毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる
ある朝、アリス・フォン・クレールは目を覚まし、すべてを思い出した。
ここは乙女ゲーム『ローズ・エターナル』の世界。そして彼女自身は――完璧な悪役令嬢だった。黄金の巻き毛、澄んだ青い瞳、完璧な笑顔。ゲームの中で彼女はヒロインを容赦なくいじめ、最終的には追放される。運命づけられたバッドエンドのキャラクター。それが彼女だった。
「これはまずい。本当にまずい。超まずい。」
アリスはパニックになり、破滅を避けようと必死だった。しかし、生まれつきの毒舌が彼女を裏切る。黙っていようとすればするほど、事態は悪化する。自慢するルーカス・ヴァン・エルドリッヒ王子には「それってただの傲慢じゃない?」と返し、舞踏会の音楽家には「そのテンポ、眠くなるわ」と言い、教授には「去年と全く同じ説明を使ってるじゃない」と突っかかる。
そのたびに彼女は頭を抱えて絶望した。しかし、周囲の人々は決して怒らなかった。むしろ笑ったのだ。「彼女、面白い!」「正直すぎる!」「今度は何て言ったの?」と、次第に彼女を好意的に見るようになった。破滅が近いと信じ込んでいたアリスは、ただ青ざめ続けるばかりだった。
最初に完全に夢中にな
毒舌令嬢は、なぜか王国で一番モテる - 悪役令嬢、四方を囲まれる
昼休みの薔薇の中庭は、いつも少しだけ静かだ。
本館ルクスホールの喧騒も、大食堂ミラベルのにぎわいも、ここまでは届かない。五十品種以上の薔薇が咲き乱れる校舎に囲まれたこの場所は、告白スポットとして有名なせいで昼休みには人が集まりやすいはずなのに、今日は誰も来なかった。たぶん、アリスがいるせいだ。
アリス・フォン・クレールは石のベンチに座って、膝の上で手を組んでいた。
一週間、三人全員を避け続けた。ルーカスが話しかけてきても受け流した。エドワードの護衛申し出は無視した。セバスティアンの水色の瞳と目が合いそうになるたびに、さっさと廊下の角を曲がった。
そうやって自分から壁を作った結果、今この中庭に一人でいる。
ヴィルモント家が追放令の賛同者を集めているという話は、朝の廊下でも誰かがひそひそと話していた。大貴族会議フェアヴァルトゥング——王国の上位貴族十二家が参加する諮問機関——での決議に、あと何家か足りないとか、足りないとか。社交界追放令の発動条件は王族一名と大貴族三名以上の賛同だ。今どこまで集まっているか、アリスには知る方法がない。
(明日の舞踏会への出席も、追放令が出たら終わりね)
ぼんやりとそう考えながら、何一つ具体的な手が思い浮かばないままでいた。
そこへ。
足音が聞こえた。躊躇のない、まっすぐな足音だ。
アリスが顔を上げると、金髪のポニーテールがさらっと揺れた。深い緑色の瞳。背筋の伸びた立ち姿。165センチの長身で、いつも真剣な顔をしている——ヴィルモント家の令嬢だと気づいた瞬間、アリスの全身がこわばった。
ゲームの知識が即座に展開する。ベリンダ・ヴィルモント。追放令推進派のヴィルモント家の娘。
宣戦布告か。それとも最後通牒か。アリスは表情を崩さずに立ち上がろうとした。その前に相手が口を開いた。
「[serious]噂の毒舌令嬢って、あなた?」
宣戦布告でも最後通牒でもなかった。
「[serious]直接会って、噂と実物が違うかどうか確かめたかっただけ」
アリスは三秒間、ぽかんとした。それからゆっくりと表情を戻した。
(……ゲームにこんな展開、なかったわ)
「[sarcastic]わざわざ確かめに来たってことは、あなたも私が気になるのね。素直じゃないわ」
ベリンダの眉がぴくりと動いた。
「[angry]気になってるんじゃなくて、確認したいことがあるの! 王太子殿下があなたに夢中だって話、どう考えてもおかしいでしょう。目は節穴なの?」
「[sarcastic]節穴かどうかは本人が判断することで、わたしが決めることじゃないわ。それより、殿下が誰を好きでも、ヴィルモント家の方が困ることってあるの?」
「それは——」
「[cold]あるのね。じゃあそっちの話をしましょうよ。回り道が好きな人は嫌いじゃないけど、あなたは違うでしょう」
ベリンダがぐっと黙った。顔に怒りと、少しの驚きが出ている。感情が顔に出やすい人だと、アリスは思った。
気づいたら、中庭の入り口に生徒が一人立ち止まっていた。通り過ぎようとして、足が止まったのだろう。
「[serious]私が言いたいのはそういうことじゃなくて、あなたみたいな人が王太子の隣にいていいはずがないってこと! 毒舌で人を傷つけて、場の空気を読まないで、それで何が貴族令嬢よ!」
