毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる
ある朝、アリス・フォン・クレールは目を覚まし、すべてを思い出した。
ここは乙女ゲーム『ローズ・エターナル』の世界。そして彼女自身は――完璧な悪役令嬢だった。黄金の巻き毛、澄んだ青い瞳、完璧な笑顔。ゲームの中で彼女はヒロインを容赦なくいじめ、最終的には追放される。運命づけられたバッドエンドのキャラクター。それが彼女だった。
「これはまずい。本当にまずい。超まずい。」
アリスはパニックになり、破滅を避けようと必死だった。しかし、生まれつきの毒舌が彼女を裏切る。黙っていようとすればするほど、事態は悪化する。自慢するルーカス・ヴァン・エルドリッヒ王子には「それってただの傲慢じゃない?」と返し、舞踏会の音楽家には「そのテンポ、眠くなるわ」と言い、教授には「去年と全く同じ説明を使ってるじゃない」と突っかかる。
そのたびに彼女は頭を抱えて絶望した。しかし、周囲の人々は決して怒らなかった。むしろ笑ったのだ。「彼女、面白い!」「正直すぎる!」「今度は何て言ったの?」と、次第に彼女を好意的に見るようになった。破滅が近いと信じ込んでいたアリスは、ただ青ざめ続けるばかりだった。
最初に完全に夢中にな
毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる - 毒舌令嬢、王国舞踏会で弾劾される——なぜか全部笑い話になって泣きそうです
舞踏会当日の夕方、女子寮リリエンハウスの自室はいつもより少し騒がしかった。
アリスのせいだ。
深紅のドレスの背中のボタンを三回かけ直した。髪飾りの位置を直して、また直した。鏡の前に立って、自分の顔を確認する。
うん、怖くない。昨日みたいに泣き腫らした目でもない。今日は——覚悟、というやつが、顔に出ている。
「[cold]バーンハルト家が来る。わかってた」
独り言だった。部屋には誰もいない。
ゲームの記憶を頼りに確認した情報が頭の中を占めていた。バーンハルト家とクレール家の確執は八十年前、北境戦争後の鉱山利権の分配に端を発する。旧縁を断ち切られた側の恨みが、今代まで引き継がれていた。昨日のセバスティアンの報告通りだ。追放令の発動は阻止された。でも、王国舞踏会——ヴァイスローゼ宮殿の千薔薇の間という公開の舞台で名誉を傷つけることなら、別の話だ。
ゲームの知識が確かなら、今夜がその場になる。
ノックの音がした。一回、二回。間髪入れずに扉が開く。
「[cold]そのドレス、悪くないわよ」
ベリンダ・ヴィルモントが仁王立ちで入ってきた。光沢のある金髪のポニーテールに、深緑のドレス。いつも真剣な顔が今日は特に真剣で、どこか戦いに臨む人みたいな顔をしている。
「[sarcastic]……嬉しくないわ、そのほめ方」
「[cold]ほめてる。受け取りなさい」
アリスは苦笑いした。ベリンダと並んで廊下を歩き始める。石造りのリリエンハウスの廊下は夕方になると薄暗い。窓の外、春の空が橙色に染まっていた。
しばらく二人とも黙ったまま歩いた。靴の音が石畳に響く。アリスは自分の心拍がうるさいことを自覚していた。緊張。隠したって仕方ない。
「[serious]今夜何かあっても、私は逃げない」
前を向いたまま、ベリンダが言った。
アリスはその言葉をしばらく転がした。ありがとう、と言いたかった。でも口から出てきたのは別の言葉だった。
「[sarcastic]あんたの靴音がうるさいのよ。そっちが気になって」
「[surprised]は? 何それ」
ベリンダが目を丸くした。次の瞬間、笑い声が出た。小さくて、本人も驚いたみたいな笑い方だった。アリスも小さく笑った。
二人の笑い声が廊下に消えて、またお互い黙った。でも今度の沈黙は、さっきより少し軽かった。
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ヴァイスローゼ宮殿——白い薔薇をモチーフにした尖塔が七本そびえる王家の居城——に入ると、空気が変わった。
千薔薇の間。その名の通り、壁面を埋め尽くす薔薇の装飾と、シャンデリア十二基の光が、五百人分の招待客を照らしている。
アリスとベリンダが入場した瞬間、視線が集まった。
全部で。一斉に。
(来た)
アリスは歩みを止めずに会場を見渡した。笑顔の令嬢たち、杯を傾ける男性貴族、騎士候補服の若者。その一角——会場の中ほどに、冷たい空気が立っていた。
口ひげを細く整えた四十代の男性が、人垣の中から進み出てくる。グスタフ・バーンハルト。バーンハルト家の当主代理だ、とゲームの知識が即座に告げた。老獪という言葉が似合う顔をしていた。
