毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる
ある朝、アリス・フォン・クレールは目を覚まし、すべてを思い出した。
ここは乙女ゲーム『ローズ・エターナル』の世界。そして彼女自身は――完璧な悪役令嬢だった。黄金の巻き毛、澄んだ青い瞳、完璧な笑顔。ゲームの中で彼女はヒロインを容赦なくいじめ、最終的には追放される。運命づけられたバッドエンドのキャラクター。それが彼女だった。
「これはまずい。本当にまずい。超まずい。」
アリスはパニックになり、破滅を避けようと必死だった。しかし、生まれつきの毒舌が彼女を裏切る。黙っていようとすればするほど、事態は悪化する。自慢するルーカス・ヴァン・エルドリッヒ王子には「それってただの傲慢じゃない?」と返し、舞踏会の音楽家には「そのテンポ、眠くなるわ」と言い、教授には「去年と全く同じ説明を使ってるじゃない」と突っかかる。
そのたびに彼女は頭を抱えて絶望した。しかし、周囲の人々は決して怒らなかった。むしろ笑ったのだ。「彼女、面白い!」「正直すぎる!」「今度は何て言ったの?」と、次第に彼女を好意的に見るようになった。破滅が近いと信じ込んでいたアリスは、ただ青ざめ続けるばかりだった。
最初に完全に夢中にな
毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる - 悪役令嬢、本日より毒舌で破滅回避に挑みます——結果は初日から最悪です
最悪だ。
アリスは鏡を見つめたまま、そう呟いた。
鏡の中にいるのは、見たことのある顔だった。
浅い紫色のショートヘア。鮮やかな金色の瞳。つり目がちで、どこかきつい印象の目元。スリムで華奢な体型に、白と黒の学院制服がよく似合っている。胸元には赤い薔薇のブローチ。
身長は160センチくらいだろうか。完璧に整った顔立ちなのに、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
「……本当に、私なんだ」
アリスは鏡に近づいて、自分の頬をつまんでみた。痛い。夢じゃない。
昨夜から、ずっとこんな感じだった。
突然すべてを思い出したのは、昨日の寝る直前のことだ。前世の記憶——日本のごく普通の女子高校生として、乙女ゲームをやり込んでいた自分の記憶——が、洪水みたいに流れ込んできた。そのゲームのタイトルは『ローズ・エターナル』。王立学院ステラ・マグニフィカを舞台にした恋愛ゲームで、ヒロインが複数の攻略対象と恋愛するストーリーだ。
そして、鏡の中の自分は。
悪役令嬢アリス・フォン・クレール。
ゲームの中でヒロインをいじめ倒し、最終的にすべてを失う、あのキャラクターだ。
アリスは制服の赤いブローチを指で軽くなぞった。薔薇の形をしたそのブローチが、今は少しだけ恨めしい。
窓の外、朝の光が王都クロンシュタールの街を照らしている。リーベフルス河の支流から吹いてくる春の風が、窓ガラス越しに柔らかく感じられた。女子寮リリエンハウスの2階から見えるのは、赤煉瓦と白石でできた校舎群。王都北東の丘の上に建つ、王立学院ステラ・マグニフィカだ。
今日は新学期初日。
「[sad]最悪だ」
もう一回呟いた。
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アリスは鏡の前で深呼吸をしながら、頭の中を整理した。
ゲームの知識によれば、『ローズ・エターナル』でのアリスの末路はどのルートでも同じだ。王太子ルーカス・ヴァン・エルドリッヒからの婚約破棄宣言。社交界からの永久追放。クレール家の爵位凍結と没落。三つがセットになった、完全破滅エンド。
この国——エルドリーシェ王国では、貴族の評判と家門の名誉が人生のすべてを決める。社交界での評価が落ちれば婚約が破棄され、家門が衰退する。しかもこの国には「社交界追放令」という恐ろしい制度まで存在していて、王族1名と大貴族3名以上の賛同さえあれば、貴族令嬢でも社交界から永久に追放されてしまう。
クレール家は大貴族会議フェアヴァルトゥングに名を連ねる上位12家の一つ。アリスはその令嬢だ。自分の行動一つで、家全体が傾く可能性がある。
「[serious]つまり……逃げるしかない」
アリスは自分に言い聞かせた。
ゲームの破滅エンドは、アリスがヒロインを嫌がらせして苦しめるところから始まる。だとすれば、誰にも近づかなければシナリオが動かないはずだ。接点を持たなければ、イベントは発生しない。嫌われれば完璧だ。
「作戦はシンプル。毒舌で全員を追い払う」
アリスは鏡の自分に向かって頷いた。我ながら冷静な判断だと思う。元々の自分——いや、このアリス・フォン・クレールというキャラクターはもともと毒舌で有名らしい。それを逆手に取れば、嫌われる演技なんてしなくていい。素のままで嫌われられる。
