灰になるまで
両親の罵り合いで朝が始まる——そんな日常に慣れきった少年・葛葉律。ヤクザの組長の息子として、この街の底辺地区アッシュランドで生まれ育った彼は、暴力が支配する環境の中で、ただ一つ「頭でここを出る」ことだけを目標に生きている。学年トップの成績、進学校への進学。それが彼の描いた脱出のシナリオだった。
だがある日、路地裏で繰り広げられる暴力を目の当たりにした律の胸の奥で、長い間押し殺してきた「何か」が疼き始める。右手の甲に残る古い火傷の痕。それは、彼がまだ名前を知らない衝動の証だった。
これは、灰色の街に生まれた一人の少年が、暴力と知略の狭間で自分自身の正体に気づいていく物語。ハードボイルド・ノワールの空気を纏いながら、静かに、しかし確実に「灰になるまで」燃え尽きる運命へと向かっていく——。
灰になるまで - 灰の底で——失った光、残った拳
家庭裁判所の廊下は、ひどく冷えていた。
夏だというのに、建物の中だけ空気が別物のように重く、壁の白がやけに眩しく感じる。律は硬い木の長椅子に腰掛け、正面の扉が開くのを待っていた。隣には担任の田中が座っている。田中は一度も律の方を見なかった。
「葛葉律、入廷」
呼び出しの声が廊下に響く。律は立ち上がった。学ランの襟を正すこともせず、だらしなく着崩したまま、ゆっくりと扉へ向かう。後ろから田中がついてくる気配がした。
法廷の中は、もっと冷えていた。
正面の高い席に、黒い法服を着た裁判官が座っている。五十代半ばの男だ。痩せていて、眼鏡の奥の目は感情を映していない。傍聴席には誰もいなかった。父も、母も、来ていない。
律は指定された席に立った。
裁判官が、書類に目を落としたまま、淡々と口を開く。
「本件は、被審判人が昭和六十三年七月、アッシュランド地内において、三名に対し鉄パイプ及び素手による暴行を加え、それぞれ全治三週間の傷害を負わせた事案である」
声が、妙に遠く聞こえた。
律は正面の壁の一点を見つめていた。壁には時計がかかっている。秒針が、カチ、カチ、と音を刻んでいる。その音だけが、やけにはっきりと耳に届いた。
「動機については、被害者らが少女一名に対し暴行を加えていた現場に遭遇し、それを制止する過程で生じたものであるとの供述がなされている」
裁判官は顔を上げた。
「しかしながら、被審判人が加えた暴行の程度は、制止の範囲を著しく逸脱している。被害者三名は、いずれも顔面及び頭部に集中した殴打を受けており、うち一名は左前腕骨骨折、もう一名は鼻骨骨折及び肋骨二本の骨折を負っている」
律は、自分の右手を見た。
甲に残る古い火傷の痕。その周りに、あの夜できた新しい傷が重なっている。拳の皮が裂けて、かさぶたができていた。殴った感触は、もう覚えていない。ただ、骨に拳がめり込む感覚と、血の温かさだけが、まだ手のひらに残っている。
「以上の事実に鑑み、被審判人を保護観察処分に付する」
裁判官の声が、法廷に落ちた。
「期間は二年。保護観察所の指導に従い、定期的な面接及び報告を怠らないこと。以上である」
律は、小さく頭を下げた。
「はい」
声は、自分でも驚くほど平坦だった。感情の欠片も乗っていない、ただの音。それが、この場にいる全員への、律の唯一の返事だった。
法廷を出ると、田中が先に立って歩いていた。廊下の突き当たりまで来たところで、田中が振り返らずに言った。
「葛葉」
律は足を止めた。
「お前の玲明学園への推薦は、正式に取り消しになった」
田中は、それだけ言った。
「もう、うちの学校には来なくていい」
声は冷たかった。教師が生徒にかける言葉ではなかった。最初から、律はこの男にとって「ヤクザの息子」でしかなかったのだ。事件を起こす前も、起こした後も、何も変わらない。むしろ、ようやく追い出せる理由ができたと、そう思っているのかもしれない。