「[sarcastic]ところで今のはわたしへの批判なの? 貴族令嬢への批判なの? もし後者なら、あなたも同じ立場よね」
「[angry]そういう言い方するから毒舌って言われるの!!」
「[cold]間違ってる?」
「……間違ってはない」
絞り出すような一言だった。
中庭の入り口に人が増えていた。二人、三人、五人。通りかかった生徒たちが、足を止めて輪を作り始めている。誰かが小声で「これ漫才じゃない?」と言った。
舌戦は続いた。ベリンダが正論をぶつけてくると、アリスが毒舌で斜め上から返す。アリスが皮肉を言えば、ベリンダが真正面から反論する。どちらも嘘をついていない。どちらも論理が破綻していない。だから会話が止まらない。
五分が経ち、十分が経ち。
野次馬の輪は気づけば十数人になっていた。「どっちが勝つかな」という声が後ろの方で聞こえる。
アリスは内心で思った。
(この子、わたしと同じくらい本音が漏れすぎてる)
嫌いな相手に対してもちゃんと筋を通す。腹が立ったら顔に出る。言いたいことをまっすぐ言う。ヴィルモント家の令嬢としてそれが許されているのかどうかは知らないが、少なくともベリンダ本人はそれを止められていない。
舌戦が少し間を置いた。
ベリンダが、ふっと語気を落とした。
「[sad]……正直に言う」
野次馬たちが、静まった。
「[sad]あなたのことが羨ましかった。思ったことをそのまま口にできる、あなたが」
声が少し小さくなっていた。緑色の瞳が、アリスをまっすぐ見ている。さっきの怒りとは違う、もっと奥の方にある何かだ。
「ヴィルモント家の令嬢だから、言いたいことを飲み込んで生きてきた。言葉を選んで、場を読んで、誰かの期待通りに振る舞って。……それが当然だと思ってた。でも」
そこで止まった。
沈黙が広がった。中庭の薔薇が風に揺れる音がした。
アリスはベリンダを見ていた。一拍、二拍。それから口が動いた。言うつもりじゃなかった言葉が、出てしまった。
「[sad]……わたしだって、好きで毒舌なわけじゃない」
自分の声を聞いて、少し驚いた。
「これしか武器がないから、必死にしがみついてるだけよ。きれいな言葉で笑って場を収める方法、わたしには向いてなかったから」
破滅エンドを回避するために選んだ毒舌。大貴族の令嬢として与えられた枠の中で、自分に使える一番鋭利なものを選んだだけだ。好きで選んだのか、必要に迫られて選んだのか、今でも正直わからない。でもそれを別の人間に言ったのは、これが初めてだった。
ベリンダがアリスを見ていた。怒りが消えた顔だった。
奇妙な沈黙が流れた。
野次馬の輪の中から、一人の生徒が小声で言った。「……これ、友達になれそうじゃない?」
そっと、周囲が頷いた。
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その日の夕方。
ベリンダはヴィルモント邸に馬車で帰った。高台のアーデルスハイム地区、私設の剣術場まで備えた名門の屋敷だ。使用人に案内を頼む前に、自分で父の執務室のドアを叩いた。
ヴィルモント侯爵は大貴族会議での追放令賛同集めを進めていた。娘がわざわざ面会を求めてきたことに、少し驚いた顔をした。
ベリンダは単刀直入に言った。
「[serious]私の目で確かめました。アリス・フォン・クレールは噂通りの悪女ではありません」
侯爵が眉を上げた。
「[serious]毒舌だけど嘘をつかない人間です。不正な噂に乗って追放令を推すことは、ヴィルモント家の正義に反します」
侯爵はしばらく娘の顔を見ていた。直接対面して確かめたという事実と、感情でなく論理で語る娘の言葉に、何かを感じたのだろう。長い沈黙の後、ため息をついた。
その夜、ヴィルモント家は追放令の賛同者リストから名前を引いた。
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翌朝。
アリスが本館ルクスホールの廊下を歩いていると、見知らぬ令嬢が走り寄ってきた。ヴィルモント家の使いだという。
短い書き付けを受け取った。ベリンダの筆跡で、一行だけ書いてあった。
『ヴィルモント家、賛同者リストから外れました。追放令の発動条件、満たせなくなります』
アリスは廊下の柱に手をついた。
頭が真っ白になった。文字の意味を理解するのに、三秒くらいかかった。
(……止まった)
手が、少し震えていた。それに気づいて、自分でも驚いた。強がっているつもりだったのに、体の方が正直すぎる。
そのまま数秒、柱につかまって動けなかった。
そこへ、別の方向から足音が来た。
セバスティアンだった。白銀のショートヘア、透き通った水色の瞳。いつも通りの静かな歩き方で、でも今日は少し急いでいた。
