カルデアのおやすみ——英雄たちの大混乱デイオフ
カルデアへようこそ——歴史を超えた英雄たちが集い、世界を守るための謎めいた施設。
今日は珍しく戦闘の予定がない。マスター、フジマル・リツカはうっかり施設のインターホンで「みんなのための自由な一日」のアナウンスを流してしまい、たちまち絶対的な混乱が巻き起こる。
食堂では激しい料理対決が勃発。誰もが自分こそが最高の料理人だと主張するが、各英雄が知るのは自分の時代の料理だけ。結果は悲惨そのもの。アーサー王伝説の硬いパン、江戸時代の味噌汁、そして古代ギリシャの謎のシチューが一度にテーブルに並ぶ。マスターは一口ごとに顔をしかめるばかり。
廊下ではギルガメッシュが「今日は宝物庫の整理に最適な日だ」と言い、すべてを廊下に広げてしまう。廊下は完全に塞がれてしまう。苦情を言いに来たモードレッドが、誤って貴重な遺物を蹴ってしまい、王の激怒を招く。仲裁に来たマスターはギルガメッシュのコレクションについての一時間に及ぶ個別講義に閉じ込められてしまう。
図書館ではマーリンが「未来を教える」と約束して熱心な聴衆を集める。話は勢いよく始まるが、次第にマーリンは現実と創作の区別を見失い、最後は「なんとかなるさ
カルデアのおやすみ——英雄たちの大混乱デイオフ - 休日宣言と7日間のカウントダウン
カルデアスが、今日も青く光っている。
でかい球体が宙に浮かんで、ぼんやりとした青い光を放っている。地球の小さなモデル、みたいなやつだ。あれが赤くなったら人類が終わり——って話は、リツカも着任初日に聞いた。
今日は珍しく、穏やかな青だった。
フジマル・リツカは中央管制室の端っこに立って、その光をぼんやり眺めていた。黒いショートヘアが少し寝ぐせで跳ねている。白いシャツに黒のスラックス、それと薄手のカーディガン。左頬の小さなほくろがひとつ。身長は170センチだけど、なんとなく小柄に見える。たぶん、姿勢のせいだ。
時刻は朝の八時すぎ。
リツカは端末を手に、昨夜考えていたスケジュールを打ち込んでいた。今日は特に任務の予定がない。珍しいことだ。サーヴァントたちに自由時間を作ってあげようと、昨晩から考えていたのだ。
端末の操作画面を開く。メモを入力するつもりで、ボタンをタップした。
——ガッ、という小さな音がした。
直後。
天井に埋め込まれたスピーカーから、リツカ自身の声が流れ出した。
「[surprised]……え」
でかい声で。施設中に。
全館放送だった。
「[surprised]あ、ちょっと——」
慌てて止めようとしたが、もう遅い。録音しておいた音声が再生されてしまっている。
スピーカーからは、リツカのちょっとはずんだ声が流れていく。『今日は全員おやすみです!任務なし!自由時間にしていいです!』——昨晩、メモとして残しておいた音声だった。端末の入力欄じゃなくて、全館放送のボタンを押してしまったらしい。
数秒、静寂。
それから——施設のあちこちから、声が聞こえてきた。
歓声、というか。喜びの叫び、というか。廊下の向こう、居住区のほう、食堂のほう。バラバラに、でも一斉に、何かが動き出す音がした。
リツカは端末を見下ろした。全館放送の画面がまだ開いている。
「[sad]……やってしまった」
誰もいない管制室に、その言葉だけが小さく落ちた。
──────
食堂はすでに戦場だった。
到着したリツカが扉を開けた瞬間、白い煙がもわっと流れ出てきた。スパイスの匂いがする。それと焦げた何かの匂い。あと、なんかよくわからない匂い。
厨房のほうを見ると、複数のサーヴァントが鍋やら串やら石皿やらを手に、狭いスペースで全力でぶつかり合っていた。
コンロの前で小麦粉をこねている人。何かでかい肉を豪快に切り刻んでいる人。香辛料の瓶を四本同時に開けようとしている人。
「[excited]余暇とはこういうものだ!」
「[angry]邪魔するな、ここは俺が使う!」
「[serious]その火加減は間違っている」
怒鳴り声と鍋の音と、何かが爆発したような音が混ざり合っている。