律は、田中の背中を見つめた。
「はい」
また、同じ返事だった。
田中は振り返らなかった。そのまま、廊下を曲がって消えていった。
一人になった。
律は、壁に背をつけた。冷たいコンクリートの感触が、学ラン越しに伝わってくる。蛍光灯の光が、やけに白い。
右手を、強く握りしめた。
爪が手のひらに食い込む。火傷の痕が、握りしめた拳の下で、じくじくと疼いた。
(これで、終わりだ)
玲明学園。偏差値七十二の進学校。この街から出るための、唯一の切符。それが、今、完全に消えた。
(……終わりだ)
律は唇を噛んだ。血の味がした。
噛みしめた唇の内側が切れて、鉄の味が舌に広がる。それでも、顔は動かなかった。無表情のまま、冷たい壁にもたれかかって、じっと自分の拳を見つめていた。
涙は、出なかった。
出るはずもなかった。泣いたところで、何かが戻ってくるわけじゃない。泣いたところで、この街から出られるわけじゃない。だから、律は泣かなかった。ただ、拳を握りしめて、唇を噛んで、それだけだった。
家に帰ると、玄関の戸を開けた瞬間から、酒の匂いが鼻をついた。
居間から、父の声がする。
「おう、帰ったか」
剛だった。律の父親で、葛葉組の組長。アッシュランドを縄張りにする、ミナミガワ連合傘下の末端組織の長だ。四十代半ば。酒で赤らんだ顔。だらしなく開いたシャツの襟元から、古い刺青が覗いている。
律は居間の前を通り過ぎようとした。
「待てよ」
剛が、畳の上に座ったまま、にやにやと笑いながら律を見上げた。手には一升瓶。テーブルの上には、つまみの入った皿が散らかっている。
「今日は、どうだった? 裁判は」
律は足を止めた。答えない。剛は、律の沈黙を楽しむように、酒を一口飲んだ。
「ざまあみろ」
低い声だった。
「これでお前も、ヤクザの道しかないな」
剛の目が、笑っていた。息子の人生が壊れたことを、心から面白がっている目だった。
「頭が良かろうが、何だろうが、結局お前は俺の子だ。血は争えねえってことだよ」
律は、剛の顔を見た。
何かが、胸の奥で、ぐっと音を立てた。
(この男は、最初から)
律は思った。
(最初から、俺が落ちるのを待っていた)
剛は、律の視線を受け止めて、さらに笑った。
「なんだ、その目は。文句でもあんのか」
律は、何も言わなかった。
「まあいい。お前はこれから、俺の組で働け。学なんざ、この街じゃ何の役にも立たねえ。力だ。力だけが、この街のもんだ」
律は、居間を離れた。
後ろで、剛の笑い声が聞こえた。
自室の前を通りかかると、台所の方から母の気配がした。
律は、ふと足を止めた。
母は、台所の床に座り込んでいた。手には、やはり酒瓶。空になった瓶が、足元に何本も転がっている。髪は乱れ、顔はやつれていた。かつては美しかったはずの顔が、酒と絶望で、すっかり崩れている。
母は、律を見上げた。
焦点の合わない目で、じっと律の顔を見つめる。
「あんた……」
母の唇が、震えた。
「あんたなんて、産まなきゃよかった」
その声は、呪いだった。
「あんたがいたから、あたしは、どこにも行けなかった。あの人のところから、逃げられなかった。全部、あんたのせいよ」
母の目から、涙がこぼれた。
「産まなきゃよかった。あんたなんて、産まなきゃよかった」
律は、何も言わなかった。
言えることが、何もなかった。
母の呪いの言葉を背中に受けて、律は自室の扉を開けた。
六畳間。ベッドと勉強机、本棚。本棚には、経済学と心理学の本が並んでいる。かつて、この部屋で、律は何度も「ここを出る」と心に誓った。そのための本だった。そのための勉強だった。
