カルデアのおやすみ——英雄たちの大混乱デイオフ
カルデアへようこそ——歴史を超えた英雄たちが集い、世界を守るための謎めいた施設。
今日は珍しく戦闘の予定がない。マスター、フジマル・リツカはうっかり施設のインターホンで「みんなのための自由な一日」のアナウンスを流してしまい、たちまち絶対的な混乱が巻き起こる。
食堂では激しい料理対決が勃発。誰もが自分こそが最高の料理人だと主張するが、各英雄が知るのは自分の時代の料理だけ。結果は悲惨そのもの。アーサー王伝説の硬いパン、江戸時代の味噌汁、そして古代ギリシャの謎のシチューが一度にテーブルに並ぶ。マスターは一口ごとに顔をしかめるばかり。
廊下ではギルガメッシュが「今日は宝物庫の整理に最適な日だ」と言い、すべてを廊下に広げてしまう。廊下は完全に塞がれてしまう。苦情を言いに来たモードレッドが、誤って貴重な遺物を蹴ってしまい、王の激怒を招く。仲裁に来たマスターはギルガメッシュのコレクションについての一時間に及ぶ個別講義に閉じ込められてしまう。
図書館ではマーリンが「未来を教える」と約束して熱心な聴衆を集める。話は勢いよく始まるが、次第にマーリンは現実と創作の区別を見失い、最後は「なんとかなるさ
カルデアのおやすみ——英雄たちの大混乱デイオフ - 金曜日の夜、一人きりの作業場——黄金のマントと使えの一言
「もう間に合わないかもしれない」
その言葉が、作業場の暗闇に静かに落ちた。
金曜日の夜。カルデアの作業場は真っ暗なままだ。停電が続いている。トリスメギストスの冷却パイプがへこんで、復旧予定は明朝——でも明朝になっても、残りの時間は削られていくだけだ。
フジマル・リツカは床に座っていた。
台の上には割れた霊脈石の欠片が散らばっている。青銀色のかけら。懐中電灯の細い光だけが頼りで、その光の中でキラキラと光っている。さっきから同じ欠片を同じように拾い集めているだけで、何も進んでいない。
(あと何時間あるんだろ)
モニターを見る。赤い数字が浮かんでいる。
——残り時間:48時間。
リツカは小さく笑った。笑い方が変だった。自分でも分かる。泣きそうな笑い方だ。
工具を握り直した。ピンセット。細かい欠片を一つずつ拾い集める用の、繊細な道具。指先が震えているのが分かった。震えが止まらない。疲れているのか。寒いのか。どっちもかもしれない。停電のせいで空調も弱くなっていて、作業場の空気がひんやりしている。
もう一度、欠片を狙った。
ピンセットの先が、かすかにぶれた。
カラン。
欠片が台から落ちた。暗い床に転がって、どこかに消えた。
「……あ」
リツカは懐中電灯を床に向けた。光の輪が床を探る。どこだ、どこだ。膝をついて、床を手で探った。ひんやりした床。埃の感触。欠片はどこに——
パチ。
懐中電灯のスイッチに手が当たった。
消えた。完全に真っ暗になった。
リツカはしばらく、暗闇の中でじっとしていた。
「……最悪だ」
声が小さくなった。誰にも聞こえないくらい小さく。
スイッチをもう一度押した。光が戻る。欠片を見つけた。また袋に入れた。でも手の震えは止まらなかった。
その時だった。
——ビッ。
壁面のモニターが赤く光った。
リツカは顔を上げた。モニターの表示が変わっている。警告の文字。赤い。点滅している。
立ち上がって扉を開けた。廊下を見た。
息が白かった。
(え)
温度が下がっている。明らかに下がっている。さっきまであんなに寒いと思っていた作業場より、廊下はもっと寒い。吐いた息がほんの少し、白い霧になった。
廊下の端の方に、サーヴァントが一人立っていた。カルデアのスタッフではない。英霊だ。その人の輪郭が——
(え)
ぼやけていた。
はっきりした輪郭ではなかった。後ろの壁が、薄く透けて見えた。霊基がゆらいでいる。半透明になりかけている。
(僕のせいだ)
その考えが、リツカの頭の中に飛び込んできた。
(僕が休日宣言したから。みんながダラけた。作業が止まった。霊脈石が割れた。12時間のロスが出た。それで残り時間が足りなくなった。魔力炉が止まりそうになって、サーヴァントの霊基がゆらいでいる)
全部、全部、自分のせいだ。
リツカの足が動かなくなった。
作業場に戻った。扉を閉めた。床にずるずるとしゃがみ込んだ。懐中電灯の光だけが、薄暗い床を照らしていた。
手が震えていた。もう工具を握れない。指先がかじかんでいる。
(また一人だ)
その感覚は前にも知っていた。
カルデア爆破事件の直後。あの日のことは今でも覚えている。爆発の直後、リツカは廊下に一人で立っていた。他の47人のマスター候補が全員倒れていた。誰も起き上がらない。静かだった。施設の中に、これだけの人間がいるのに、誰も動かない。音がない。
廊下を一人で歩いた。足音だけが響く。扉を開けた。また誰かが倒れている。別の扉。また誰かが倒れている。どこに行っても同じだった。助けを求める声もない。怒鳴り声もない。ただ静かで、リツカだけが動いていた。
あの時の恐怖が、今と重なった。
(自分には魔術の才能がない)
それは本当のことだ。カルデアで一番才能のないマスター候補、とどこかのスタッフが言っているのを聞いたことがある。聞こえていないと思ったかもしれないが、聞こえていた。その通りだとも思う。特別な力もない。令呪はある。でもそれだけだ。
(普通の人間に何ができる)
涙が出た。こらえようとしたけど出た。声は出さなかった。声を殺して泣いた。床に額をつけそうなくらい、うずくまった。懐中電灯の光が斜めに床を照らしていた。