完璧な作戦だ。
そう思っていた。この時点では。
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寮の廊下に出た瞬間、アリスは即座に遭遇した。
同じ2階の部屋から出てきたらしい令嬢が二人、アリスを見てパッと顔を輝かせる。淡いピンクのドレスに白いレースの首飾りをした、いかにも社交界向けの装いだ。
「アリス様、おはようございます!」
笑顔が眩しい。アリスは一瞬ためらった。でも、ここが踏ん張りどころだ。
「[sarcastic]その髪飾り……去年の流行よね」
アリスは令嬢の金色の花形ヘアピンをじっと見つめてから、続けた。
「[cold]今年はもう誰もつけてないわよ。それと、話しかけないでくれる?」
完璧だ。これで嫌われる。
そう思ったのに。
「……っ」
令嬢が一瞬固まった。その隣の令嬢も口をぽかんと開けた。アリスは内心でガッツポーズをした。これで怒って去ってくれれば——
「「「うわあああ面白い!!!」」」
爆笑だった。
どこからともなく集まってきた令嬢たちが、口を押さえて肩を震わせている。
「アリス様って本当に毒舌よね!! 癖になる!!」
「もうそんなに直球で言う人いないわ、最高!!」
アリスは固まった。
(……え?)
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登校から30分が経過した頃には、アリスの作戦は完全に崩壊していた。
廊下を歩けば追いかけられる。角を曲がれば待ち伏せされる。逃げれば逃げるほど「アリス様また逃げてる!」と喜ばれる。完全に地獄のループだ。
魔法実習棟アルカーナの前を通った時、上級生の令嬢が髪に薔薇の飾りをつけているのが目に入った。昨日から同じ形をしている。本物の薔薇が、枯れるどころかまったく変わっていない。
「[sarcastic]その薔薇の飾り、造花ですよね」
つい言ってしまった。
「本物なら半日で枯れるのに、昨日から全然同じ形してるわよ」
上級生がぽかんとした。次の瞬間——
「鋭い!! 観察眼が鋭すぎる!!」
また褒められた。アリスは頭を抱えた。
本館ルクスホールの階段では、前を歩く生徒たちが遅くてイライラした。急いで追い抜こうとして「邪魔ね、どいてくれる?」と言ったら「さすがクレール家のご令嬢、貫禄がある!」と歓声が上がった。
アリスの内心は絶叫していた。
(なんで怒らないの!? 普通怒るでしょ!! この世界の令嬢たちどうなってるの!?!?)
学院ステラ・マグニフィカは貴族子弟7割・奨学平民3割、合計600名が在籍する最高学府だ。魔法・礼法・剣術を教える3年制の学校で、ここでの評判がそのまま社交界の評判に繋がる。噂が回るのも早い。
つまり今、「面白い毒舌令嬢クレールのアリス様」という評判が、学院全体にリアルタイムで広まっているということだ。
「最悪……完全に逆効果……」
アリスは廊下の壁にぺたんともたれかかって、空を仰いだ。天井の白いアーチが目に入った。いっそこのまま溶けてなくなりたい。
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昼休みになった。
大食堂ミラベルには300席ある。アリスは窓際の一番端のテーブルを確保して、「来るな」という空気を全力で発していた。
なのに、なぜか周囲の席からどんどん埋まっていく。
(なんで……なんで来るの……)
アリスは食事にほとんど手をつけないまま、頭の中でゲームの記憶を整理した。スープが冷めていく。パンが乾いていく。でもそれどころじゃない。
『ローズ・エターナル』における破滅エンドの流れを、アリスはゲーム廃人として熟知していた。第一段階——王太子ルーカスがアリスに興味を持つイベント。ゲームではアリスが新学期初日にヒロインを泣かせるほどの派手な嫌がらせをして、その話が王太子の耳に届いて「面白い人間がいる」と注目されるのがきっかけだ。
アリスは今日、嫌がらせはしていない。ただちょっと毒舌を吐いただけだ。ゲームと違うことをした。だから大丈夫——
「ねえ、聞いた? クレール家の令嬢が今朝すごかったらしいわよ」
隣のテーブルから声が聞こえてきた。
「廊下で十人くらいまとめて毒舌したって本当に?」
「それ、王太子殿下の耳にも届いてるって噂だけど」
「ルクスホールの前であれだけ派手にやれば筒抜けよね~」
アリスのスプーンが止まった。
ゆっくりと、顔から血の気が引いていくのがわかった。
窓の外の春の空が青くて、今まで気持ちのいい晴れだと思っていたのに、急に灰色に見えた。
(……理由は違う。でも、結果は同じだ)
王太子がアリスに興味を持つ、という破滅フラグの第一段階が——初日にして、起動した。
アリスはスープの中を見つめた。湯気がもう立っていない。すっかり冷えている。
(マジか……マジで??? 初日で?!)
