふわの狼耳。
クラシカルなメイド服。
そして、ふわりと揺れる、もふもふの尻尾。
「……!」
「……!」
二人は、言葉を失った。
そこにいたのは、まさに、奇跡だった。
腰まである銀色の髪が、まるで本物の絹のように、さらさらと光を反射している。
頭の上でピンと立つ狼耳は、ふわふわで、今にも動き出しそうだ。
背中から伸びる尻尾は、もふもふで、ゆっくりと揺れている。
メイド服の白いエプロンは、清潔で、丁寧にアイロンがかけられているように見える。
そして、その顔は、完璧に整った、美しい少女の顔だった。
ホログラムの少女は、ゆっくりと、まばたきをした。
それから、二人の方を向いて、にっこりと微笑んだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
透き通るような、美しい声だった。
「……できた……できたよ、ミナ……!」
ハナの目から、涙が、あふれ出した。
「……あたしの……あたしの、銀髪狼耳メイドが……帰ってきた……!」
「……うん……うん……!」
ミナも、涙を流していた。
「……良かったね……ハナちゃん……本当に……良かった……」
二Noveliaとは?
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