「[serious]クレール家の令嬢、アリス・フォン・クレール様」
声がよく通った。会場のざわめきが、すぅっと静まった。
グスタフが手にした書簡を広げる。
「[serious]本日この場において、一点申し上げたいことがございます」
アリスは背筋を真っ直ぐに保ちながら、内側だけが全速力で動いていた。
やっぱり来た。ゲーム知識、当たった。
グスタフが読み上げ始める。書簡に記録されたアリスの毒舌発言——令嬢たちの髪飾りを「趣味が五年古い」と言い切った件。ルーカスの政務について「政務のお勉強はお済みですか」と正面から言い放った件。訓練場でエドワードが木剣を落とした瞬間に「重力には勝てないのね」と呟いた件。
全部書いてある。細かく。逐語で。
「このような不品行を常とする令嬢が、王国の社交界に相応しいとは——」
横でベリンダが小さく息を吸う音がした。
会場全体が水を打ったように静まっている。五百人の視線がアリスに注がれている。アリスは顔の筋肉を動かさないようにしながら、頭の中が真っ白になりかけているのを感じていた。
わかってた。来ることはわかってた。でも、実際に来ると、やっぱり怖い。
次の瞬間。
会場の一角から、明るい笑い声が上がった。
「[laughing]あー、その件ね」
人垣が割れた。柔らかく乱れ気味の銀髪に、右目が蒼く左目が赤いオッドアイ。背が高くて、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたルーカス・ヴァン・エルドリッヒが、すたすたと進み出てきた。王太子だ。
「[laughing]俺が政務の書類を溜め込んでたやつですよね。言われた時、最高に面白かったんですよ。実際その通りだったので」
堂々としていた。王太子が自ら、被弾劾発言を笑い話として肯定した。
会場の空気が、ぐらりと揺れた。
グスタフが次を読み上げた。エドワードの木剣落下を笑った件。その瞬間、会場の壁際から大股で歩いてくる人影があった。
黒髪に鮮やかな赤いメッシュ。黒い眼帯。背が高くて真面目な顔の——エドワード・フォルクロウが、首まで赤くなりながら声を上げた。
「[serious]それは俺が悪い。本当のことだ。鍛錬が足りなかった」
正直すぎる。
隣にいた騎士候補仲間たちが一斉に「おまえ!」と突っ込んで、どっと笑いが起きた。エドワードが「何だ」と不思議そうな顔をして、それがまた笑いを呼んだ。
グスタフの書簡読み上げは続く。ルーカスに宛てたアリスの手紙の一節——「殿下は政に向いていらっしゃいませんわ、舞踏会の司会の方が天職では?」という一文が読み上げられた時、会場の静かな隅の方から声がした。
「[serious]アリス様の言葉には、いつも真実があります」
白銀のショートヘア、透き通った水色の瞳。セバスティアン・アルヴィンが壁際でまっすぐ立って、はっきりと言った。声は小さくない。でも大きくもない。ただ確かで、揺れていなかった。
その静けさが、逆に重みを持った。近くにいた招待客たちが、ひそひそ声をやめてそちらに耳を傾けた。
「[serious]事実を事実として述べるだけの言葉を、不品行とは呼びません」
グスタフが次を読もうとした瞬間、今度はベリンダが前に出た。
「[cold]私も言われたわよ」
金髪のポニーテールがさらりと揺れた。深緑の目が、グスタフをまっすぐ見た。
「[serious]『あんたの正論は正しいけど、正しさで人の心は動かないわよ』って。あの言葉のおかげで、私は考え方を変えた。感謝してるくらいよ」
当事者が次々と証言するたびに、会場の空気が変わっていった。
グスタフが次の発言を読み上げるたびに、会場のどこかで笑いと拍手が起きる。令嬢が笑い、騎士候補が頷き、初老の貴族が苦笑いして杯を置く。弾劾書簡は少しずつ、笑い話の寄せ集めへと変質していった。
グスタフの声に余裕が消えていった。読み上げるたびに誰かが笑う。誰も同調しない。会場の雰囲気は完全に逆向きになっていた。
グスタフはしばらく書簡を手にしたまま立っていたが、やがて静かにそれを閉じた。一礼して、人垣の奥へと消えていく。
退場だった。誰に止められたわけでもなく、ただ静かに、孤立したまま。
会場が拍手と笑い声に包まれた。
アリスは立ったまま、その笑い声の中にいた。
胸の奥が変な動き方をしていた。押さえても押さえても、何かが込み上げてくる。涙が出そうだと気づいた時、アリスは素早く頭を働かせた。
——今泣いたら、毒舌令嬢の看板が泣き虫令嬢になる。それは最悪。絶対ダメ。
なんか面白いことを言わなきゃ。今すぐ。
「[sarcastic]……あの書簡、うちより先にバーンハルト家の黒歴史になったわね」