「[serious]アリス様。ご報告があります」
静かな声で言って、懐から折り畳んだ紙を出した。
「[serious]先週から、ノイマルクト広場で噂の出どころを調べていました」
ノイマルクト広場——王都クロンシュタールの庶民の市場。噂が最速で広まる場所だと、前に廊下で耳にした話を思い出した。
「[serious]発信源を特定しました。この紋章の家の関係者です」
セバスティアンが紙を広げる。そこに書かれていた家紋は、薔薇の中庭の石碑に刻まれているものと同じだった。
「[serious]バーンハルト家。クレール家が約八十年前の北境戦争後に旧縁を断ち切った家で、鉱山利権の分配を巡る因縁が残っています。今回の噂の拡散は偶発的なものではなく、アリス様を社交界から排除する意図を持った計画的な動きと考えられます」
アリスはその紙を見たまま、しばらく動けなかった。
そこへ、廊下の向こうからエドワードが早足でやってきた。黒髪に赤いメッシュ、片目の黒い眼帯。いつもの真面目な顔が、今日は少し険しい。
「[serious]アリス様。一つ報告がある」
立ち止まって、真っ直ぐアリスを見た。
「[serious]昨日、騎士団ローゼンガルデのヴィクトール団長を直接訪ねた。追放令の根拠となっている噂が不当なものだと訴えた。団長は話を聞いてくれた」
訓練場グラディウスで木剣を落とした男が、一人で騎士団長のところへ行ったのか。アリスの胸の奥で何かがぎゅっとなった。
そして、もう一枚の手紙が届いたのは、その直後だった。ルーカスからだった。王族の立場を使って大貴族会議の有力者に水面下で働きかけていた、と簡潔に書いてあった。
三人が、連携も相談もせず、バラバラに動いていた。
アリスは廊下の柱に背中を預けた。
なんで。
距離を取ろうとしたのに。嫌われようとしたのに。三人とも巻き込まないようにしたかったのに。
涙が出た。声も出さずに、ただ涙がこぼれた。
エドワードが「え」という顔をした。セバスティアンが一瞬動きを止めて、それからそっと顔を逸らした。
「[sad]……なんでみんな」
声にならなかった。唇だけが震えた。
それが悪役令嬢の破滅回避計画が全方向で失敗した結果だということは、頭ではわかっていた。距離を取るたびに追いかけてくる。嫌われようとするたびに信頼される。計画は全部裏目に出続けた。
でも。
その全部が、本気で動いてくれた人間が四方にいたという形で返ってきた。
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夕方、アリスが泣き腫らした目のまま薔薇の中庭を通った。
ベリンダが一人でベンチに座っていた。
アリスが近づくと、ベリンダが立ち上がって素っ気なく言った。
「[cold]追放令、止まったわよ。報告しに来ただけ」
そう言いながら、顔が少し赤い。
アリスは一秒、黙った。
「[gentle]……ありがとう」
口から出てから、自分で驚いた。ベリンダも目を丸くした。
「[surprised]礼を言われると思わなかった」
「[sarcastic]わたしだって言うわよ。たまには」
「たまには、って何」
変な笑いが出た。二人同時に。漫才でも本音でもない、中間のどこかにある笑いだった。
その直後、セバスティアンが中庭に現れた。
「[serious]失礼します。追加の報告があります」
アリスとベリンダが振り返った。セバスティアンは静かに、でも確かな声で続けた。
「[serious]バーンハルト家とクレール家の因縁は、八十年前の北境戦争後の鉱山利権の分配に端を発しています。旧縁を断ち切られた側のバーンハルト家に、その恨みが残っていたとみられます。今回の噂の拡散は、偶発的なものではありませんでした。明日の王国舞踏会——ヴァイスローゼ宮殿の千薔薇の間で開かれる舞踏会が、次の舞台になる可能性があります」
アリスは静かに頷いた。
バーンハルト家。直近の危機は去った。でも、意図的に動いている敵がいる。それは追放令が阻止された今も消えていない。
セバスティアンが一礼して中庭を出た。
静かになった中庭で、ベリンダが言った。
「[serious]明日の舞踏会、一人で行くつもり?」
アリスは答えを返す代わりに、少しだけ意地悪に口角を上げた。
「[sarcastic]あんたも来るの?」
「[cold]当然」
即答だった。
中庭の薔薇が夕風に揺れた。赤と白が混ざって、橙色の光の中でゆらゆらしている。アリスはその色を見ながら、自分の胸の中がうるさいことに気づいた。
ベリンダへの感謝なのか。ルーカスたちへの何かなのか。バーンハルト家という新しい脅威への緊張なのか。
まだ名前をつけられないまま、明日の舞踏会が来ようとしていた。