律は、ベッドに倒れ込んだ。
天井の染みが、雨漏りの痕が、地図のように広がっている。
壁の向こうから、剛の怒鳴り声が聞こえた。
「うるせえ! てめえが甘やかすから、あのガキは!」
母の金切り声。
「あんたがヤクザなんかやってるからよ! あんたの血が、あの子を!」
ガシャン。
酒瓶が割れる音。
「やめろ!」
「あんたなんか、死んじゃえばいいのに!」
律は、目を閉じた。
(ここから、出られない)
初めて、そう思った。
(俺は、ここから、出られないのかもしれない)
今まで、頭で出ると信じてきた。成績が全てだと思ってきた。でも、違った。この街は、この家は、律の足を掴んで離さない。ヤクザの息子として生まれたことが、呪いのようにまとわりついてくる。
右手の甲の火傷跡が、疼いた。
(出られない)
律は、拳を握った。
(出られないのか)
恐怖だった。
何もかも失って、この街の底で、父と同じように酒に溺れて、母と同じように誰かを呪って、そうやって死んでいくのかもしれない。その想像が、初めて、律の心に暗い影を落とした。
事件から三週間が経っていた。
夏の日差しが、アッシュランドの路地に照りつける。律は、久しぶりに葛葉中学校の校門をくぐった。今日は、学校に呼び出されていた。残っている荷物をまとめて、正式に退学するための手続きをする。
校舎は、夏休みの静けさに包まれていた。
廊下を歩くと、補習に来ていたらしい生徒たちが、律の姿を見て、さっと道を開けた。
「おい、あれ……」
「葛葉だ」
「人殺し」
囁き声が、廊下に響く。律は、まっすぐ前を見て歩いた。
教室に着くと、担任の田中が待っていた。田中は、律に段ボール箱を差し出した。
「これに、お前の荷物を入れろ。終わったら、職員室に寄れ」
田中は、それだけ言うと、教室を出ていった。
律は、自分の机に向かった。
窓際の一番後ろの席。律が三年間、座り続けた場所。机の上には、何もない。引き出しを開ける。
中には、教科書が数冊と、プリントの束。それから、小さな紙切れが一枚。
律は、その紙切れを手に取った。
折り畳まれた、小さなメモ用紙。開くと、丸い字で、こう書かれていた。
「律クン、またね」
愛の字だった。
律は、そのメモをじっと見つめた。
茶色いボブの少女。大きな黒い瞳。笑うと八重歯が見える。いつも、律の教室に無遠慮に入り込んできて、律クン大好き、と声高に宣言した。
律クン、またね。
たった、それだけの言葉。
律は、メモを折り畳むと、ポケットにしまった。
(またね、か)
律は思った。
(あいつは、どこへ行った)
荷物をまとめ、教室を出る。廊下の窓から、夏の光が差し込んでいた。外では、セミが鳴いている。
校門を出ると、そこに将志が立っていた。
金髪に近い茶色の短髪。日焼けした肌。大きな口。左耳に安全ピンのピアス。一学年上の、不良グループの下っ端だった男だ。あの夜、律がレッド・スコーピオンの三人を殴り倒す現場を目撃し、それ以来、律を兄貴分のように慕っている。
「律さん!」
将志が、律の姿を見るなり、駆け寄ってきた。
「聞きました! 学校、辞めるって!」
律は、将志を見た。
「で?」
将志は、律の冷たい視線を受けても、まったくひるまなかった。むしろ、真剣な顔で、律の前に立った。
「律さん、俺は、どこまでもついて行きます」
律は、将志の顔を、無表情で見つめた。
「お前は馬鹿だな」
それだけ言って、歩き出す。
「待ってくださいよ、律さん!」
将志が、律の後を追ってくる。律は振り返らなかった。アッシュランドへ向かう道を、一人で歩く。後ろから、将志の足音がついてくる。
律は、ポケットの中のメモに触れた。
(馬鹿だ)
律は、心の中で繰り返した。