その喧騒の中に、一人だけ静かな人がいた。
白いエプロンを胸の前でしっかりと結びながら、落ち着いた動作でコンロの状態を確認している。銀色の短髪。鋭いけど、どこか疲れたような目。見た感じ三十代くらいだが、実際の年齢は誰も知らない。カルデアのサーヴァント、エミヤだ。
「[cold]……もう少し秩序を持て」
小声で言いながら、エミヤは隣の人間が横から伸ばしてきた腕を静かによける。乱れない。動じない。ただ淡々と、自分の仕事をする。
リツカはそれを見て、なんとなく安心した。エミヤがいれば大丈夫——と思った、次の瞬間。
大きな鍋が、傾いた。
「[surprised]あっ」
飛び込もうとして、間に合わなかった。ぶわっと白い粉が宙を舞った。小麦粉だ。
リツカは顔から胸まで、白くなった。
しばらく沈黙。
厨房にいた全員が、一瞬動きを止めてリツカを見た。
「[laughing]マスター、白いですよ」
「[serious]……鏡を見ろ」
エミヤだけは笑わなかったが、目元がほんの少し緩んでいた。
リツカは顔の粉を手で払いながら、深呼吸した。
「[sarcastic]……楽しそうで何よりです」
──────
食堂から逃げ出して、廊下に出た。
メインコリドー——施設を東西に貫く、全長二百メートルの主通路だ。白い壁と青い床灯が特徴で、普段はスタッフが行き交っている。
今日は、通れなかった。
廊下の真ん中に、金色のものがずらりと並んでいたからだ。
壺、剣、宝石のついた冠、なんか動いてる置物、宝石だけが入ったガラスケース、また壺。全部ぴかぴかに光っていて、通路の端から端まで隙間なく並んでいる。スタッフが数人、立ち往生していた。
廊下の奥に、一人の男が立っていた。
金色の鎧を着ている。腰に手を当てて、満足そうにしている。リツカからは遠くてよく見えないが、とにかく態度がでかい。非常にでかい。
「[serious]通れません!」
「[cold]鑑賞中だ。黙れ」
スタッフが頭を抱えている。
リツカは小麦粉まみれのまま近づいて、とりあえず頭を下げた。
「[serious]あの、片付けていただけると……」
「[cold]貴様は余のコレクションを邪魔する気か」
全然聞かない。リツカはスタッフと顔を見合わせた。
こういう時、無理に言い争っても消耗するだけだ。経験上、そう学んでいる。
「[gentle]……わかりました。迂回します」
スタッフに目で合図して、反対方向に歩き出した。
迂回路の床には、占い道具が散乱していた。
「[surprised]なんで」
──────
図書室の扉が半開きになっていた。
中に入ると、天井まで届く本棚の前に数人のサーヴァントが集まっていた。床に本が積み上げられている。それと、星図みたいなやつと、何かの骨みたいなやつ(占い道具らしい)と、ルーン石みたいなやつ。
全員が言い合いをしていた。
「[excited]今日は大吉だ!これを見ろ!」
「[angry]大凶だろ。星の並びがそう言っている」
「[serious]そもそもその占術は根拠がない。こちらの方法では普通と出た」
「[angry]普通ってなんだ!」
リツカが止めに入ろうとした瞬間、三人の視線がぐいっとこっちを向いた。
「[excited]ちょうどいい。マスターを占ってやろう」
「[serious]この占術で占う」
「[serious]いや、こっちで占う」
三種類の占いを次々やられた。
結果は——大吉、最凶、普通。
三人が互いに睨み合っている。
リツカは苦笑いで立ち上がった。
「[gentle]……ありがとうございます。参考にします」
さっさと逃げた。廊下を歩きながら、さっきの占いがなんとなく頭の中に残った。
大吉。最凶。普通。
三つ全部ってどういうことだろう、と思いつつ——まあ占いだし、と笑って忘れようとした。
──────
夕方になった頃、リツカはふらふらと歩いていた。
小麦粉はさすがに洗い流した。でも疲れは残っている。あちこちを走り回って、止めに入って、謝って、迂回して、また謝って——一日、何をしていたんだろう。