モニターの数字が見えた。
48時間。
(もう間に合わない)
——ガタン。
扉が開いた。
リツカは顔を上げなかった。スタッフが来たのかもしれない。でも振り返る気になれなかった。
「……」
声がない。
リツカはゆっくり振り返った。
扉の前に二人が立っていた。ギルベルト・ザハルとモーリス・レヴィア。二人とも、入ろうとしたのかどうなのか、微妙な位置で固まっている。ギルベルトの金色の瞳がリツカを見ていた。モーリスの赤い瞳がリツカを見ていた。二人とも、表情が変だった。気まずい、というより、どう動けばいいか分からない顔をしていた。
あとで聞いた話では、二人が同時に扉を開けようとして肩がぶつかって、小声で何か言い合っていたらしい。でもその時のリツカにはそんなことは分からなかった。
ギルベルトが先に動いた。
無言で作業場に入ってきた。リツカの隣——床に座っているリツカの、すぐ横——に、静かに腰を下ろした。鎧姿ではない。今日は動きやすい服だ。金色の長髪が肩に落ちている。
そして、自分のマントを外した。
黄金色のマント。光沢のある布地で、端に細かい刺繍が入っている。ギルベルトがいつも羽織っているやつだ。それをリツカの肩に、静かにかけた。
その時、ギルベルトの手がリツカの肩に触れた。
ほんの一瞬だけ、その手が止まった。
リツカは気づいた。ギルベルトも気づいた。でも何も言わなかった。ギルベルトは手を引いて、リツカの横に座ったまま、正面の壁を向いた。目をそらした。
モーリスが作業場に入ってきた。扉を閉めた。床に片膝をついて、散らばっている霊脈石の欠片を一つ拾った。しばらくそれを見ていた。それから、ぼそりと言った。
「[sad]……悪かったよ」
リツカは何も言わなかった。
「[sad]石、割っちまって。悪気はなかったんだけど……それは言い訳か」
モーリスが欠片を床に置いた。赤い瞳がリツカを見ない。ちょっとうつむいている。あの勢いのいいモーリスが、こんなにおとなしくしているのは初めて見た。
ギルベルトが、正面の壁を向いたまま、目をそらしたまま、口を開いた。
「[cold]……余も、少し。自分勝手だった」
静かな声だった。いつもの威張った声じゃない。
リツカはマントを肩に感じながら、二人を見た。慰め方を知らない二人が、ただそこにいる。どちらも上手いことは言えない。でも来た。それだけだった。
リツカは泣きながら、小さく笑った。今度の笑い方は、さっきとは違う感じがした。
「[crying]ありがとう……でも、もう間に合わないかもしれない。48時間しかない。加工が全部できるか——」
ギルベルトが黙った。
長い沈黙だった。
モーリスも何も言わなかった。割れた欠片を見ていた。ギルベルトは正面の壁を向いたまま、何かを考えていた。考えているのが分かった。金色の瞳が、わずかに細くなっていた。
そして、ギルベルトが口を開いた。
「[serious]……宝物庫の奥に、一つある」
「え」
「[serious]余の王国に、かつて優れた鍛冶師がいた。その者が使っていた宝具だ。高速精錬——加工の時間を大幅に縮める道具だ。あれを使えば、炉心の仕上げに必要な時間が、大きく削れる」
「[surprised]そんなものが……!」
「[serious]ただし」
ギルベルトが一度、口を閉じた。
「[serious]一度使うと、壊れる。消耗品だ。二度と手に入らない。余が長い時間をかけて集めた、この世界に一つしかない宝物だ」
沈黙。
モーリスが、欠片から目を上げた。ギルベルトを見た。何も言わなかった。待っていた。
リツカも待っていた。
ギルベルトは、また黙った。さっきよりも長い沈黙だった。何かと戦っているのが分かった。いつもの傲岸さがない。プライドが高くて宝物自慢をやめない、あのギルベルトが、今は静かに何かを飲み込もうとしている。
三話のことを思い出した。地下で崩落が起きた時。黄金の盾をリツカの頭上に掲げて、岩の重みを全部受け止めた。あの後、ひしゃげた盾を見た瞬間のギルベルトの顔——あの顔と、今の顔が、少し似ていた。
ギルベルトが、静かに言った。
「[serious]使え」
短かった。
「[surprised]……いいの?」
「[cold]余が決めた。口答えするな」
それだけだった。
モーリスが、ふっと息を吐いた。笑ったのかもしれない。口元が少しだけ動いた。でも何も言わなかった。
リツカは黄金のマントを肩に感じた。ギルベルトの体温が、まだ残っていた。温かかった。
懐中電灯の光が、散らばった欠片を照らしていた。青銀色の光。
モニターの数字はまだ赤い。48時間。
でも——さっきとは違う何かが、この暗い作業場にあった。
リツカはもう一度、ピンセットを手に取った。今度は震えが、少し、和らいでいた。
「[gentle]……ありがとう、二人とも」
ギルベルトが正面を向いたまま、鼻を鳴らした。
「[cold]感謝は作業が終わってから言え」
モーリスが立ち上がった。
「[serious]で、その宝具——使い方は誰が知ってんの」
三人が同時に黙った。
リツカ、ギルベルト、モーリスが、順番に顔を見合わせた。
「[gentle]……え」
「[serious]……」
「[serious]誰も知らない、よな」
また沈黙。
懐中電灯の光が、じっとそこにあった。
48時間。一度使えば壊れる宝具。そして——使い方を知っている者が、カルデアには誰もいない。
リツカはピンセットを握ったまま、天井を仰いだ。