(俺も、あいつも、みんな、馬鹿だ)
夜になった。
アッシュランドの路地は、昼間の熱がこもって、蒸し風呂のような暑さだった。律は、一人で歩いていた。
愛の家に向かっていた。
愛が住んでいたアパートは、アッシュランドの北側、グレン川に近い場所にあった。古い鉄筋のアパートで、外壁の塗装は剥がれ、階段の手すりは錆びている。律は、愛の部屋の前まで来ると、インターホンを押した。
しばらく待った。
扉が、少しだけ開いた。
中から、中年の女が顔を覗かせる。愛の母親だった。痩せていて、目の下に濃い隈がある。
「……何?」
女は、律を見て、警戒したように声を低くした。
「愛はいますか」
律が言うと、女の顔が、ぴくりと動いた。
「うちの子は、もういない」
女は、それだけ言った。
「どこに」
「知らない。引っ越した」
女の声は、冷たかった。
「もう来ないで」
バタン、と扉が閉まった。
律は、閉まった扉を、しばらく見つめていた。
(もういない)
律は、アパートを出た。
近所の住民に聞き込みをした。
「愛ちゃん? ああ、あの子ね。引っ越したらしいよ」
「いつの間にか、いなくなってたねえ」
「詳しいことは、分からないわ」
曖昧な答えばかりだった。誰も、愛がどこへ行ったのか知らない。知ろうともしていない。この街では、誰かが消えることなんて、日常の一部なのだ。
律は、次に、ブラック・フェザーのたまり場へ向かった。
アッシュランドの外れにある廃工場。かつては鉄鋼を扱っていた工場で、今は暴走族のアジトになっている。夜になると、改造バイクのエンジン音が響き、若者たちがたむろしていた。
律が近づくと、数人の男たちが、ぎょっとしたように身構えた。
「おい、あれ、葛葉の息子だぞ」
「レッド・スコーピオンの三人を病院送りにした、あの」
男たちの間に、緊張が走る。律は、彼らの前に立った。
「愛はどこだ」
律の声は、平坦だった。
男の一人が、唾を吐くように言った。
「あいつは、もう関係ない」
「そうよ。あの女は、俺らの仲間じゃない」
別の男が、笑った。
「ブラック・フェザーからも、とっくに抜けてたんだよ。知らなかったのか?」
律は、男たちの顔を見た。
(知らなかった)
律は、愛がブラック・フェザーのメンバーとつるんでいるのを見たことがあった。でも、それがどういう関係なのか、愛が本当は何をしていたのか、律は何も知らなかった。
(俺は、あいつについて、何も知らなかった)
無力感が、足元から這い上がってきた。
愛がどんな家で育って、何を考えて、なぜブラック・フェザーと一緒にいて、なぜあの夜、あの路地にいたのか。律は、そのどれも知らない。知ろうともしなかった。
ただ、愛が勝手に近づいてきて、勝手に話しかけてきて、勝手にいなくなった。
それだけのことだ。
(それだけのことなのに)
律は、右手の甲を見た。
火傷の痕が、夜の闇の中で、ぼんやりと浮かび上がっている。
(なぜ、こんなに)
律は、拳を握った。
(なぜ、こんなに、腹が立つ)
律は、廃工場を後にした。
アッシュランドの路地を、一人で歩く。遠くで、バイクのエンジン音が聞こえる。グレン川の匂いが、生ぬるい風に乗って流れてくる。
律は、公衆電話を見つけて、受話器を取った。
将志の家に電話をかける。
数回の呼び出し音の後、将志が電話に出た。
「もしもし!」
「将志」
「律さん! どうしたんすか、こんな時間に!」
律は、短く言った。
「愛のことを調べろ」
電話の向こうで、将志が息を呑んだ。
「愛ちゃん……ですか?」
「引っ越したって噂だ。だが、本当に引っ越したのか、確かめろ」
律の声は、命令だった。
「……分かりました」
将志の声が、真剣なものに変わる。
「任せてください。律さんの頼みなら、何でもやります」
