毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる
ある朝、アリス・フォン・クレールは目を覚まし、すべてを思い出した。
ここは乙女ゲーム『ローズ・エターナル』の世界。そして彼女自身は――完璧な悪役令嬢だった。黄金の巻き毛、澄んだ青い瞳、完璧な笑顔。ゲームの中で彼女はヒロインを容赦なくいじめ、最終的には追放される。運命づけられたバッドエンドのキャラクター。それが彼女だった。
「これはまずい。本当にまずい。超まずい。」
アリスはパニックになり、破滅を避けようと必死だった。しかし、生まれつきの毒舌が彼女を裏切る。黙っていようとすればするほど、事態は悪化する。自慢するルーカス・ヴァン・エルドリッヒ王子には「それってただの傲慢じゃない?」と返し、舞踏会の音楽家には「そのテンポ、眠くなるわ」と言い、教授には「去年と全く同じ説明を使ってるじゃない」と突っかかる。
そのたびに彼女は頭を抱えて絶望した。しかし、周囲の人々は決して怒らなかった。むしろ笑ったのだ。「彼女、面白い!」「正直すぎる!」「今度は何て言ったの?」と、次第に彼女を好意的に見るようになった。破滅が近いと信じ込んでいたアリスは、ただ青ざめ続けるばかりだった。
最初に完全に夢中にな
毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる - 悪役令嬢、三方向から告白される——社交界追放令まで来て、もう笑えません
昨日、セバスティアンが部屋のドアの前に置いていった野の花は、今も机の上にある。
アリスは制服のリボンを直しながらそれを横目で見た。小さくて白い、名前もわからない花。捨てなかった自分が正直なところで一番厄介だと思う。
「[cold]今日こそ、静かにしてよ」
誰もいない部屋で自分に言い聞かせて、女子寮リリエンハウスを出た。
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本館ルクスホールの廊下は、朝から生徒たちでにぎわっていた。赤煉瓦の壁に春の光が当たって、いつもなら気持ちのいい朝だ。
いつもなら、だ。
廊下に入った瞬間、アリスは気づいた。視線の種類が、違う。
この一週間で見慣れた「クレール様の毒舌また出た、面白い」という好奇の目じゃない。今日の視線には、もっと別の何かが混じっていた。困惑。同情。それから、一部からはっきりした冷たさ。
アリスの足が少しだけ遅くなった。
「クレール様」
隣に並んできたのは、同じクラスの令嬢だった。声を落として、アリスの耳に顔を近づける。
「[whispers]聞いてる? 大貴族会議フェアヴァルトゥングで……クレール家の名前が出てるって」
大貴族会議フェアヴァルトゥング——王国の上位貴族12家の当主が参加する諮問機関。王の政策に助言し、社交界の重大事項に関与する場だ。
「[whispers]王太子を誑かして、騎士候補と従者まで手玉に取って、王国の秩序を乱してるって議題が上がってるらしいって……あくまで噂だけど」
令嬢は申し訳なさそうな顔をして、人混みに消えた。
アリスは廊下の壁に背中を向けて、深呼吸した。顔は完璧に冷静なまま。内側だけが全速力で走り出している。
社交界追放令。
ゲームの記憶が即座に展開する——王族1名と大貴族3名以上の賛同があれば発動する、社交界からの永久追放制度。追放されればクレール家は10年間の爵位凍結処分を受ける。父の鉱山利権も、使用人30名の生活も、全部が吹き飛ぶ。
噂が大貴族会議に届いたということは、発動条件を揃えようとする動きが既に始まっているということだ。
ゲームの流れでは、ここからヴィルモント家が追放令推進に動く。でもゲームとは既に展開がズレている部分もある。ズレているなら止められるかもしれない——
答えが出ないまま、授業の鐘が鳴った。