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午後の授業はどうにか乗り越えた。
魔法の授業では魔力の扱い方の基礎をやって、アリスはなるべく目立たないように後ろの席でじっとしていた。この世界では体内の「マーナ」と呼ばれる魔力を消費して魔法を使う。詠唱と手の動作が必要で、人口の15%くらいは初歩的な魔法が使える程度らしい。アリスもその一人だ。ほぼ使えるけど、使いすぎると疲れるし感覚がぼんやりする。今日は一切使わなかった。
礼法の授業では先生が立ち居振る舞いの説明をしていた。だいたい知っている内容だったので、アリスはぼんやりしながら窓の外を見ていた。窓枠の外に小さな雀が止まって、ちょんちょんと頭を動かしている。のんきでいいな、と思った。
授業が終わった後、アリスは人通りの少ない時間帯を狙って学院の薔薇の中庭へ向かった。
本館と魔法実習棟アルカーナの間にある、こぢんまりとした中庭だ。50品種以上の薔薇が植えられていて、春の今は淡いピンクや白や赤の花が一斉に咲いている。甘い香りがする。夕暮れ前の斜めの光を受けて、花びらがほんのり橙色に染まっている。
ここはゲームで「告白スポット」として有名な場所だ。そんな用途には縁がない。今は逃げ場として使うだけだ。
アリスはベンチに座って、両手で顔を覆った。
「最悪最悪最悪……!」
「[angry]最悪最悪最悪……!」
声が少し漏れた。
薔薇が風に揺れた。どこか遠くで鳥が鳴いている。のどかな夕方だ。アリスの内心とはまったく一致しない。
(作戦は毒舌で嫌われること、だったのに。なんで人気者になってるの!? おかしいでしょ!! 毒舌で追い払われたんじゃなくて、毒舌で人が集まってきてるって、どういう仕組み!?!?)
アリスは頭を手で押さえながら、ゲームの記憶を掘り起こした。
次のステップ——王太子ルーカスがアリスに直接接触してくる。ゲームでは翌日、つまり明日だ。
明日、王太子が来る。
アリスはベンチの背もたれに力なくもたれた。薔薇の香りが強い。甘すぎて少し頭が痛い気がした。
ここはエルドリーシェ王国。馬車と伝書鳩が主な通信手段の中世ファンタジー世界で、貴族の品格と家門の名誉が人生を決める。魔法はあるけれど万能じゃない。前世では画面の中で楽しんでいたゲームの世界に、今は自分が生きている。
はずなのに、全然楽しくない。
(破滅エンドを回避したい。ただそれだけなのに)
アリスは立ち上がって、橙色に染まった中庭を見回した。薔薇が静かに揺れている。
「[serious]今日の失敗に学んで、明日は別の手を考える」
声に出した。誰もいない。薔薇だけが聞いている。
毒舌で嫌われる作戦は失敗した。次の手が必要だ。
でも——アリスはしばらく考えたけど、毒舌以外の手段がまったく浮かばなかった。生まれつきこうなんだから仕方ない。というか、今日だけで何回毒舌を吐いたか、もう数えてもいない。
「[sad]……なんで怒らなかったんだろう、あの人たち」
本当にわからなかった。
夕暮れの風が中庭を通り抜けて、薔薇の花びらを一枚だけふわりと舞い上がらせた。アリスの足元に、淡いピンクの花びらが落ちた。
明日、王太子が来る。
そのことだけが、夕暮れの薔薇の中庭に一人立つアリスの頭を、じっと占領し続けていた。