ぜんぶ逆さま! スターレイル・ジェンダーパニック
「ハーモニー・オブ・ザ・スフィア」――それは、ある日ふとアストラルエクスプレスに転がり込んできた謎の球体の名前だった。
カエルスがそれを手に取った瞬間、光を放ち――次の瞬間、エクスプレス全体が大混乱に陥った。すべての男性キャラクターは女性に、すべての女性キャラクターは男性に変わってしまったのだ。
カエルス(仲間内で密かに「カエルス子」と呼ばれているが、彼女は激しく否定している)は鏡の前で固まった。長い黒髪、丸みを帯びた瞳、小さくなった手。完全に女の子だった。叫ぼうとしたが、声は高くなってしまい、それが何よりも最悪だった。
冷静さを誇るダン・ヘンは「なるほど」と一言だけ言い放ち、しかし自分の髪が腰まで伸びていることに気づくと、完全に無音の悲鳴を上げた。
男の姿になったブローニャ・セルノフは、にこやかに「実は結構かっこいいかも?」と観察していた。彼女だけが笑顔で、他のメンバー全員から一斉に冷たい視線を浴びることになった。
ナターシャ・ブルツァクは医者として調査を試みたが、若々しい男性の姿になったことで誰も彼女の医療アドバイスを真剣に受け取らなかった。彼女にとっては散々な一日だった
ぜんぶ逆さま! スターレイル・ジェンダーパニック - 声が高いのは宝玉のせいです(絶対に)
夜が明けても、カーフの胸の中はまだうるさかった。
昨夜、展望ラウンジの床でひっそり光っていた宝玉。あの足音。扉に向けた視線。——誰かが来る、と思ったその瞬間、カーフは逃げるように部屋に戻った。
誰が来ようとしてたのかなんて、知らない。知りたくもない。絶対に。
パーネス号の廊下は朝でも静かだ。木目調の壁と真鍮の手すりが続く。カーフはブーツの紐をきつく結び直して、操舵室へ向かった。昨日入力したベリドット星への航路、ちゃんと確定できてたか確かめないといけない。それだけだ。それだけの理由で、朝一番に1号車まで歩いている。
操舵室の扉を開けると、星図ホログラムが部屋いっぱいに広がっていた。青白い光の点が無数に浮かび、細い軌道の線がそれを繋いでいる。現在地——ヤルーロ宙域の中ほど。ベリドット星まであと4日と少し。
航路は、ちゃんと入ってた。
カーフはコンソールの前に立って、ホログラムの数値を確認し始めた。星間軌道のエネルギー密度。推進出力。到着予測時刻。どれも問題ない。自動調理機から持ってきたパンを片手に齧りながら、画面を一つ一つ確認していく。
そのとき。
操舵室の扉が開いた。
カーフは振り返った。
——そして、固まった。
腰まで届く銀色の髪。少し赤みがかった紫色の瞳。172センチの背丈はそのままで、体の線だけが変わっている。立ち方は、いつも通りだった。腕を緩く組んで、重心を片足にかける。それはカーフが何度も見てきた、ダン・ヘンのいつもの立ち方だ。
「[serious]操舵は私がやる」
声が、高かった。
いつもの落ち着いた低音がどこかに消えて、澄んだ高い声が操舵室に響いた。本人はまったく気づいていない顔で、コンソールに向かって歩いてくる。
カーフは唇を引き結んだ。笑ってはいけない。これは笑う場面じゃない。まじめな顔をしていないといけない。
「[serious]航路確認は終わったか」
また高い声で言われた。
だめだった。
「ふっ——」
吹き出した。声に出てしまった。カーフは口を手で覆ったが、肩が震えているのは止められない。
ダン・ヘンの目が細くなった。
「[cold]……何がおかしい」
また高い声。カーフの肩がまた揺れた。
「[sarcastic]いや、べつに……その、声が……」
「[cold]声が、なんだ」
「[sarcastic]……なんでもない、です」
ダン・ヘンの頬が、ほんのわずかに——本当にわずかに——赤くなった。視線がカーフからコンソールへ移る。腕の組み方がすこし硬くなる。
「[cold]笑うな」
「[laughing]笑ってない」
「[cold]笑ってる」
「[laughing]笑ってないし!」
ダン・ヘンはため息をついて、コンソールの前に立った。星図ホログラムを確認し始める。その横顔はいつもと同じで——冷静で、静かで、少しだけ不機嫌な顔。変わったのは見た目だけで、中身はまったく変わっていない。
カーフはパンの最後の一口を飲み込んで、隣のコンソールに向き直った。
しばらく二人で無言のまま、計器を確認した。星間軌道のエネルギー流量が少し揺れている。軌道虫——レイルワームが近くにいるせいかもしれない。カーフがその数値に指を当てると、ダン・ヘンが横から画面を覗き込んできた。
距離が近い。