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午前の授業を終えて、アリスは一度女子寮リリエンハウスの自室に戻った。
机の上に封書が置かれていた。
差出人の名前を見た瞬間、アリスの手が止まる。ハインリヒ・フォン・クレール。父の名前だ。
封を開ける。便箋は一枚だった。
内容は短かった。大貴族会議で娘の名が問題になっているとの報告を受けた。これ以上問題を起こすな。家の名を汚すな。
二行。以上。
温厚な父の筆跡が、かつてないほど冷たく見えた。アリスはしばらく手紙を見つめたまま動けなかった。
クレール家は大貴族12家の一角だ。鋳造業と鉱山利権で家格を保ってきた。アリスがここで社交界追放になれば、その全部が終わる。
前世では——日本のごく普通の女子高校生だった頃は——誰かに迷惑をかけることなんてほとんどなかった。守るべき家も、傷つけてしまう家名もなかった。
毒舌で人気者になったのは自分のせいだ。ルーカスが追いかけてくるようになったのも自分のせいだ。エドワードが木剣を落としたのも、セバスティアンが花を置くようになったのも、全部自分が原因だ。
アリスは手紙を折り畳んで引き出しに仕舞い、大食堂ミラベルへ向かった。昼食を取る気にはなれないけど、部屋にいると頭の中がうるさくなりすぎる。
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300席の大食堂ミラベルは昼時でにぎわっていた。日替わり定食の今日はロールキャベツと黒パン。湯気がいい匂いだ。食欲は全然ない。
アリスは窓際の定位置に座った。ここに来るといつも誰かに見られる気がするが、今日は特に視線が多い。朝の廊下の話が広まっているのだろう。
トレーを置いてロールキャベツのフォークを持った瞬間、隣の椅子が引かれる音がした。
ルーカスだった。
柔らかく乱れた銀色の髪。右が蒼く左が赤いオッドアイ。いつもの穏やかな笑顔——だが今日は目が少しだけ違う。真剣だ。
周囲の生徒がざわめいた。王太子殿下がまたクレール様のテーブルに。いつも通りの噂の火種。
「[gentle]アリス」
普通より少し静かな声だった。アリスはフォークを持ったまま、ルーカスを見た。
「[gentle]お前と過ごす時間が一番楽しい。……それだけは、ちゃんと伝えたかった」
食堂のざわめきが、一瞬だけ薄くなった気がした。
アリスが返事を探しているその間に、反対側の席の椅子が引かれた。
エドワードが直立不動で立っていた。黒髪に赤いメッシュ。黒い眼帯。首筋まで赤い。明らかに緊張している。でも目だけは真剣だ。
深呼吸が聞こえた。
「[serious]アリス様。俺は騎士候補として申し上げます」
直立不動のまま、続ける。
「[serious]あなたを守ることが俺の使命です。任務としてではなく——俺個人の意志として」
食堂の静けさが、さっきより濃くなった。300席の空間で、アリスの周囲だけ時間が止まったみたいだ。
そこへ。
テーブルの端に、ルーカスの食器を運んできたセバスティアンがいた。白銀のショートヘア。透き通った水色の瞳。彼だけが普段通りの静かな動きで、静かな顔をしていた。
でも、その場を立ち去らなかった。
アリスが視線を向けると、セバスティアンはポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出して、アリスの前にそっと置いた。視線は逸らしたまま、無言で後ろに下がる。
アリスは紙を開いた。
短い文章が、落ち着いた筆跡で書かれていた。
——あなたの毒舌に救われました。あなたがいるから、この学院にいる意味があります。
たったそれだけ。
三人の言葉が、ほぼ同時に、一点に集まった。
アリスは三つの言葉を受け取りながら、頭の中では全然別の計算をしていた。
誰かを選べば、残りの二人を傷つける。でも。誰を選んでも、破滅エンドは変わらない。どう転んでも、クレール家は追放令の脅威にさらされたまま。三人が本気であればあるほど、この先に待っているのは全員が傷つく未来だ。