近くにいたベリンダが「それな」と即座に返して、二人してちょっと変な笑い方をした。
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会場の笑いの余韻がまだ漂っている中、ルーカスがアリスの前まで歩いてきた。
右手が差し出される。
「[gentle]一曲、お願いできますか」
それだけ言って、わずかに声のトーンを落とした。
「[gentle]お前は悪役じゃない。ただ面白い。俺は、そんなお前が好きだ」
近くにいた令嬢たちが一斉にぽかんとした。
アリスの心臓が大変なことになった。顔には冷静な表情を死守しながら、右手を伸ばす——
「[serious]ルーカス殿下、お待ちを」
壁際から大股で来た。エドワードが。
「[serious]護衛の立場から申し上げます。その前に確認事項が——」
「[gentle]護衛のご苦労はよくわかるよ、エドワード」
ルーカスが余裕の笑みで返した。
「[serious]護衛の話じゃなくて、俺が言いたいのは——」
エドワードが何かを言おうとして、詰まった。首まで赤い。真剣なのか照れているのか、両方同時にやろうとして爆発しそうな顔をしている。
その袖を、すっとセバスティアンが引いた。
「[whispers]行きましょう、フォルクロウさん」
静かに、穏やかに、でもはっきり引っ張って、エドワードを二歩だけその場から遠ざけた。エドワードが「なんで」という顔をしてセバスティアンを見たが、セバスティアンは前を向いたまま微笑みを崩さない。
その二人の退場を見ていたベリンダが、すっと前に出た。
「[cold]私、次よ。それ確定事項だから」
「[gentle]それは俺のダンスが終わってから」
「[angry]あんたが先ってどこで決まったの!」
「[sarcastic]あんたたち全員うるさいわよ!!」
叫んだ。ちょっと大きい声で叫んだ。周囲の令嬢が驚いて三歩下がった。アリスは咳払いして、深紅のドレスの裾を整えてから、ルーカスの差し出した手を取った。
口元がかすかに笑っていた。自分でも止められなかった。
ダンスが始まった。千薔薇の間の中央で、シャンデリアの光の下。薔薇の装飾が壁面を覆う、この国で一番華やかな場所で。
アリスはルーカスと踊りながら思った。
悪役令嬢という名前が、今夜だけ、少し自分から離れていく気がする。
それは嬉しい。でも怖くもある。名前が離れたからといって、破滅エンドが消えるわけじゃない。
でも——今夜だけは。
今夜だけは、これでいい気がした。
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ダンスが終わって、アリスは人混みを抜けてベランダに出た。春の夜風が頬に当たる。薔薇の香りが濃い。宮殿の庭に植えられた薔薇が、夜の闇の中でぼんやり白く見えた。
しばらくして、足音がした。ルーカスが来た。
「[gentle]今夜のお前は特別綺麗だった」
「[sarcastic]社交辞令はいらないわよ」
「[gentle]社交辞令じゃないよ」
ルーカスが笑った。アリスは返す言葉を探して、見つからなかった。黙って前を向いた。
次にエドワードが来た。真顔で来た。
「[serious]俺は今後も護衛を続ける。任務としてではなく、俺自身の意志として」
「[sarcastic]そのセリフ、前にも聞いたわ」
「[serious]何度でも言う」
迷いがない。アリスは苦笑いした。
セバスティアンがそっとベランダに現れた。小さな紙を一枚、アリスに手渡す。
「[serious]バーンハルト家が次に動く可能性のある公式行事のリストです。調査の続きになります」
「[gentle]……ありがとう」
セバスティアンが静かに頭を下げた。笑うと目が細くなる顔が、今夜は少しだけ柔らかい。
ベリンダが最後に来て、ルーカス・エドワード・セバスティアン・アリスの四人を見渡した。
「[serious]……ねえ、この状況どうするつもりなの。本人のいる前で聞くけど」
「[sarcastic]知らないわよ!!」
四人同時に笑い声が上がった。
アリスは笑いながら、今夜の自分の心が軽いことに気づいていた。ベランダの手すりに手を置いて、夜の薔薇の香りを吸い込む。
今夜だけは軽い。
でも——その軽い心の底で、ゲームの記憶が小さく音を立てた。
第二章。本来のヒロインの登場。追放令を乗り越えた今、次に来るのはそれだ。
ルーカスが何か言って、エドワードがツッコんで、ベリンダが怒鳴って、セバスティアンが静かに笑っている。
四人が笑っている声を聞きながら、アリスだけが手すりを握る指に力を込めていた。
また一人で、戦わないといけない。
薔薇の香りはきれいだった。ただそれだけが、この夜の本音だった。