カーフは気づかないふりをした。
「[serious]ルメーナ」
「[serious]なに」
「[serious]ハーモニー・オブ・ザ・スフィアの性質は知っているだろう」
カーフの指が止まった。
「[serious]触れた者の、心の中でいちばん気になっている相手に反応して光る——そういうアミュレットだ」
「……知ってる」
「[serious]お前が触れた時に光った。つまり」
「[angry]違う!」
声が出た。予想より大きかった。カーフは咳払いして、もう一度言い直した。
「[angry]違う。あれは……偶然だし、壊れてたと思うし、そもそも感度が高すぎるだけで……!」
「[sarcastic]理由が三つも出てきたな」
「[angry]べっ、べつにそういうわけじゃ——! そんなことないし!」
早口になった。ダン・ヘンがこちらを見ている。その紫がかった目が、静かにカーフを観察している。カーフは視線を画面に戻したが、数値が全然頭に入ってこなかった。
ダン・ヘンは追及しなかった。「そうか」とだけ言って、コンソールの方を向く。
それで終わり——のはずだった。
ダン・ヘンが操舵室を出ようとして、振り返った。カーフの肩に、手が乗った。
「[gentle]無理するな」
短い言葉だった。高い声で言われた言葉だったから、威圧感はまるでなかった。むしろなんか、ちょっと、可愛い感じの声で「無理するな」と言われた。
カーフの胸のどこかが、ドクンと大きく脈打った。
(声のせいだ。完全に声のせいで、変な感じがしただけ。それ以外の理由は一切ない)
「[serious]……わかった」
振り返らずに答えた。
ダン・ヘンの足音が遠ざかっていった。
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食堂車は昼になると少しにぎやかになる。
自動調理機から出てくるパンとスープの香りが車両に漂って、窓の外には星間軌道の白い光が細く流れている。座席20席のうち、今日は数席が埋まっていた。
カーフが端の席についてスープを一口飲んだとき、隣の席に誰かが座った。
銀色の髪が視界に入った。
ダン・ヘンだった。トレイにパン二個とスープを乗せて、カーフの隣に——わざわざ隣に——座った。食堂車には他にも空いている席があるのに。
カーフは何も言わなかった。ダン・ヘンも何も言わなかった。
二人で黙って食事をした。
カーフがスプーンを取り上げたとき、ふと気づいた。ダン・ヘンがトレイの上のスプーンを、柄が右になるように、几帳面に向きを直している。さっきより少しずれたのか、また直した。
(……そういえばいつもそうしてる)
毎回、スプーンの向きを揃える。お盆の角度もちゃんと整える。見た目が変わっても、その癖はまったく変わっていなかった。
カーフはスープを飲みながら、スプーンを戻した。自分のトレイの端にとん、と置く。
「[cold]……お前、置く場所が毎回テキトーだな」
「[sarcastic]べつに問題ないし」
「[cold]位置が崩れると次の人が取りにくい」
「[sarcastic]自動調理機だから次の人いないし!」
ダン・ヘンは何も言わずに、カーフのトレイに手を伸ばして、スプーンを正しい向きに直した。
カーフは止めなかった。
パンを一口齧って、窓の外を見た。星間軌道の光が緩やかに揺れている。しばらくそれを眺めてから——カーフはぼんやりと思った。さっきのダン・ヘンの言い方。口調。小言の言い方。全部、いつも通りだ。声の高さだけが違うのに、言葉の選び方も、間の取り方も、まったく変わっていない。
「[serious]……変わってないな」
ダン・ヘンが静かに言った。
カーフはそちらを向いた。ダン・ヘンの視線が、カーフのスプーンのところにある。
「[serious]お前も」
それだけ返した。
ダン・ヘンが少し黙った。食堂車の自動調理機がかすかにうなる音がする。
「[serious]変わってないって……何が?」
自分で聞いてから、少し後悔した。聞かなきゃよかったかもしれない。
ダン・ヘンはスープを一口飲んでから、答えた。
「[serious]姿以外の全部だ」
さっさと食器をトレイに戻して、立ち上がった。戻してきます、と短く言って食堂車を出ていった。
カーフは椅子に座ったまま動けなかった。
手の中のパンを握ったら、少しつぶれた。
(姿以外の全部……)
それって、どういう意味で言ったんだろう。なんでそんなことを、さらっと言えるんだろう。ダン・ヘンはいつもそうだ。重要なことを何でもないみたいに言って、さっさと行ってしまう。