笑えばいいのか。怒ればいいのか。
どちらも、今だけは違う気がした。
アリスはフォークを静かに置いた。ルーカスとエドワードを交互に見て、手紙をポケットにしまって、席を立った。
「[cold]……ごめんなさい」
誰にともなく言って、食堂を出た。
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午後、誰も来ない図書館シュテルンビブリオの2階奥。アリスがゲームの記憶を頼りに情報収集に使ってきた、秘密みたいな閲覧席。
今日は本を広げる気になれなかった。ただ、ここだけが逃げ場だった。
ルーカスに見つかる前に。エドワードが護衛だと言い張って追いかけてくる前に。セバスティアンの水色の瞳と目が合う前に。
棚の背表紙を眺めながら、アリスは頭を整理しようとした。するほど、逃げ場がなくなっていく。
三人が本気だからこそ、どう接すればいいかわからない。応えることも、はっきり断ることも、破滅エンドという大きな壁の前では全部意味がないように思えてくる。
アリスはゆっくりと、今日から三人全員との接触を最小限にすると決めた。ルーカスが話しかけてきても受け流す。エドワードの護衛は無視する。セバスティアンへの返事は書かない。
冷たくするわけじゃない。ただ距離を保つ。
自分に言い聞かせながら、その言い訳がどんどんみすぼらしく聞こえてくることにも気づいていた。
翌日から、アリスは大食堂の定位置を変えた。授業の移動ルートを変えた。三人の動線と重ならないように、少しずつ、静かに行動を変えた。
一週間も経たないうちに、アリスの周囲から人が減り始めた。
毒舌令嬢として名物扱いされていたあの窓際の席が、今は誰も来ない。親しくしていた令嬢たちの間にも妙な空気が漂い始めた。学院の中でアリスの周辺だけが、静かに空洞化していく。
誰かに意地悪をされたわけじゃない。誰かに嫌われたわけでもない。
ただ、アリスが自分で壁を作って、その中に入っていた。
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女子寮リリエンハウスの廊下は、消灯時刻を過ぎると静かになる。
アリスは毛布を膝にかけて、窓の外を見ていた。眠れない。春の夜の空に、薄い雲が月にかかっていた。
廊下の向こうから、令嬢たちの小声が聞こえてきた。
「……ヴィルモント家が動いてるって本当?」
「大貴族会議で賛同者を集めてるらしいって、うちの兄が……」
声がぼそぼそと続いて、遠ざかった。
アリスの目が暗い窓ガラスに向いたまま止まる。
ヴィルモント家。
ゲームの知識通りだ。ヴィルモント家が動けば、残り二家の賛同者を集めるのに時間はかからない。発動条件の王族の賛同——それがどこから来るのか、ゲームには明示されていなかったが。
涙が一粒、膝の毛布に落ちた。
こらえるつもりだったのに、止まらなくなった。
私は悪役令嬢なんだ。何をしても破滅する。毒舌で距離を取ろうとしても好かれてしまう。好かれれば好かれるほど破滅に近づく。近づいちゃダメだったのに、みんなを巻き込んでしまった。
そう思いながら、アリスはふと、手紙のことを考えた。
今日セバスティアンが置いていった紙。あの筆跡。大貴族の従者見習いにしては、妙に落ち着いた文字だった。派手に動かず、音も立てず、ただ必要なことだけをする。
ゲームの知識で知っているセバスティアン・アルヴィンの設定——控えめで内気な従者見習い——を、何か超えた何かが、あの手紙にあった気がする。落ち着きすぎた筆跡。それが何なのか、まだ言葉にできない。
アリスは涙を拭いて、暗い窓ガラスの向こうを見た。
ヴィルモント家が動いている。ゲームの破滅エンドが、現実の形を取り始めている。でも——ゲームとは既にズレている部分がある。ズレているなら、何かを変えられるかもしれない。
その「何か」が何なのか、まだわからない。
ただ、あの手紙の落ち着いた文字が、頭の中でずっと引っかかっていた。