廊下を歩きながら、ふと気づいた。
中央管制室の扉が開いている。今の時間、オペレーターは交代の時間帯で、少しの間誰もいないはずだ。
管制室の中央に浮かんでいるカルデアス——でかい球体——が、目に入った。
おかしかった。
いつもは穏やかで安定した青い光なのに、今日は違う。チカチカと、弱く点滅している。
リツカは立ち止まった。
「[whispers]……え」
嫌な感じがして、管制室に入った。オペレーター席のモニターを覗き込む。
一番大きな画面の端っこに、警告ウィンドウが開いていた。
霊子演算装置トリスメギストスからの通知。
リツカはモニターを読んだ。
——魔力炉出力低下を検知。現行出力で維持した場合の推定残存稼働日数:7日。
7日。
「[scared]……」
数字を、もう一度読んだ。7日。
魔力炉。カルデアの地下深くにある、施設全体に電力と魔力を供給しているシステム。あれが止まれば——カルデアスが止まる。カルデアスが止まれば、サーヴァントたちの現界を維持する全システムが止まる。
つまり——みんなが消える。
廊下の外から、声が聞こえた。
誰かが笑っている。さっき占いをしていたサーヴァントたちかもしれない。楽しそうな声だった。
リツカはモニターの前に立ったまま、動けなかった。
──────
夕食の時間になった。
食堂のテーブルに、きれいに料理が並んでいた。
エミヤが作ったものだ。昼間の混乱がうそのように、整った白いご飯と、透き通ったスープと、きちんと盛り付けられたおかずが、長テーブルの上に等間隔に置かれている。
サーヴァントたちが次々と席についた。騒がしかった。誰かが昼の料理バトルの話をして笑っている。誰かが財宝の並べ方について議論している。誰かが占い結果をまだ引きずっている。
リツカはいつもの席に座った。
周りを見回した。
この顔が、7日後には消えてしまうかもしれない。
さっきまで頭の中でぐるぐるしていた数字が、また浮かんできた。7日。7日。7日。
誰かに言うべきか。でも、どう言う? 魔力炉が止まりそうで、全員消えるかもしれない、って——今日の休日に、そんなことを言えるか?
リツカはテーブルの上の料理を見た。
白いご飯が湯気を立てている。スープが静かに揺れている。
「食べないのか」
隣にいつの間にかエミヤが座っていた。静かに箸を手に持って、リツカを横目で見ている。
リツカは少し驚いた。
「[gentle]……うん。ちょっと考えごとしてた」
笑った。うまく笑えたかどうかは、わからない。
「そうか」
エミヤはそれ以上何も聞かなかった。ただ自分の食事を始めた。
リツカも箸を手に取った。スープを一口飲んだ。温かかった。
うるさい食卓だった。言い合いと笑い声と、食器の音と。
いつも通りの、カルデアの夜ごはん。
リツカは周りを見ながら、ご飯を食べた。表情は笑っていた。胸の中には、冷たい焦りがあった。
両方、本当のことだった。
──────
夕食の後。
リツカは一人で管制室の前を通った。
カルデアスの光は、まだチカチカしていた。さっきより少し弱い気がした。気のせいかもしれない。
廊下を歩いていると、足の裏に何か小さなものが当たった。
立ち止まって見下ろすと、青い欠片が落ちていた。
小さい。指の爪くらいのサイズ。ガラスみたいに見えるけど、なんか違う。ほんのりと、青い光を含んでいる気がした。
何だろう、と思いながら、リツカは拾い上げた。
少し冷たかった。
とくに深く考えず、カーディガンのポケットにしまった。
廊下は静かだった。施設の中が少しずつ落ち着いていく時間。ヒマラヤの山の中、標高六千メートルの施設の夜は、外が凍りつくほど寒い。でも中は暖かい。
リツカはポケットの欠片を指先で触りながら、歩いた。
7日。
誰にも言わなかった。今日は、言えなかった。
でも明日になれば——と思って、でも明日のことはまだわからない、と気づいた。
とりあえず今日は、エミヤのご飯が美味しかった。それだけは確かだ。