カーフはつぶれたパンを見た。
そのまま、全部食べた。
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夜のパーネス号は静かだ。
機関室の低い振動音が床から伝わってくるくらいで、廊下を歩く人もいない。10号車の展望ラウンジに入ると、天井のガラス越しに宙域の星が広がっていた。ヤルーロ宙域の星は数が多い。白い光と青い光が混ざって、どこか夢みたいな色をしている。
カーフは一番端のソファに腰を落として、頭を後ろに預けた。
(もうすぐベリドット星だ。リルケノートのヴェステル大書院。アミュレットの専門家に聞けば何かわかるはずだ。元に戻れるはずだ)
それだけ考えていれば、他のことは考えなくていい。
——そのはずだったのに。
「[serious]起きているか」
声が聞こえて、カーフは顔を上げた。
ラウンジの入り口にダン・ヘンが立っていた。銀色の髪が、星の光を受けてぼんやり光って見える。カーフが何も言わないでいると、ダン・ヘンは当然みたいな顔で入ってきて、隣のソファに腰を下ろした。
別のソファはあるのに、また隣だった。
二人で、しばらく何も言わなかった。
ダン・ヘンが、手の中で何かを転がしているのに気づいた。
宝玉だった。
ハーモニー・オブ・ザ・スフィア——表面に星図みたいな紋様が浮かんだ球体。なんでダン・ヘンが持っているのかはわからないが、あの宝玉は貨物車の耐衝撃ケースからよく転がり出てくる。ダン・ヘンの指の間で、ゆっくりと回っていた。
そして——淡く、光り始めた。
カーフはそれを見た。ダン・ヘンも見ていた。
「[sarcastic]……お前にも、気になる相手がいるんだろ」
言ってから、少し後悔した。でも、もう取り消せなかった。
ダン・ヘンの目が、一瞬だけカーフを見た。
そして——視線を、窓の外へそらした。
「[cold]……さあな」
「さあな」の意味がわからない。「ない」じゃないし「ある」でもない。カーフはその言葉の意味を問い詰めたかった。問い詰めたら、自分も何かを認めないといけなくなる気がして、黙った。
宝玉の光が、少しずつ強くなっていった。
カーフは宝玉を見た。光が、さっきより明らかに明るい。こんなに強く光ったのは——初めてかもしれない。
そのとき。
自分の手の甲が目に入った。
髪の毛が一本、視界に垂れてきた。その色が——黒い。
カーフは息を止めた。いつもの黒髪が、じわりと戻ってきていた。指先の感覚が変わる。喉の奥が、違う感触になる。
「[serious]カーフ」
ダン・ヘンの声が、いつもより低かった。少しだけ、本来の声が出てしまっていた。本人は気づいていない顔で、宝玉を見ている。
変わり始めた自分の手を見た瞬間——カーフは、わかってしまった。
わかりたくなかったのに、わかってしまった。
正直になりかけている。
誰かのことを考えていた。考えてしまっていた。だから宝玉が光った。だから髪が戻りかけた。それだけのことだ。それだけの、単純な、——
「[angry]べつに誰も好きじゃないし! 関係ないし!」
叫んだ。
宝玉の光が、すっ、と消えた。
黒髪が、また元に戻った。手の感触も、声も、全部元通り。
展望ラウンジに沈黙が落ちた。
カーフは自分の手を見たまま、動けなかった。ガラス天井の向こうで星が流れる。軌道の光が細く白く揺れている。何も変わっていないのに、何かが終わった気がした。
ダン・ヘンが、立ち上がった。
宝玉を手の中に収めて——カーフを責めることも、笑うことも、何も言うこともなく、ただ静かに立ち上がった。
その横顔を、カーフは見てしまった。
いつもの無表情の奥に、何かがある。何なのかはわからない。でも、確かにある。
「[cold]……そうか」
それだけ言って、ダン・ヘンはラウンジを出ていった。
足音が遠ざかる。
カーフはソファに座ったまま、ずっと動けなかった。天井の星が、ゆっくりと流れていく。否定した。また打ち消した。正直になりかけた自分を、自分の手で押し戻した。
(正しかった。これでいい。べつに誰も好きじゃない)
そう思おうとして——思えなかった。
胸の奥が、じくじくと痛い。
カーフは膝を抱えて、星を見ていた。
一方、操舵室に戻ったダン・ヘンは、星図ホログラムの確認を始めた。軌道の状態、エネルギー密度、周辺の熱源マップ——いつも通りの点検だった。
画面の端に、目が止まった。
ヤルーロ宙域の暗い一角。星間軌道から外れたところ。そこに、かすかな熱源反応がある。機器の誤差かもしれない。
かもしれないが——消えない。
ダン・ヘンはその点を、静かに見つめていた。