律は、受話器を置いた。
(これが、俺にできることだ)
律は、空を見上げた。
厚い雲が、星を隠している。
(あいつが、どこへ消えたのか)
(それを知ることが、この街を出るための、第一歩になる)
律は、そう自分に言い聞かせた。
自室に戻ると、両親はまた喧嘩をしていた。
壁の向こうから、母のすすり泣きと、剛の怒鳴り声が聞こえる。律は、ベッドに横になり、天井を見つめた。
脳裏に、愛の声が蘇る。
律クン。律クン。律クン。
あの夜、路地で、泣きながら律の名を呼んだ声。
そして、血まみれの拳。
骨が折れる音。男たちの悲鳴。鉄パイプを振り抜いた時の、あの澄んだ感覚。
律は、右手を顔の前に掲げた。
火傷の痕。
(なぜ、愛はあの場にいたのか)
(なぜ、俺は愛を助けたのか)
(なぜ、今、愛はいないのか)
問いが、頭の中をぐるぐる回る。答えは、どこにもない。
律は、起き上がった。
問いを振り払うように、部屋を出る。アパートの外階段を上り、屋上へ出た。
夜風が、火照った体を冷やしていく。
アッシュランドの夜景が、眼下に広がっていた。
ところどころで明かりが灯り、その間に、真っ暗な闇が広がっている。グレン川の水面が、月明かりを反射して、細い光の帯になっていた。遠くで、暴走族のバイクが走る音が聞こえる。
律は、フェンスに手をかけ、街を見下ろした。
(これが、俺だ)
律は、静かに呟いた。
ヤクザの息子として生まれ、暴力でしか人を守れなかった自分。頭で出ようとして、結局、拳でしか道を開けなかった自分。
(これが、俺だ)
認めるしかなかった。
この街の底で、血と暴力と金にまみれて生きる。それが、葛葉律という人間の、正体だった。
(だったら)
律は、夜景を見つめた。
(じゃあ、これから、どうするか)
決意が、胸の奥で、静かに固まり始める。
東雲工業高校。偏差値三十八の底辺校。そこへ進む。そして、この街のルールで、這い上がる。
暴力より金。金より弱み。
人を動かす仕組みを作る。
そのための、最初の一歩が、愛の失踪の真相を突き止めることだ。
律は、そう考えた。
その時、アパートの下から、律を呼ぶ声がした。
「律さん!」
将志だった。
律は、屋上のフェンスから身を乗り出して、下を見た。将志が、自転車に乗ったまま、律を見上げている。
「律さん! 愛ちゃんのこと、調べました!」
律は、目を細めた。
「早いな」
「俺、こう見えて、人脈だけは広いんすよ!」
将志は、息を切らしながら、声を潜めて言った。
「愛ちゃんの家、誰も引っ越してないって噂っす」
律の手が、フェンスを握りしめた。
「……なに?」
「近所の奴に聞いたんすけど、引っ越し業者のトラックなんて、一度も見てないって。それに、部屋の明かり、夜になると点いてる時があるらしいんすよ」
律は、将志の言葉を、じっと聞いていた。
「愛ちゃん、本当に引っ越したんすかね?」
律は、答えなかった。
答えられなかった。
(引っ越していない)
(愛の家は、まだ、あそこにある)
(それなのに、愛は、いない)
律の胸の奥で、何かが、どす黒く燃え上がった。
それは、怒りだった。
あるいは、もっと別の、名付けようのない感情だった。
律は、アッシュランドの夜景を見下ろした。
街の明かりが、遠くで、ぼんやりと滲んで見える。
(愛は、どこにいる)
(本当に、ただの引っ越しなのか)
(それとも、何かが、あったのか)
右手の甲の火傷跡が、夜風の中で、静かに、熱を帯びていた。
律は、その熱を握りしめた。
拳の中に、あの夜の感触が、まだ残っている。Noveliaとは?
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